episode63・暗雲の思いの先 (Waka Side)
和歌のお話。
空が白み、淡い茜色の光りが差し込む。
もう目覚めなければいい。
自分自身の出生の秘密を知ってしまった以上、
『水瀬和歌』として普段通りに振る舞う事も生きる事等、出来ないのだから。
意識が浮上する。
ぼんやりとした視界は、嘗て見慣れた天井でもない。
白灰色の世界に寝かされている事に気付いて、
和歌は絶望と失望、二つの感情を抱いた。
自分自身は、千歳賢一の娘。千歳家の血を引く者。
23年経っても千歳賢一はずっと一途に母親を忘れずに想っている。
9年前に誘拐された時、千歳家が絡んでいた。
今の誘拐だって千歳家が絡んで起きたもの。
やはり自分自身は、何処と無く千歳家と切っても切れない悪縁の様だ。
9年前の誘拐も、きっと千歳家関わっていて家が揉み消した筈だ。
そうならば自分自身の素性が世の中に知れ渡っていないのならば、納得がゆく。
それに自身の母親が関わっているとしても納得出来る。
(…………私は、千歳家に心を壊されてきた)
千歳家に居なくとも。
自分自身の素性が、全くの皆無だとしても。悪縁は身に付いていた。
千歳家の血はこの身に流れていたとしても、
千歳家の人間として生きる道は和歌には皆無だ。
(………目覚めなければ良かったのに。目覚めたくなかった)
ずっと自身の父親は、
生まれる前に亡くなったと聞いて育った。
それに対して和歌自身、疑問を持つ節もあったが
父親に対しての感情は、皆無だったのだ。
母親や従兄、廉の父親がまだ健在だった頃は
実の娘の様に可愛がって貰い、キャリアウーマンで
シングルマザーである母も沢山、思い出を記憶を残してくれた。
だから自身に父親がいない事は素直に事実を信じ、
反対にその寂しさは全く感じないままで。
『______穢らわしいあんたを、
千歳家の人間だなんて絶対認めない。
父親にも会わせない。
千歳家の娘は、賢一さんの娘は、美岬だけよ!!』
『_____大人しい顔して、清純を装った酷い女。
あたしを苦しめた分、苦しめば良いのよ。
____“お姉様”』
千歳家に認められる事なんて、望んでいない。
寧ろ、関わりたくないのだ。これからの
人生に交わりたくはない。
それは、美岬の為、廉の為、自分自身の為にも。
けれども9年前に目覚めた時とは、違っていた。
場所も空気も、佇む雰囲気さえ。
もう呼吸を締め付ける、あの息苦しさも消えていた。
金縛りの如く重かった身体も羽毛の様に軽いものだ。
キョロキョロと周りを見渡すと、
此処は見覚えのある部屋だと気付いた。
身を起こすとベッドの傍に頭を預けたまま、
座り込んで昏々と眠っている青年がいた。
(…………廉?)
『______あんな人の話を聞くな』
『______もう大丈夫だよ、和歌』
千歳家に誘拐されて抜け出せないと思ったのに、
予想外にも従兄が助けてきてくれた。
あれからどうなったのだろう。
だが経緯がどうであれ、思う事はたった一つ。
(また迷惑と面倒をかけてしまった)
淡い寝顔と共に閉ざされた瞳。
その安らいだ天使の様なあどけない寝顔。
従兄の姿を見詰めると途端に申し訳なくなる。
従兄妹同士。
生まれてこの方、ずっと兄妹の様に育ち、
頼れる従兄に自分自身は甘えてばかりだった。
青年がいるのは当たり前で、
けれどもその、“当たり前”が、“自身の存在”が
従兄の支障になる事は目に見えている。
自分自身の素性が明らかになった今、
今まで通りには生きられなくなるのだから_____。
結局、自分自身の存在は
従兄に迷惑しかかける事が出来ない。
彼は10年前
両親や世間の白い眼差しで傷付き、今も苦しみただ己を責めている。
廉に責められる事はないというのに。周りに毒されてしまった薄幸な青年だ。
そんな青年にもう迷惑等、掛けられない。
(ごめんなさい、疫病神の従妹で………)
ちらり、と見えた肩の自傷の傷。
それに少し切なくなった。
一番辛い立場にいるのは、廉の筈だ。
天涯孤独も同然で、孤独と隣り合わせ、
青年はずっと贖罪の念に駈られて生きている。
「今までごめんなさい、廉。……ありがとう」
潤んだ瞳で、和歌は静かに呟いた。
(私は、貴方が救われる事を願う)
ずっとこれからも。この思いと恩は忘れない。
(何故、私は生まれたのか)
(私には、知る権利がある。この我が儘だけはいいでしょう?)
母親と、千歳賢一の間に何が存在したのか。
其処には誰にも言えないどんな大人の事情が潜んでいるのか。
(もう怯みはしないわ)
きっと事情を知って落胆する事があるだろう。
けれどもう、飲み込めない事情が来ても、呷ってやる。
あの心の傷を抱えて生きてきたのならば、
もう一つや二つの毒を増やす事、飲み込む事なんて容易い。
覚悟は出来ている。
朝は来ても太陽は見えない。
暗雲の灰色に包まれた空は、光りを隠している。
様々な思いを佇ませながら、和歌は家道を淡々と歩いていた。
(お母さん。貴女は私に、ずっと何を隠してきたの?)




