episode55・繰り返される偶然 (Ren. Waka mother)
前半、廉視点、後半、杏子視点
娘の姿がない。
明かりの一つもなく、
部屋は無人駅の如く、無慈悲にとても冷たい。
もう眠ってしまったのだろうか。
和歌の部屋に入り確認をしたが、最愛の娘の存在は何処にもいない。
何の形跡も残されていなかった。
そろそろ眠ってしまおうか、と思っていた頃。
廉の携帯端末に着信が入った。
“伯母”と簡素に入力された着信に、廉は飛び付いた。
「はい」
『廉君? ………和歌、今、廉君と一緒かしら?』
「…………いえ」
杏子の声が、弱々しく震えている。
何故だと思いながらも、“和歌がいない”と
言われた瞬間に廉の背筋は凍り付いた。
今日はアルバイトのない日。
品行方正で勉学以外に興味のない和歌ならば、
大学の講義が終われば真っ直ぐ家に直帰するに決まっている。
(………和歌が、寄り道する筈ないのに)
9年前、
和歌が失踪、誘拐された時、廉は聞いた事があった。
『警察は』というと、杏子は良い顔をしなかった。
静かに屈み込むと、廉と目線を合わせ呟く。
そしてまだ幼い廉に告げたのだ。
「………警察には言えないの。
もしね。和歌の存在が警察に知られてしまったら、
和歌は、もうお家には戻って来られないのよ。だから
廉がもしお巡りさんに会っても、和歌の事は、この事は秘密ね。
……絶対に言ったら駄目よ」
それは娘を思う心配そうな面持ちながも、
廉への眼差しは真剣で、そのものだった。
否。冷静な声音な中で、それは少し威圧感のある様にも感じた。
(………どうして、警察は駄目なんだろうか)
警察、と言っても、杏子は絶対に良い顔をしない。
何故、杏子が『警察』を巻き込みたくないのか、廉にはそれが分からない。
和歌の行動範囲内の、辺りを回り廉は夜道を走る。
和歌が通う、大学や大学に着くまでの道程。
アルバイト先、繁華街。ネオンの光りは眩しく
人通りの多い周りのガヤガヤとした雰囲気は
ノイズの様に聞こえた。
酔いを佇ませながら、歩くサラリーマン。
身なりをバッチリと決めたホストにギャバ嬢、
着飾りそれに付いていく人。
けれど、和歌の姿は何処にもいない。
携帯端末から何度も電話は繋がらず、
チャット型アプリにもメッセージを送信しても
既読すら付かない。
こまめで、
真面目な和歌の連絡は素早く繋がる筈なのに。
和歌は、
行動範囲内から羽ばたく事はない事は知っている。
良い意味で今の繋がる世界だけを大切にしている、
悪い意味では、自分自身の殻に籠ったままだ。
和歌が、
自ら意思でまだ新しい世界に歩いていく等まだない。
それは和歌が突然消えた事は、廉には不自然と思っている。
見上げても夜空には星等、一つもない。
初夏から、夏に変わる風は暖かい。
けれどその暖かい首を絞められている、居心地の感覚を覚えた。
“和歌、大丈夫?”
“お母さん、待ってるからね“
メッセージアプリに
時々、時折に送ってみるがメッセージは既読は付かない。
杏子は固く両手を組み合わせながら、頬杖を着きながら、項垂れた。
常に気配りを忘れず心優しい和歌ならば、すぐに返信する筈なのに。
『僕は外で捜して来ます。
杏子さんは、家に居て待っていて下さい』
廉は、娘を捜し回っている。
甥に申し訳なくて、自分自身も居ても立っても
居られなかったが、甥の言葉を信じて、娘の帰りを待っている。
ここ数日の娘の様子を、回想する。
特に変わった様子は何処にも見当たらなかった。
大きなフラッシュバックや、PTSDの発作に見舞われる事もない。
娘にとっては、平穏な日々を送っていた、そう思いたいのだが。
「娘が、いないんです………」
フラッシュバックするのは、9年前のあの出来事。
あの時もそうだった。甥と娘の姿を捜し回り見付からず、
定年退職した元警察官のおじいさんの頼んだのだ。
和歌はまだ、“回復段階”だ。
完全に回復した訳ではない。
娘の行動範囲は、大学だけ。
何度も何度も外界に慣れされてから、大学生の頃には回復しつつあった。
桜が舞う季節。
あれは、和歌が第一志望だった大学に入学した頃だった。
杏子は心配で和歌が大学を入学してというもの数日。
和歌に付き添い大学まで見送っていた。
だが。
「お母さん、もう私、大丈夫」
「………え?」
「一人で通学出来るわ。自分で行きたいの」
「………そう?でも」
「大丈夫よ。お外ももう慣れたから………」
そう胸を張って呟いた娘の晴れ晴れした顔は、今でも忘れない。
(…………もし、また和歌が誘拐されていたら?)
不意に思考に霞む記憶。
またあの悲劇が、繰り返されるのだろうか。
そうなるとまた娘は心に深い傷を負う事になるだろう。
そう思うと胸が張り裂けそうな気持ちになり、杏子は奥歯を噛み締めた。
項垂れた中で
闇の中でぐるぐると回想を巡らしながら、
杏子はある事に気付いた。
(………そう言えば、お茶に誘われたと言っていたわね)
大学4回生になって、
席が隣同士になった女の子の母親に声をかけられたと。
娘は、転入してきた女の子に色々と教えていたらしい。
その子の事はよく杏子は和歌から耳にしていた。
その縁から、
母親からお茶に誘われて、ご馳走になった、と。
けれどその話をする和歌は今一つ、浮かない顔をしていた。
人見知りだから、なんて理由なんて片付けられない。
和歌は拐われた経験から、初対面の人には強い警戒心を抱いている。
喜びではなく恐怖心が勝っていたのは、娘の顔色が示していた。
しかし。
和歌が言うには、その女の子は、とあるご令嬢らしい。
リムジンで運ばれた先は、お城の様なアンティークの館。
お母様も気品に溢れた雰囲気を伏せ持ち、和歌を歓迎していたという。
『でも、私は素直になれなかった。
何かされるんじゃないかって、せっかく
用意して下さった紅茶も飲めなかったの』
そのまま、娘は変わらず帰宅したらしい。
未だに残っている深い傷は、癒えないのだと思い知らされた。
だが杏子は、其処で思考が止まりはっとした。
(……………アンティークの館?)
娘は、
女の子の事だけを言うけれど、素性は口にしていない。
ご令嬢だとは解っているが、それが杏子を疑心暗鬼に襲われる。
大学からあまり離れていない都内の大きな屋敷だったらしい。
アンティークの館_____もしかしたら、
娘は、自分自身と全く同じ光景を見たのかも知れない。
(…………まさか)
信じたくたくない。
けれど異世界のお城のようだった、という言葉が引っ掛かる。
(そんな筈はない)
和歌の存在は、誰も知らない。
自分自身は娘の素性だけは決して
明らかに成らぬ様にと、娘の存在は厳重にしていた筈だ。
だが______。
(まさか、和歌は…………)
疑心暗鬼の先を疑った瞬間、杏子は絶句した。




