episode50・突き付けられた現実 (Misaki.mother side)
心に芽生えたのは、憎しみ。
彼を自分自身に振り向かせて見せるという自信は打ち砕かれ
千歳賢一の妻でありながら、
自分自身は初恋の女に敗北したという、屈辱心が喜子の心に残った。
負けたのだ。賢一の初恋相手に。
昔から千歳家に支えるお局の執事に
喜子は彼の懐に金を積み、感情的に荒れ狂い迫った。
賢一の初恋相手は、どんな女か。
どんな女で、名前は、素性は。
それは、『千歳賢一の妻』という肩書きを
かなぐり捨てながら反対にそれに執着している様に見えた。
大人しい夫人が、夫の昔の恋人に対して荒れ狂う姿に、執事はつくづく思った。
『狂気に狂った女性程は、恐ろしい』と。
(……………話さなければ、この好奇心は治める事は出来ないだろう)
そして観念した。
彼女の狂気の好奇心を治めるのは、
ありのままの、千歳賢一の真実を告げるしかないと。
そうでもしないと、賢一にも美岬にも、支障が出てしまう。
美岬に至っては樹神家へ嫁入りを控えているのだ。
これに傷付いてしまえば、温室の箱入り娘は立ち直る事が出来るのか。
懐に紛れた金に言葉が出なかったのも本音だ。
仕方がない、と執事は、喜子に名前を教えてしまった。
_______名前だけだ。
それからの好奇心と憎しみ故の喜子の行動は、早いものだった。
内密に探偵を雇い、賢一の出身大学に問い合わせ、
その女の素性をくまなく調べて貰った。
女が居たのは、あの夜、賢一が自白した内容と殆ど一致していた。
__________ある、二つの事を除いては。
『……………亡くなっていないじゃない』
賢一の初恋相手は、亡くなって等、いなかった。
今も存命していて、病故に亡くなった等は単なる偽りに過ぎなかった。
そして、喜子が最も許せなかったのは。
彼女には、一人娘がいるという事だった。
独り身ながら、
密かに産んだ彼女の娘に、喜子は怪しみ、調べ尽くし、
そして知ってしまった。それは一つの紙切れ。
けれども確かな存在感を露にするもの。
DNA親子鑑定書
【対象者】
千歳 賢一 (45)
水瀬 和歌 (22)
血液型:AB型(RH+)
父娘関係確率:99%。
以上の結果から、“父娘関係を肯定”とする。
「……………なんて、こと」
_________水瀬和歌は、千歳賢一の実の娘だと。
そして知ってしまった。
水瀬和歌の母親、水瀬杏子こそ、
今も賢一の心に居座っている初恋相手だったのだと。
『水瀬杏子は、黙って娘を産んだ様です。
賢一様はこの事実をお知りではないかと。
ただひとつ言えるのは、水瀬杏子の、一人娘に対するガードはとても固い。
外資系の会社に勤め、転勤族として、
国内、海外と住居を転々としている様です。
この行動は賢一様に会わない為に、娘がいると悟られない様にでしょう』
探偵は冷静な口調で、ありのままの事実を告げた。
喜子にとって冷酷非道で残酷な言葉と事実を。
千歳賢一の無自覚の、無慈悲な裏切り。
認めたくはなかった。信じたくはなかった。
賢一が妻に対して裏切りを働いて居たなど。
そして美岬以外に、賢一の血を引いた娘がいるのだと。
水瀬和歌は、美岬の異母姉なのだと。
けれども
突き付けられた現実は、否定したくとも出来ない。
全てを計算付く、疑惑の上で、喜子は和歌に近付いた。
水瀬和歌自身は母親似の様で、あまり賢一には似ていない。
けれども深窓の令嬢と連想させる、立ち振る舞いは、賢一の血を、千歳家の引いたのだと今ならば悟れる。
本人が知らなくとも、彼女も千歳家の血を引いているのだ。
しかし、立ち振る舞いや
仕草だけならば、美岬よりも勝っている。
実娘が、賢一の血を引いただけの小娘に負けているだなんて。
だから。
知りたかった。
一分一秒、水瀬和歌という人間を。
運命の悪戯だったのか。
生憎にも水瀬和歌は、千歳美岬____喜子の娘に出逢ってしまった。
彼女は思っても見ないだろう。同じ講義を
受け学んでいる彼女が、自分自身の異母妹だとは。
彼女が、美岬の親友だとも気に障った。
実の娘が、憎しみが走る女の娘と一緒に居るという事も。
だから喜子は美岬には告げたのだ。______水瀬和歌には関わるな、と。
千歳家の事を差し出したけれども、
憎悪が迸っている自分自身の
喜子自身の私情が優先してしまったのは一切否めない。
美岬の外国語学部の入学を赦した事も、今では後悔している。
知らなかった方が良かったのかも知れない。
真実を闇に葬ったままで。
少なくとも、愛娘_____美岬の耳には入れたくない事実だ。
彼女には傷一つのない宝石で居て欲しい。
傷一つ、着けたくない。
だが。
水瀬和歌に対する感情は真逆だ。
水瀬和歌を心を傷付けたい、水瀬杏子には罵詈雑言を浴びせたい。
刹那に心に込み上げるのは、
留めのない水瀬杏子、水瀬和歌に対する憎悪。
千歳賢一に対する言葉に出来ない愛憎。
けれど。
(______水瀬和歌、賢一さんは、
この事実を知ったら、どうするのかしら?)
それは、呆れた嘲笑いだった。
顔を手で押さえながら、喜子は呆れながら荒れ狂い、
暗闇の自室で、片手で顔を押さえながら、ずっと涙を流し続けた。
【補足】
・和歌が物語の構成上、
和歌が異母姉です。実際は一歳の年の差がありますが
美岬が早生まれの為、和歌とは同学年となります。




