episode47・夫人の利害、薄幸彼女に募るもの (Waka. Misaki.mother side)
和歌は大学の講義を終えると寄り道もせず、
真っ直ぐ、家路に帰宅するという。
喜子は、その和歌の行動に目が着けた。
大学門をくぐると、
外国製のブラックリムジンが存在感を放っている。
きっと美岬の出迎えが来たのだろうと、和歌は素通りしかけた。
しかし______。
「“水瀬 和歌”さん」
その気高い夫人の声音に、和歌は立ち止まった。
刹那的にフラッシュバックした9年前の光景。
足が立ち鋤くんでしまい、心臓が警告を鳴らす。
不意にリムジンの窓が開き、視線を向けると驚く。
テレビで見た事てある千歳賢一の妻が居たからだ。
彼女は余裕な微笑を浮かべている。
国会議員の妻としての品格が備わっている様な人だった。
「………あの、」
「いつも美岬がお世話になっております。私は美岬の母です」
「……………初めましてお目にかかります。
…………いえ。私は何もしておりません」
「美岬から貴女の話は、よく聞いているのよ。
初めて女の子の友人が出来たって」
「……………そう、ですか……」
少しだけしどろもどろになってしまった気がする。
9年前の出来事がフラッシュバックし
込み上げそうになる発作を抑えながら、
和歌は冷静なふりをして、対応した。
「それでね。貴女、今から時間はあるかしら?」
「……………はい」
そう言って後悔した。
今日はアルバイトのシフトがない日だ。
なのでこれから予定は全くのフリーだったのだけれど。
「………時間がお有りなら是非ともお話をしたいわ』
「………………?」
「では、今から私とお茶でもどう?」
「………はい?」
和歌は困惑の表情を、喜子は微笑を浮かべる。
間近で見ると端正に整った大人な顔立ちが、儚げに見えた。
濃灰色のジャンパースカート、襟に刺繍があしらわれたブラウス。
化粧っけは全くないけれども、
素のままの端正な顔立ちその方が彼女の自然美を引き立たたせている。
深窓の令嬢、そんな儚げな雰囲気を纏わせながら凛としている。
和歌は目を伏せたままだ。
「美岬がお世話になっているから、貴女にはお礼がしたいのよ」
「そんな……。私にはおこがましいです……」
「でもね。私、礼儀は通したいの。貴女には特に。
少しティータイムに付き合ってくれない?」
輝いた瞳。
千歳家に下手に抗えば、相手の態度によっては
千歳夫人は不快に思ってしまうのだろう。和歌は
自分自身と母親、従兄ににリスクがかかってしまうと考えた。
「…………はい、分かりました」
そう考えて、夫人のティータイム付き合う事にした。
美岬は習い事で早めに帰り、再び夫人の要望で
和歌をティータイムに誘う為にお抱えの運転手にリムジンを走らせた。
リムジンの後頭部座席には、端と端に和歌と喜子が座っている。
ちらり、と盗み見した水瀬和歌の姿。
背に流れたストレートの黒髪が、さらさらと揺らぐ。
儚げに整った、まるで硝子細工の様な顔立ちは、
窓の外を見詰めたままだ。その姿は黄昏ていて、 非常に絵になるだろう。
(………読めない子)
喜子は、そう思っていた。
______千歳家、夫人の部屋。
「貴女、礼節が整っているのね」
「………いえ」
「まあ、座って頂戴。紅茶は今から注ぐわね」
「………ありがとうございます」
和歌は、ぺこりと頭を静かに下げた。
水瀬和歌は礼儀やマナーが全て整っていて、指先から品がいい。
_______それは喜子にとって、憎らしく感じる。
牛革成のライトブラウンの椅子に座ると
スカートを整え、和歌は膝の上で両手を合わせる。
その姿は物憂げで物静かな人形、という印象だった。
「はい、お待たせしてしまったわね」
「いえ………」
ダージリンの香りが鼻に届く。
外国製の高級なティーカップは、白いカップに
金色混じりに青い縁取りが施されている。
「美岬とは、どうやってお知り合ったの?」
「今年の春、美岬さんと偶然、席が隣になり、
美岬さんから声をかけて貰った事が始まりです」
そうだ。
美岬がデザイン学科のある大学を中退し、
外国語学部のある大学に入学したのは、この春からだ。
出会った日からの付き合いかとなると、
かなり長い付き合いになるだろうか。
「私も人見知りしてしまう癖があるので
今まで友人が居なくて。私も美岬さんが初めて出来た友人なんです」
「あら、そうなの」
喜子は瞳の奥を輝かせた。
まさか同じ境遇で出会っていたとは。
「お母様のお仕事は何をなさっていらっしゃるの?」
「…………母は外資系の会社に勤務しております」
「あらそうなの。バリバリのキャリアウーマンという感じね」
「はい」
全てを知っている上で、喜子は和歌に身を乗り出し尋ねた。
「お父様は?」
その刹那、和歌は俯き、下に目線を落とす。
その薄幸な顔立ちの雰囲気から、聞いてはいけない事だろう分かっていた。
しかし喜子は知りたい。彼女の“父親”というものを。
「………私が生まれる前に、不慮の事故て亡くなったそうです」
「………そうなの。何だか込み行った事を聞いてしまってごめんなさいね」
「いえ………」
(不慮の事故で父親を亡くした?)
水瀬和歌は、父親の事をそう認識しているらしい。
水瀬家では父親は死別という扱いなのだろう。
その端正な顔立ちに、浮かんだ薄幸な雰囲気に微笑みたくなった。
(何も知らないのね。哀れ)
振る舞われた
ダージリンの香りが、“普通のダージリン”じゃない。
ただ者ではない事を和歌は見透かしていた。
只でさえ誘拐されて以降、薬品の香りには特に敏感なのだ。
(……………これは、睡眠導入剤?)
本当はダージリンを飲んだふりをして、
ダージリンの香りに何かが仕組まれていると見抜いていたので
和歌はダージリンを口にはしていない。
和歌は喜子に視線を移した。
もし水瀬和歌へダージリンに薬を盛って、眠らせたとして
国会議員・千歳賢一の妻は何をするつもりだったのだろう。
千歳喜子が、自分自身に対してよく思っていない事
和歌に対して何かを仕組んでいる事に気付いた。
この人は敵だ。
隅には置けない。警戒心を解いてはならない。
(…………ねえ、貴女は何を探っているの?)
(……………私を、眠らせてどうするつもりなの?)
内心で冷たい眼差しで、和歌は喜子を見据えた。




