episode42・灰色を望む (Ren side)
カチ、という合図と共に、灯火は着いた。
風に煽られ揺らめく炎。
それを、無慈悲な凍った瞳で見詰めるのは、あどけない少年。
少年の瞳は絶望が失望が入り交じっている。
地面に無数の広げられた写真。
微笑みながら自分の肩に手を置いて微笑んでいる女性、
真っ直ぐに家族を支える様に凛と立っている男性。
そして、真ん中で純粋無垢な曇りのない笑顔を浮かべている少年。
美しい程に理想的な、家族写真だった。
アルバムから全て剥がしてきた写真。
此処には自分自身の、両親の思い出が、無数に詰まっている。
それを庭の隅にばら撒いて、その前に表情の失せた少年が仁王立ちしていた。
少年は、茫然自失とした表情一つ変えない表情を浮かべている。
写真の端に火を灯すと、
それは瞬く間に焼き焦がれていく。
(………バイバイ)
灯火は、
写真に微笑みを浮かべる女を焼き付くして掻き消していく。
容赦なく焼き焦げていく写真を見詰めながら消えて、
あっさりと少年は手を離した。
刹那。
少年が手離した火の着いた写真。
火が写真を焦がしていく中で、家族写真を筆頭に
重なり連なった無数の写真達に飛び火していく。
赤く燃える火の粉。
ゆらりゆらりと揺めきながら赤く赤く燃え上がり、
思い出達を黒く焦がし灰にしていく。
燃えろ、燃えろ。
燃え上がって焼き尽くして、思い出なんて全て消えてしまえ。
廉に、もう未練はなかった。
自分自身を裏切り棄てた、男女の顔なんてもう見たくない。
それに何も知らずに幸せそうな表情を浮かべている少年も。
(今までの、時間はなんだったんだろうか)
おっとり、上品とした、優しい母親。
凛と紳士的で慈悲に満ちた、頼もしい父親。
あの陽炎の様な二人の存在は、一体なんだったのだ。
そう問いかけても、自問自答にしかならない。
けれどたった一つの結論は。
この12年間は幻想だったのだ。
幻想の優しい夢の中に自分自身はぬくぬくと、盲目的に過ごしていたのだ。
自分自身は温かな幻想の温室で暮らしていただけ。
その幻想から、冷たい厳冬の現実へ目覚めただけ。
(僕は要らないよ、居ないよ)
自分自身は、棄てられた捨て子。
廉に両親も、暖かな記憶も、もう何一つ存在しない。
それは、川嶋廉という無邪気な存在も。
頬を伝った、一筋の涙。
その涙の存在の、少年は気付かない。
思い出なんて、全て灰となって消えてしまえ。
もう暖かな記憶も、家族も、其処には存在しないのだから。
川嶋廉という少年を焼き尽くして、孤児のふりをした。
なだらかなバラードの音響が、店内に響く。
からり、と氷の音と共に硝子に入った淡い琥珀色が揺らめいた。
カウンターの向こう側のバーテンダーは、
シェィカーを手際よくしなやかに振っている。
酒気を帯びた空間。
カウンターに座る長身痩躯の青年は、
その端正な顔立ちに憂いを浮かべている姿は、まるで、モデルのようだ。
端から見れば、
母親が放火の罪を犯した、罪人の女の息子で、
それを影を落としているとは、誰も思わない。
何時もは酒を嗜む事はしないけれども、
バイト仲間に誘われて成り行きで着いていくしかなかった。
バイト仲間は酒に酔い潰れて、連れが先に連れて帰った。
時刻はもうすぐ0時前。
店内には何時しか自分自身しかいない。
(そろそろ帰ろうか)
と思った刹那。
カラン、とドアに着いていた鈴が鳴り、ドアが開いた。
おや、とバーテンダーが手を止めた後に、廉もその姿を見て固まる。
黒いキャスケット帽。
オーバーサイズの黒いパーカーに、
スキニージーンズから伺える脚線美は明らかに細い。
ゆらりと揺れた横髪に、重めの前髪、白い肌。
彼は、己の顔立ちを隠すかの様にキャスケット帽を目深く被り直している。
(…………和歌?)
ちらり、と見えた顔立ちは、明らかに従妹の姿だった。
チャットアプリで、本人確認してみる。
すると身近に慣れた着信音が鳴り、彼、否、彼女は
ポケットから携帯端末を取り出して見た刹那、
此方へ視線を向けてきた。
「バイト帰り?」
「…………うん」
バーテンダーが然り気無く、
カウンターから、人目に着かぬテーブル席に移してくれた。
「………き、奇遇だよ、廉に会うとは」
「………普通の口調でいいよ。誰もいないし、気にしない」
慣れない低い声で、
男性口調を使おうとする従妹に差し止めした。
彼女がバイト帰りには、自身の身を守る為に、
男装して家路に着いているのは、廉は知っている。
「何時も来るの?」
「………ううん。今日は、別……」
「だろうね。和歌は寄り道が嫌いだし?」
「………廉は常連客なの?」
「違うよ。俺が苦手なのは知っているだろう?」
そうだ。
廉は酒気を帯びた空間が、最も不慣れなのを和歌は思い出した。
確か、母親の酒気を帯びた匂いを纏わせている記憶がトラウマになっている。
嘗ては自身もそうだったが、アルバイトを始めると共に今は違和感は無くなってしまっている。
そう思うと慣れというものは怖い。
「どうしたの?」
「…………」
流れる沈黙。
何時もは和歌の凛とした表情が、
少し揺らいでいるのを、廉は見過ごさなかった。
寄り道が嫌いで、和歌の性格上と母親の目を欺く為に用意故に
何処かに寄り道するなんて考えられない。
どうしたのだろう。
和歌は、その瞳を揺らいだ後に呟いた。
「実は……誰かに後を着かれている気がして」
「後を?」
「うん。………最初は同じ道を歩いていると思ったの。
けれど違った。最近のバイト帰りに、確かに私に着いてきている」
「………追い詰める様に聞いてごめんね。その姿は見た?」
「スーツ姿の人。すぐに目線を戻したから確かかは分からないけれど……」
「そうか」
だから、地下の人目のないバーに訪れたのか。
人間不信で恐怖心を抱いている彼女にとって、
それはかなりの勇気を要した筈だ。
だが、
(和歌が、後を着かれている?)
和歌は嘘や冗談を言う人間ではない事を、廉は知っている。
しかし、和歌の後を付ける人間が見当たらない。
和歌にとって、
母親が全てで、関係者は従兄の自分自身くらい。
それに和歌を誘拐した犯人はまだ牢獄の中に居る。
和歌を後を追うなんて有り得ない筈だ。
(…………和歌を追う人間は、誰だ?)




