episode38・出会いが変えること (Waka side)
和歌のお話。
たまに思う事がある。
もし、あの誘拐事件に巻き込まれていなかったら、
自分自身はどんな人間で、どんな性格をしていたのだろうと。
けれど幾度と考えても、そのキャンパスは真っ白だ。
想像は出来ない。自分自身には描けない。
和歌が、
沈黙を潜めた固い真顔を崩した事はあまりない。
硝子細工の様な繊細な美貌に浮かんだ憂いの雰囲気。
それは周りから密かに『生ける人形ではないか』と囁かれている程だ。
(寧ろ、そう思ってくれた方がよいのだけれど)
和歌にとって、
人と関わるのは言葉に出来ないストレスと苦痛だ。
それを内心を人間関係を疎ましく思い刹那、一人になりたいという衝動に駈られる。
人に声をかけられるだけで、苦痛になる。
意外にも人は馴れ馴れしくて、その人の全てを知っているような素振りを見せる。
_______本当は何も知らないのに。
基本、和歌はその表情を変える事はない。
自分自身の固い殻に籠り、他者を寄せ付けないスタイルだ。
高校、大学、と外界を歩んできてどんな不名誉な噂を流されても、
まるで自身を他者に置き換えて傍観するかの如く過ごしてきた。
それで良かったのに。
大学4回生に進学した時、隣の席にとあるご令嬢が現れた。
千歳美岬、と名乗った時点で、彼女が有名国会議員のお姫様だと和歌は知っていた。
そんな高嶺の花であるご令嬢に易々と近づいてはいけないと思い
近付く権利もないだろうと思い込んでいた。
しかし。
世の中は広い様で狭い。自分自身には関わる事は
ないだろうと思っていたお姫様とまさか関わる事になるとは。
彼女を敵に回して無視等は出来ない。
千歳家の人間を敵に回せば、その人間はかなり悲惨な末路を辿る。
ネットで調べた限り、千歳家のせいで
幾度の犠牲者が出てきた事は、和歌は知っている。
千歳家の犠牲者には、無実の人だって存在する。
自分自身の事はどうでもいい。
あの日、心を奪われ棄てられたも同然なのだから。
この身体が、魂がどうなろうと構わない。
冷たくしようと思えば、和歌には、そう出来た筈だ。
しかし。
第一に和歌は、母親の身を案じた。
母親は誰もが認めるキャリアウーマンで、完璧な人だ。
千歳家の如きの迫害に巻き込まれ、母親のコツコツと
地道に積み上げたキャリアを、娘の自分自身が潰す訳にはいかない。
もう一つのの気掛かりは、従兄の廉の事だった。
千歳の手に掛かれば、廉の素性が露になってしまう事なんて簡単だろう。
廉の素性がバレてしまえば、廉は辛く肩身の狭い道を歩む事になるだろう。
それは、死んでも避けたい。
もし自分自身のせいで従兄の素性が露になってしまえば、
和歌は廉に顔向けすら出来ない。
もし、自分自身が彼女に不満に思う態度を取ったら
マイナスと悲惨な末路が待っている。
あまり、誰かと会話を会話をする事すら不慣れだけれども、
千歳家の人間は無視出来ない。だから自分自身を押し殺して、
和歌は美岬に付き合っている。
和歌は近寄りがたい雰囲気を醸し出している筈だったのに
彼女は堂々と土足で、自分自身の領域に踏み込んできた。
『和歌は、自分を変えた出会いって、あった?』
その瞬間、ぎくり、とした。
そして、傍観者の如く、自分自身の過去を見詰めた。
箱入り娘として温室の鳥籠にいる彼女の興味本位だろうか。
自分自身を変えた出会い。
和歌に言わせれば、それは紛れもなく“あの出来事”だろう。
“あの出来事”は紛れもなく自分自身を奪われ、心と自分自身を棄てられた。
時計を逆さまにするかの如く、自身だけではなく
周りも自分自身も変えてしまった。
あれから、心の底から笑う事も無くなった。
今ではどうすれば笑えるのかすら、和歌には難問だ。
盲目的な絶望が、和歌から感情を奪ってしまったのだから。
ない、と和歌は首を横に振った。
それに対して意外な表情をして、軈て、美岬は呟いた。
『そうなの。でも、あった方が方が良いに決まっているわよね』
『…………え?』
『人は出会いで変わるんだから』
和歌は内心、この言葉が大嫌いだ。
良い出会いならば美談として、良い思い出となり良いのだろうけれど
自分自身は“悪い出会い”によって、他者に自分自身を黒く塗り潰された。
あれは思い出したくもない、最悪な思い出だ。
まるで、今は見えない拷問を受けている様だ。
脳内に仕舞い込み押し頃したあのトラウマの記憶が、蘇ってくるのを抑えるのが精一杯だ。
忘れたい、触れては欲しくない秘密に、美岬は無情に土足で踏み込んでくる。
美岬は歯に衣を着せない。
だから何事も隠す事なく、遠慮無しにズバズバと物事を告げる彼女は苦手だ。
目を輝かせながら言う美岬に悪意はないのだろうけれど、
和歌は固まり、内心は疎ましく思い、そして悟った。
(嗚呼、この子は、本当に箱庭のお姫様なのね)
綺麗な箱庭に入れられた、
綺麗なモノしか知らない無垢なお姫様。
箱庭のお姫様は、穢れた現実を直視しなくても良い。綺麗なモノしか視なくていい。
だから、お伽噺の様な空想を語れる。
それは
誘拐事件に巻き込まれ、嫌と言う程の煮え湯を呑まされ
穢れた大人の事情も現実も見詰めてきた自分自身とは違う。
千歳家の令嬢で国会議員の一人娘なのだと思い知る。
和歌は、自分自身が変わる程の出会い等、更々望んでいない。
寧ろ、孤高に生きる、そんなものは要らない。
また自分自身を塗り替えられてしまうなんて御免だ。
和歌は、出会いによって自分自身が、塗り替え変えられてしまう事を何よりも恐れている。
『私はまだいいかな、出会いとかは……』
『でも和歌っていつも一人じゃない?
それって寂しくない? それじゃ出会いなんてないと思うの。
自分から踏み出さないと何も変わらないわよ?』
それは、悪意か。
スカートをぎゅと握って、表向きは
冷静を装いながら和歌は内心で美岬を睨み付けた。
分かっている。
本当はこのまま自分自身の殻に閉じ籠り続ける事は出来ないと。
けれど今更、この殻を破る事も出来ない。きっかけ等、要らないと和歌は思っている。
誰とも接する事無く
自分自身の殻に閉じ籠る事で、自身の身を守っている和歌は
母親、従兄、という二人だけの人間関係で充分なのだから。
他の人間は、要らない。
(………出会いに、メリットなんて、あるのかしら?)
『私は、まだいいよ……』
『え? そんなの詰まらないじゃない。
人は出会いによって磨かれていくのよ、だから和歌も______』
それはまだ言葉の拷問がを喰らっているようだった。
自分自身が求めてもいない事を美岬は熱弁を奮ってくる。
その瞬間、受講を知らせるチャイムが鳴った。
そのチャイムにほっとしながら、同時に美岬を疎ましく思った。
最初だけ。奥ゆかしいふりをしていたけれど
最近、美岬の横暴さが酷くなっていくのを感じている。
(何も知らない癖に)
(無責任に、出会いを押し付けたら満足なの?)
他者の素性や過去を知らないのは当たり前だけれど
人間の見た目だから決め付けて、持論を押し付けてくる人間は信用出来ない。
他者に出会いを求めて、何になるのだ。
初対面の人だったら尚更、警戒心が高鳴る。
特に笑顔で近寄ってくる人間ならば、尚更。
(“あの人”だって、そうだった)
優しいふりをして、平気で裏切った。
(もう同じ失敗は繰り返したくはないわ)
(一人ぼっちと笑われても、自分自身の世界は安全なのだから。
だから、私は出会いは求めない。孤独と生きていく)
(………人に、持論を押し付ける?)
頭に浮かんだ霧。
美岬の押し付け方は“誰か”に似ている気がした。
けれども、変わってしまうのが怖くて、その“誰か”は知らないけれど。
当初の小説投稿の際、(◯◯side)が抜けてしまった事を
お詫び申し訳上げます。申し訳ございません。




