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傷付いた鳥籠が壊れるまで  作者: 天崎 栞
【傷付いた小鳥達】
31/112

episode29・傷痕と後遺症 (Waka side)

和歌のお話。



周りは住宅街だった筈なのに、

都市開発が進んで家々は全て取り壊されて無人地帯になっていた。

これが時の流れというべきか。


誰も知らない、忘れられた更地に佇む一人の女性。



(…………不思議)



誘拐現場に足を運ばせても

不思議と、発作は起きなかった。



あれだけ言葉に出来ない、

苦しみを生んだ始まりの場所だったというのに。

今の和歌は何とも言えない無情に晒されている。


(………“今”は此処に立っていても、何とも思わない)


(………あれだけ怖かった筈なのに)


驚かないのは

多少なりとも、時が経過したせいか。

それとも自分自身の心構えと、心の整理が着きつつあるせいか。

それとも……。


もしも昔の自分自身が

今、此処に居たら、平常心を保てなかっただろう。

きっとパニック発作が起きて、現場を直視出来ずに

目を閉じて耳を塞ぎ、まともに呼吸する事も出来ないに違いない。


9年という月日を、和歌は苦しみと表す。



ずっと、過去に囚われ塞ぎ込んでいた。

まるで刃物で抉られた様に、あの忌まわしい記憶は

純粋無垢な少女の心に大きな傷痕を残した。


“誘拐される前の水瀬和歌”と、

“今の水瀬和歌”を切り捨て生きる様になってから、

誘拐される前の彼女は、死したと思い込む様になった。

割り切れる様になった反面、自分自身が分からない。

今まで何を考えて生きてきたのか。



今の和歌に残っているのは、

思い出すだけで背筋がざわめく忌まわしい、悪夢の様な日々。

形のない悪魔に追い掛けられて、苦しみ、辛さを経験した記憶しかない。




誘拐から救出された後に、

水瀬家は再び母親の、仕事の都合の転勤町から引っ越す事になった。


生まれ故郷に戻ってからの、悲劇。


このまま町に留まったままでいたら

和歌のPTSD、パニックの発作が起きてしまう。

それを避ける為に、という事だった。


和歌にとってはこの町にいる事は苦痛の象徴。

心機一転、生きる場所も環境も変えてしまおう。


地方から、都心部の近い県へ。

きっと引っ越しをすれば、和歌が誘拐された事も、

廉の母親が犯した大罪の事も明らかになる事はないだろう。


(“私”に戻りたい)


心の片隅に潜んでいた叫び。

こんな苦しみから囚われる前の自分自身に。


誰も知らない町で、心療治療を行う。

心療内科の主治医である遠藤、母親、廉の協力の元、

和歌は全てを棄てる覚悟で治療に励んでいた。




________大学キャンパス。




「和歌は、彼氏とかはいないの?」



美岬の一言に、和歌は固まった。

美岬は悪気など一つもない、純粋な瞳を此方に向けている。


周りは色恋沙汰や、彼氏彼女として人生を謳歌している。

羨ましいとは思わないが、怖い、と思うのだ。


あんなに簡単に他人を信用して、笑顔を見せている。

いつどちらかが豹変して裏切るかもしれないのに。



和歌が誘拐され、6年の月日をを費やし

心療治療を行っていた事は誰も知らない。

孤独を好み、外界を拒絶して引きこもり塞ぎ込んでいた。


誘拐され、海外の心療治療を行ってきた時は

人に、外に恐怖心を抱いていたから、対人関係等は成立出来なかった。

幼い頃から母親と二人三脚で歩んできた影響もあって、和歌は男性慣れしていない。

それに誘拐された時に和歌に声をかけ、拐った人間は男性だ。

当然、異性には良い感情は抱いていない。


だから、

人と接する中でも、男性は特に怖い。

人を避けている和歌にとって、特に男性と接する機会は避けている。

どうせ表向きは優しいふりをしていても、裏では何を考えているか分からない。

優しいふりをして近付いて、(やが)て裏切るのは、簡単なのだから。

もうそんな人間に騙されたくはない。




せいぜい、異性と付き合いがあるのは廉くらいか。

しかし廉は幼馴染で、従兄で、幼い頃から一緒に育った影響もあり、

異性とは認識していも、あまり自覚は有無だ。


廉は害を与えてこない。

それは長い付き合いを経て、和歌の本質を知った上である。




「いないわ」

「そうなの、意外ね」


少し悟った表情を浮かべながら、和歌は目を伏せ気味に呟いた。

孤独だけを愛し、周りを避けている和歌にとって

あまり踏み入れられたくない領域だ。





それを聞いた美岬は

意外そうな気持ちになりながら、驚いていた。


化粧っ気一つもない素朴な女性だが、近付けば驚く程に端正に顔立ちは整っている。

否。その自然美が彼女の透明感のある美貌を引き立たせていた。

華奢ながら整ったスタイル。

人目を惹く、非の打ち所のない、物静かで慎ましやかで清楚な美人なのに。



秘かに、この外国語学部の男子には、

和歌に惹かれ、恋心を抱いている人間が何人もいる。

何人か告白した勇者もいたらしいけれど、

彼女の答えは全てNOだったらしい。



(……………本当に、この子は純粋無垢なのね)


指先でカールした毛先をくるくると回しながら、美岬はそう思った。

男性を取っ替え引っ替えしながら生きる、ふしだらな自分自身と、何もかも違う。


和歌は、真面目に、純粋に生きている。

それを思うだけで、彼女は眩しかった。




(お母さんには、悪いけれど)


自分自身は恋愛も、結婚もしない。子供も生まないだろう。

和歌にとって世界の人達は怖い人ばかり。恐怖の象徴だ。

もう他者とは誰にも関わりたくない。もう二度とあんな悪夢を経験したくない。



(きっと、私は誰かを愛する事もないし、愛せない)



悟った心情で、和歌は思った。



孤独の中だけで生きると決めた今、外界と接触を図る機会なんてないだろう。

慎ましやかに誰にも気付かれず、ひっそりと

この平穏の日常に埋もれて生きれば生きれば良いのだ。

それが、今の水瀬和歌の細やかな願いだ。



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