episode25・自身の存在価値 (Ren side)
廉のお話。
廉は気になっていた。
和歌が何時もと違う神妙な表情を浮かべている上に、
和歌が、何かを戸惑った節を見せている事に。
けれど逆鱗に触れると思い、敢えて触れなかった。
けれどまさか、彼女が、
自身が誘拐された間の記憶を知ろうとしている事に驚きを隠せない。
今までその情報に触れる事は、禁忌だったのだから。
『和歌の誘拐の事情は、決して和歌の耳には入れないでね』
和歌の母親に、伯母に、耳に蛸が出来る程に言われていた言葉。
“誘拐の秘密”を和歌に悟られてはならない。
それが、水瀬家に置いて貰える契約だと廉は思っていた。
もし和歌に告げ口でもしたら甥の立場でも問答無用で追い出される。
それに、
幼い頃から知っていた和歌が変わってしまった事に、廉は心を痛めていた。
幼馴染であり恩人の娘である和歌には、苦しまないで欲しい。
秘密なんて殊更、和歌に告げるつもりはない。
和歌の誘拐の秘密を、廉は全て知っている。
和歌が居なくなった時に必死で捜し回ったのは、鮮明に覚えている記憶だ。
第一、この6年間、本人は記憶に蓋をして、
真相を知ろうという気持ちは一切、無かった筈だ。
6年が経って今更、何故、そんな事を言うのだろう。
それが意外だった。
真剣な面持ちと、眼差しで、此方を見据えている。
そんな和歌に、廉は少し戸惑いを見せた後、口を開いた。
「和歌にとって、大事なのは、現在? それとも過去?」
「…………え? それは現在……」
「だったら、わざわざ知る必要なんてないんじゃないかな」
「それに………」
ばっさりと切り捨てた言葉と共に、青年の瞳に闇色が混じる。
「その過去を知って、和歌に何のメリットがあるの?」
青年の表情に浮かんだ微笑。
だがそれは時折によっては嘲笑にも見えた。何時も
穏やかな青年が、見せる表情は一瞬、恐怖を感じた事は否めない。
第一、和歌は贅沢だ。
廉は、和歌が自身の過去を尋ねられた時、そう思っていた。
当然、彼女が辛い苦しみの経験をしたのは百も招致だ。
けれどもその苦痛の記憶が消えてしまっている以上、彼女はまだ救いがある。
消えて忘れてしまった辛い記憶を、わざわざ思い出さなくていいのだ。
消えてしまった記憶を無理矢理に思い出す理由は何処にも存在はしないのだから。
それに
(思い出してしまったら、和歌はまた壊れてしまう)
もし思い出してしまったら、彼女はまた生き地獄の苦痛を味わう。
漸く過去を切り離して生きる事が出来ている彼女にとって
また惨い過去に触れる事は、受け止め切れないだろう。
何の罪もない和歌が
精神崩壊をした姿を、また見続ける日々は耐えられない。
和歌自身の過去は思い出さない方が、彼女の為なのだ。
けれど、廉の記憶は消えない。
母親が夫と息子を裏切り不倫相手に走り
殺人放火の罪を犯した罪も、
父親の精神が崩壊して、狂気に狂った矛先を
受け入れたくない現実を、息子へ虐待と共に悪党雑言を向けた。
例え、人一人死んでも、世界は変わらない。
止まらない時間の中で、自分自身は、無意味に息をしている。
毎日、人は生を受け生まれてくる。
町で見る赤子を見る度に、廉は必ず思う事がある。
穢れ切った自分自身の命より、この純粋無垢な穢れを知らない赤子な方が、何倍も命の価値はあると。
(殺人者の息子が、のうのうと生きていて何の意味がある?)
(俺が生きていたって、誰も喜ばないのに)
(それどころか俺が消えて死んだ方が皆、喜ぶかも知れない)
本来なら、この命を何時だって棄てても、いいのだ。
この命は棄てても、自分自身の価値なんてないのだから、棄てた所で塵と化してしまうだけ。
こんな皆、穢れた命が息をしている事なんて誰も望んでいない。
今の廉は、自傷に狂い
被害者に懺悔と悔恨を詫びるだけの人形となってしまった。
本年を言えば夢も希望もない。母親が犯した大罪をただ懺悔する為に息をしているだけだ。
“あの日”から、廉に枷された使命は、
被害者への母親が犯かした大罪に悔恨と懺悔を祈り詫びる日々。
けれど何度、懺悔を悔恨の意思を見せても、被害者の命が蘇る訳じゃない。
加害者家族が生きている事は、遺族には遺憾でしかない。
自分自身に与えられたのは、加害者の身内として苦しむこと。
廉は自分自身の立場ならば、痛々しい程に理解している。
“生きて苦しむ”それが大罪を犯した母親の息子の存在価値だと思いたい。
懺悔と悔恨、母親が犯した大罪を、自傷する事で晴らしてきた。
本当は誰からも望まれていない子、死んでも等しい子。
死を望まれている子。
世間の哀れみと白い目は、言葉を並べなくても強く訴えている。
事実を知っていても、その事実の身内を見たら誰だって
冷遇の眼差しを向けるのだから。
それは当然だろうけれど。
働かず者、食うべかざる。
昼夜を問わず、汗水を流し働いてきた。
廉の目標は、早く一生分のお金を貯めて、
父親を引き取り、父子で誰も知らない土地でひっそり暮らすことだ。
“犯罪者の息子”、“殺人息子“、“殺人の家族”だとも誰も知らない場所に。
ある女に人生を狂わされ、裏切られ、取り残された者同士、
例え、父親に忘れられても、今の父親は
自身を悪くは思っていないようだから、尚更、好都合だ。
最期はきっと朽ち果てた様に、父親と二人、死を迎える結末となっても構わない。
廉自身、水瀬家から独立はしたが
父親が入っている特別ホームの多額のお金はまだ、和歌の母親が払っている。
それが申し訳なくて自分自身で払える様に、その責任を担えるまでが廉の目標だ。
昼夜も問わず仕事を務め、働いたお金を全て貯金に回してきた。
若い内に一生分に働いて、父親を引き取れる様に。
父親の世話を一人で賄える様に、最近は在宅介護関連の話も頭に入れている。
“犯罪者息子”、“殺人者の息子”と怯え息を潜めて暮らす中で
被害者遺族に懺悔と悔恨をの言葉を並べ詫び、
一生分、暮らせる、貯金さえ貯められれば、廉はそれで良いのだ。
何時かは
誰も知らない土地に行って、ひっそりと暮らす為に。
もう誰にも怯えながら生きなくて済む様に。
加えて言うのならば、廉は望んでいなくても、
父親が未だに愛し続け、純粋に待ち続けている母親の事を引き取ったって構わない。
その反面、何処かで思っている。
自分自身の自由は、今だけなのだと。




