episode19・ レッテルと束縛 (Ren Side)
廉のお話。
濃紺の空。
満月に満ちた月と、無数の星々が空には散りばめられている。
廉の自室の片隅には、ぽつんと佇んだ天体望遠鏡。
それを冷めた眼差しで見詰めながら、溜め息を着いた。
天体望遠鏡は、廉にとって苦い思い出だ。
『廉、誕生日おめでとう』
12歳の誕生日プレゼントに、父親から貰ったもの。
あの時は皆、笑顔に溢れていた。
無邪気で居られた、最期の誕生日。
その廉の誕生日の数日後、母親は人を殺めた。
母親が作り笑顔で、家庭では良妻賢母を演じていたなんて今ではぞっとする話だ。
父親から貰ったことが
足枷になり、未だに捨てられずにいる。
けれどそれは廉にとって、目を背けたい事であり
天体望遠鏡を見るのも避けてきた。
それを引き、此方に持ってきて
夜空が見える様にセットする。
望遠鏡から覗き込んだ夜空。
案の定、星も月も見えない。
望遠鏡の先に映るのは、永遠の闇色。
あの頃は綺麗な夜空に散りばめられた星空や黄金の月が見えたというのに。
(……………嗚呼、そうか)
もうこの望遠鏡には
もう綺麗な星も月も見えなくなったと悟った。
「川嶋 廉」
その名前を呼ばれると
悪い意味で、ざわざわと心臓が胸騒ぎがする。
「君、営業成績トップだよ。
我が引っ越し会社としても鼻が高い」
「………そうですか。ありがとうございます…_」
一瞬、肝が冷えたが、
軈て安堵に胸を撫で下ろす。
高校卒業後、廉は引っ越し会社に就職した。
それだけではなく、スカウトがきっかけで
時折にして、サロンモデルもこなしている毎日だ。
無遅刻無欠勤の優等生。
与えられた仕事は、此方が求めている以上の結果を出してみせた。
______若いうちの苦労は、買ってでもしろ。
水瀬家から離れ、自分自身だけで生きていける様に。
若い内になるべくお金を貯めて貯金しておきたい。
今の廉は働き詰めの毎日を送っていた。
廉にとって、名字がコンプレックスというべきか。
川嶋姓は変わらない。母親が逮捕された時も
川嶋と報道され、婿養子で嫁いだ父親の名前も変わらない。
和歌の母親が廉の将来を案じて、水瀬姓を名乗れる様にとも考えたらしい。
しかし、川嶋家の人間が許さなかった。
『廉は、跡継ぎ。川嶋家からは渡さない』
一人娘が犯した大罪に後ろめたさを感じながらも
廉は、たった一人の娘の息子であり、廉がいなければ
川嶋家を継ぐ者がいなくなる、からだという。
それは不都合に当たるから困るとも言った。
しかし川嶋家は廉を引き取りもせず、
孫には無関心そのものだった。まるで祖父母の扱いは他人の様だった。
廉は単なる川嶋の名前を墓に持っていくだけの人形。
身内に犯罪者が生まれたこと、
一人娘が犯した大罪に祖父母は精神を病み、
娘の息子だと廉を『殺人者の息子』と拒絶し嫌う。
廉は水瀬家に引き取られ育った事もあり
『犯罪者の息子』『殺人の息子』というのも明らかに成らなかった。
というべきよりも水瀬家に守られ、川嶋家から
疎まれている為に廉は、川嶋家の人間という実感はあまりない。
(…………大人は身勝手だ)
だからなのか、廉は川嶋姓にも執着なく、
『跡継ぎだから』と自身を束縛する川嶋家が疎ましい。
水瀬家に引き取られてからは、
以前の様に生活が遅れる様になっていたが、
本当は何処かで、怯えていた。
川嶋という名字を呼ばれる度に、川嶋という名字を見られる度に。
ふと視線を上げれば履歴書をじっと見詰めている相手の目に。
大罪を犯かした人間の息子だと、明らかになってしまうのではないか。
何処かで不安に駈られた。
その癖は、今だってそうだ。
それは廉の五感に身に付き、深く刻まれている。
成長するにつれ廉は、内心、川嶋姓を憎む様になった。
川嶋姓を名乗らなれば、この重たい心の憑き物は落ちるのだろうか。
そんな事を望む事は贅沢でいけない事だと重々に承知している事だが。
川嶋姓は、棄てられるものならば棄てたい。
伯母が一時期、戦ってくれた様に
“水瀬 廉”として息が出来たのならば、どれだけ幸せだろうか。
どれだけ見も心も、気も、楽であろうか。
そう思う反面、
もう一つ廉には棄てきれない望みがあった。
______父さんが、俺を、思い出してくれないだろうか。
(_______馬鹿馬鹿しい)
そんな事を望んだところで叶わぬ願いだと知っている。
父親が母親を強く思っていても、自分自身は蚊帳の外。
彼は10年間、息子を忘れてしまったままだ。
今更、救いも望みはない。
叶わぬ願いだけれども
もしも父親が正気を取り戻したら、
和歌と、和歌の母親の様に、仲睦まじく支え合って暮らしている様に。
何もかもを棄て去り
誰も知らない土地で慎ましやかにひっそりと暮らすつもりだ。
(俺、頑張ったんだよ。母さんの事も気付かれずに
川嶋廉として、生きてきたんだよ)
父親に言いたかった叫び。
父親が、今、息子の存在を思い出したら言えるのに。
今までがむしゃらに生きてきた。
水瀬家以外の認められず、世間に、世間に、人に
『犯罪者の息子』『殺人者の息子』と悟られない様に。
ずっと叶わぬ願いと思いを抱いて、
水瀬家で息を潜める様に生きてきた。
何時までもは隠せないだろう、いつか自分自身の素性が明らかに成れば、自分自身はまともに息すら出来ない。
廉に残された使命はたった二つだけ。
妻を思い帰りを待ち続けている父親を見守ること。
そして、母親が犯した大罪を、懺悔して生きていく事だ。
この体も罪を背負った身。
穢れている事には変わらないのだから。




