episode8・令嬢の責任感(Misaki Side)
美岬のお話。
大学の授業を終えた帰り、正門には黒いリムジンと
サングラスを掛けた細身のスーツを着た男性が、待っていた。
「お帰りなさいませ。美岬お嬢様」
最近千歳家の使用人となった若手の男性だ。
目元の表情は伺えないが、その口許は朗らかに微笑んでいる。
迎えに来た千歳家専属の運転手に美岬が告げた行き先は、
都内で有名なブランドファッションショップだった。
その店は、主にパーティードレス等を扱っている店。
『雑誌に載っていたワンピースとスカート、
それに新しいパーティードレスを新調したいの』
そう。千歳家の当主である父が、
愛娘がおねだりすれば、父親は絶対にノーとは言わない。
美岬の願うものは全て叶えられ、実現させてくれる。
昔から愛娘の可愛さの為ならば、何でも用意してくれていた。
表向き、両親の前では
新しいパーティードレス、とは言ったが、
千歳家の為ではない。美岬の私情の為だ。
今回のドレスを新調する事は、
夜な夜な繁華街に出掛ける為のドレスを用意する事。
それが、美岬の目的だった。
最先端の技術を備えている専属のスタイリストを用意して貰い、
今年の最先端のファッションやヘアメイクを求めた。
毎回、会う男性が違う様に、趣味嗜好も違う。
それに応じて自分自身も姿を変えないといけない。
美岬は、ファッションやメイク等の流行には人一倍敏感だ。
数々の月刊ファッション雑誌は毎月欠かさずに購入し、
自身でもファッションやメイクの技術を研究している。
女という武器を最大に使い、ファッションやメイクの技術と武装でそれらを更に引き立たせる。
淡いイノセントレッドの、ワンピース。
襟には袖口やスカートの裾には白いフリルがあしらわれている。
派手ではなく落ち着いた雰囲気のあるワンピースを着こなしている美岬は
愛らしく整った顔立ちと共に
品格と上品さを兼ね備えた雰囲気を纏わせている。
流石、国会議員の父親を持つ娘であり、令嬢だという威厳を思わせた。
『お嬢様にとてもお似合いです』
鏡の向こうにいるのは、薔薇の様に鮮やかな華やかな姫君。
思わずスタイリストの言葉から、心の声が溢れていた。
パーティードレスは
今年の最先端の流行のドレス達の候補が此方へくる。
敢えて露出度の高い服装を選び、男性が目を引きそうな
露出度の高いドレスを着用しては、姿見に映る自分自身を確認する。
ファッションやメイク、話術から自身を引き立たせ彼等を虜にするのだ。
大人は嘘を並べる中で、けれど鏡だけは正直者だった。
幼さを隠し大人なドレスを着こなしている美岬の姿を、
愛情に渇望した女性の姿を表している。
当の本人は気付いていないけれど、
美岬の本来の姿は隠せないままだ。
だがそれを押し退けて
自身を偽り大人に見せる為に美岬は、手段を選ばない。
美岬はまだあどけなく幼い顔立ち故に、
それをなるべく隠すメイクやドレスでカバーしている。
なるべく大人に見える様なドレスを選び抜き、幼さを隠す。
ノースリーブの、桜色のアシンメトリードレス。
体の曲線美が露になるタイト系のドレスタイプで
裾には惜しみ無くフリルが贅沢にあしらわれている。
次に来たのは、赤色のモード系のドレス。
基本はシンプルなワンピースの様に見えるが腕の部分や
肩が露出し鎖骨や胸元のデコルテ部分はシースルーになっており、スカート部分もふわりと広がるフレアスカートだった。
フレアスカートの部分にも
ウェディングベールの様にスカートの上には重なる様に
シースルーの花柄刺繍の生地があしらわれている。
夜の繁華街を歩く女性に
相応しい様にと選んだドレス達はやや派手めだろう。
だがこれくらいに自分自身を偽り無理矢理に背伸びをしなければならない。
ドレス達を美岬は気に入り、堂々と胸を張った。
オーダーメイドで作られるという事で早速、
スタイリストにピックアップしたドレスを伝え、店の担当者に注文した。
帰りに化粧品専門店に寄り
発売されたばかりのアイシャドウ、アイライナー、チーク、リップと真新しいものを揃えた。
それは普段のナチュラルメイク用、夜の濃いメイクの為の用と使い分け購入したのだった。
自分自身を磨くためなら、少しの努力も手段は選ばない。
けれども時折にして思う。
(お父様が知ったら、どう思うのかしら……)
一人娘が、夜な夜な繁華街に出では男性と会っている事を。
美岬の夜遊びしている事を、まだ千歳家の人々は知らない。
早めに眠るからと偽って一旦は寝たふりをして、
千歳家の目をかい潜り
美岬は裏口から、出入りしている。
もし国会議員の一人娘が夜な夜な繁華街を歩き回り
男性と夜遊びを重ねているとなれば、多大なスキャンダルに成りかねない。
もし明らかになってしまえば、
父親の名誉も千歳家の名も没落するのは、目に見えている。
たまに脳裏を掠める自分自身の生まれ落ちた家柄を。
明らかになれば、父親の顔に泥を塗ってしまうのかと。
父親は偉大な存在であり、世間でも名の知れた国会議員。
美岬は幼い頃から
“千歳家、千歳賢一の娘”というブランドの中で生きてきた。
千歳家は資産家でもあり、常に世間体を気にしなければならない。
自由奔放に生きている中でも
美岬の心に影を落とす父親の存在、千歳家の末裔という責任感。
生きている限り、千歳家というブランドを守り生きて行かねばならない。
けれどそれは宿命だと解っていていても
それは、時折に美岬を窮屈させる。
幼い頃から、父親が国会議員であり
代々続く資産家である事は現実で目の当たりにしていたので、
美岬自身、自分は“普通の少女とは違う存在”を実感していた。
それ故に感じたのは、身分の差。
千歳家のブランドがどれ程に偉大なものか理解していた。
もし名高い千歳家の名に傷を付けてしまったら
同じく父親である賢一の地位を落としてしまう事となる。
その父親の地位を落とさぬ様にと美岬も時間し、国会議員の娘として相応しい娘である様に、英才教育を受けてきた。
礼儀作法、食事のマナー、
専属の講師が付けられ叩き込む様に厳しく教えられてきた。
一人娘である美岬はいずれ、婚約者を定められ見合いにより
婚姻し嫁入りを約束されている身でもあるのだから。
けれど何処かで窮屈さは感じていた。
だから今のうちにと自身の楽しむ時間を作りファッションやメイクを楽しみ
今の内に自身の思い出を作ろうとした。
そんな中で悟ってしまったのだ。
自身が愛情に飢え、渇望している事を。
そして知ってしまった。自分自身が欲しいのは
千歳家で唯一与えられなかった温もりであるのだと。
(あたしは、本当は
千歳家から、お父様から、
逃げようとしているのかも知れない)
自宅へ帰るリムジンの高等座席に乗り、
窓の外を見詰めながら美岬はそう思う様になっていた。
“今日は会える事は楽しみにしているよ”
携帯端末に入ったメールに、目を伏せる。
別に男性が好きでもない。
年齢や容姿は問わず。ただ温もりという安心感を与えてくれればいい。
現に今までに何十人と出会ってきた男性にも、
特別な感情を抱いた人物は一人も居ないのだから。
ただ美岬が求めるのは、無条件の温もりだけ。
温もりだけしか眼中にないのは、明らかな事実だ。
だがその温かさの沼に嵌まってしまった今、引き返す事は出来ない。
自分自身でも、無慈悲で滑稽な事をしているのは自覚している。
夜の間は、普通の女の子として自由は居られる。
同時に千歳家の一人娘、責任感も忘れられる一時なのだ。
(解っている、こんな事に嵌まってはいけないのだと)
罪悪感と交差するのは、己の欲望。
その狭間で今日も令嬢は苦しむ。
ただ。
この長い夜の間だけは
夜遊びでしかない繁華街にいる間は、“普通の女の子”として溺れて生きたい。
温もりを感じては、唯一与えられる安堵感に安心していたい。
それは贅沢で、許されない事だとしても。