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六章 偽善

 

 真夜中。

 横になっているといつもは感じない魔力を感じてララナはおもむろに瞼を開けた。

 魔力反応を感じたのは屋外、緑茶荘の裏だ。遮光カーテンを閉じた部屋は暗いが、寝室の足許には布団一式と鞄があるのみで窓際へ寄るに難儀はない。

 横になる前、南窓のカーテンの右端に屋内が見えない程度の隙間を作っておいた。カーテンを揺らさず屋外を確認すると、闇に融け込んだ黒服が三人。木陰から肩先が覗いている。

 ……予定通りマークがついたようですね。

 堤端産業か魅神産業の者だろう。不正を暴かれまいと総の両親が寄越した曲者(くせもの)だろうが、

 ……三人ですか。

 その配置に妙な感を受けた。ララナの行動を見張っていざとなったら実力行使で止めるというには黒服が南に集中しすぎている。

 ララナは玄関のある北側をドアスコープで窺ったが、魔力反応もなければそれらしい人影もなかった。

 ……ふむ、三人ですね。

 玄関のある北側に一人か二人、窓のある南側に一人か二人、と、いうようにばらけさせるのが普通だ。人員を南に集中させるという博打に出るくらいなら人員を増やして分散したほうがマシ。今の配置では魔力反応が固まっていることで悟られやすくなり、不審に思われれば玄関から逃げられる可能性が高い。しかもその玄関はノーマークと来た。ララナの身辺調査を済ませず踏みきる人員配置ではないのに手抜かりを感ずるのはなぜか。

 ……あの黒服達は、総さんへのプレッシャで配置された監視ではありませんね。

 南に黒服を集中させることで得られる利点は何か、と、考えると、答が絞られてくる。

 黒服の配置は、その存在をあえてララナに察知させつつ逃げ道を残した配置である。すなわち、玄関や南向き窓を破壊せずララナを屋内から誘き出す(おび  だ  )ことを目的としている。南を選んで配置した理由は、北より樹木が多く周囲の目を気にせず隠れられる。

 ……身代金要求犯罪者の可能性が高いですか。

 ララナが女一人でアパートに引っ越してきたことや聖産業の令嬢であることは少し調べれば判ること。窃盗団や強盗団なら宝飾品店や銀行を狙うのが定番だ。ララナを外に誘き出そうとしていることや深夜を狙っている辺りを踏まえると、周囲の人間に犯行を見られないようにララナを素早く拉致しようとしていることが考えられる。恐らくは、ララナが玄関を出たところで南に集中している黒服が駆けつけて拘束、身代金をせしめる算段だろう。堤端産業などの手の者なら同社への調査をやめさせる狙いで実害のない脅しに及んだという可能性も残されているが、いずれにしても推測の域を出ない。もし身代金要求犯罪者であるなら、

 ……一網打尽にするまたとないチャンスです。

 狙いと異なる曲者が現れても、貧民であるなら犯行動機を聞くいい機会になる、と、前向きに捉える。ララナは一人だが不安要素はない。一人で神神を相手に争ってきたのでたかが人間三人に劣ることはなく、増援が一〇〇〇人潜んでいても一瞬で片づける予定だ。

 ……玄関を開くと同時に南へ後退。これで裏をかくことができます。

 ララナは玄関の鍵を外そうとしたが、

「待った」

「っ」

 ララナの眼前に人差指を立てた手が。手許を辿って振り向いたララナの開口を、再びの人差指で封じたのはオトであった。現在と過去の時の隔たりを越えられるだろう彼なら、現時間の壁一つ飛び越える程度は造作もないだろうが。

 ……なぜこちらに。

 理由はオトの口からすぐに出た。

「夜中にぶつぶつ煩すぎ」

「あ、」

 オトがダイニングに向かうので、ララナもそちらに移動した。

 皆が寝静まった深夜である。黒服に聞こえてもまずいので、ララナは小声で伺う。

「読心の魔法ですか」

「そんなことはどうでもいいわ。なんやの、この状況」

 と、オトが肩を竦めて親指で南を指す。

「お前さんの観たところ堤端産業の手のもんやないんやよな」

「身代金要求犯罪者、略取犯かと推測しております」

「一網打尽か」

「はい」

「やめとけ」

何故(なにゆえ)ですか」

「別の人間がおる」

 オトが今度は人差指で北を指した。「黒服とは別に、無魔力(むまりょく)の人間が何人かあっちにおる」

「え」

 〈無魔力(むまりょく)個体(こたい)〉とは、人間を含めて魔力を持たない個体を指し、単に無魔力とも呼ぶ。これからは魔力反応を感ぜられず、姿を視認できなければ簡易的な魔術では発見できない。

「戦の経験が鈍ったか。お前さんちの覗き穴からちょうど見えん位置に隠れとった。そのお蔭で一〇二号室(こっち)の覗き穴からは丸見えやったんやけど、あれは堤端産業の手のもんやよ」

「断言なさる。なぜ私を外へ誘き出すような配置を」

「一度拉致する段取りみたい。その上で、俺から離れるよう説得するつもりなんやろう」

「左様な目的が──。あちらの心もお読み取りになったのですね」

「煩かったから鼻柱を圧し折ってやるつもりだ」

 オトが悪意満面。ララナはオトの言う黒服の目的に疑問がある。

「五大旧家堤端家ひいては堤端産業の不正をオト様がご存じだから、私が話を聞けないよう引き離したいのでしょうか」

「それは、俺が堤端の不正について知っとるか否かを窺うための鎌やな」

「ばれましたか」

「直球すぎるやん。それはともかく、理由に察しがつかんのか」

「(なんでしょう。)なぜですか」

「本当に思い当たらんのか」

「はい」

「枯れとるのか、鈍感なのか」

「鈍感とは……」

 オトの言うことがララナは解らなかった。

「読心の魔法は使わんのか」

「戦時でもございませんし、内心の自由を脅かすような気が致します」

「俺はめっちゃ脅かしとるわけやけど、それについてはどう思うん」

 言われてみると、と、いう程度にしかララナは感じなかった。完全な贔屓だが、ララナは体感を伝えるしかない。

「隠し事をする必要がございませんから私は気に致しません」

「犯罪予防なら許容の範囲やと思うがな」

 オトが呆れつつ、「話を戻す。あいつらが現れたのは総がお前さんに好意を持っとる」

「そうでしたか」

「そんなけろっと。総に同情しようかな。こりゃあかんわ」

「私には憶えがございません」

「ともあれ、総は好意でもって危険な俺からお前さんを遠ざけたいんよ」

「オト様が危険というのは飽くまで総さんの認識であって私の認識と異なります」

「総はまだ若いんよ。他者の認識に立って物事を考えるにも自己の投影でしかできん。早い話若さゆえに経験が足りんのやから大目に見たれ」

「当状況はどのように対処すべきでしょう」

 ララナが意見を仰ぐと、オトが匙を投げた。

「知らん。こっちは眠いんよ」

 鼻柱を圧し折ると言っていたではないか、と、ツッコむ感性がララナにはない。

「お騒がせして申し訳ございません」

「引き止めんのは美点やな。ま、より騒がしいのは外の連中やから気にすんな」

 暗がりでオトがララナを見下ろす。「こう観るとちっちゃいな」

 この状況で話すことか。ララナは首を傾げた。

「オト様も男性としては小さいほうですね」

「顔はデカいがな」

 それは髪と髭がボリューミなせいでは。顔自体は、

「人並ではないでしょうか」

「このデカい顔では外に出たら相当驚かれるやろうな」

 言うやオトが忽然と姿を消した。間もなく玄関前で小さな物音。立て続けに南の黒服がざわざわと木陰から姿を現して緑茶荘の表に向かっていく。

 ドアスコープで外を窺うと、オトが黒服を組み伏せたところであった。ララナは玄関扉を開けて、「オト様、これは」と、状況を伺う。無魔力の人間が二人気絶して倒れているほか、黒服三人がオトの足許で痙攣(けいれん)している。

「安心しろ。無魔力のヤツらは手刀で黙らせて、ほかのは雷魔法で軽く感電させただけで命に別状はない」

 問題はオトが先に手を出したか否か。その問題に答えたのは、

「ララナさん、ご安心を。先に手を出したのはそちらの無魔力の方方でしたよ」

「日向像さん、おられたのですね。こんばんは」

「こんばんは」

 居合わせたというには日向像の()()が万全であった。

「お婆さんは管理人やから事前に連絡しておいた」

「なるほど──」

 お誂え向き(あつら   む   )のハンディカメラを構えている日向像。黒服の行動を撮影していたのだろう。

「それにしてもお婆さん、ハイカラなもん被って寝とるんやな」

 ナイトキャップだ。

「ふふふ、お気に入りですよ」

「可愛いやん。いい趣味やな」

「オト君も素晴らしい柔術でしたね」

「自己流で悪いけどね。さて、と」

 オトが隣空間から麻縄を取り出し、五人の男をぐるぐる巻きにした。

「どこのもんか知らんが、」

 と、いうのは建前だろうが、「いきなりぶん殴ろうとするのはどうかと思うぞ」

「まったくですね。あ、広域警察に連絡せんといけませんねぇ」

 日向像が携帯端末を耳に当てると、黒服の一人が慌てた。

「ま、ま、待ってくれぇ、頼む、警察だけは……」

 すると、オトが悪党面を作ってハンディカメラを指差した。日向像が撮影を続行している。

「証拠は押さえてある。警察のお世話になりたくないんなら、お前さんらを送り込んだヤツを教えろ」

「そ、それは──」

「お婆さん、警察に連絡して」

「わ、解っ、解ったから待て!」

 黒服が青ざめていくのと対照的にオトが口角を吊り上げる。

 ……まるで脅しですね。

 いや、紛れもない脅しであるが。ララナの心の声に応えるように、オトが黒服に言う。

「取引だ。早く白状すれば全員無罪放免にしたる」

「映像を、渡してくれるのか」

「お婆さん、いいかね」

「オト君がよければ」

「だそうだ、残念だ、よかったな」

「……、解った。……テラノアだよ」

「国際問題にでもする気か、阿呆が」

 オトが看破する。「こっちはお前さんらの読心を済ませとるんよ。お婆さん、警察」

「はい」

「ぐっ、待て!」

 観念した黒服が口を割った。「堤端産業の社長だ」

堤端(つつみばた)公博(きみひろ)やな」

「そうだ」

「読心との照会完了。じゃ、解放」

 オトが指先に魔法刃(まほうじん)を出して麻縄をブツッと切り、続けて治癒魔法で五人の体調を回復してやる。

 日向像の渡した映像データを持って黒服が立ち去るのを、ララナ達は見送った。

「逃してしまってよかったのでしょうか」

「捉えて拷問、はたまた支配して黒幕を引き摺り出すとか」

「そこまでは。総さんの意図が判りましたが、堤端産業への探りはまた別の方法を用意する必要がございましょう」

「昼に渡した書類は」

「私の妹が復号しております。明日にも報告が来るでしょう」

「そこで言葉真家と警備府もとい一大臣との癒着くらいは判る」

 齎された小出しの情報。言葉真家と一国の大臣が癒着しているとは。

「堤端産業の関与があるならそこから芋蔓式(いもづるしき)に引き摺り出せる可能性もあるし、とりあえず落着ってことでいいんやない」

 展望が開けているのかオトは楽観的である。ララナにできることも今はない。

「ララナさん、今日はお休みになってはどうですか」

 日向像がナイトキャップを被り直して、「わたしも休ませてもらいますね」

「日向像さん、おやすみなさい」

「おやすみなさい。オト君も、おやすみなさい」

「悪かったね、起こして」

 オトが片手で日向像に答えて先に家に入ると、日向像も自分の家に入っていった。

 ……おやすみなさい。

 ララナはオトと日向像の家に向かってお辞儀し、自宅に戻った。

 

 

 調書を作った若き刑事柴倉(しばくら)誠治(せいじ)は口を和一文字に結んで気持を引き締めた。〈厳重(げんじゅう)取締とりしまりはん〉の班長砂縁(すなふち)(けい)に調書内容を報告して、

「令状取ってきます」

 と、外へ向かうが「待て」の声。

 ドアノブに手を掛けて振り返った柴倉誠治に、砂縁圭が冷静に指示を出す。

「朝一に行け。もう裁判所が閉まっている」

「開けてくれますよ、特例で」

「……役所は、粛粛だ」

「……っくそ」

 真夜中。警察署も公的機関の一つで、とっくに定時を過ぎている。柴倉誠治も砂縁圭も、正義感から残業しているに過ぎない。

 落ちついている砂縁圭も年若い。右拳を左手で包み、椅子について俯いている。

「朝まで、待てるか」

「……勿論です!」

「備えよう。この国のために、わたし達は失敗できない」

 柴倉誠治は砂縁圭にうなづき返すと自分の席に戻って装備の手入れを始めた。愛着ある狭い部屋。ここで数年、待っていた。

 ……年貢の納めどきだ。

 

 

 朝が訪れると、ララナは寝所から起き上がって遮光カーテンを全開にし、レースカーテン越しに庭を観た。

 ……魔力反応も人影もございませんね。

 無魔力の相手には無警戒だったララナは、昨夜の軽率さを反省した。人間に遅れを取ることはないだろうが、世の中には規格外の人物が多く存在していることを知っていたはずで、もしそんな人間が不意打ちを仕掛けてきたらどうなっていたか知れない。

 規格外の人物は、ララナの知人にも多数。神が死後に人間へと転生した〈化神(けしん)〉という種族が規格外の一つである。彼らは人間の体を持ちながら圧倒的な神の力を有し、怪力であったり魔力が強かったりする。その実力は人間の比ではなく、一二英雄にも数えられる赤髪の剣士ともなると指先一つで岩をも砕き、剣を振り翳せば大地を割るような衝撃波を放つ。そのように出自が特殊な規格外はまだしも、純血の人間でありながら神と対峙できるほどの魔力を有しているのがララナの義妹瑠琉乃にほかならない。瑠琉乃はララナ達についていくため努力と才能で魔力の向上を図り、たった数年で神をも凌駕したまさしく規格外の人物である。そんな人物が現存する以上、ほかにも規格外の人間がいないとは断言できない。そうであればララナの身を守る障壁を無視できるような者がいないとも断言できない。それなのにララナは──。

 ……悩んでいてはなりません。やれることをやらなくては。

 今日はオトと昼食の予定がある。蕎麦は乾麺であるからその場で茹で上げるとして、お菓子を作るのは時間が掛かる。

 食後のデザートとして、ララナはチーズケーキを作ることにした。

 ……オト様がお好みの柑橘類、レモンチーズケーキに致しましょう。

 エプロンを着て、携帯端末でレシピの確認をしようとしたララナは、瑠琉乃の報告メールに気づいた。着信時刻は早朝五時。昨日オトから受け取った書類の魔術的解析と暗号文解読の結果である。

 

 

〔ご送付いただいた書類についてご報告で

 す。

 

 〈書類の自然魔力残留量〉

 炎属性0.047 氷属性0.001

 雷属性0.021 岩属性0.015

 水属性0.432 風属性0.081

 木属性0.156 金属性0.037

 光属性0.001 闇属性0.402

 死属性0.006

 これら自然魔力残留量から、以下の条件

 に当て嵌まる(あ は  )場所に保管されていた可能

 性が高い。

 ・木造建築物

 ・蝋燭など自然由来の燈がある

 ・普段密室

 ・窓がないか、窓を閉めきって暗い

 ・換気可能な地下空間

 ・微弱な光・氷属性魔力結晶(けっしょう)が周辺の土

 中に埋没。または意図せず採光された空

 間、並びに冷却機構のある空間

 ・小規模な機械・魔導機構(まどうきこう)があるか、付

 近に中規模から大規模な機械・魔導機構

 がある空間

 ・過去に洪水があり、少量の有機物が土

 中に堆積した空間が付近にある。または

 墓地付近

 

 〈紙表面の科学的分析〉

 広く流通している蝋燭から排出される煤

 の成分を検出。

 紙本体、活字に使用されたインキは大量

 生産品で持主(もちぬし)の特定は不可能。

 指紋、DNAなど有用な物件は検出でき

 ず。

 科学的な側面から作成者、接触した者な

 どを特定することは不可能。

 ──〕

 

 

 これもまたオトの読み通り、科学的な証拠は見つからなかったようである。一方、ララナが提案した魔力残留量による環境照合には十分なデータが手に入った。オトに尋ねればどこから窃盗もとい入手したか判るはずなので、自然魔力環境照合は時間の問題である。

 科学的分析結果の下には平文(ひらぶん)、つまり、暗号文を解読して得たもとの文章が記されていた。その内容は、ダゼダダ警備国家の警備大臣此方(このかた)(みつる)と言葉真本家当主言葉真(ことはま)国夫(くにお)の署名、金銭授受と箝口(かんこう)を互いに念押しするものであった。

 ……平文だけで、少なくとも国の一大臣と五大旧家の一当主の癒着が明るみに出ます。

 言葉真家の不正は確定したも同然。これを暴くために、解析データを有効に使わなくてはならない。

 ララナは瑠琉乃に返信する。

〔 ご報告ありがとうございます。

  そちらにある書類の原本と各種解析デ

 ータを聖産業で保管、複製データを世界(せかい)

 魔術師団(まじゅつしだん)に届け、言葉真国夫さんと此方

 充さんの検挙を進めてください。〕

 ダゼダダ警備国家警備府の所管である広域警察とは別に、レフュラル表大国王城議会(おうじょうぎかい)の所管する警察組織、それが世界魔術師団である。活動内容に大きな差はないが、不祥事に手心を加えるおそれの国内組織より、世界魔術師団のほうが信用できる。

 瑠琉乃から折返し(おりかえ  )があった。

〔既に団長に報告し、捜査開始の旨を聞き

 ました。早ければ昼前にも関係各所に捜

 査員が雪崩れ込むことでしょう。〕

 ……瑠琉乃ちゃんは敏腕ですね。

 頭の回転もさることながら行動も早い。幼い頃から一緒に育ってきた瑠琉乃を、血の繋がりはなくてもララナは信頼している。

〔 瑠琉乃ちゃん、改めて、ありがとうご

 ざいます。

  ときに堤端産業と魅神産業に動きはご

 ざいます。〕

 レフュラル表大国はアフターファイブに入っているだろう。瑠琉乃の返信が早い。

〔お役に立てて幸いです。

 堤端産業と魅神産業に目立った動きはあ

 りません。

 ただ、言葉真本家当主と警備大臣検挙等

 の連絡を入れた際、広域警察本部署(ほんぶしょ)(ちょう)

 ら部下が(あわただ)しくて対応できない可能性が

 あると、ダゼダダ時刻午前六時過ぎに返

 事がありました。〕

 広域警察本部署長というのは広域警察本部署のトップ。名前は天白(あましろ)(やわら)といいララナは面識がある。オトが通った初等部の養護教諭天白位人とは苗字が同じだが、ダゼダダに多い苗字であるから両者に直接の関わりはないだろう。

 それより、一国の国務大臣の逮捕に関わる事案より優先すべきことがあるのか。

〔 天白さんの部下が遽しい、と、いうと

 何か事件ですか。〕

〔なんでも、──〕

 瑠琉乃の返信内容に、ララナは驚いた。時を同じくして、玄関先で物音がした。扉をノックする音だが、ララナの家の玄関を叩かれたのではない。

 ……まさか。

 ララナは家を飛び出した。

 瑠琉乃の返信はこうだった。

〔なんでも、「八年越しの逮捕ができそう

 だ」とのことです。〕

 一〇二号室を振り向くと、ちょうどオトの両腕に手錠が掛けられたところだった。

「オト様……」

 呼びかけたララナに、オトは目線も寄越さない。

 ……なんの容疑で。

 まさか、書類を盗んだことが言葉真本家当主や警備大臣にばれていたのか。

 スーツ姿の刑事に取り囲まれ、脇を固められてオトが歩き出す。

 ララナは裸足のままオトの前に駆け出て、道を塞いだ。

「オト様」

「早朝に大声を出すな」

 と、オトが応えてララナは少し安心したが、状況を吞み込めない。

「いったいどういうことですか。なぜ、手錠を」

「そりゃ捕まったからだ。容疑はなんやっけ」

 オトの目線を受けた長身の刑事が、ララナに言う。

「暴行容疑です」

 昨夜のか。

 別件逮捕を突破口にオトの余罪を炙り出すつもりだろう。警備大臣よりオトの対応優先度が高いのは、警備府から圧力があったか。

 ……いいえ、天白さんがその手の圧力に黙って従うとは考えにくいですね。

 頭が固いところはあるが、罪を憎む芯の強いひとである。

 本部署長の天白和以下、広域警察がそれほどまでにオトを危険視している。

 ふと、ララナは思い出した。

 ──どうしてララナのそれを大切にできなかった!

 ──利用できるものは利用した。

 かつて、幼馴染と師匠が交わした言葉だった。

 ……あなたには、昔の私がこのように危うく観えたのかも知れませんね。

 警戒心は必要だが、行きすぎると誤った判断が生ずることもある。警察組織のそのさまがかつての自分に重なったララナは、断固抗議したい。

「昨夜のことはあちらが──」

「とにかく署でこの男の話を聞きますので、そこを退いて(ど  )ください」

「承服できません」

 ララナは長身の刑事の行く手を阻んだ。「正当防衛です。どのように暴行などという聴取を行ったのです」

「公務執行妨害になるぞ」

 とは、オトが言った。

「ですが、オト様──」

「いいからすっこめ。容疑を認めたからこうなっとるんよ。それに、暴行といえば暴行やん、雷ぶち込んだしな」

 周囲を稲光で明るくするような強力な魔法なら不正な威力行為ともいえるが、昨夜ララナがドアスコープを覗くまでにそんな発光現象はなかった。体内に電流を流すタイプの極めて微弱な雷魔法で、適性があれば児童でも使える。

「一時的な痙攣で済むような、法に抵触しない程度の下級魔法でした。正当防衛の範囲であり事後は治療もなさりました」

「あいつら武器を持ってなかったんよ。よくて過剰防衛やな」

「左様な……」

 オトが言う通り、昨夜の黒服は武器を持っていないようだった。だが、理由はどうあれ夜中に女性を拉致しようとした連中に対しては十分の手心を加えたはずである。

「いいからどくんだ」

 オトの脇にいた刑事がララナの肩を摑もうとしたところで、その刑事の顔をオトが手の甲で弾いた。

「おっと、すまん、手錠のせいで頭も搔けんわ」

「貴様……」

 顔を弾かれた刑事がオトを組み伏せると、周囲を固めていた刑事も次次オトを抑え込む。

 ……オト様、っ……。

 ララナは、刑事の群から、一歩、二歩と、離れた。オトが刑事の顔を弾いたのはララナが公務執行妨害で逮捕されるのを避けるためだろう。

 ……私のせいで──!

(気に病むな)

 と、オトの声がした。耳の奥に直接届く反響した声は、伝心の魔法によるものである。

(オト様、しかし──)

(いや、本当に頭搔こうとしたら当たってまっただけやから)

(左様な嘘は通じません!)

(まあどうでもいいわ、真偽なんか)

 組み伏せられたオトは表情一つ変えていない。肩を、胸を、足を、腕を、手を、そして頭を力づくで地面に押しつけられて肌に血が滲んでいるというのに、彼は──。

(暇潰しやよ。こんなに愉しいのは久久やから愉しませろ)

(左様なこと、私は──)

(お前さんはひとの愉しみを奪いたいん。それは自由を脅かすってことにならへんか)

 そんなつもりは、ララナにはない。だが、オトが本心から愉しんでいるとは、ララナは思えないのである。一般性を欠き、独りでいることを選んだ彼にも、ララナと同じように柑橘類やお菓子の嗜好があったり、周りの人間に合わせて生きていたり、人間らしいところがたくさんある。八年前の犯罪や鈴音の殺害が事実であっても、それでも、不当な容疑を掛けられて不当な扱いを受ける理由にはならない。

(──。違いますか)

(違うな)

 首を締め上げられながら半ば無理やりに立ち上がらされたオトを、刑事がなおも締め上げて強引に連れていく。

(知れ。俺と同じくらいの歳の刑事が多い、その意味を)

(オト様が犯した八年前の罪を、この方方は知っているのですか)

(ああ、間違いない。五、六学年やった先輩と一部後輩もおるかもね、広域警察は満一六歳から入れるから。当時の怨みがここに凝縮されとるわけやな)

 ()()()()()()()

 淡淡と話すオトだが、刑事に髪を摑まれ、顔を殴られ、胸を殴られ、腹を殴られ、到頭吐血し──。舞い散る柘榴色にララナはぞわりと。

 ……斯様な、ことが、許されるはずが。

 刑事が行う暴力に、ララナが怒り震えると、オトがさも愉しそうに言うのである。

(正義はときとして暴力を正当化するんよ、)

 そんな馬鹿なことがあっていいのか。

(んで、場合によっては許される。俺もこれは許されるべきやと思うね。こいつらは苦しんできた。俺は現在進行形の犯罪者やからな、自業自得やん)

 黒衣に融け込む傷を、ララナは確と見つめた。

(私は、斯様なことは──)

 ララナが不服を述べようとしたところで、オトの押し込まれた警察車両が発車した。

(残念やけど十割は諦める。ほんじゃ、ばいばい)

 いつもと何も変わらない、感情のない飄飄とした声だった。

 伝心が途絶えた。

 ララナは、走り去る警察車両を見送ることしかできなかった。

 刑事の騒がしさと警察車両が地を削る摩擦音から一転、耳に痛いほどの静寂。立ち尽くし、アパート前の砂利敷(じゃりじき)の点点たる血痕を見下ろして、暴行を想起する。

 ……私の軽率な行動のせいで、刑事がオト様に暴行を加える口実を与えて。

 慄え(ふる  )怺えて(こら    )、ララナは自宅に駆け込む。エプロンを掛け直すとレモンチーズケーキを作っていつもの平皿に載せて、ラップを掛けるやキッチンから空間転移した。行先は、広域警察本部署長の執務室である。

「お久しぶりです。その節はお世話になりました、天白さん」

「久しぶりだな、羅欄納君」

 精悍な顔つきの男性天白和が、デスクに座って書類仕事をテキパキこなしていた。

「エプロンに裸足とは、随分と慌てて来た。差詰め(さしず  )竹神音の件だろう」

「オト様に差入れです」

「……印象が変わったな」

 天白和がララナに目を向けた。「昔は年齢以上に大人びて観えたが今は片生(かたなり)に観える」

「無用な話をするつもりはございません。オト様を伺います」

「弁護士以外は家族でも無理だ」

「それは正当な逮捕であればの話です。私は、本件は不当逮捕と観ます」

「朝一番に令状が下りた。裁判所が彼を起訴できると認めたからだ」

「被害者の供述に目を通しましたか」

「当然だ。聴取もわたしが行ったのだから」

 本部署長が自ら事情聴取を行ったというのは異例中の異例だろう。オト逮捕に掛ける広域警察の熱量が如実に顕れている。

「オト様は無実です。私の身を守ってくださったのです」

「被害者こそが容疑者と。証拠はあるか」

 日向像が撮った映像データは黒服を解放するとともに渡したため残っていない。それが黒服の口を割らせる条件の一つだったからだが、こうなってみると渡すべきではなかった。と、ララナは思えてしまった。

「堤端産業社長堤端公博の手の者だと彼らは自白しました」

「暴行された上での供述に証拠能力はない」

「怪我がなかったとは申しませんが、後にオト様が治癒魔法を施されました」

「保護は義務であり暴行の事実を相殺する法的根拠はない。堤端産業や堤端公博氏に対する怨みによる口から出任せの可能性がある」

「そのような被害者の供述に信憑性はございません」

「殺意とて内心ならば法的責任が生じない。三人以上の証言には信憑性がある」

「彼らは堤端産業の翼下とは既にお調べでしょう。なぜもっと踏み込まないのです」

 引き下がらないララナに、天白和が毅然と接する。

「痛み入るが捜査に関して君の進言は不要だ。何にせよ、証拠がない抗議は信用に欠ける」

「私とアパート管理人の日向像さんがオト様の無実を訴える証人となれます」

「信憑性が不足している。諦めることだ」

 取りつく島がない。

「重ねていうが、君の発言は信用に欠ける」

 天白和がララナの言葉を疑う。「なぜ君は()()になれなかった。彼らとともに悪神総裁に挑んだというのに、なぜ君の名前は歴史に刻まれなかった。(こたえ)は考えるまでもない。君が、悪だったからだ」

 全容を知らないとしても、ララナが一二英雄とともに悪神総裁ジーンに挑んでいたことを知る者が少なからずいる。ゆえに、ララナの名が世界に伝わらず歴史に残らなかったことに違和感を持っている者もいるだろう。その一人が、天白和。

「何を言いたいのですか」

「君の言葉は他人を陥れる虚言である可能性がある。鵜吞にするわけにはいかない」

「(陰を知らないながら、言い得て妙ですね。)しかるべく抗議をさせていただきます」

 天白和の返事を待たずララナは家に空間転移した。レモンチーズケーキを冷蔵庫に入れて、エプロンを畳んでテーブルに置いた。

 間を置かずララナは右手を揮う(ふる  )。今度は海を跨いで南西に位置するレフュラル表大国領の魔地(まち)狭陸(きょうろく)に空間転移した。子時代を過ごした実家というべき邸宅の、自室といえる場所に直接転移していた。

 ……私は、あのような不当を、絶対に認められないのです。

 じつの両親を失ったララナを優しく受け入れてくれたこの家、新たな家族。それは、ララナに取って実家のような場所となり、じつの家族のように大切な存在となった。しかしそれでもずっと心の奥底で感じていたことがある。

 ──本当に、ここは私の居場所なのですか。

 洋室・和室が半半の自室。

 居心地が悪かったのではない。馴染めなかったのでもない。ましてや不満があったのでもない。だが、ララナは心の穴が埋まらぬままだった。どんなに優しい家族に恵まれても、どんなに温かい家があっても、それは、最初から自分が求めて得たものではなかった。成行き(なりゆ  )で、たまたま手に入ったものだった。自らの手で摑んだ幸せだとは、言いきれなかった──。

 だから、ララナは、今度は、自分の手で摑み取りたいのである。

 ……オト様を、お助けするのです。

 洋室側の机の中、しまってあった古い魔導カメラを手に取ったララナはその瞬間、ダゼダダ大陸中央県田創町の緑茶荘前に空間転移した。

 ……日向像さんのハンディカメラほど優秀ではございませんが、撮影には十分です。

 まずは、オトの血痕を撮影していく。オト逮捕に躍起になった刑事が自身らの不始末に気づいていないのなら呆れたものであるが、過剰な暴行を認識して洗浄する可能性を考えると、撮影しておいて損はない。

 周到に捜査活動を行って通常逮捕に及んだ場合、捜索差押許可状でもって家宅捜索に入って証拠物件や関連物の押収を行うはずだがオトの家にその様子はない。規制線を張るなどの現場保存もされていない奇妙。あるいは──ララナも例に漏れないが──オトに関わることには警察組織ですら目の色を変えてしまうのか。

 通常ではあり得ないことが起きているが、ララナに取っては追風(おいかぜ)だ。

 ……オト様、ご無事ですよね。

 祈るようにシャッタを切り、血痕を一つ残らず撮影した。一つ、一つ、撮影するたび、飛び散ったときのオトの無表情が蘇る。怒り・怨み・苦しみ・悲しみ・恐れ、多くの感情に染まった死者の顔と、オトの無表情が重なって、蘇る。彼は死んでいない。が、あの表情に、命は宿っているのか。ひとは生きる中で多くの痛みを覚え、その痛みに鈍感になって成長していく。かと言って、肉体的苦痛に表情筋の一つも動かさないことなどあるだろうか。彼の表情のどこに、本当の命が宿っている。全て作り物だとしたらまるで──。

 考え事は尽きないが、ここからが、本番である。決定的な証拠を押さえる。

 時空間魔法というのは使い手が少ないだけでなく、そもそも暴発の危険性や法に抵触するおそれもあるため誰も研究しないという。が、ララナは物心がついた頃には時空間魔法に属する空間転移を無制限に使うことができた。それは時空間魔法に関する天賦(てんぷ)の才を持つ証であった。

 ……先の光景を、映し出します。

 ララナは普段、己の強大な魔力を一切使わない。自制の意もあるが使う必要に迫られないからである。が、その魔力を使うことにした。

 話し合いで解決できないなら、対抗手段を講ぜねば。

 ……意図して治療しないなどということはあってなりませんが、万一を考えて急がねば。

 逮捕を取り下げさせて文字通りオトを助けるためだ。ララナは己の魔力を緑茶荘前に集束させ、逮捕時に行われた刑事の暴力行為を映し出して動画をカメラに収めた。続けて昨夜の黒服五人とオトとの攻防を映し出してこれも撮影した。魔力が描く映像は半透明な3D動画のようなもので実体はないが、自然魔力の残留量と流動量の逆算によって過去を鮮明に映し出すため捏造することができない。それゆえに法廷で採用される優秀な物証となる。

 刑事がいたとき昨夜の様子を観せておけばよかった。動揺が思考を狭めたことを否めない。

 後出しジャンケンでも、有効な手段なら講じないわけにはいかない。

 ……オト様は、何も悪くないのです。

 きちんと撮影できたか確認。映像が物語るは、深夜の黒服の不審な潜伏行動と、黒服の先制を受けて生じたオトの正当防衛。並びに、先の刑事の過剰な暴力行為である。

 それだけでも十分だが、天白和に有無を言わせずオトを解放させるため、ララナは手を尽くすことにした。七時を待って日向像を訪ね、オトの無実を訴える証言を頼み、快諾を得た。天白和曰く最低でも三人の証言が必要である。事件発生時、オトの味方はララナと日向像しか見えなかったが、ララナは視覚に頼らない。騒ぎを察して様子を窺っていた人物があのときたくさんいたことをララナは魔力反応で察していた。

 ララナは署名のための書類を作成して、出勤ラッシュの沿道で署名してくれる人物を集めると同時に、証人となってくれる人物を探した。オトが犯罪者だという噂は地域に広まっており署名を断る者は確実にいると予想していたがそれでも、……それでも、やり遂げる──。

 

 

「──まさか、ここまでしてくるとは」

 昼、天白和はデスクがようやく空いて息をついたところだった。

 デスクの上に突如静かに置かれた重いもの。五〇人分を超える署名書類。向こうに、般若のような、それでいて聖女のような静穏なる微笑を湛えた聖羅欄納が佇んでいた。

 署名は竹神音の不当逮捕を訴えたもの。竹神音の犯罪性を覆す昨夜の出来事と、広域警察本部署所属刑事の暴行を捉えた映像データも揃っていた。天白和は、ぐうの音も出なかった。

「署名だけの署名運動は多いが、捺印まである」

「署名は、自署捺印が原則とされておりますのでルールに則ったまでのことです」

 規則に煩いレフュラル表大国の出身だけはある。不備が見当たらない。事が起きたとき様子を観ることができた近隣住民の姓名であることが調べれば判明するだろう。聖羅欄納というひとは普段穏やかで協調性が高いが一度怒ると誰の言葉も通ぜずしかし誰もが納得せざるを得ない事実を拾い尽くして状況を説明してみせるのだということを、天白和は今このとき身をもって知った。世界最高峰の魔術師すらそうそう使えない時遡空間投影などという魔法を選りに選って聖羅欄納が使えたことも駄目押しとなった。

 天白和は魔導カメラをデスクに置いて、

「このような暴行は、わたしとしても不本意だ」

「昔からあなたはそのきらいがございましたが部下の方方を信用しすぎました。『激しく抵抗したから』と、報告が上がったのでしょう」

 天白和はうなづかず。

「……署名書類のサイズが大きいのは、各人の証言を書く欄がある」

「ご覧の通りです」

 署名書類は、その体を成しながら裁判を見越した証言の集合ともなっている。押印されている以上、各人が責任を持って書いていることは言わずもがな。治安がいいといえない田創町。警察組織への不信が署名活動を後押ししたか。

「これほどの数の証人を知らぬ存ぜぬでは通せません。先の刑事に正義はございません」

「……責任の所在についてはまだ何もいえないが」

 天白和は、署名書類を一枚一枚確認して、「本件に関する竹神音の起訴を見直すよう検察に申し入れておく。署名証人の裏づけを取って改めて検察から裁判所に逮捕令状の撤回を申請することになる」

 誤認逮捕。しかも、刑事の過剰な暴行があるのでは当該刑事の処罰を検討する必要がある。当該刑事は有望な若手ばかり。警察組織は憎まれ役の側面も持つので天白和自身は体面ばかりを気にしないが、若手の将来を思うと体面がいいに越したことはない。二重、三重の痛手だ。

「竹神音に以前から疑惑が付き纏っていることは事実だ。確定ではないが釈放には一日前後の時間を見てもらう」

「はい。面会は可能ですね」

 逮捕後二四時間は被疑者と面会できるのは弁護士のみであるが。

 ……これ以上騒がれても困る。

 聖羅欄納の眼にはまだやる気がある。聖産業ナンバ2の妹の伝があれば署名はいくらでも増えるだろう。竹神音にしても過去の栄光がある──。そこに元シンパサイザや現シンパサイザの署名活動が巻き起こりでもしたら、広域警察は体面どころの話ではなくなる。そういったマイナスの憶測を無視しないことが、体制維持に繋がることもある。被害者を名乗った黒服の証言に法的信憑性はあったが、聖羅欄納の指摘通り疑うべき側面もあった。竹神音の逮捕。治安改善の王手とも成り得る大きな一手、全ての逃げ道を塞げていなかった。

 小さな逃げ道は大きな失策の入口。天白和の手落ち、完敗だった。

「看守に連絡を入れよう。口外は控えてもらう」

 

 

 そも、抵抗と捉えられるような行動をオトに執らせてしまったのはララナであった。さらに遡れば、黒服が動いたのはララナが総にプレッシャを掛けたため。オトを助けたい気持に嘘偽りがなかったとしても、ララナの行動は罪滅し(つみほろぼ  )に等しい。

 手錠を掛けられたオトが看守に連れられて広域警察本部署の一室に現れると、立ったままで待っていたララナはいの一番に頭を下げた。

 ……申し訳ございません。

 自分の行動が、オトを追いつめてしまった。そのことへの謝罪だった。

 席に座ったオトはつまらなそうだ。

「……オト様、大事ござりませんか」

「隠蔽工作か、しっかり手当(てあて)されたからな」

「隠蔽など私がさせません」

「拘置所送りでも構わんかった」

「また左様なことを。起訴されれば自由がなくなります。監視され続けます。それでもよかったと仰るのですか」

「よくはないが暇潰しにはなった。犯罪者なら気の合うヤツも少しはおるやろうしな」

 捕まりたがっているのか。

「オト様。まさか、こうなることを予見された上で証拠映像を渡してあの男性方を解放したのではござりませんよね」

「やったらどうなん。そんなん俺の勝手、お前さんのいう自由ってヤツやないん」

 どうやったらそのように考えられるのだろうか。

 ララナはオトの思考がまだはっきりとは読めていないが、言わねば気持が治らない。あの血痕の一つ、一つ、あそこにどんな考えがあったかは定かでないとしても、それを観たララナは感情を抑えられなかった。

「オト様の仰る暇潰しは自由でもなんでもございません!単なる逃避ではござりませんか!」

「ん」

 訝しむオト。「暇を持て余しとることはもう伝えてあったな。その上で、ひとは、暇潰しに向かうこと、それを目的化することがあると示そうか。それは前向きと捉えられもし、それを捉えたなら逃避という言葉は当て嵌まらんわけだが、はて、どこからその言葉は湧いた」

「っ……、(逃避……。)」

 どこから出た言葉だ。「私にもよく、判りません……」

「なんじゃそりゃ」

 よく考えもせずに口に出した。根拠もない、頭ごなしの言い分だ。自身の暴走と目の前の現実を重ねて溢れた感情が言葉選びを誤らせていたとしても、

「私にも申し上げられることが一つございます」

「なん」

 オトの呆れた目差が突き刺さるが、ララナははっきりと述べる。

 

「私は、オト様と同じくお菓子と蜜柑が大好きです!」

 

 きょとんとしている看守をそっちのけにして、ララナはオトだけを見つめる。

「今日予定の昼食は以降に持ち越します。十割、お伴させてください」

「アホか」

 オトが溜息。「わざわざ俺なんかと食っとらんでほかの男とでも食っときぃ。ヒイロとかならお前さんとも釣合が取──」

「私はオト様とお約束したのです!」

「……声、大きい」

 オトが片耳を押さえた。「女の声は耳に響くんやから、加減せぇ」

 感情が彼を不快にさせてしまう。それならばいっそなくしてしまいたい。戦場を直走った頃のように無感情になってしまいたい。そう思うもできない。どうやっていたか、ララナは思い出せない。

「──、申し訳ございません……」

 旧式の魔導冷房がコーコーと鳴って沈黙を冷やした。

 オトが耳から手を下ろす。

「お前さんが俺の解放に向けて尽力したのは聞いた。やけど、俺の暇潰しを邪魔したのも事実やん。それに、どこを観とるか解らんヤツにうろちょろされるのも敵わん。現実を視ろ(み )

「っ……(現実を──)」

「もう帰れ、はっきりいって迷惑やて。俺は眠いから寝る」

 オトが長机に突っ伏して寝息を立て始めた。

 ……夜中には私に、早朝には刑事に叩き起こされて……。

 オトは本当に眠かったのだ。人間として当り前のことに、ララナは気が回らなかった。それが現実から目を背けていることの弊害だとしたら。

 ……お休みくださいませ、オト様……。

 ララナは一礼。広域警察本部署をあとにした。

 できることをやりきった。不当な扱いでオトが不利な立場に置かれると思ってのことだ。それは思い込みで、感謝される・感謝されたかった、とでも、思っていたのか。オトが解放されたがっていなかったこと、また、自分の考え方が通用しないことに、ララナは少なからずショックを受けた。

 昼下りである。真冬であるのに、赤道直下のこの大陸は変らずじりじりとした熱を溜め、ララナの肌には刺さらずとも視界を揺らめかせて行く手を阻むようであった。

 ……単なる逃避だなんて、それは、きっと、私の気持でしかなかったのです。

 彼との関係に縋っている。

 ……私は、私がオト様と存る未来を作るために、オト様に縋っております。

 仲間を守りきれずあまつさえ危険に曝した償いのための未来改変。だがしかしララナはその償いの先にオトとの未来が待っていることも確信して、縋っている。本来は得られぬはずの現実や未来に、救いに、縋っている。

 それは果して、現代のオトを心から想っての行動に繋がっていたか。

 否、だ。

 ララナは誤った。つい先日オトに向き合うと決めたのに向き合いきれていなかった。逃避。自分でも判らなかったその言葉の背景を見破られたからララナはオトに拒絶されたのだ。

 ララナは過去と未来を視ていた。そうしなければ仲間を始め多くのひとを殺めてしまう。そうしなければオトと出逢えなくなってしまう。いろいろな問題があってそうせざるを得ないとしても、現在のオトとの関係を通過点のように捉えていなかったとはいいきれない。

 ……オト様との関係を、今一度、考え直さなければなりません。

 踏み込むにしても、退く(しりぞ  )にしても、()()()()()を想って行動できないのなら、再び拒絶されるのが落ち。本気で向き合うなら、考え方を改めなくてはならない。

 ……過去のためでも、未来のためでもなく、現在のために。

 拒絶された今となっては遅すぎるかも知れないが、それでも行動する。立ち止まり沈み込もうとする気持を浮上させて前へと向けて、歩き出さなければならない。

 

 

 

──六章 終──

 

 

 

 

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