五章 憧憬の背
一転して熱気の立ち込めた翌朝。
オトに張りつかせた監視役がきちんと働いていることを確認したララナは、緑茶荘門柱で登園前の総に声を掛けた。
学園に向かう細い沿道は距離を置いて制服がちらほら。
前を行く総にララナは質問する。
「上流階級と下流階級の関係をどのように考えますか」
「汗水流して働くことで生活を潤してきた農耕民族の祖先が、武家の支配で数百年にも亘って不当な搾取を受け、それを一揆によって覆して現在のダゼダダがあるんです。懸命に働く者が損をする社会では決してないんですよ」
「ダゼダダ警備国家の成立ちについては存じております。私がお尋ねしたのは上流階級と下流階級の関係です」
「搾取し・される関係はあり得ないといったつもりなんですが」
「左様な直接の回答をもらいたかったのです」
と、ララナは伝えておく。妙な応答をしてはならないと警戒心を煽って隠し事をしやすい心理状態に総を誘導することが問の目的であり、
「ララナさんは今ダゼダダの貧民の調査をしているんですね」
疚しいことはないと思わせるため総が透かさず尋ねてくることも想定していた。お蔭でララナはいくつか知ることができた。
……総さんは私の調査内容の変化をご存じのようですね。
総が上した疑問は、ララナがオト関連の調査をしていると知りながら貧民の調査をしているとは認識していなかったことを示すものである。無職のオトが母子家庭の一貧民であるにも拘らず、だ。なぜいまさらそんな疑問を口にしたかと言えば、総は誰かからララナの動きを聞いて守備に入った。
……調査内容変化の情報源は二室さんでしょう。
昨日の今日であるから間違いない。
第一「上流階級と下流階級の関係をどう考える」と訊かれたら「どこの」と問い返さない首席などまずいない。具体性に欠けた口頭の設問では答えたあとになって「別の国のこと」と言われかねず時間の無駄であるし、階級格差の構造は国で大きく異なるからだ。ダゼダダの成立ちに回答を絞ってしまったのはララナが何を調べているか総が確証を持っていた。早く話を終わらせたいという焦りには自覚があるだろうが、家系を守ろうとする拙い意識で視野が狭まり回答が不自然になっていることには気づいていないようだ。
総の疑問から間を置かず、ララナは応えた。
「オト様のことのついでに関連事項を調べています」
「なら、なぜ富民と貧民の関係なんかを」
「情報が不足しております」
「情報」
「状況把握をするために必要なピースともいえます。差支えなければ、堤端家の治める堤端産業と親会社の魅神産業が利益隠しなどの不正を行っているか、お教えください」
「いや、そんなこと、子どものぼくに伝わってはきませんよ」
「そうですか。それはそうと、昨日は図書館で二室さんからいろいろとお教えいただいて参考になりました」
「そうでしたか。彼のことならぼくらに訊いてください。それが一番早いはずです」
「不躾な質問でお気を悪くさせてしまったのでしたら申し訳ございません」
「あ、いえ、非難したいわけではないんです。訊いてもらえれば知ってることは教えますから遠慮なくいってくださいってことで……」
二室ヒイロとの連絡を伏せた、もしくは隠した総の言葉を信ずることは難しいが、
「ありがとうございます」
と、ララナは礼を伝えて、「では、お勉強頑張ってください」
「え、もう、いいんですか」
と、総が振り返る。焦燥と警戒心が思考を乱しているようで、尋ねられる予定が彼にはまだあったようだ。まだ辿りついていない何かが原因だろうから、ララナは頓着しない。
「はい、今日はこれで終りです。ご協力ありがとうございました」
「はい……、では、これで。帰途、気をつけて」
「はい」
総の気遣いの言葉に会釈を返して、ララナは道を引き返す。
……これで恐らく今日にも堤端産業や魅神産業が私をマークし始めます。
総が両親に連絡を入れるからである。貧民と富民の調査に加えて、堤端産業や魅神産業の内情を総に質問することで、不正を働いているであろう上層の人物を引き摺り出す算段であった。堤端産業や魅神産業が不正に手を染めていないなら何も起きないが、ララナに何かしらのマークがついたら不正の可能性はぐっと高まる。
……総さんには申し訳ございませんが。
不正が貧民を生み出し、貧民が身代金要求犯罪を多発させているのだとしたら、そのサイクルを大本から絶つのが治安改善の最善策である。
マークがつけば身の安全は保証されない。オトの監視で既に手伝ってくれた瑠琉乃にさらに人員を借りるとマークにつくであろう人物が警戒して姿を現さない可能性もある。ララナは無警戒を装って緑茶荘に戻ると、作っておいたモンブランを提げてオトの家を訪ねた。すると、
「おや、監視役を家に上げてしまわれたのですね」
「バレバレやったし別にいいんやない」
狭いホールで在所なさげなスーツ姿の男性二人にララナは訊く。
「そうなのですか」
「いいえ、隠れていましたが、見つかりました。面目ありません」
まじめな瑠琉乃にどういわれて着任したか窺える。見つかるな、とは、命じていないので監視役を咎めずララナはオトを向く。
「オト様が相手では監視役も監視できないのですね」
「バレバレは電話でって意味もあったから八割方お前さんのせいなんやけどね、それを差し引いてももっとうまいヤツおらんかったん」
「聖産業でも最高クラスの人材を手配してくれたはずなのですが」
「そうかい。しかし最初から隠す気がないのは監視的にどうなんだか」
オトが男性二人をその場に残してダイニングに向かった。ララナはそのあとに続いて、ここ数日のように彼と向かい合って座った。変らず日光の射さない薄暗い部屋である。
「で、あの監視役はどうするん。体を失ってショボくれとるの見ると哀れみを掛けてまいそうなんやけど」
「きちんと働いてくれたと私が報告すれば問題ございません」
「なら、哀れんだる必要はないか」
「手の者へのお心配り、御礼申し上げます」
「単なる同情やよ」
オトの目がララナの持つ皿をずっと捉えている。情報のやり取りをしたいのだろうが、あるいは、その目差に義妹との類似を捉えるなら、
……召し上がりたくてうずうずしていらっしゃる。可愛いですね。
義妹にもそうであったように、ララナは焦らさず本題を切り出す。
「本日の商品です。どうぞ、召し上がってください」
「代金はしっかり払おう。今日はなんの話なん」
「貧民と富民、五大旧家についてです」
「頭も回るようやね」
昨日の話はやはりヒントだった。
隣り合ったキッチンから席につく前に持ってきていた小皿とフォーク。それを使ってオトが五つあるモンブランのうち一つを取る。モンブランを食べた彼の第一声は「早く店出せばいいのに」である。
「売り捌いて周辺の店潰せばいいのに」
「共存こそ命題です。私の顔を見ながら食べてくれるひとのために作りたいのですよ」
「自己愛か」
それがない人間はおよそいない。しかし、改めて訊かれて自分はどうだろうとララナは振り返ってみた。家族に恵まれ、師匠に恵まれ、仲間に恵まれて──、戦後、彼女らと別れて単独行動が長かったこともあって面と向かってオトと話せる貴重な時間は知らず知らず自分を慰めていた。そう考えれば納得がいく、と、ララナはうなづいた。
「それと同時に、私が大切に想うひとに食べてほしいとも思っております」
「会ってたかだか五日の俺も入れとるんやとしたら大層なことやな」
「日数を数えていてくださったのですね」
「メンドーな押掛け女は鈴音を省けばお前さんだけやからな」
少しは距離が縮まったということだろうか。ララナは気を抜かず、己を貫いてオトと向き合うことにした。
「まずは五大旧家についてお話致しますが、よろしいですか」
「俺がその末裔だとは」
「お聞きしました」
「総のことも」
「はい」
「聞いた、って、ことは聞込みか」
「図書館で二室さんと遭遇しまして、ダゼダダ警備国家の成立ちから現在の貧民・富民の関係に至るまで、一般的な見解をお聞きしました」
「で」
オトがモンブランにフォークを刺し入れて、「俺から聞いた話をちゃんと疑ったか」
ぞんざいに扱われることに慣れているのか、疑われることを前提に話していたよう。ララナは素直に意見を返す。
「二室さんからお聞きした話とは齟齬があると申せましょう。私は、どちらかと申しますとオト様のご見解を支持する側なのですが、条件つきですね」
「富民の不正の証拠を俺が持っとるかどうかやな」
「はい」
「当然ながらある。ほかでもない言葉真家の利益隠しや脱税、警備府との癒着の証拠だ」
警備府というのは古新聞にあった立法府の現在の名称で、ダゼダダ警備国家の政治の中枢である。不正を働く富民には公人が含まれているということだ。
「租税回避地による資産運用は現行法には触れとらんとしても、ダゼダダ国内の犯罪の遠因であることは間違いないから俺はこれも実質的な罪と位置づけとる」
オトがそれらを最初から伝えなかったのは、暇潰し。ララナの出方や調査手法を傍観して愉しんでいる、と、いうことだろう。
小出しの情報をララナはしっかり吞み込んだ。
「証拠物件を拝借してもよろしいですか」
「こうして話したんやから、監視役の耳にも届いとるよな」
「いかがですか」
と、ララナは玄関ホールを声で窺う。
「『聞こえてございます』」
と、監視役二人の声が重なった。
オトが無表情のまま。
「魔力の潜め方はともかく優秀な人材というのは確かなようやね」
「監視役の所在を魔力反応で見抜かれたのですね」
「体外に溢れる魔力を打ち消して体内に押しとどめる技術は極めて繊細で、それでいて先天的な才能すら必要とする技術やからな。後天的な技術を観れば完璧な潜伏やったよ。相手が俺でなければほとんど見つけられんかったやろう」
「さすがはオト様です」
オトがフォークを素早く進めて、
「散散聞いた世辞をわざわざいうな」
「申し訳ございません。つい本音が」
変な話だが、オトが相手でなければ気に障るようなことを言わないよう細心の注意を払うララナである。
「まあ、いい。オプション料金としておこう」
小さく刻んで食べていたモンブランの、全体の半分ほどをオトがぱくっと口に入れて吞み下した。話す時間が一気に削られたことを意味するのだろうが。
「丸吞はお勧めできません」
「鼻を抜ける香りは量が多いほど強くなるから問題ない。ちゃんとふわふわも味わっとるよ」
そのふわふわが喉に詰まるから注意したのだが、ララナは思わず微笑して、
「では続きを」
「証拠の提示やったか。聖産業は、三大産業の中でも他企業の査察業務を国から委託されとる優良企業として実績がある。元関係者の俺が告発すれば動けるやろ」
「そうですね、可能と存じます」
「告発を証拠の提示とする。残念ながら手許に物理的な資料があるわけやない」
「直近かリアルタイムの証拠がほしいですが、ないのは当然といえば当然でしたね……」
「ふむ……」
二つ目のモンブランを半分食べるまでオトが黙った。目は常にモンブランを向いていたが、ふと右手人差指と親指をくるっと回すと、そこに数枚の紙が現れた。
……小規模な空間転移魔法、でしょうか。
紙の現れ方は手品のようだ。瞬きで見落としてしまうほど高速で魔法を使ったのだろう。魔法を使うと感ぜられるはずの魔力反応をララナは全く感じなかったが、見落としたか。
「ほれ、これで十分か」
オトが差し出した紙を受け取ったララナは、その内容に目を見張る。
「行間から察するに、署名入りの契約書でしょうね」
「律儀なもんだ。現代のコンピュータ技術を駆使されたら無限数に近い暗号化が可能やろうけど、どうやらこれは違う。ところどころ不正関連と捉えられる単語が垣間見える。要するに、平文の文字を並べ替えた古典的な転置式暗号やろう」
「オト様に復号を依頼することはできませんか」
「この暗号文自体を疑われると反論のしようがないんやけど、俺が解読したら捏造の可能性が濃くなるやん」
「指紋やDNAが付着していないか鑑定致しますのでご心配には及びません」
「愚かな奴らやけど、自分達の証拠をへいこら残すような馬鹿やないよ。この書類も、言葉真本家との癒着を露見させんよう、当事者が牽制し合うために用意した最小限の証拠物件に過ぎんのやから」
「では、残留魔力による環境照合が有効です」
科学捜査が有効でないなら魔法学の観点から分析することが可能であろうとララナは考え、受け取った書類をただちに対魔法障壁で保護していた。が、それ以前にオトが対魔法障壁で覆っていたことをララナは察している。
「環境照合。書類に含まれる各属性魔力の残留量から置かれていた場所を特定するあれやな。気を回して対魔法障壁で保護して空間転移させたはいいが、そんな魔術的解析、レフュラルまで行かんとできんやろ」
「聖産業本社はレフュラル本国にございます」
「おお、いい感じやん」
存じているであろうオトがわざとらしく驚いて見せて、「じゃ、よろしく」
「──」
「どうしたん」
見つめるララナに、半眼が向かい合う。
「乗せられとるみたいで気味が悪いか」
「それも少少ございます。オト様がこの行動によって何を得られるのか、そこに利益があるのか、考えております」
ララナを介して言葉真家と警備府の癒着を告発することで、オトが得るものはほとんどないだろう。母の離婚で家を追い出されたことへの復讐というなら、オトが淡淡と情報や証拠を引き渡し、憎悪を感ぜさせないのは不自然だ。
「回り諄いのはメンドーやから白状しよう」
と、オトが三つ目のモンブランを小皿に移した。「飽くまで暇潰しやよ」
「言葉真家への復讐心は皆無ですか」
「全くないわけやないけど、個人にはないな。早い話、ああいう輩は死ねばいいと思っとるんよ」
ここ一番、辛辣だ。
ララナはあえてその言葉に乗る。
「告発では殺せないのではございませんか。不良三人のように、ご自身の手で裁こうとは思われませんでしたか」
三つ目のモンブランを半分に割ったところでフォークを止め、オトがララナを視た。
「死とは何か、考えたことはあるか」
深い褐色の眼が上弦のようにララナを捉えている。
ララナは口を閉じて、真白になった頭の中で焦りを感じた。何か答えなければならないが、あまりに歪んだ考え方を持っていたことがあって、主張することに躊躇いを感じたのである。
「メンドーやな、やめよっと」
オトがモンブランを一口運んで咀嚼、吞み下して言うのは、「俺が聞きたいのは人生の終りってことやないよ。それについてのお前さんの考え方は俺にしてみたら大した驚きもないが」
「お耳を煩わせてしまいましたか」
「いや」
「……幻滅されると考えました」
「一般性からは外れとるかもな」
オトの言葉で、ララナは少しだけ気が楽になった。
ララナは、悪神討伐戦争末期に仲間が一度死んだときに思ったものだった。
──蘇生できるのですから問題ございません。
「思い上がった考え方やよな」
と、オトが頰杖をついてモンブランを視る。「が、俺達のように不可能を可能にできてまうもんに取りてそれは尋常な考え方だ。一般性ってのはつまるところ大勢を占める普通の生物の性質でしかない。そこから外れた者が一般社会に融け込むには、非一般性の考え方を口も八丁手も八丁で隠しながらごまかしながら生きてくほかない」
「私は──」
「この話は脱線、終了だ」
と、オトが打ち切らなければ、ララナは自身の非一般性を咎めるところだった。それはオトの非一般性を責めることにもなるというのに。
読心の魔法で知ったのかオトは悟りきっている。
「お前さんの蘇生魔法は限度があるんやろ。んで、今はもう使えん。違うか」
「……仰る通りです。今は、先のようには考えておりません」
当時のララナは大事なものを見失って、手放してしまっていた。今も取り戻したとはいえない状態だが、見失わないようにはしたい。
「非一般性を脱したんならいいことやない。そうせんと死ぬのが人間やから」
「……。オト様が仰った死とは、社会的観念や哲学的思索でしたか」
皿の上のモンブランをフォークで器用に回転させるオト。
「話を戻せば、生命を終わらせるだけが復讐になるとは限らんということだ」
「言葉真家や国を告発するのは現体制を殺す、すなわち崩壊させるためなのですね」
「腐っとるから既に死んどると表せるのかも知れず、なれば浄化や鎮魂と表すべきかも知れんが、そういうことやよ」
個人の肉体に限らず思想や体制など受け継がれていくものもオトの標的だ、と、ララナはようやく理解した。
そうして、一つの疑問に、ララナの思考は導かれる。
かつての学園支配は、豹変の果ての行為だったのか。
……オト様は、昔から非一般性をお持ちでした。
周りに懸命に合わせていたとオトは言っていた。豹変したオトが学園支配を起こした、と、いうのは総を始めとする他者の捉え方であって、オトの主観としては非一般性を表に出した結果である可能性があるのだ。ではなぜ非一般性を表に出す必要があったのか。
……死。
思想・体制の崩壊を意味するなら個人の考え方が潰えることにもその言葉は使えるのではないか。周りに合わせていたころ本音を語れないような上辺の仲間が増えていった一方、非一般性を顕在化させたあと多数の共鳴者が現れて、オトはいったい何を思ったのだろうか。
「仲間などとは思わんかったよ」
とは、ララナが質問する前にオトが答えた。「シンパサイザの心理としては、都合のいい状況で自分が思い通りに振る舞えることが快感で居心地がよかった。俺とは根幹が違う」
「学園支配は初期の段階から共鳴者によって行われていたようですが、オト様は、共鳴者に何を指示されたのですか」
「指示なんかしとらんよ。お前さんも知る通り、理性を失わせる魔法を要望書に施した、強いていえばそれが配られるのを確認した。それ以降、俺は何もしとらん」
「なるほど。それゆえ、欲求が叶わない者と叶う者が現れ、支配する者と支配される者に分れていったのですね」
考えてもみれば簡単なことだった。オトがいかに優れた魔術師でも個個の欲求に副って何百人もの心理を操作するのは非常にメンドーだ。オトは要望書を介して「書くこと」を条件になんらかの精神魔法を掛けたに過ぎない。
無論、そこには明確な意図もあるだろう。要望書配布に及ぶまでに周りに合わせ続けて、オトは疲れきっていたに違いない。非一般性をごまかし隠し続けることは自身を押し殺すことに等しく、明るく笑って愉しく過ごすのが一般的な少年時代にあって愉しさなど皆無。しかしながら誰もが非一般性をじつは持っている。それは理性が抑え込んでいる受け入れられない考えや邪悪な欲求であることがほとんどだろう。つまり、理性を失わせる仕掛けが施された要望書配布の意図は、
「──、オト様のように、周りに合わせることの苦しさを理解させるため、だったのですね」
「へえ、意外に察しが早いな、見直した」
と、オトが認めた。ララナとしてはそれなりに難題だったのだが、オトは暇潰しの延長のように軽い調子である。
「お前さんはお菓子も作れて俺に都合がよすぎるな。なんか裏でもあるんやない」
「えっと、その、私に裏はございません」
オトの言う裏が表であるならララナはどう応えていいのか全く判らない。その戸惑いが顔には出なかったが、ララナの戸惑いを察してかオトが瞼を閉じて三つ目のモンブランを黙黙と食べて、四つ目のモンブランを小皿に移してそちらも黙黙と。
「……オト様」
「ん」
物が入っているとき口を開かないオトが、一瞥で言葉を促した。
わずかな沈黙。
屋外の木木が静まるのを待って、ララナはそっと口を開いた。
「……私は、オト様をお助け致したいと、今も考えております」
「ん」
「都合がよくてもよいのです。私は、オト様に利用されても構わないと存じます」
「ふむ」
「でも、それだけではオト様をお助けすることにはならないとも思っておりますので、こうしていろいろな調査を行っております。……率直にお答えください。ご迷惑ですか」
「勝手にやればいいやん」
四つ目のモンブランを完食したオトが、言った。「商品を作り代金を受け取る。そういう取引の中にお前さんの利益があるなら自由に動けばいい。俺は俺で作れんもんを食うという価値を見出して利益を得とるから問題はどこにもないんよ」
「ですが、──私は、欲求不満です」
「自己愛の強いヤツやな」
「ちゃかさないでください」
ララナは至って真剣だ。「オト様と、商品や代金なしのお付合いを致したいのです」
「それで困るのは情報を得られんくなるお前さんやろ。ま、俺も困るか。いやに健康志向な、秘密裏に野菜を使った美味なこのお菓子が俺には必要なんやろうし」
雑味の素である野菜の使用は全く伝えていなかったのだが、オトは見抜いていたよう。
「オト様から情報が得られずとも私の仕事は成り立ちます」
と、ララナはやや前のめりになって言った。「ですから」
「未来改変のためとはいえがっつきすぎやろ。そんなに俺がおらんとヤバイん。一個人の代替品がおるとは思わんが、俺と同等の力を発揮する方法ならいくらでも教えたるよ」
「それはなりません!」
「……声が大きい」
「申し訳ございません……。が、」
「『が、』やないよ。とどのつまり、お前さんが俺にこだわっとるのは未来改変の鍵やからやろ。俺にしかできんこととなると限られる。ずばり積極的な時空間て──」
「お間違えです!」
「煩い。二度もいわすか」
「っ、──申し訳ございません……」
オトの半眼に怒気が灯っている。ララナは姿勢を正し、昂る気持を抑え込んだ。
過去に出逢ったのがオトでなかったら、などという非現実を今のララナは受け入れることができそうにない。オトとこうして話していることが起こり得ない現在など、想像もできない。
……オト様でなければ、ならないのです。オト様以外など、考えられないのです。
口では言いにくいことを心の声に乗せたが、オトは読心の魔法を使っていなかったのか、モンブランに舌鼓を打っている。
……オト様、お聞きいただけましたか。
「んむんむ……。気品のグラッセ。遡るは高き空と先立つ若葉なり……」
オトの意識はモンブランにしか向いていないようだ。
「私、お菓子作りの熟練度が疎ましく感じたのは初めてです」
「ん。悲観することもないやろ。知識は身を助けるぞ」
「そうだとよいのですが」
一番伝えたいことは簡単には伝わらないのだと、ララナは改めて勉強した心地であった。
オトが最後のモンブランを食べ終え、
「ご馳走さん」
と、掌を合わせた。
「お粗末さまです」
空になった皿とともにララナは席を立つ。「大声を出して申し訳ございませんでした。本日は、これにて失礼致します」
「ああ」
お菓子の切れ目が縁の切れ目とでも言うように、オトの反応は淡白だった。
ララナは、気持重い足を前に出して玄関へ。ホールで待機していた監視役を外に出し、ララナも外に出た。監視役に労いの言葉を掛けようとしたところで、
「そう、そう、今から暇か」
と、背から声が掛かった。中にいたはずのオトが外におり、玄関扉を施錠している。
ララナは一瞬間ぼけっと立っていたが、
「はい」
と、うなづくことはできた。
オトが監視役を一瞥して、ララナを見下ろす。
「どうせやから男に見張られるよりは女に見張られるほうがいい。お前さんは糸口が増えるし監視の手間が省けるやろ」
「オト様──」
「安心しろ。単なる買出しやからホテルに連れ込む金は持っとらん」
と、オトが無表情で財布の中身を見せたのは監視役のほう。
……二〇〇〇ラルですね。
日帰り小旅行にも二倍は要る。
「ってことで、ついてきたければ来い」
言いつつ既に五メートル先を歩いているオトである。まるで滑るように歩いているが、魔力反応がないので魔法は使っていないだろう。
「お待ちください」
と、オトに一声掛けたララナは監視役を帰して、オトを追いかける傍ら監視手配の礼を瑠琉乃に伝えるとともに空間転移で暗号文の原本を送って解読を依頼した。
オトに追いついたのは、商店街のアーケードに着いてからである。
「オト様、ついていこうにもこの速度では置いていかれてしまいます」
「ついてこれとるやん」
そうなのだが、釈然としないララナである。時速八〇キロで歩くのが普通ならこの世界に馬車や魔導車は必要なかった。
小さなスーパに入ったオトが普通の人間並の歩行速度になって、ララナは一息ついた。
スーパの籠を片手に店内を歩くオトが、斜め後ろのララナに尋ねる。
「ワンピースの癖によくあの速度でついてきたな。後ろを歩いとったヤツらが擦れ違いざまにパンツ見とったやろう」
「ご心配には及びません。ブルマを穿いております」
「何歳やの。俺の時代の初等部児童じゃあるまいに」
「妹達にも推奨致しました」
「迷惑やったやろうな。代りならいろいろあるやろ、レギンスとかショートパンツとかパンツインスカートとか。最近は可愛いのが増えたと思うし、昔の解放運動でもないのに穿いとるヤツおらんやろ。原型を思えばいっそニッカポッカやサブリナパンツでもいい」
と、ネギを手に取ったオトが呆れている。
「(……。)ですが、太股に何か当たる感触があると動きにくくございませんか」
「ズボンの俺にいうか」
「(……確かに。)ワンピースやスカートのように可愛さを求める衣類の場合、ブルマ以外を下に穿く選択肢が私にはございません」
「可愛い」というのがどういうものかララナは意識したことがないが、主に上の義妹の知識を借りて反論してみた。
オトの対策が飛び出す。
「ほな、毛糸のパンツやな。やらかいし、あれならほかに何も穿かんくてもいいやろ」
「それなら──」
「『ありだなぁ』とか思うなよ」
「お、もっておりません」
「言葉に詰まっとるやんか。想像以上に噓、下手やな」
「今お取りになったタマネギが傷んでいたので戸惑っただけなのです」
「傷んどらんよ、この噓下手め」
……んむ。
オトが手に取る野菜は新鮮そのものである。ララナは返す言葉がない。
何もララナはオトの言葉に惑わされているのではない。
「……オト様、なぜ買出しにお誘いくださったのですか」
それが気に掛かっていまいち本調子ではない。
オトが蕎麦の乾麺を籠に入れて、
「用はないよ」
と、言った。「たまには雑談したかった。暇潰しやよ」
「……そうでしたか」
ぞんざいに扱われているようにも聞こえるが、オトは独りでいることを望んだひとである。そんな彼が独りでいるときより愉しんでいるであろうこの状況に自分が佇んでいる事実。
ララナは、そこはかとない悦びを得た。
「もしよろしければ、これからも買出しにお伴させていただきたいです」
「断るわ。今日はその気分やったけど次はどうだか俺にも判らん」
気分屋だ。
ララナはそんなオトについていく。
「では、オト様のお心に副ってお伴しますね」
「お前さん、絶対ダメな男に引っかかるタイプやな」
哀れみの半眼。
ララナはそんな眼に自信を持って答える。
「ご安心を。私の心に決めた方は駄目な方ではござりません」
「そりゃよかった。お幸せに」
その相手が自分とは露とも思っていないのか。我関せずのオトがレモン果汁のミニボトルを籠に入れた。
「先程から気になっていたのですが、オト様、こちらの材料で何をお作りになるのですか」
「蕎麦だが」
「タマネギ、ニンジン、ゴボウで、搔き上げですね。レモン果汁はいったい……」
「かけつゆに使うんよ。つゆが甘かろうと辛かろうと、清涼感でごまかせる便利な品だ」
「なるほど。私はお酢を入れたことがございます」
「ああ、それ、やったことある。つけ蕎麦ならそっちがメインだ。通常のつゆと同じ材料にバルサミコ酢と米酢を少し加えて、酸味がきつくならんように煮立たせて使うが」
「同様です。レモン果汁はスダチやユズ、カボスとは風味が異なりそうですね」
「カボスがセオリなんやろうけど俺はユズ派やな。果物は高いから安物のレモン果汁ボトルで代用だ。柑橘類ならなんでもいいかも知れんな」
「オト様は柑橘類がお好みなのですね」
「それ単体やと蜜柑が一番やな。なんだかんだで高いから買えんけど」
お金があれば果物を買うということだろうがオトの所持金は二〇〇〇ラル。無職の身で全額消費することはできまい。当然、主食にならないスダチなどを買う余裕はない。
「そちらはお夜食でしょうか」
「モンブラン食ったし後日の予定やった」
ララナがお菓子を届けるようになった今もオトが満足に食べている様子はない。栄養が足りないのは明らかだ。
「お夜食にお邪魔してよろしいですか」
「相手が阿呆な男なら勘違いして襲うぞ」
「阿呆なのですか」
「労働義務違反で人格も最悪。そんな俺がなんでお前さんを招かないかんの」
「スダチやユズ、ご入用ではござりませんか」
「……金持め。とことん物量的なアプローチやな、卑怯やぞ、こんにゃろー」
文句に説得力のないオトである。ララナはもう一押しする。
「財は貯めるより運用すべきです」
「なんちゅー嫌みな」
「スダチやユズ、ご入用ですね」
「むぅ……」
「きっとオト様の頭の中でスダチやユズの甘酸っぱさと風味が想起され、めんつゆに溶け込んだそれをやや抵抗のある喉越しの十割蕎麦で召し上がる想像が膨らんで──」
「俺が買うのは三割──」
「十割蕎麦もご入用ですね」
「おまっ、なんっちゅー、っ、……鬼やげ」
「鬼にもなりましょう」
「んむぅ……」
オトが額を押さえて弱弱しい声を漏らした。これまでポーカーフェイスを崩さなかったオトが初めて表情を見せてくれて、ララナは内心歓喜していた。
「私をお夜食にご招待ください。漏れなくスダチやユズや十割蕎麦がお手許に届きます」
「卑怯者……」
オトが溜息をついた。「残念だが、魅力的な提案やな」
「では、お持ち致しますので少少お待ちください」
ララナは急いで品を集めて、オトの持つ籠に入れた。
「勿論お代をお支払い致しますのでご安心ください」
「そりゃ、そうしてくれんと詐欺やろ」
と、レジに向かう頃にはいつものオトに戻っていた。清算を終え、二つの袋に分けて品を入れると、オトが予定を決める。
「今日はもう食わんから、明日の昼でいいか」
「はい。私は問題ございません」
「じゃ、そういうことで」
ララナが知る限りオトは今日、モンブランしか食べていない。以前から一食少食の生活が続いていたであろう。いきなりたくさん食べると体が受けつけず吐いてしまうこともある。日を掛けて食べる量を少しずつ増やしていくのがベストだ。
オトが先を歩き、ララナは斜め後ろをついていく。
商店街の雑談、客寄せ、足音、買物袋の音、駆け抜ける自転車の風にベルの音。彼とのあいだに立ち込めた沈黙。大きくなった音を背にほとんど距離を置かず彼と歩いていることに、ララナは今また特別感を覚えた。
……オト様と買物をするのは初めてでしたね。
家に上げてもらえても仕事上の話をするだけ。互いの趣味を話すことはほとんどなかった。
……蜜柑がお好きなのですね。
物心ついた頃からララナも特別に蜜柑が好きなのである。家族でオコタを囲んで食べる蜜柑は格別だ。
……──。
ララナは、オトの背中を見つめる。……オト様は、一人暮しなのですね。
母が出稼ぎに出ており不在だ。瑠琉乃の情報によれば緑茶荘に引っ越してすぐオトはそのような状況になっていた。
家族で蜜柑を食べる。そんな普通のことが、オトには、ない。
……──。
ララナは不意に零れそうになった涙を拭った。
買物袋がかさつく。
本人がそれを寂しい・悲しいと感じているならともかく、ララナはオトの境遇を勝手に悲観して感涙してしまった。それは失礼なことかも知れないと思い、悟られないようにした。
緑茶荘のある西へ向かう。日はまだ高く明るい。陽炎が絶えず立ち上り、暗がりと疎遠の世界にあってララナはオトの背中に濃い「陰」を観た。それが一般性の欠如であり、孤立感であり、孤独である。乃至、侘しさでもあろうか。ララナを涙に誘う物悲しさは、一方では彼の最大の魅力にも思えた。
……オト様が一般的な男性なら、これほど気になりはしませんでした。
突飛な発言や冷酷とも取れる言動や過去の犯罪、比類なき魔法の才とそれを活かすだけの知性、時折見せる自分との共通点、その全てがオトであり、ララナの心を摑んで離さない。過去も現在も、ララナは、オトの背中に恋をして、彼の手の中に収まる未来を望んでいる。歪んでいても、それが欲求不満の根源である。
……オト様のお傍に、置いていただきたいのです。
ララナが心でそう唱えると、前を行くオトが振り向き、
「ついでやから、明日もお菓子を頼む。食後のデザートは不可欠やろ」
心を読まれたのかと思ってララナはどきりとしたが、食の量を増やすに恰好のチャンスだ。全体量の調整を考えたララナはオトの言葉に心から応じた。
「必ずお届け致します」
北半球であれば雪も見られるというのに。学園が終わって商店街で待ち合わせた堤端総と二室ヒイロは汗を拭い、竹神音の家を訪ねた。
扉を開けた竹神音が汗一つかかずに涼しい顔でいるのは冷房が利いている。
「最近は客が多いな」
「……久しぶりだね、音君」
「へえ、ヒイロやん、よく怯えず来たな」
「君の様子が気になったからだ」
と、堤端総は二室ヒイロを庇うように立って、「けど、悪いがぼくは君を糾弾する」
「ふうん。そんな当り前のことをわざわざ。無駄な時間やね」
「君は相変らずだな」
「相も変わらぬ能無し加減」
「挑発には乗らない。ぼくは、もう決心した」
竹神音が学園支配以降何を考えて生きてきたかなど考える余地はない。性根はそうそう変わらない。神童と呼ばれた頃とは真逆に、現在の竹神音が犯罪に生き、災いを振り撒く存在として君臨しているのは発言から明白だ。
「君はきっと今も罪を犯している。あの頃のように自分の犯罪だと明らかにならないように、密かに、狡猾に、何かをしているんだろう」
「なんやの、その決めつけ。会わんうちに思考力が低下したんやね、嘆かわしい」
「音君」
二室ヒイロが口を挟む。「近年、特にあなたが初等部に来なくなった頃から、この町の治安は悪化し続けているよ」
「それがどうした」
「あなたが裏で糸を引いているんじゃないかと、ボク達は思っている」
と、二室ヒイロが果敢に述べた。
……ヒイロがこんなにムキになるのは希しいな。
二室ヒイロはもともと臆病なところがあった。意見を主張することも得意なほうではなく積極的でもない。が、竹神音に対しては思うところが折り重なっているのだろう。
堤端総は二室ヒイロに賛意を示す。
「君は無職だ。それでどうやって暮らしてる。何を食べて、何を話して、何を思って生きてるんだ。それは、人道から、人間性から、逸脱してないか」
「回り諄い」
竹神音が溜息をついた。「無駄話に付き合う気はない」
「なら改めて言おう。君は、窃盗・強盗・強姦・誘拐・拉致そのほか諸諸の犯罪を主謀してるんじゃないのか」
堤端総は疑念を顕にした。「君は他人を蹂躙して生きてる」
「へえ、面白いな。そうやったらどうなるん」
「このことは既に母さんに伝え、魅神産業にも通達されてる。魅神産業には広域警察のOBも多くコネクションがある。君は必ず検挙される」
「犯罪事実があればな。──ああ、いや、あるな」
と、竹神音がほくそ笑む。「今日、俺自らが窃盗を働いたばかりやったな、忘れとったわ」
二室ヒイロが口許を押さえて、
「犯罪行為を忘れるほど、慣れてしまっているの。あなたは、本当に音君なの……」
「ヒイロ、お前さんは追究するのが得意やったな」
と、竹神音が話を変えた。「それだというのにこの町の犯罪の根幹に辿りついとらんのはお前さんに穴がある」
「ボクは刑事でもないけど……、何がいいたいの」
「何も。単純に、どうでもいい話を聞かされてつまらん思いをしたと伝えたかっただけやよ」
竹神音がそう言って扉を閉めようとするので、堤端総は爪先で止めた。
「ララナさんが君の犯罪を探ってるぞ」
「引き止めてまで話すのがそんなこと」
「っ、君は、判ってて彼女を放置してるのか」
「少なくともお前さんらより見込みがあるからな、泳がせて愉しませてもらう」
「──鈴音さんのように殺す気か!」
「煩い。で、そうやとしたらどうする」
竹神音が悪意に満ちた笑みで堤端総を見上げた。身長は堤端総より低いというのに、堤端総は竹神音に気圧されてしまった。
無表情に帰する竹神音。
「総」
「……なんだ」
「お前さんには、似合わんよ」
「!」
「鈴音も、あの押掛け女もな」
「っ、この──!」
ぱたん。
拳に力を込めるために足を引いた一瞬で扉を閉められてしまった。扉の隙間に垣間見た彼はあまりに遠く──、堤端総は振り上げた拳を、閉じられた扉にゆっくりと押しつけた。薄い塗装の木製扉は、冷たい。
しばらくそうしていた堤端総は、二室ヒイロとともに川沿いを南に向かった。二室ヒイロの住むマンションがある方角で、日が沈んでいるため人気が少ない。
「総君」
「なんだい」
「本当に、あれでよかったのかな」
「ヒイロ、いまさら迷ったのか」
「ううん、ボク達が正しいとは信じたい。けど、音君の話に気づかされた点もあるよ」
「この町の犯罪の根幹に辿りついてないっていうあれか。妄言だろう」
「田創町の犯罪はほとんどが貧民の手によるものだとデータがある。母さんは貧民出身だからまじめに働けば報われるということをボクは疑っていなかった。でも、そういう貧民ばかりでもないんじゃないか。っていう疑問を今まで突きつめたことがなかった。ううん、疑問として捉えてなかったのかも知れない。母さんの実績を鵜吞にしてたから……」
「ヒイロは貧民に対する疑問を突きつめるのか」
「専門家がやってるとは思うけどね、ボク自身でもやってみようと思うよ」
堤端総は二室ヒイロを一瞥する。その横顔が、堤端総とは別の決意に満ちている。
「……もしぼくの両親や五大旧家が不正をしていることが原因だったら、ヒイロは気にせずそのことを公表してくれ」
「いいの」
「ああ。でも、そのときぼくは、両親についてる。それだけは予め言っておきたかった」
「……解った。総君は総君の事情を優先してほしい」
聞分けのいい二室ヒイロに、
……ぼくはいつも甘えてる。
堤端総はしかし、両親を守り、竹神音の犯罪行為を明らかにし、聖羅欄納の行動を抑止することを、決心したのである。
……それに、オトは、ぼくの好意に気づいてる。
堤端総は、橘鈴音を好いていた。言葉真音に、また、橘鈴音にどこか似ている聖羅欄納にも好意を持ってしまった。
それに関連して、堤端総は、以前から悩んでいたことがある。
……もしかしたら、鈴音さんはぼくのせいで殺されたのかも知れない。
と。
思い返せば、橘鈴音は竹神音一筋でしかなかった。三角関係などというのも憚られるほどに堤端総の片想いだった。そんな状況下で堤端総は、竹神音から引き離そうと橘鈴音に接触した。橘鈴音は優しい少女であった。堤端総の思いを酌んで、竹神音の訪問を時折断るようになった。
それから少し経って、橘鈴音は殺害されてしまった。訪問を拒絶したことで竹神音の怒りを買ったのだとしたら、橘鈴音が殺された原因は堤端総にある。
聖羅欄納もそうなってしまうとしたら。堤端総は、そう思えてならなかった。それでも、
……さわらぬ神に──、と、いう言葉がある。
同じ手しか浮かばなかった。聖羅欄納を竹神音から遠ざけることしか考えつかなかった。
……今度は母さんの部下もついてくれるけど、どこまで有効か。
相手は竹神音、殺人犯なのだ。堤端総が母に頼んで手配してもらった部下も聖羅欄納を警護しきれないかも知れない。竹神音の思考は現在に至っても読めない。
……何を考えているか、なんて、考えても無駄なんだ。
堤端総は、堤端総が打てる手を、全て打つしかない。それが最善であるとは言えないが何もしないよりはいい。
携帯端末を確認すると母からの報告があった。
〔先んじて動いていた堤端産業の調査員に
加えて魅神産業の調査員も竹神音につい
て調査を開始した。
総、あなたはもう動かないように。相手
を刺激しては見つかるものも隠れてしま
う可能性がある。〕
堤端総は、返信しておく。
〔我儘を言ってごめん。
手配ありがとう。〕
携帯端末をしまい、堤端総は決意を新たにする。
……いずれ、決着がつく。
堤端産業と魅神産業の優秀な調査員が竹神音の過去を洗い始めている。竹神音の犯罪事実が明らかになるのは時間の問題だ。
竹神音が逮捕されれば、全てがうまくいく。
……うまく、いくはずだ──。
──五章 終──