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四章 身動ぎする過去

 

 ララナは得意の空間転移魔法を使用して火事・小火騒ぎのあった場所を虱潰し(しらみつぶ  )に当たり、オトが目撃されていないか調査した。緑茶荘のある田創町内はもとより、念のため国内外全域を調査するため、瑠琉乃の部下も一万人超借りた。翌日朝に出た結果は、「竹神音の姿はどの現場でも目撃されていない」というものだった。オトの姿が見られていないということはそこで三人の不良が焼却されたかどうかも不明ということである。遺体が残っていない以上その線ではオトの犯行を追えないため各現場で三人の不良と思しき遺体がないか探ったが、オトの話した特徴と一致するものは見つかっておらずその線でも追えなかった。

 三人の不良の捜索を断念せざるを得ず、事件の全容がまさしく不明瞭となったララナは、瑠琉乃にもう一度連絡を入れた。オトについて彼女が知ることを全て聞くためである。機会は何度かあったが、聞かずにいたのは自分で(なま)の情報を収集したかった。

 携帯端末越しに瑠琉乃が教えてくれたのは、ララナが調査して知ったことに加えてオトに姉がいること、オトの母が出稼ぎでレフュラル表大国にいること、オトの父が離婚後リストラに遭って一人暮しをしていることなど、オト本人のことではなく家族の情報が大部分を占めた。

「──。瑠琉乃ちゃん、ありがとうございます」

「いいえ、お姉様のお役に立てたならそれ以上の幸せはありません」

 ララナは電話口で改めて頭を下げた。

「瑠琉乃ちゃんがオト様について調べてくれていたとは考えもしませんでした。お蔭でオト様と出逢えたのです。お礼が遅れましたが、本当に、感謝しております」

「お姉様……。わたし、お姉様のお菓子が大好きです。また、作ってください」

「はい。では、何かあれば連絡致します」

「……はい。ご健闘を」

 聖産業の副社長として忙しい瑠琉乃の時間を長長奪うわけにはいかない。早めに通話を切ったララナは、気合(きあい)を入れ直す。

 ……オト様にまたご報告に上がりましょう。

 今朝までに判った火事・小火騒ぎの現場でのことを。あと、元友人から先日聞いたオトの過去について世間話程度に聞きたいことがあるので、それについて触れるのもいいだろう。

 肝心なのはオトに話を聞いてもらえるかどうかだが、策はある。神界を旅したときに手に入れた古代語辞典を()()として用意した。ついでにザッハトルテを作りつつ、近辺の治安悪化を象徴する犯罪を携帯端末で調べた。

 風に舞った薄い砂塵が日光を穏やかにした昼、ララナは一〇二号室を訪ねた。呼鈴を押すと今日はオトがすっと顔を出した。

「今日はザッハトルテか」

「私の思考を常時読んでいるのですね」

「嬉しそうにいうな。プライバシの侵害で訴えろ」

「左様なことをしてはお話を伺うのに手間が増えてしまいますので遠慮致します」

「お前さんは妙なところで面倒くさがりやな」

「オト様ほどでは」

「そうか」

 オトが扉を大きく開いて、「で、今日は何を聞きたいん」

「商品、お受け取りいただけますか」

「代金は話を聞くことでいいんやよな」

「はい」

「なら買うわ」

「ありがとうございます」

 オトはララナのお菓子作りスキルをおはぎで悟ったのか、ザッハトルテもハズレはないと踏んだようである。

 ララナとしてはオトに手作りケーキを食べてもらえて話もできるので、ありがたい。昨日と同様、ダイニングのテーブル席に向かい合って座るとザッハトルテを載せた平皿を渡した。

 直径二六センチの平たい円柱は六等分されている。そのうちの一切れをオトが小皿に取ってフォークで一口運んだ。

「ふむ、程良い口溶け。しつこくない甘みと仄かな苦味があとを引く。突出した味では却って深みを生き埋めにすることを熟知した雑味のバランス、……やはりできるな」

「恐縮です」

「店でも開けばいいのに」

「マーケティングを広く観なければ潰しますね」

「謙遜するな。顧客を手放なさん個人仕様は大事やろう。少なくともこれは俺が話を聞くに値する価値がある」

「腕を磨いた甲斐がございました」

 ザッハトルテを頰張るオトを視て(み )、ララナは話を始めた。火事・小火騒ぎの現場での調査とその結果、携帯端末で調べた周辺地域の治安状況、それからオトの家族についてを、ララナは報告した。

「家族については聞くまでもないことなんやけどな」

「何を知ったかのご報告ですので」

「お前さんが阿呆なくらい律儀なのは解った。で、どこから話を深めたいん」

 ザッハトルテの四切れ目に突入したオトが、フォークの速度を保ったまま耳を傾けた。

「まずは、オト様が当初共犯者だと仰った三人の不良についてですが、この線は手持(てもち)の情報で追いようがございませんので──」

「〈時遡(じそ)空間投影(くうかんとうえい)〉は試したのか」

「過去の出来事を正確に映す魔法ですね。あれは一日以内がせいぜいとご存じでは」

「まあね」

「ですから、諦めます」

 折を見てオトから話してもらえると都合がいいが、ララナは急かす気がない。

「周辺地域の治安状況ですが、魔法学園支配事件、鈴音さんの殺害事件、事件化していないとはいえ三人の不良の失踪を始め、拉致・強盗・強姦・放火・殺人、さまざまな事件が起き、未解決のものがいくつもあるようです」

「それらの事件と俺が関係しとると思うん」

「疑いの目を持って観察させていただきましたが関与の裏づけは得られませんでした」

「そりゃそうやろうな。鈴音殺害と不良殺害以降、俺は犯罪に関与しとらんもん」

 三人の不良の殺害についてオトがあまりにあっさりと自白したものだから、ララナは尋ねそびれそうになった。

「不良の殺害を自白、されるのですね」

「忌み嫌った相手の血を被ったもんやから物的証拠は一緒に焼却したがな」

 過去についての聞込み(ききこ  )を止めなかったり妨害しなかったりしたこともそうだが、自身に不利に成り得ることでもオトは隠すつもりがないようである。

「遺体処理はやはり焼却でしたか」

「推測できとったやろ。完全犯罪を成立させとるやろうこともさ」

「はい」

 うなづいたララナに、オトが溜息をついて尋ねるのは、

「いまさらだが、俺に報告するのは間違ってないか」

「と、いわれると」

「前もいったが、お前さんの報告を基に先回りして情報操作をしようと思えばできるんやぞ。それがいかにメンドーでも、本当に探られたくないことに近づかれたら隠蔽のために動くよ」

「そうですか。しかし私はどこか確信しているのです」

「何を」

「オト様はご自身の犯行をわざわざ隠されないと」

「隠蔽を自白した直後なんだが」

「それでもって自白されました。隠すなら自白が不要です」

「やとしても根拠がないな」

「犯行の根拠があるとは申せませんが、ないとも申せません。オト様が犯行を自白しているのがそれで──、一旦落ちつきましょう」

「お前さんがな」

「省みます」

 半ば押問答(おしもんどう)になってしまった。

 目撃証言や物的証拠がないということで捕まらないオトだが、自白しては調べられる危険性が生じてしまう。物的証拠を処分済みで調べられても捕まらないと踏んで、ララナを試したり挑発したりするために堂堂と自白している可能性があるが、

「左様なメンドーなことをオト様はされないでしょう」

「つまり心象か」

「オト様が過去周囲の方方に合わせて過ごされたという話を踏まえますと、オト様が他者を煽る言動をなさるとは考えにくいと判断致しました」

「ふむ。それでお前さんを挑発するための自白という線がなくなったわけやな。じゃあ、お前さんを試すのが目的か」

「そうではないのですか」

「そんな期待はしとらん」

 オトがザッハトルテの欠片をフォークで掬った。「俺は暇潰しがしたいだけなんよ」

「お暇なのですか」

「やることあらへんし、自分勝手に独りになっといてなんだが正直暇だ」

「お仕事をなさりませんか」

「他者に媚び諂う(こ   へつら  )のは性に合わん」

「取締役になってしまわれては」

「『しまわれる』はネガティブで非現実的な展開やな」

「ポジティブで理想的で極端な展開を示しました」

「総体的におかしい。まっとうな人間は犯罪者なんかに関わらん」

 オトの言葉に接触を拒絶する意図が含まれているとララナは感じた。だが、形はどうであれオトは対話に応じている。ララナをまっとうな人間でないと感じているからか。

「(それとも──。)もし過去の罪がなかったとしたら、取締役になろうとなさりましたか」

「変な質問やな。う〜ん……」

 フォークに載せたザッハトルテの欠片を食べてオトがしばし黙った。

「取締役は無理やな」

「なぜですか」

「ワンマンなんか追い出されるのが関の山だ。それに、暇潰しならだらだらがいいやん」

「お菓子を食べつつ私とする雑談が現状最高のだらだらなのですね」

「多くの人間が貴重にしとる時間を無駄に費やす感じがじつに贅沢やろ」

 オトが五切れ目を小皿に取って食べ始めた。

 オトは暇を持て余している。その上で、己の犯罪を隠すつもりがない。不良三人の殺害を隠蔽した理由が彼が述べた通りだった場合、基本的に隠さないスタンスを執る理由として考えられるのは、隠し事をするのが好きではないか、相手の隠し事を嫌うためにまずは自身が隠し事をしないのだろう。過日の麻婆豆腐やおはぎの件を通して、オトは後者の気質があるとララナは考えた。相手が隠し事をしてもオトは読心の魔法によって容易く見抜くことができ、隠し事をされたり嘘をつかれた時点で相手を追い払う口実ができるので、オトは独りの時間を満喫できる。相手がオトの気質に合って嘘をつかなかったり隠し事をしない人物なら「話を聞く価値あり」と雑談に耽ることができるので、これはこれで暇潰しができ、オトに取っては価値があることなのである。本人が言うにはひとが大切にすべき時間を浪費して贅沢を感じているとのことだが、その点については、さて、どうなのだろうか。オトはここまで飽くまで自身の考え方を貫いてララナと接しているようであった。だとしたら「ひとが大切にすべき時間を浪費すること」にはさして意味はないのではないか。強いて言うならそれは嘘なのだ。

 ……暇潰しがメインなのでしょうね。

 その証拠としてララナが話さなければオトのフォークがあまり進まない。代金がなければ商品に手を出せない。つまり、ララナは今の今まで認識していなかったが、オトはララナの作った条件の中で縛りのある暇潰しに興じている。そう考えたとき、先日のおはぎの食べ方については疑義が生ずるが、さて、そちらはどう考えようか。

「さっきから何やらせっせと考え事をしとるけど話は終わったん」

「いいえ。初等部時代のご友人方から聞いた過去についてお聞きしたいことがございます」

 オトのフォークが五切れ目を小さくしていく。

「オト様が仲良くしたご友人は八人。男性や女性、性格や外見、学力や能力などあらゆる差を気にせず平等に接したオト様を皆さんがリーダとして慕っていた。と、お聞きしました」

「ただの八方美人。みんなに合わせて動いとったからな」

「オト様は一時期、山田リュートさんとお付合いされていたのですね。軽い知的障害を持った山田さんがお付合い後から目覚ましく成績を伸ばしたともお聞きしました」

「今は疎遠になっとる。淳がリュートを観とるやろうし問題ないな」

「オト様が不登園になったあとの、ご友人方の様子をご存じだったのですね」

「いや、推測だ。淳は大人っぽい外見のリュートに昔から気があったし、リュートは構ってくれた相手に依存する傾向があった。とはいえ、両者、俺とは違って心から他者を労わることができるのは知っとる。似合いやと思うぞ」

 男性は異性への未練を断ち切るのが苦手で好いた異性に近寄る同性への憤りをいだきやすいものとララナは思っていたが、オトは山田リュートを抵抗なく手放しあまつさえ田中淳との付合いを歓迎している様子。月日が割りきらせたのか、もとからそういう性格だったのか。

 ララナは話を続ける。保育園時代から付合いがあったという二室ヒイロに関することだ。

「二室さんとの出逢いを憶えておられますか」

「出逢いは知らんがヒイロを助けた一件はそれなりにな」

 保育園時代のことだ。オトは当時から大人に働きかけるほどの言葉遣いと信頼を獲得しており、虐待を受けていた二室ヒイロを発見して助け出した。

「オト様は、なぜ二室さんを助けたのですか」

「なぜって。ヒイロが『助けて』と叫んだからだ」

「二室さんによれば恐くて声を上げることもできなかったそうです。オト様が、まるで心を察したように駆けつけてくれたのだと聞きました」

「察しとるやろ。読心の魔法だ」

「三歳で使える魔法ではございません」

「俺は使えた」

 魔力を持っていれば名乗れる〈魔術士(まじゅつし)〉と違って、試験を受けて魔法技術と才能を認められた者が〈魔術師(まじゅつし)〉である。士・師、ともに「シ」であるがこの一文字の違いは非常に大きい。魔力を持つ者が一億人を優に超えるのに対して、魔術師と認定された者は世界に約一〇万人しか存在しない。その狭き門を初等部進学以前にくぐっていたオトが言う。

「魔法学において魔法を成すに最低限必要となる力は〈魔力〉と〈精神力〉。これを知れば、ある程度の魔法を子でも解することができる」

 言うほど簡単なことではないが、精神力の消耗によって動かした魔力を集束して超自然的な現象を引き起こすのが〈魔法〉である。初等部一学年生が何箇月も練習して身につける魔力の集束技術は卒業時点で下級魔法を発生させる程度まで磨かれるのが普通だ。オトは保育園時代に魔力の集束技術をとうにマスタして高度な魔法を発するまでになっていた。その才能は天が授けたとしかいいようのないものである。

「二室さんが助けを乞わなければ助けなかったのですか」

「見て見ぬふりをしたやろうな。誰しも面倒事には関わりたくないもんだ」

 面倒くさがりな性格は神童から悪童に豹変した一〇歳頃から始まったわけではないということ。才能に胡座を掻いたか才能と引換えにして怠惰になった、と、捉えられるひとである。

「そのあとから二室さんと友人関係になったようですが、それについては煩わしく思われなかったのですか」

 意地の悪い質問にオトが平然と答える。

「煩わしいよ、独りのほうが断然楽やもん」

 それでも友達にはなったのだから、何かしらの理由がありそうなもの。

「二室さんを放っておけなかったのでは」

「それはあるな。ヒイロは気弱に見えるし、おどおどもしとるから苛め(いじ  )とまではいかんくても孤立しやすいんよ。まあ、俺が構わんくても総や淳が放っておかんかったんやろうけどな。あの二人が構えば自然と俺も絡むことになる」

「田中さん、結崎さん、坂木さんとはいかがですか。坂木さん曰く二室さんの件があって総さんを加えた五人がオト様の周りに集まったということでした」

「そうやな。時系列を追おう。ヒイロを助けるために総と協力した。ヒイロを助けたことで目立ってまったから自然とほかの園児に注目されて、その中の淳、桜、葵、それからヒイロが()になったって感じやな」

「その和については面倒とは」

「答は同じ。独りのほうが楽」

 オトが最後のザッハトルテを小皿に取る。「俺にない一般性を学習する上では得もあった。今はそれを学ぶ必要性を感じとらんから、不要な関係やったと思うよ」

「一般性を学んで経験を積んだ結果として左様な結論に至った。経緯が必要とはお考えになりませんか」

「その経緯は全容の一部分。縒りをつける土台とできあがった布が大事やな。俺の土台には今の布を織り上げるに足る非一般性の生糸があっただけ」

 そう言ったオトがフォークを動かす。

「オト様は、飽くまで非一般性を貫くといわれるのですね」

「それこそ俺の勝手やろ」

「安心致しました」

「ん。なんや、」

 オトがフォークを止めて、「お前さんは俺を一般性の中へ引き込もうとしとるんやと思ったが、どうやら勘違いみたいやな。お前さんは俺に何を求めとるん」

「今は、オト様の考え方を否定するつもりもございませんし、生き方を否定するつもりもございません。その上で、オト様は他者と良好な関係を築けるのではないかとは考えております」

「それでお前さんの住んどる一〇三号室や上階の空室に新たな借手がつけばいいし、俺がおることで緑茶荘や周辺地域の治安が悪化することもないと考えたわけやね」

 上階の空室はララナの担当でもなく解決済みだが。

「はい。できることなら、(……)」

「なん」

「いいえ」

 ララナは心を()にして、オトに本音を悟られないようにしたが、口には出す。

「私としては、オト様が一般性から外れておられても、私の知るオト様と同じ想いをお持ちであればなんの支障もないのです」

「『安心した』か」

「はい」

 オトが最後の一切れを食べ終えて、フォークを置いた。

「ご馳走さん」

「お粗末さまです」

「話の続きだがな、」

「こちらをどうぞ」

「二段構え……」

 ララナが取り出した古代語辞典をオトが受け取る。「なんや、()(しん)(ぶん)()辞典か」

「おや、オト様は神界に行かれましたか」

 〈古神文語〉は神界の古い言葉だ。神界でもほとんど忘れられた言葉であるから、惑星アースでそれを知る者はララナを入れても両手で足りるだろう。それを知るということは、オトは神界へ行ったことがあるということになるだろうが。

「──いや、俺はないが」

 返答にわずかな間があったが、「まあこれでもいい」

「では、もうしばし代金をいただいても」

「構わん」

 オトが辞典を数頁捲って(めく    )、「収録語数が一〇万ってことやから、上限一〇分やな」

「承知しました」

 今はそれだけの時間をもらえれば充分だ。

「で、話の続きだがな」

 と、オトから話し始めた。「安心したってのはどういう意味か一応聞こうか」

「一般的な思考からは導き出せない何かをもってオト様がこの世界に貢献していけるのではないかと、非一般性を有するからこそ差し伸べられる手があるのではないかと、予感しております。いいえ、予感ではなく、()()()()()のです」

「過去に会った未来の俺のことか。過去介入による未来改変なんてことをしでかすんやから、よっぽどの何かがあったんやろうけど、今のところ俺はそんなことをする予定はないな」

 それはそうだ。悪神討伐戦争でララナが暴走することを知らない現在のオトには過去介入の動機が存在しない。

 ……私から申し上げるべきなのでしょうが──。

「いいにくいことか」

「……私は、はい……、全て私の責任と申し上げてよいことで、オト様に過去介入・未来改変という罪を背負っていただくことになってしまったのです」

 もとはと言えば、ララナが仲間を守りきれなかったことに端を発している未来改変である。強力な蘇生魔法を使って隙が生じ、前世の人格に意識を乗っ取られて暴走してしまったことが原因だ。ララナが仲間を守りきれていれば、隙を生まなければ、前世の人格に意識を乗っ取られていなければ、暴走しなければ、オトは過去における未来改変に関わらずに済む。

 ……──。

「相当深い後悔みたいやな」

 ララナは心を無にすることができなかった。

 ララナの後悔を読み取ることは、オトには難しくなかった。

「今の俺は過去へ飛んでまでお前さんを助けたいとは思わんがな、一ついいことを教えといたるわ」

「……なんですか」

 心を読まれてしまったことがまた一つの後悔を呼んでいたが、そんなララナにオトが言うのである。

「ぐだぐだと悩んどらんと、詫びれる相手には詫びときゃいいんよ、お菓子でも作ってね」

 ……オト様──。

「俺に負い目があるならひたすら尽くせ。もしかしたら、俺はお前さんの贖罪に負い目を感じて未来改変するんかも知れんし、数日前にはなかった日常も常態化すれば破綻しかけたときに維持しようとしてまうのが生命の性やから、こうも思うかも知れん。『未来改変せんと明日からこのお菓子は食えんのかぁ』とか、な」

 ポーカーフェイスのオトが真顔で言ったのだ。ララナは、思わず俯き、目許を指で拭った。

「なんや、嬉しいのか」

「……はい。オト様は、やはり、変わらぬオト様なのだと感じました」

 未来のオトも、ララナのお菓子を愉しみにしていた。

「お前さんの糾弾姿勢を崩すべくいっとるんやけどな」

「ですが、私のお菓子をおいしいと感じてくださったことは間違いがござりませんよね」

「まあ、それはな。この世は歪んだ評価で溢れ返っとるから、評価に値するもんはちゃんと評価するようにしとるんよ。けど、」

 オトが予防線を張る。「さっきのは飽くまでそう成り得るかも知れんという話であって、俺は未来改変をする気がないぞ」

「畏まりました」

 残念でないと言えば嘘だが自分の持つお菓子作りの経験が認められただけでララナは嬉しかった。お菓子を食べたオトがひとときでも感情を動かしてくれただろうことも、嬉しかった。

「改めて伺いますが、よろしいですか」

「ああ、なん」

「お菓子、またお届けしてよろしいですか。勿論、只で受け取っていただきたいですが、できればしばらくは商品として」

 がめつくても、ララナはオトに本音を出していきたかった。

 ザッハトルテがなくなった皿をオトがララナの前に押し出して、

「モンブランとか作れるか」

「(……、)はい、勿論です」

 ララナは歓喜とともに皿を受け取ると、オトの上着を観てふと気になった。

「黒い召物(めしもの)がお好みですか」

 オトは出逢った日からずっと黒い服を着ており、思えば未来のオトも黒で統一していた。

「同じ上着なんやけど、ちゃんと洗ってあるから汚くはないぞ」

「左様な疑いは持っておりませんでした。ズボンも黒。オト様のテーマカラのようなものでしょうか」

「そんな大したもんでもないが、何色にも染まらん感じが好きなんよ。逆説的にいうと白って汚れやすいし似合わんからね」

 オトが呆れた。「こんなくだらん話で時間を無駄にするつもりか」

「無駄ではございません」

「事件とか治安とかに全く関わりないんやけど」

「オト様のご趣味が判って大変嬉しいです」

「いや、だから、お前さんの仕事上の質問をしろといっとるのに」

「たまには雑談も必要かと存じます」

「訂正しよう。お前さんも非一般性を持っとるよ」

「それはそれで大変嬉しいです」

 口にしなかっただけでララナはじつは密かに感じていたことだが、「オト様と共通項があるということでしょう」

「……やめておけ」

 オトが立ち上がり、古神文語辞典を本棚の空いたスペースに置いた。「孤立したくなければ一般性を欠くべきやないよ」

「──お優しいのですね」

「お前さんにいわせればこの辺りの治安が悪くなる。と、思ってな」

 オトが席に戻る。「一般社会に適合できない、しない、あるいはしようとしない者は集団を脱し、和を乱し、犯罪の温床となり、悪の申し子となる」

「オト様がそうだと仰るのですか」

「でなければお前さんはこの町に来んかったやろうし、俺に何度も接触せんかったやろ。未来改変の件もあるやろうけど、それ以前に俺が善性を身につける必要がある。例えば、誰かを助けたいと思うようになる、とか。今の俺にはそんな衝動は皆無やし外から観てもそうやと判るやろ。すなわち治安の悪化の一端を担っとるってことだ」

 オトの言葉を否定することができないので、ララナはうなづいた。

「ただし、オト様が全ての治安悪化の元凶となっているということはあり得ません。豆電球のフィラメントが六畳間を温められないように、元凶にも影響を与えるほどの熱量が必要です。前例に照らせば元凶は暴力団やマフィアなど組織的なものでしょう」

「それについては調べとるん」

「最優先はオト様についてですが、わずかながら情報収集しております」

「例えば」

「この町、田創町中区(なかく)では拉致・誘拐による身代金要求事件が一年に二五件前後のペースで起きているようです。国単位でなら驚くこともない件数なのですが、市区町村単位としては異常ですので、なんらかの要因があると考えます」

「それについては地元民の俺から憶測を一つ贈るとしようか。この地方は〈五大(ごだい)旧家(きゅうか)〉という勢力があってそれなりに裕福な家系が多く、周囲にはトリクルダウンから漏れた貧民が多い。一説には、一部旧家がタックスヘイブンなんかで大量の脱税なんかを行って資産を他国へ流出させていることが原因と観ている。で、国も動いて旧家に査察を入れたりしたがそんな事実はないと公表した。下請けや末端企業に勤める人間に取っては国の査察が頼りだったわけだが、『残念』と、いったところやろうな」

「裏がありそうですね」

「ある。俺の経験則でしかないがな」

 オトが壁掛時計を横目にして、「さて、ほぼ無駄話で一〇分が過ぎてまったな。今日はここまでだ」

 オトが掌で玄関を示す。ララナは席を立ってお辞儀をした。

「ご清聴ありがとうございます。明日、改めて伺います」

「期待せず待っとくよ」

「はい──」

 モンブランを作ってきます。ララナはそんな気持を返事に込めて、オトの家を出た。

 玄関扉を閉めると、室内温度と外気温の差を感ずる。身を守る障壁によって肌で温度を感じないが、長年の経験でオトの家の中が涼しかったことは判る。エアコンや扇風機が点いていなかったので魔法で空調されていたのだろうが、オトとの会話に専念していたためかララナは気づかなかった。屋外は一転して真夏の暑さで陽炎が立ち上っている。汗っかきのララナは障壁がなければたちまち滝になるだろう。

 ……それにしても、オト様はなぜ最後にあのような話を。

 一般性の欠如の話題から治安の話題、特に拉致・誘拐による身代金要求事件の話題に移り、ララナの仕事に興味でも湧いたのだろうか、この町の治安悪化の原因についてオトは訊いた。そのあと、五大旧家や貧民の話に続き、国の査察に触れてタイムアップ。

 ……オト様ならタイムアップを計ることができるでしょう。

 話は切りがよかった。あれ以上話していてもオトの憶測を聞いて終わる。憶測である以上は確証がなく、発展がないまま、まさしく無駄話で時間が潰れてしまっただろう。

 ……オト様は、身代金要求事件と旧家・貧民との関係を憶測していらっしゃる。

 戦争によって生じた貧困問題はダゼダダにもあると想像していたが、五大旧家にララナは全く目が届いていなかった。

 ……調べてみる価値がございますね。

 オトが調査に仕向けていることは間違いがない。五大旧家と併せて貧民についても調べる必要があるだろう。

 明日も訪ねることを知らせているのでオトが何かの犯罪行為に及ぶ心配はないとララナは思うが、一方で、ララナの目を余所へ向けて自分へのマークを外したがっているのだとしたらオトの誘導に嵌まることになる。

 ララナは瑠琉乃に連絡を入れた。

「──。それで、オトさんに監視をつけるんですか」

「オト様には筒抜けでしょうが、一応お願いします」

「手配します。が、筒抜けとは」

 オトの自宅前で携帯端末を使って電話しているララナである。声を聞かれていれば監視役の手配がばれているだろうことを、ララナは瑠琉乃に伝えた。

「お姉様、なぜ聞こえてしまう範囲でわたしへの手配を」

 と、瑠琉乃が真剣な声で尋ねた。「監視は隠密が基本ではありませんか」

「隠し事はしたくないのです。オト様に伝えなければ捗ることはたくさんあるのですが、触れられたくないであろう過去をオト様が正直に話してくださったのに、私だけが私の利益を優先してしまうのはフェアではございません」

「しかし……」

 瑠琉乃がわずか黙り、「申し訳ありません。そうですよね、お姉様は、本来は正直な方だったんですよね」

 悪神討伐戦争が起こる前、ララナは密かに神界へと赴いてジーンとの戦いに備えていた。そのために、家族や友人には学歴や行動を包み隠していた。嘘を、つき続けていた。

「お姉様は本当は、嘘なんて──」

「妹のあなたにまで嘘をついた。それが私です。信じてもらえないのが当然ですからあなたが責めを感ずることはございません。そして、私はそれを望みません」

「お姉様……」

 瑠琉乃が、改めて請け負う。「監視の手配をします。ほかにも何かあれば、是非ご用命を」

「……瑠琉乃ちゃん、ありがとうございます」

 瑠琉乃が通話を切るのを待って、ララナは携帯端末をワンピースのポケットにしまった。

 日向像に人員配置の話を通して間もなく監視役が到着、オトの家もとい緑茶荘一〇二号室の前に佇んだ。それを見届けたララナは、この町の旧家と貧民について調べるため図書館に足を運んだ。

 こぢんまりとした田創町立南区図書館、略して町立図書館は平日の昼下り(ひるさが  )とあって人気が少ない。外壁の(ひび)や内装のくすみが古めかしいのだが、ノート型パソコンが設置されており情報収集の場としては十分な役を担っているようである。

 ……まずは地元の雑誌や新聞ですね。

 ダゼダダについて軽く調べたことがあるが、悪神迎撃要請を行う可能性が高い組織に情報収集が偏っており、オトの言っていた五大旧家についてララナは基礎知識がない。よって、まずはその五大旧家がどの家系なのかを調べることにした。携帯端末でも調べる予定だが、地元の文書では著者の迫り方から対象との関係や性格、側面から裏側、見えざる陰に至るまで細かな情報が入ってくることもある。

 古い地元紙のコーナにやってきたララナは、本棚の前に見覚えのある顔を見つけた。向こうもララナに気づき、図書館ともあって小さな声を発した。

「あなたは──」

「二室さん、こんにちは。先日はお世話になりました」

「聖さんでしたか、こんにちは」

 オトの元友人でも保育園時代から付合いがあったいわるる幼馴染(おさななじみ)二室ヒイロである。

 二室ヒイロの手には地元の古新聞。

「何か調べていますか」

「……あなたに話をしてから少し気になってしまって」

 掲げられた新聞記事には、

「〔五大旧家、出資〕ですか」

「この話、知ってますか」

「いいえ。二室さんのお時間がよろしければ、お教えください」

「興味があるんですね」

「(偶然にも)私の調べたいことと一致しております」

「解りました。じゃあ、これと、これと……、これも」

 と、二室ヒイロが新聞記事を手際よく手に取って、「テーブルへ行きましょう」

 ララナはうなづき、二室ヒイロと隣り合った席についた。二室ヒイロが新聞を広げ、内容に沿ってこの町の歴史を説明していく。

「五大旧家を語る上で六四年前の戦争は外せません。それについては聖さんも知ってますか」

「強い力を持つ国、レフュラル・テラノア・ダゼダダによる〈三大国(さんたいこく)戦争(せんそう)〉ですね」

「はい、それです。当時、ここ田創町は戦火に見舞われ、半壊滅状態に陥りました。田創町の復興に尽力したのが五大旧家なのは知っていますか」

「存じませんでした」

「と、いうことは、戦時に活躍した家系も」

「はい。ダゼダダの方方に比べれば詳しくはございません」

「では、最初からですね」

 一番古い新聞を広げた二室ヒイロが見出しを指差した。

「〔立法府采配 功ヲ奏ス〕とは」

「当時の政府を評価した記事です。采配というのは、戦前から政府に防衛機構開発を委ねられていた五大旧家の一つ、(こと)()()家を戦線に送り出したことを示しています」

「言葉真家。名前は存じております。途轍(とてつ)もない魔法力を有する家系で、門外不出の魔法技術でもってダゼダダの不利を完全に覆したのだと私は学びました」

 うなづいた二室ヒイロが、思わぬことを口にする。

「この言葉真家、……音君の先祖に当たります」

「──、旧姓ですか」

「今は竹神でしたよね。ボク達が出逢った頃は、言葉真姓でした」

 ……私の思考は穴だらけですね……。

 瑠琉乃からオトの父について報告されたときに、旧姓をちらっと聞いた。戦時活躍した言葉真家に想像が及ばなかったのは、ララナの完全な失念であった。

 オトは五大旧家の子孫。ただし、戸籍上は旧家を抜けた子ということである。

「(あえて旧家側に寄った表現をするなら、除籍した子、ですね──。)二室さんが調べているのは言葉真家のことですか」

「当てずっぽうですが、彼が変わってしまったことに何か関係があるのかもと期待してます」

 二室ヒイロは現在のオトを全く信じていないと先日の聞取りで明らかになっていた。反面、オトの豹変の理由が判らないままでもやもやしており、ララナと話したことをきっかけに調べなくては気が済まなくなったのだろう。今日は平日だ。

「話を戻しますね。五大旧家の子孫はほかにもまだいるんです」

「私が知る人物ですか」

「総君です」

「堤端家も五大旧家の一つなのですね」

「軍の急先鋒であり主力となった言葉真家と違って、戦後、河川や道路の造成・整備事業を一手に担い完遂したのが堤端家です。現在は、世界三大産業の一つ魅神(みかみ)産業の総統の片腕として、ダゼダダ国内で堤端家に勝る家なしとされるほどの大資産家です」

 ……なるほど。

 資産家の息子である総がわざわざ安アパートに越すことはないだろう。それも、オトが入居している緑茶荘にだ。オトの動向を、総は気にしている──。

 二室ヒイロの解説が続く。

「さて、五大旧家の残り三つです。一つ目は言葉真に並ぶ防衛機構開発所を営む相末(あいまつ)家。二つ目は農業の山田(やまだ)家。三つ目は畜産業の矢井田(やいだ)家です」

 三家の活動に関する記事が新聞に散見できた。

「山田というと、山田リュートさんと関係がございますか」

「あ、山田は山田でもダゼダダの国内企業である〈山田食品運送〉創業者の家系で、リュートさんは血縁がないと聞いてます。これに限らず、ダゼダダは領土が狭くて土地由来の着想が少ないので苗字のダブりが結構多いと、昔、歴史の先生がいってました」

「砂漠が国土を分断していますからね」

「そうです。中央県・砂漠県・外周県の三つに分れています。今でも多くの住人は中央県に住んでいて、農林や稲作に従事した家系とされる田中や穂積などの苗字も溢れ返ってます」

「なるほど。では、続きをお願いします」

「相末家は言葉真家とともに戦前から国家に寄与してきた経緯があるんですが、山田家と矢井田家は戦後を食料の面で支えました。ここまでで質問はありますか」

「五大旧家に横の繋がりはございましたか」

 オトが暗に示した憶測が正しいなら身代金要求犯罪の温床を作っているのは貧民に利益を行き渡らせず私利を貪る五大旧家ということになる。五大旧家がばらばらに動いたらそんな状況は成り立たないだろうと考えてララナは二室ヒイロに尋ねた。

「言葉真家と相末家が防衛力強化のために、山田家と矢井田家が農業全般の効率化や発展のために、堤端家がほかの旧家と防衛や販路の観点から、それぞれ連携していたことが知られていますね」

「堤端家を介して全体が繋がっている構図のようですね」

「そうですね。ボク達の通っていた初等部の校舎が五大旧家の出資で建てられたことも地元では有名ですよ」

 ララナも訪ねたあの魔法学園のことだ。二室ヒイロが最初に手にしていた新聞に、それについての記事が載っていた。

「五大旧家はそれぞれ一部系譜と横の繋がりを持っていますね」

「ですね」

 歴史や資産、実際の影響力といった要素で家同士に上下関係が生ずることがあるだろう。

「現在の力関係はどのようになっていますか」

「極端な話、防衛機構開発所を各各運営している言葉真家や相末家は戦争がなければ出番がないので悪神討伐戦争時は俄景気(にわかけいき)で儲かったでしょうけど、前後を観ると低迷の一途だったともいわれてますね。テラノア軍事国の威圧が強まってきた近年は状況が変わっていると思いますが」

 およそ九年半前に遡ればテラノア軍事国は南方に位置するメリーツ闔国(こうこく)に威力を集中していた。ダゼダダ警備国家はテラノア軍事国への警戒を不要と観て防衛機構開発に消極的だったそう。

「堤端・山田・矢井田の三家に取ってテラノアの威圧的な動きはマイナスですね」

「リスク回避の観点で緊急運搬の仕組を作らなければならず維持費も馬鹿になりません。不安が乗っかるとさらに景気が下がってしまうのが三家の悩みですね。戦争の機運が高まれば駆込み(かけこ  )需要から一時的な増益はありますが、長い目で観れば供給の圧迫や絶対量のロスによって減益。飼料・食品の原材料の高騰も起こる。いざ戦争が始まって人材や道路などに実害が出ればコストに見合わない上、さらに体力を削られます。人間の不安や空気の変化を敏感に感じ取った動物がストレスを抱えて生産や品質に影響が出ることもありますから、山田家や矢井田家は余計に悩ましいでしょうね」

 ここ中央県は非常に土地が狭く田創町を含めて四つの町しか存在しない。また、中央県と外周県は広大な砂漠県に分断されており道路で繋ぐことができない。砂漠県にはオアシスが点在しているが物と人の流通は極めて少ない。外周県にも勿論町があり、各家の運営する企業の支社も置かれているが、中央県との人材・貨物の陸路運搬は砂漠県が妨げている。悪神討伐戦争以降、空間転移装置によって大陸を跨いでの輸送が短時間で可能との事実が知れ渡ったが、空間転移装置は技術者・魔導技術・資金が全て揃ってようやく製作・使用可能で、技術者や魔導技術のほとんどをレフュラル表大国の聖産業や神業(かみわざ)産業が独占している現状、五大旧家はダゼダダ国内での空間転移輸送を自力では実現できない。余談だが、それらから判る通り、現在行われている空間転移事業は聖産業と神業産業の占有事業といえる。パスポートの提示と手数料支払が済めば一般人の利用も可能であることはララナも知るところであった。

「──そういった事情があって、空間転移装置を有するレフュラル表大国に各家が支社を置いたりして万一に備えているようですが、それに危惧の念をいだいている専門家も多いです」

「仮にダゼダダとテラノアとの戦争が始まれば、ダゼダダと不戦条約を結んだレフュラルはテラノアへの抗戦と自国防衛・輸出規制等をするために他国との人や物の流れを止める。そうなれば旧家の企業は本国ダゼダダに貨物を送ることが困難となりますから、ダゼダダの状況回復は足踏み。リスク分散の一利を認めますが、専門家の意見は正しいです」

 そこまでで、新聞記事は粗方読み終えていた。

 貧民について知識が得られていないので、博識そうな二室ヒイロにララナは尋ねることにした。

「田創町やその周辺に多いという貧民について、二室さんは何かご存じですか」

「以前からいわれているのは、五大旧家や五大旧家に連なる社会からあぶれていることでしょうか。一部には五大旧家が利益を不正に隠したり搾取しているなんていう現実逃避型の者もいるようですね」

 オトがまさにその者なのだろう。ララナはそれを伏せておく。

「貧民はそもそも職に就けていないということですか」

「ボクはそう考えています。就職して社会の歯車となりまともに回りさえすれば最低賃金は保証されますからね」

「無機質な喩えですね」

「事実として働かない人にお金は行かないですから。最初は無機質でも社会の役に立つことができたなら誰かの役にも立ち、有機的かつ有意義な活動ができます。それを学習した貧民は母を始めかなり多いとボクは考えます」

 習うより慣れろ、と、言い換えることができそうだ。

「二室さんは貧民の血筋ということですか」

「今は中流以上ですが、母が貧民生まれだったのは確かです」

「ご家族の実体験を取り込んだ考えですね。なるほど」

 二室ヒイロの話は主観。貧民の客観的実態はどんなものだろうか。

「貧民についての資料はどちらかご存じですか」

「聖さんは今、貧民について調べているんですか」

「はい。五大旧家と貧民との関係が知りたいのです」

「──もしや、彼に感化されましたか」

 と、二室ヒイロが新聞を折り畳みつつ。彼とは、オトのこと。「昔からそんなことをいってましたからね」

「そうなのですか。昔というと八年前ですか」

「社会の授業が始まった頃ですから、九年前ですね。ボク達は歴史の知識が浅かったので、信頼する彼の言葉を意味も解らず鵜吞うのみにしていました」

 今は違う見解を持っているということ。

「五大旧家と貧民に関係がないと断ずる根拠が二室さんにはございますか」

 と、ララナは尋ねた。

 二室ヒイロが新聞を纏めて、応える。

「先日、総君から彼のことを聞きました。彼は高等部にも通わず、職にも就いていないようですね。それが根拠に成り得ます」

「彼も貧民であるからということですか」

「はい。犯罪に趨り(はし  )、五大旧家から追い出されて、職にも就かずに日日を無意味に過ごしている。そんな彼が最も貧民らしい貧民です」

「歴史の上に根拠はございませんか」

「無論、あります。貧民の多くは戦後復興に携わらなかった人人とその子孫です。五大旧家の出資や国の補助金、さらには復興に携わる多方面の仕事が溢れ返っていた状況で就職難ということはなかった。ですが、戦火に巻かれた被害者感情に胡座を掻いて手厚い支援に縋った結果(おのれ)の足で歩むことを忘れてしまった人人がいた。それが今の貧民に繋がったんですよ」

 貧民の自業自得ということか。

 ララナは二室ヒイロに断って携帯端末を手に取った。ダゼダダ警備国家の貧民と富民の割合を所得から統計してグラフ化したサイトを検索した。

 ……砂時計型のグラフになっていますね。

 下流階級と上流階級が非常に多く中流階級が少ないことを示すグラフの形から取って砂時計型社会と呼ばれる状態になっているダゼダダ警備国家。年齢別で観ると高齢者の所得に大きな開きがあり、若年層に向かっていくと少しずつ差が埋まっている。これは二室ヒイロの意見を裏づけるデータで、貧民は代を追うごとに学習して就職するようになったということ。また、五大旧家を纏める高齢者も働きに応じた高所得を得ているということだ。一方、六五年前・三大国戦争勃発前年の世帯別所得統計グラフは中流階級が大部分を占めるダイヤ型だった。ダゼダダは三大国戦争を経て、社会構造が大きく変化した国といえるだろう。

「何か判りましたか」

「はい。二室さんの考えが正しいようです」

「裏づけを得られたようですね。これが、専門家を始めとする一般的な考え方です」

 ……一般的──。

 データを観る限りオトの見方は間違いである可能性が高い。が、

 ……オト様は言葉真家にいらっしゃった。

 二室ヒイロが貧民の血筋として主観的に知り得たことがあるように、オトは五大旧家の内情を何か知っているのではないか。その上で、公開されている統計データとの食い違いを捉え、現在の見方を得たのだとしたら、そちらのほうが正しいということもあり得るだろう。客観的データを信頼すべきことは多いが、

 ……公のデータを信ずるのはまだ早いですね。

 幸い堤端家の末裔である総ともララナは知り合っている。身内の不正を知っていても素直に話してくれるとは考えにくいが、総を介して調査進捗の機会を作ることもできるだろう。

 ララナは席を立ち、

「いろいろとお教えいただきありがとうございました」

 と、二室ヒイロにお礼を言った。「私はお先に失礼します」

「はい。ぼくはついでに本を借りていこうと思うので、ここで」

 笑顔の二室ヒイロと別れて、ララナは商店街へ。総を訪ねるには早すぎるので明日のモンブラン作りに備えて材料の買出し(かいだ  )に向かう。

 

 

 魔法の実力・学力ともに認めらた首席とは言え連日休むわけにはいかず、学園に顔を出していた堤端総は帰り際になって携帯端末を確認、二室ヒイロから着信があったことに気づいた。連絡を入れ、図書館にいると言った二室ヒイロと合流し、聖羅欄納と遇って(あ  )何を話したか聞いた。

「──彼女が貧民と富民のことを」

「聖さんはまだ歴史背景や現状に疑いを持ってるかも知れない。ボクより幼い外見をしてたけど立居振舞に隙がなかったし、昼に出歩いてたから社会人かも」

「ヒイロが社会人だったなんて知らなかった」

「国民性に反してグレてるだけだよ」

「調べ物をすぐに済ませたい勤勉さは君らしく国民性を体現してると思うよ。それはともかくご明察、彼女は二三歳の社会人だ。近年は復興ボランティアに従事してきたらしい」

「本人から聞いたの」

「昨日までに母さんに調べてもらった。敵意は感じないしいい人だと思うが念のためにね」

「念のため。なんの」

 と、二室ヒイロが新聞を畳みつつ。「本当に五大旧家が不正をしているとか」

「ぼくは末裔ってだけで堤端産業の内情は知らないさ。不正をしていたとしても知らされるわけがない」

 発言に嘘はないが、堤端総は反射的に親を庇うような物言いになった。聖羅欄納の行動で親が追いつめられる危険性を、子の立場から食い止めたい。あらぬ疑いならなおさらだ。

「もしだけど」

 二室ヒイロがテーブルの上で手を合わせた。「もししていたら、総君はどうするつもりなの」

「……判らない。だってそうだろう、両親だよ……、大事にしない理由にはならない」

「そうだよね……、ごめん」

「いや、いい、ぼくこそ気を遣わせて、すまない。連絡、ありがとう」

「ううん。ボクはボクで──」

 二室ヒイロが途中で止めたのは、

 ……オトのことか。

 堤端総は、二室ヒイロに礼を言って帰途についた。

 ……みんな、オトのことでまだ悩まされているんだな。

 

〔──。

 初等部で魔法の授業を受けた日のこと。

 やっとまともに魔力集束ができるようになった児童が、グラウンドでそれぞれの魔法を放つという実技だった。炎、氷、雷、水、風、岩──、誰もが一メートルも飛ばない、戯れのような魔法を放って悦んでいるレベルであった。

 それは唐突だった。黒い塊がグラウンドに飛来した。魔物だった。総達の前でゆっくりと体を起こした黒い塊は、容赦なく児童に襲いかかった。悲鳴が上がって、グラウンドはパニックに陥った。

 誰一人、傷つくことはなく、黒い塊は光の粒子を放って消えていった。それは唐突だった。現れたときのように、流星の如く空に消えていった。

 総は観ていた。隣のオトが目振る間に右手を翳して障壁を展開し、魔物を弾き返すのみならず、障壁に触れた魔物を消滅に追いやっていたことを。

「みんな、大丈夫」

 障壁を消して皆の無事を確かめた彼は、「よかったぁ」と、会心の笑みだった。

 オトの魔法に教員も驚き、当然のように児童は彼を称賛し、場は歓喜の渦だった。

 ──。〕

 

 豹変した彼を止められたかも知れない。そんな後悔を感じている堤端総と同じように、何かできたことはないか、と、二室ヒイロも考えてしまったのだろう。

 ……ヒイロは、ララナさんと会ったからだろうか。

 聖羅欄納に竹神音の過去を話すうちに、否応なく言葉真音豹変への解釈を見直すことになっただろう。昔でこそ「よく解らない」の一言で済ませて言葉真音と距離を取り何事もなかったことをもって自身の行動が正しいと思い込むことができたが、じつのところなんの解決にもなっていなかった。言葉真音の豹変の原因は何か、なぜ学園を支配したか、なぜ、()()()()()()()()()()()()()()()()。考えることを放棄して、言葉真音から目を背けることで、逃げることで、解決した気でいたのだ。

 竹神音が元通りになるとは思えないが、過去を振り返らず生きるため改めて考えることが堤端総達には必要だろう。

 ……ララナさんともう一度話す必要も。

 二室ヒイロには言わなかったが、魅神産業に並ぶ聖産業の令嬢が聖羅欄納であることを堤端総は知っている。また、最難関といわれるレフュラル魔法学園頂等部を一〇歳にして首席卒業していたということも──。

 ……彼女は、まるで、オトのようだ。

 溢れんばかりの才能がある。堤端総達が幼い頃一緒に遊んでいた言葉真音は、どこか聖羅欄納に似ていた。賢くて、笑顔が眩しい、可愛い子だった。聖羅欄納は、そんな言葉真音を彷彿とさせた。

 ……だからぼくは彼女が気になったんだろうな。

 保育園児の頃、堤端総は初めて目にした言葉真音に目を奪われた。最初は女の子かと思って声を掛けて、男の子だと知ったときは壮絶なショックを受けたものだが、やがて言葉真音のリーダーシップに憧れて、言葉真音の友人に、そして、親友になっていった。

 ……ぼくは……、……ぼくは、どうすべきだ。

 言葉真音の面影を想起させる聖羅欄納に協力したい。

 言葉真音の豹変の裏側を知りたい。

 両親を助けたい。

 どれも本心から願っている。が、堤端総は予感した。どれもが同時には成り立たないと。

 どうすれば一番望みに近い未来を得られるだろうか。

 ……二兎を追う者は一兎をも得ず。ぼくは、──。

 

 

 

──四章 終──

 

 

 

 

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