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一四章 師匠

 

 悪神討伐戦争末期、一二英雄は気を失っていたため、そのあと現れてララナの暴走を抑え込んだオトの姿を見たことがない。オトの介入によって救われたことはララナが伝えたが──。

「まさか、貴様が〈オト〉だとはな」

「ああ、なるほど。状況が見えてきたわ」

 オトの察しを語らせることもなくラセラユナが剣を揮う。

「貴様が死ねば過去が変わるのだろう。是非を問わず、わたしは時遡介入をよしとはしない」

「そ」

 ラセラユナが操る高速の剣技は神神の追随を許さぬほど洗練されている。それを顔色一つ変えずほぼ一定の位置で躱しきっているオトは、魔法の才もさる事ながら武術の才もまざまざと見せつけているといえよう。

「神経を逆撫でしてやるのが俺の得意技やけど、さて、お前さんに効果的なのはなんやろな」

「ふんっ」

 刃に乗せて揮われた無造作な闇属性魔法が空間を黒く染める。その間にラセラユナがオトの背後に滑り込み腰を一突きする。だが、闇がオトの右手に吸われるようにして消えるとラセラユナの剣は虚空を突いていた。

「言っとくけど、お前さん如きの剣じゃ当たらへんよ。見飽きた類のフェイントに想像圏内のありきたりな連撃。それで一二英雄なんてよくもまあ。──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「貴様……」

 冷酷なまでに冷徹な冷静さを崩さないのがラセラユナだが、ウィークポイントとなる怒りを膨張させてしまう事柄がいくつかある。それが、弟子であるララナのことと兄弟姉妹に対する不当な評価。ジーンは、ラセラユナの兄であるから──。

 記憶の砂漠によってオトはその関係を知っているのだろう。

 オトの攻め方が主観によるものへと変わる。

「お前さんの魔力、九年前のものより遥かに強くなったな」

「九年前からわたしを知っていたと」

「あれほどの魔力を察せられんヤツがおったのかね」

「貴様はダゼダダにいたのだろう。惑星内とはいえ、わたしの魔力を探知できたと」

「離れた星でも判る。メリーツ領海の個体魔力を感ぜられんわけがない」

「あの熱源体のときか」

「その辺りにおったのを感じた。人型複数を含め、魔物の気配も感じたね」

「惑星を丸ごと精細な魔力探知に掛ける才は神の領域。貴様は人間ではない」

「一応人間として生まれたはずやけど、どこで間違ったか化物崩れになったんよ。あいや、九年前はまだぎりぎり人間もどきではあったか」

 吸収した闇属性魔法をオトが魔力に還元して環境を正した。

「ならば化物とやらの力を見せてみるがいい。わたしは貴様を殺すつもりで来た」

 ラセラユナがレイピアに悍ましいほどの闇属性魔力を凝集させていく。悪神総裁ジーンを討滅に導いた一撃の、準備段階。

「無魔力も同然の魔力を潜めた状態では跡形も残らぬ一撃だ。準備はいいか」

「そもそも俺は魔法を無駄遣いする気がない」

「そうか。では逝け」

 次の瞬間、ラセラユナがオトの首根っこを摑んで取り押さえてレイピアを突き出す。

「当たらへんって──」

 オトの胸に当たったレイピアの先端があたかもガラスのように割れて、ラセラユナが後退。

「貴様も全耐障壁を、」

 オトの体表面には、ララナを覆っている全耐障壁があった。

「否、ララナお前か」

 ラセラユナが嘆息した。

 背後からオトの左手を握ったララナは、自分が纏っている全耐障壁を彼にも纏わせたのである。ただし、成功するか不確かな手だった。

「どうやら理屈が合っていたようで、幸いでした……」

 全耐障壁の対象はララナであるが、魂の器である肉体の表面が効果範囲であるため、魂を分ち合ったオトにも効果を広げることができる、と、踏んでララナは彼に触れた。

「ぶっつけ本番か」

 オトがララナを見下ろして、「前に手を握ったときのことを思い出したんかと思った」

「あ、あのときはそこまで気が回りませんでした」

「著しい視野狭窄やな」

「お恥ずかしい限りです……」

 いまオトと視線を交えたら腰が抜けそうなのでララナはラセラユナに目を向ける。

「セラちゃん、もう、やめてください。この障壁はお兄様の力で作られたものですから、決して崩せません」

「……知っている」

 ラセラユナが諦めたように剣を治め、オトを見やる。「貴様、ララナが止めに入らなければどうするつもりだった。動く気配がなかったが」

「そりゃ、刺されるつもりやったもん」

 ……やはり──。

 ラセラユナの一撃に死を求めたことをオトの言葉から察して、ララナはとっさに体を動かしたのである。

 ラセラユナはオトの心裏を全く知らない。

「愚かな。抵抗もせずに殺されると」

「問題あります。ジェラシの原因を消せればあなたは助かるでしょう」

 ……セラちゃんが、オト様にジェラシですか。

「陰険口調で勝手な物言いをするな」

 ラセラユナがオトに詰め寄る。「腹を曝せ。貴様は過去を変えるのだろう。すぐに諦める姿勢と矛盾している」

 ……それは。

 現在のオトには未来改変の意志がないので当然だ。

 ところが、

「お前さんに止められる程度の姿勢なら、いずれ誰かに止められるやろ」

 と、オトが言ったから、ララナはどきりとした。

 ……オト様に、未来改変の意志が芽生えていらっしゃる──。

 そう取れなくもない言葉であった。さらに、オトがララナの手を握り返して言うのである。

「どうやら俺のことはこの子が守ってくれるらしい。どうやっても時遡介入を起こすよ」

「──ララナ。お前はそれでいいのか」

 ラセラユナがララナの意志を問う。「時遡介入、未来改変は許されざる行為だ。お前は至公だと掛値(かけね)なく思っていたのだがな」

「セラちゃんが思うような清さはございません」

「……。そうか」

 ラセラユナが一歩下がって剣の柄から手を下ろした。「アデルの障壁には手が出ぬし、ここは退くとしよう」

「そこそこ愉しかったわ」

 と、オトが言って玄関扉を開けた。「喧嘩するならまた今度。暇やからいつでもいいよ」

 ぱたん、と、扉が閉まった。

 ……あ。

 さりげなく手をほどかれていたことにも気づかずララナはオトの背中を見送ってしまった。ラセラユナが横につき、一〇二号室の玄関扉を並んで見つめる。

「変な奴だな」

「私は、よいと思います」

「──お前のほうだったのだな。時遡介入を意図していたのは」

「……。はい」

 ラセラユナは、オトの言葉で察したのだろう。オトの言葉は過去へ介入する意志が自身にあると取れる反面、ララナの行動があってこそであるとしっかり伝えていた。

「セラちゃんがそういった介入を好まないことは知っております。ひとは今を全力で生き、道を作っていくものだと私も考えます。しかし、過去が変えられないこともまた事実なのです。オト様が止めてくださらなければ私は暴走の果てセラちゃん達を殺め、そのあとも、破壊と殺戮を繰り返したでしょう。どこでいつまでそれを続けるのか、想像もつきません」

「罪の軽減を狙ったこととは言わぬが、そう観る者もいるだろう。亡くなった悪神や、その仲間などは特にな」

「お心遣い、ありがとうございます」

「絶対の善、過つことのない正義、純然たる行動、現実の全てがそれらによって形作られているなどと考えてはいない。理想は大事だが、大いなる善には大いなる矛盾が伴うものなのやも知れぬ」

 ラセラユナが歩み寄りを見せた。「わたしは飽くまで時遡介入を認める立場にないが、お前が汚れていようと弟子であることに変りはない。思いつめることだけはするな」

 時遡介入を実質的に容認する言葉であった。

 ララナは、

「……」

 深く頭を下げて、意志を示した。

 ラセラユナを部屋に招いてお茶を出したララナは、彼女と向かい合ってテーブルにつく。

 緑茶を一口飲んだラセラユナが、疑問を口にした。

「あの熱源体を逸らすため、メイは全力を尽くした。熱に当てられたこともあり額に限らず汗塗れだった。対してオトはどうだったか」

「と、いいますと」

「殺意を気取り萎縮する筋肉、死に追いやられる恐怖、緊張に促される発汗。そういったものが全く見受けられなかった。魔力を潜めたままでわたしの剣術と魔法を見切っていたことからして余裕の顕れとも考えられるが……、どちらにせよ、自称化物崩れ、言い得て妙だ」

 ジーンとの関係を知られていたこともラセラユナは気に掛かっていたよう。「彼奴(あやつ)はいったいどういう存在だ。お前の全耐障壁を纏えるということは……」

「はい。──」

 彼女も悟っているようなのでララナは隠さず伝えた。

「やはりか……。お前は八年前に気づいていたのだろう」

「触れられること以外に根拠がございませんでしたが、はい」

 創造神アースの転生体だとララナが知ったのは、惑星アースの遺跡に遺されていた創造神アースの手記を読んだ。それによれば、創造神アースと創造神アースに創られたごく一部の存在は魂に干渉する力があり、なおかつ、創造神アースには他者の魂を吸収して己の力とする()()()()があった。ララナには、その特異能力があったのである。

「魂を分ち合ったがゆえか。彼奴はお前と正反対だな。死を平気で受け入れるなど……。それが、お前が捉えた罪の意識か」

「ご本人から伺うまで私から情報を引き出そうとしないでください」

「いいだろう。こそこそと嗅ぎ回るのは戦時のみだ」

 ラセラユナが首を傾げる。「ふむ、時系列からして、創造神アースの魂を分つなどアデルにしかできまいが、彼奴、(おくび)にも出さぬとは」

「魂の二分はジーンさんの仕業だったようなので当然ですね」

「何……、ジーンが裁者だったというのか。お前はどこでそれを」

「オト様にはあらゆるモノの記憶があり、ジーンさんの記憶から事実を捉えられたようです」

「化物崩れとはほんにうまく表現したものだ。わたしの弱みも、わたしか関係者の記憶で知ったのだろう。無関係の者に情報を握られているのは不気味この上ないな」

 オトを敵視しているラセラユナを、ララナは咎める。

「先程のオト様の行動は至極当然です。いきなり攻撃を仕掛けられれば誰でも相手の弱みを衝きたくなります。至極まっとうな対人戦略ですよ」

「弟子がやられているのだから、わたしのほうが先に仕掛けられていた」

「オト様が仰ったジェラシについてはなんと弁明しますか」

「あれは彼奴の狂言だ」

「私の経験上、オト様の言葉が嘘以外で事実と異なることはございませんでした」

「すっかり彼奴に入れ込んでいるのだな……」

 呆れた目差を向けるラセラユナ。

 ララナはお茶を一口。

「あるいは、信じたいだけなのです」

「ジェラシ云云はお前とわたしを衝突させるための虚言と思え。──彼奴は油断ならぬ」

「実感しております」

「どうなるか知れぬぞ」

「はい。それでも、私は彼をお助けしたいと思っております」

「……ふむ」

 ラセラユナもお茶を一口。意を決するように湯吞を置いて、

「わたしも協力することにしよう」

「セラちゃんが協力ですか」

「意外か。攻撃を仕掛けておいてと」

「いいえ。頼もしいです」

「理由を訊かぬのか」

「弟子だからですよね」

 ララナは微笑で窺う。「あえて申しますと、オト様が創造神アースの転生体だと判ったからでもあるでしょう。セラちゃんに取って創造神アースはお父様なのですから」

「察しがよくなったな」

「オト様に鍛えていただいたのかも知れません。当たっておりましたか」

「完璧だ。お前の成長の早さにはいつも驚かされる」

 ラセラユナもわずかな間を微笑。「頼もしいのはこちらとて同じだ」

「運命とは恐ろしいものですね」

 出逢いはララナが物心ついて間もない頃。行き倒れ寸前のラセラユナを介抱したのがきっかけでジーン討伐計画に参加することになった。

「彼奴がお前と同じであるなら、わたしを相手に動ぜぬのも合点がいく。魔力の成長速度といい物事の吞み込みといい、お前は人並外れていた。(けん)(そう)(きゅう)体術(たいじゅつ)から魔法まで一度観ただけで会得し、わたしの教えていないことまでも次次身につけていた」

「ですが私には社会勉強が不足していたのかも知れません」

「一般科目もそれなりに優秀だったのだろうが」

「一三年の月日が移ろいゆく社会を大きく変えていました。綻びの多い網は経年劣化も加わって魚を逃していたことを実感致しました」

 オトと出逢い、ダゼダダの貧富の差とその要因を知るにつれて、ララナは己の学んでいた戦闘技術や戦争を有利に運ぶ知識が飽くまで神界でしか通用しないものなのだと思い知らされた。国家の関係を学んではいたが、学園に在籍していた一三年前までと全く同じということはなく、似たような状況があったとしても複雑に絡み合った構成要素は要因ともども異なっているのである。それでは現代を理解しているとはいえない。

「なるほど。打ちのめすと同時に、彼奴はお前を成長させもしたのだな」

「それがオト様の意図かどうかは測りかねますが、オト様のお蔭さまと存じます」

 オトと過ごしたここ一週間は、悪神討伐戦争に向けて動いていたときより遥かに、ララナをわくわくはらはらさせている。

 ラセラユナがララナの顔を満遍なく見て、

「うむ、顔が変わった。不信ばかりではなくなったようだ。──感情を面に出せるようになったのだな。自信に満ちたお前をわたしは信頼したが……反面、つまらなそうな顔で動いていたことには懸念をいだいていた」

「そう、ですか」

「勿論、人好きのする笑顔はあった。だが、それはまやかし。他者に気を遣わせまいと、不幸にすまいとして、自分は平常だと示す笑顔だった」

「……そうですね」

 その昔、そのことで師匠であるラセラユナを責めた仲間もいた。そんなときですら、ララナは平気を装えていた。自分にも他者にも、無感情で、無関心で、無神経だった。

「今は違うな。それも、彼奴のお蔭か」

「はい」

 ララナはうなづき、笑った。

「……うむ、それならばよい」

 ラセラユナも微笑して、澄ます。「アデルのところで再会したときは海の底に沈んだかのようだったが、それはそれで感情を面に出せていた証で、健全だな。お前は笑顔が標準であったから、すまぬな、わたしは彼奴の責任だと早合点してしまった」

「でしたら、オト様に直接謝りに参りましょう。必ず許してくださります」

「……抵抗があるな」

「謝ってください」

「むぅ……」

 お茶を飲んでごまかそうとするラセラユナに先んじてララナは立ち上がる。

「さあ、参りましょう」

「わたしは行くとは言っていない」

「オト様は素直でないひとがお嫌いです。素直になってください」

「いや、わたしはもとから素直ではないから嫌われても──」

「仲良く致しましょう」

 ララナはラセラユナの横に立って、「お父様の生まれ変りなのに仲違いしたままだなんて、切ないではございませんか」

「お前との仲が良好なら十分ではないか」

「半面で笑い半面で睨むのでは双方に真偽を疑われます。争いの種を蒔くようなものですよ」

「清いな。建前や偽装に塗れた姿と似て非なれば有害に等しく却って争いを招きかねぬ厄介な性格だが、……はぁ。解った、行こう、謝ろう、ただし」

 ラセラユナが立ち上がって剣を示した。「これは弁償させねば気が済まぬ」

「そちらも合わせてお願い申し上げましょう」

「止めぬのだな」

「刃折れは私の責任もございます。それに先程も申しましたが、オト様は素直なひとがお好みです」

「素直でない女が素直に言ってどう受け取られるやら……。足が重いが、参ろう」

「ええ、参りましょう」

 ララナとラセラユナは、そうして再びオトを訪ねる。呼鈴を押して数秒経つと、オトが顔を出した。

「少しまともになったな」

「誤解による非を謝りに来た。すまなかった」

 ラセラユナが早早に頭を下げた。「が、剣は弁償してくれ」

「早早に顔を上げて言うことかいな。別に構わんけど」

 オトが口に手を当てて欠伸。「剣、貸してみ。俺が直すわ」

「何、貴様が」

「ったり前やん。鍛冶屋なんかに頼んだら馬鹿にならん割れ方しとったのはちゃんと観とったわ。自分で直したほうが金も時間も掛からん。やから、ほら、貸してみ」

「フィアリアの名剣なのだが……。よかろう、どの道このままでは使い物にならぬ」

 ラセラユナが剣を抜き身にして、柄を上にして軽く放り、それをオトが右手で摑む。

「重いな」

「再起不能にするのは常に重さだ」

「真理やな。それにしたって一トン近くあるやん、これ」

 ラセラユナの武器は最低でもその程度の重さがある。

「セラちゃんの武器は、普通の神では持ち上がらないようなものもございます」

「このくらいは序の口ってわけか」

 と、オトが感心したように言うと、ラセラユナが透かさず指摘する。

「貴様もやすやすと持っているではないか。貴様の足下、」

 コンクリートのポーチは綺麗である。「刃の衝撃を体で打ち消していた。剣を観た瞬間か握り手の間隙や風を頼りにして重さが判ったのだろう。存外、貴様も扱えるのではないか」

「うーん、どうやろ。最近剣なんか持っとらんしな」

「包丁はお持ちでしたね」

「嫌みか」

「いいえ。刃物と申しますとそちらのみと存じ上げていた次第です」

「それもそうか。また焼きそばの件を掘り返す気かと思ったわ」

「股焼き(そば)の下りとは下り坂に刃物を並べて咎人を滑らせる拷問か何かか。戦線を退いた弟子に物騒な話を聞かせるな下郎」

「脈絡。どんな脳内変換したか知らんがそんなブッソスな話してへんよ」

「ならばよいがな万一なら滅ぼすぞ」

「セラちゃん、その眼はメですよ」

「睨んではおらぬ、生来だ。で、貴様は剣を扱えぬのか」

「判らん」

「振ってみればよかろう。戦神ゆえ、力量を見定めてやろう」

 ……セラちゃん、威圧的な笑顔で煽るのはいかがなものでしょう。

 ジェラシ云云が滾っているのだろうか煽ったラセラユナである。それに応えるように草履を履いて外に出たオトが、空に向かって一回素振りをした。ぶれない剣筋、陽光の反射は瞬間虹のように鮮やか。

 戦神らしく戦闘技術に関するラセラユナの観察は公平であるがやや感情が覗く。

「刃に負担を掛けず斬り裂くに容易い、ぶれのない太刀筋。謙遜が過ぎるぞ」

「いや、その子も言ったがほんとに最近は包丁しか持っとらんもん」

 と、オトが言ったか否か、上空を漂う巻層雲(けんそううん)にまっすぐの亀裂が横並びに三つ入った。

「っ、オト様、今のは──」

「ん。ああ、俗にいう〈真空斬(しんくうざん)〉やよ」

 真空斬というのは〈剣圧(けんあつ)〉──剣で圧縮した空気──を飛ばす剣技だ。横長の穴を空けた箱から押し出された空気に似た性質を持つ楕円剣圧(だえんけんあつ)は、前に進むにつれて空気の圧縮と威力が弱まる。人間の使うそれは五〇メートルも飛べばいいところである。

「音も立てず三つ、視界の限界まで放っただと……」

 ラセラユナが評価した。「変形しながら進む楕円剣圧は横並びに放つことができず速度も伴わぬ。つまりあれは、剣全体を使うことで放ち速度と威力を増した筋剣圧(きんけんあつ)、文句のつけようもない技術だ。……あれで狙われればジーンも容易く来世だったな」

「無音化はともかく、真空斬なんか誰でもできるやん」

「熟練度が貴様の域に達する前に人間の寿命は一〇〇回尽きる」

 真空斬を習得できる剣士は決して多くない。二人の見方は「できる者」の理屈である。

「そんなことより」

 と、オトが剣をラセラユナに放る。「直ったよ」

「……」

 ラセラユナが受け取った剣は、刃折れどころか()(こぼ)れの一つもなく直っている。

「いつの間に……」

「お前さんの見ぬ間に」

「貴様から目を離したのは雲を見上げた一瞬だが」

「ん、そのとき直した」

「魔力を感じなかったが」

「必要ないもん」

「折れた分の刃はどう増やしたのだ」

「欠けた刃が落ちる前に回収しといたから再利用したよ」

「あのとき貴様は屈んでいなかったが空間転移か」

「そんなことに魔法なんか使わんよ、もったいない」

「……おい、此奴はいつもこうなのか」

 と、ラセラユナがララナを見やる。「お前が自信喪失する理由が解った気がする」

 オトの実力は、ラセラユナの眼をもってしても測ることができないのである。

「なんの話」

「済んだ話です」

 と、答えてララナは話を戻す。「オト様。急襲の件、私からも謝罪を申し上げます。セラちゃんが誤解した原因は私だったのです」

「別にいいよ。俺の邪魔をしたのはさておき、襲撃なんか今に始まったことやないし」

 妙な寛容さだった。「お前さんはいい仲間に恵まれとるんやし、そっちを大事にしぃよ」

 言うやオトが扉を閉めようとするので、ララナは顔を突っ込んで妨げた。

「んぎゅっ」

「……それ、二回目やぞ。勉強しぃよ」

「そ、そにょ、」

 ()()したらしいオトは、ララナが痛くない程度で止めた扉をすぐに緩めもした。

「刃折れの件は私にも責任がございましたのに、肩代りしていただいて──」

「何もせず殺されようとした俺の行動がお前さんに守備をさせたんやから、俺の責任やろ」

 オトらしい追及論もとい理屈だ。「じゃあこれで──」

「そのっ、私、まだお話がございます」

「ん……、お前さんのしつこさは知っとる。やから一つ条件つきで話に乗るよ」

「何をお求めですか」

「手作りだと地味にメンドーなエクレア」

「悦んで。しばしお待ちください」

「満月の瞳が眩しいな」

「申し訳ございません」

「謝ることでもない。じゃ、またあとで」

「はい」

 オトが扉を閉めるとララナは急いで自宅に戻り、悦び勇んでエクレアを作り始めた。

 調理が進んでカスタードの固さ調整に入ったララナに、様子を眺めていたラセラユナが声を掛けた。

「彼奴との話し合いでは菓子折が必要ということか」

「はい。私のお菓子が商品、話を聞いていただくことが代金ということです」

「ふむ──。あのなりで菓子が好きとは面食らった。それも、彼奴の口振りからしてエクレアの作り方を知っているようではないか」

「そうですね。オト様なら作られるでしょう」

 カスタードクリームがノロッと纏まってきたので火を止めて粗熱を取る。

「なぜお前に作らせる」

「お気に召したのかと」

「お前の菓子は確かにうまいが、わたしは口実と捉えた」

 ララナと話すための。

「そうだとしたら私としてはとても嬉しいことです。ただ、オト様が手間を省きたいだけかも知れません。手間を省くことと私と話すことでは後者が安いと思しとも……」

「……前言撤回だ」

「なんのことでしょう」

「気づいていないのならお前に問題がある。自分で考えろ」

 ラセラユナの言っていることが理解できず、ララナは一応うなづいた。

「解りました。考えます」

「ああ。何事も考えぬ奴に未来はない」

「はい」

 彼女からさまざまなことを教わっていた幼い頃を思い出して、ララナはうなづき直した。

 未来。

 話していたら、少しだけ道が見えた。

 ……オト様に幸せになっていただくために、私がどうすべきか。

 オトが閉鎖的な環境で孤独になっているのは間違いない。距離が近づいているはずのララナが彼を独りにさせず、口を閉じている状態を少しでも減らしてあげなくては、悪い状況が何一つ変らず精神状態を改善させられないだろう。多様な人生に同じ幸せはないとしても、彼の意識の変化を促さないことには彼の幸せはやってこないだろう。

 ……意識の変化。このお菓子が、一助になりますように。

 焼き上げて粗熱を取ったシュー生地に冷蔵庫で冷やしておいたカスタードとホイップをおよそ三対二の分量で詰め、溶かしたチョコレートに片面をつけると冷蔵庫で冷やし、パウダーシュガを振りかけてエクレアが完成。九つのエクレアを大皿に移してオトの家を訪ねたのは、真冬ながらぎらつく太陽を望む昼前であった。

 呼鈴を押す前にオトが扉を開けて、

「やっと来たか。早く入って寄越せ」

 と、エクレアへの期待を窺わせた。

「っふふ、畏まりました。お邪魔致します」

「邪魔するぞ」

 ララナとともにラセラユナも入室したことにオトはなんの反応も示さなかったが、ダイニングのテーブルセットに椅子が一つ増えていた。

「オト様、わざわざ椅子を作ってくださったのですか」

「わざわざというほどのもんでもないやろ。そんなことより早く座れ。お前さんはこちら、そちらさんはそちら」

 先に座ったオトが、彼から見て左前の席をララナに、正面の席をラセラユナに勧めた。ラセラユナが座るのを認めたララナは、エクレアを載せた平皿をオトの前に置いて席についた。

「どうぞ、召し上がってください」

「外観は普通やな。上に掛かっとるのはいわゆる泣かない粉糖か」

「はい。田創町は気温も湿度も高いので冷蔵庫から出すと結露して糖も泣きます。玄関前での待機時間を計算しての対策です」

「ふむ、シンプルながら見た目もこだわると。……何か普通と違う香りがするね」

「お気づきですか」

「バニラビーンズじゃないな。生地、いや、チョコか」

「両方です。どちらかと申しますとチョコレートのほうに香りが入っています」

「なんとなく懐かしいこれは──」

「おい」

 と、ラセラユナが口を挟んだ。「問答はいい。寄越せと言っておいて食べぬのか」

 オトが首を傾げた。

「寄越せという言葉は、そちらからこちらに渡せという意味であって早く食べさせろという意味に限定されとらん。言葉の解釈が足りんようやね」

「む……。よかろう」

 ……セラちゃんがやり込められています。

 ララナとしてはかなり希しい光景を目の当りした心地であるのだが、自分がやり込められてしまったのもオトが初めてなのだから驚くことでもなかったか。

「まあ、お前さんの言いたいことも解る。俺も食べたくないわけじゃない」

 ラセラユナの意見を聞き入れて、オトがララナを窺った。「九つあるが、これはお前さんとそちらさんの分もあると考えていいな」

「お気に召しましたら、私の分はお取りくださいませ」

「ん、解った。と、いうことで、さ、食べよ」

 オトがエクレアを手に取ると、ラセラユナも手に取って口へ運ぶ。

「んむ、んむ……。やはりうまい。お前の腕は鈍ってないようだ」

「ありがとうございます。オト様はいかがですか」

「ん。……うまいよ」

 オトが遠い目で。「──思ったよりガツンと来る」

「甘いですか」

「あいや、」

 オトがララナに目を向け、「希しい風味だ」

「はい。オト様の馴染(なじみ)深いものを、と、選びました」

「なんの話だ」

 と、ラセラユナが言うので、ララナとオトは揃って彼女を向いた。

「お前さん、もしかして味音痴か」

「わたしが。そんなわけがあるか」

「じゃあ、柑橘系とはなんのことか判るかね」

 と、オトが腹黒い半眼で見やる。

 対するラセラユナが、途端にエクレアにかぶりついて咀嚼を繰り返し、しばらくしてから答えた。

「レモンだ。違うか」

「声が上擦(うわず)っとるが、まあ、正解やな。けど、もう一つある」

「なんだと……」

 ラセラユナがララナを見やる。「お前、ほかに何を混入した」

「混入ではございません。もう一つはセラちゃんが庭を眺めているときに加えましたからね」

「作っとるとこ見とったんならカンニングやん。あかんなぁ、戦神が勝負事でズルとか」

 と、オトがことさらラセラユナを追い立てる。

「お前、次こそ剣の錆にしてくれる」

「味音痴なのが悪い」

「お二人とも、睨み合うなら試合の中でのみとしましょう」

 と、ララナは二人のあいだに入り、ラセラユナに答を教える。「もう一つは蜜柑です。レモンと蜜柑、どちらも濾した果汁をシュー生地とチョコレートに使っております」

「シュー生地のほうは焼きあがったあとべたべたにならん程度に霧吹きかな。チョコのほうは溶かしてから温めたのを合わせたってとこやろう。どちらも分量に限りがあるが、それでここまで味と香りのバランスが取れとるから相当なもんだ」

「そうなのか……」

 と、ラセラユナがエクレアと睨めっこして。

「落ち込むことはないよ。お前さんの舌が極端に悪いわけじゃない」

 と、オトがフォロを入れた。「俺は柑橘類が好きやから判っただけやし」

「味音痴を散散責められた気がするのだが」

「自覚のあることほど耳に痛いもんやないかな」

「……。道理だな」

 ラセラユナが味音痴を認めて、「ララナ、此奴に話があったのではないのか」

「はい」

 ララナはオトを向き直った。

「私と一緒にお出掛けなさりませんか」

「『はい』」

 オトとラセラユナの声が揃った。どちらも疑問符がつく心持であろう。

 ララナはオトに説明する。

「私はまだオト様のことを理解できていないのだと自覚しております。ですから、理解をもっと深めるために、一緒にお出掛けしたいと思い立ちました」

「思い立ちました、って、いつ」

「何かをお話しなければ、と、この場を設けていただきましたが、その話の内容は決まっておりませんでした」

「つまりエクレアを作っとる最中に思い立ったわけだ」

「はい」

「素直さは美点やけど、ほんま急やな」

「いいえ。ずっと燻ってはいたのです。しっかりお話できる機会をいただきたい、と。その段階にはないような気がして控えておりました」

「段階、とか、俺に言ったらいかんと思うんやけど、どうなん」

「わたしに訊くな」

 ラセラユナがオトの目に応えた。「一つ言わせてもらえば、ララナに対してお前は一定の信頼を持って接しているように観える。『段階』に来たのではないか」

「口説き落とすための段階って意味なんやろうに、それを本人に言ってまうのはどうなん、って、質問なんやけど」

「問題ございません」

 ララナは大皿をそろっと押し出した。「私、少し勇気を出して参る所存です」

 オトが黙ってラセラユナを見やる。

 ラセラユナが黙って首を振る。

 オトが黙って瞼を閉じる。

 ラセラユナが肩を竦める。

 ……なんでしょう。

 二人が無言の会話をしているよう。ララナは置いてきぼりを食った気持であった。

 だが、

「判った。行こう」

 と、オトが溜息混りに。

 ララナはオトの不承不承を見慣れているが、念のために窺う。

「よろしいのですか」

「ん」

 と、エクレアを口に含んだオトが口を開かずうなづいた。口が空になったら、「思い立ったなんて言うくらいやから、どこに行くか決めてないんやろ」

「はい。少少強引でしたか……」

「行く場所を提案し予算を提供する甲斐性が無職の文無しにはないよ」

「お任せください」

 と、応じたララナに、透かさずラセラユナが尋ねたのは、

「此奴、無職だというのか。あれほどの腕がありながら、なんという体たらくだ」

 答えたのはララナではなくオトである。

「結構。魔法を無駄遣いする気はないし、労働意欲が皆無なんよ」

「戦闘要員としてなら主神並だと思うのだがな」

「席を奪ってまでやる必要はないわ」

「戦闘要員は死亡することが多く引く手数多だ、安心しろ」

「それを安心っていうのはちょっと歪んどると思うぞ」

 オトがララナを向いて話を戻す。「外出の予定やけど、いつにするん」

「そうですね、決まり次第お知らせ致します。ご希望とあらば本日中に──」

「気が早い」

「そうですか」

 携帯端末を取り出そうとしたララナを止めたオトに、ラセラユナが「ちょっといいか」と、窺う。指先がオトの背後にある本棚を指していた。

「お前は物書きか何かか」

「師匠ってだけのことはあるな。お前さんの質問はその子にもされたよ」

「で、どうなのだ。わたしの言葉尻を捉えてくるくらいなのだから、それなりに勉強はしているのだろう」

「言ったが無職やよ。従って金にもならんお遊びのレベルだ」

「ふむ。創作の類か、実記の類か」

「どっちでも食えなきゃ意味がない」

「そうか。お前にもそれなりに職業意欲があったということか」

 ……あ。

 お膳立てだろう。オトの言葉の矛盾を炙り出したラセラユナにララナは密かに感謝した。

 ラセラユナの意図に気づいたか否か、オトがこう答えた。

「ある種の夢やったのかも知れんな。好きなことで稼げればそれほど楽なことはない」

「好きなことを面倒とは思わぬからな。それができぬと判ったことが、お前に取っては大きな転機となったといえるか」

「気づいたら筆を()いとった感じだ。必要に迫られんことも影響したのかも知れん」

「必要とは」

 ラセラユナの問に対して、オトがララナを視て答えた。

「体の弱かった子に読ませとったんよ。それが必要なくなった」

 ……鈴音さんに──。

「踏み込んだことを訊いたようだ。失敬した」

「構わんよ。その子には粗方話したあとやし」

 ラセラユナを見てオトが言った。「終わったことはどうしようもないよ」

「そうか」

 ラセラユナがエクレアを口に運ぶ。

 オトもエクレアを口に運ぶ。

 皿が空になるまでシュー生地が鳴いた。

「ご馳走さん」

 と、手を合わせたオトが、「今日はあんま話さへんかったし、代金は外出することによる後払いってことでいいか」

 オトは外出を取引にしたがっている。

 彼との関係進捗にはとかく時間を要する。その覚悟で、ララナはうなづいた。

「問題ございません。では、本日はこれにて失礼致します」

「ああ」

 ララナは席を立って大皿を手に取った。

 一緒に来たから一緒に帰る。そのはずのラセラユナが、席についたまま動かない。

「セラちゃん、お暇致しましょう」

「わたしは此奴に別の話がある」

「……。オト様、いかがですか」

「三分くらいならいいんやない。そのあとは退去願う」

「セラちゃん。およそ三分です」

「承知した。お前は先に出ていろ」

「はい。では、失礼致します」

 ララナはオトに一礼、ラセラユナに会釈して、自宅に戻る。ラセラユナが何を話したいのか気にならないではないが、オトが了解したのなら異存はない。

 

 

 ララナが出ていったことを認めて、ラセラユナは早速、口を開いた。

「昼間にカーテンを閉じている。ララナはいつもこのような場所でお前と話しているのか」

「文句を言われたことはないよ」

「言葉にせねばならぬことでもない」

「しかり。だが安心しろ。俺は心を読める」

「もともと文句を言わぬ。過酷な修業、わたしの強いたことにもそうだった──。そんな彼奴が暗き場所に閉じ籠もるようなことを歓迎できぬのだ」

「特殊な奉仕者やよ。何を見失おうと、不幸に囚われる無能じゃない」

 ……だが、罪の意識には、囚われている。

 誰もが傷つき苦しんだ戦争の中、誰も予想しなかった事態が起きた。そこで最も傷ついたのがララナだとラセラユナは思っている。過去に囚われているのはきっと彼女のみならずだが、オトが安心づけるように言葉を紡ぐ。

「それに、あの子は俺に触れても闇に染まらんかった。光しか見てへんから大丈夫」

「……そうか」

 ララナと接して感じたことなら、彼の言葉には一理あるだろう。

 ……なるほど、此奴こそが、ララナの手を取り得る運命の相手──。

 魂の片割れ。これ以上の存在はいないだろうが、その要素を除いたとしても、ララナが心酔している彼には相応の安定感があると、ラセラユナも感じた。

「お茶要る。緑茶やけど」

「もらおう」

 オトが席を立ち、闇そのもののようなキッチンに引っ込んで、しばらくするとコップを二つ持って戻った。

「はい」

「毒を盛っていないだろうな」

「毒物なんか置いとったら逮捕されとるわ」

 と、オトが微笑した。

 ラセラユナは、オトの微笑を初めて見たが──。

「どこか似ているな」

「ん」

 オトが席について、お茶を一口飲んだ。「創造神アースにか」

「いや、ララナにだ」

「あの子に失礼やと思うぞ」

 と、無表情に戻ったオト。やはりララナに似ているとラセラユナは感じた。

 ……変化に乏しく感情や機微を読み取られにくいポーカーフェイス。

 笑って見せても、それが心の底から浮かんだものなのかどうか。この無表情も同じだ。何を思っているのか、判然としない。

「失礼かはさておき、わたしはそう感じた。訊いていいか」

「本題か」

「ああ。お前に、あらゆるものの記憶があるというのは本当か」

「結構穴があるからお前さんの聞きたいことが話せるかは断言できんよ」

「構わん」

 ラセラユナは切り出した。「創造神アースは、なぜ死んだのだ」

 それに答えられるのは創造神アースのみだ。創造神アースはこの惑星アースで死んだとされている。と、言うのも創造神アースは自ら人間に転生し、妻と出逢い、一二英雄のリーダとなる一長命を産ませて間もなく急死した。創造神アースは、人間として死んだ。

「創造神アースはいったい何を考えていた。わざわざ人間になってまで何をしたかったのだ」

「それを神であるお前さんに話しても意味がないような気もする」

「どういう意味だ」

「創造神アースの記憶は途切れ途切れだ。本人の認識に基づく記憶しか掘り起こせんのが理由の一つやけど、それはまあ置いとこう。神であるお前さんには、人間に転生して人間として生きただけの創造神アースの思考ははなはだ単純で目新しいもんじゃないってことやよ」

「……それでもよい。聞かせてはくれぬか」

「父親の末路やからか」

「ああ」

 絶対不可侵であったはずの創造神アース。自ら創造神としての身を捨てて人間に転生したのなら、創造神としての死は彼の死とは表せられないとした上で、ラセラユナは創造神アースの人間としての死を、「父」として生まれ得ない存在の末路を、知りたかった。

「解った。簡略化して教えよう」

 オトが応じた。「普通の父親やったよ。妻や子を慈しみ、愛した家族の繁栄を願って働いていた。死ぬ間際には子の成長を見守れんことを嘆いていたが、その先に必ず明るい未来が来ると信じ、願っていたような、在り来りな、至極まっとうな、父親だった」

「……そうか」

 ラセラユナの知る創造神アースとは正反対の父親像であった。「転生が父を変えたのか」

「やろうな。転生ってのは、それだけ大きな変化を齎す。創造神アースがそういう父親になりたいと考え、それを()()したのかも判らんが」

「それは考えにくい」

「やろうな」

 三分が経った。

 オトが時計の針を見ながら言うのは、

「熱源体を発するテラノアの最終兵器、終末の咆哮の製造には創造神アースが関わっとるってお前さんは推測しとるんやね」

「終末の咆哮というのだな……。核と類して人間の手に余る代物だ、あり得るだろう。父は凶悪だ。先の戦争以前からわたし達兄弟姉妹が争うよう場を仕向けていた節がある」

 アデルやジーンは、聡明な神であり徳も高かった。だが、そんな二人が争うこととなった。アデルがジーンの家族を処刑し、ジーンがアデルと争うように仕向けたのは、そもそも善神と悪神という区別を神に付与した創造神アースではないか。そう考えたラセラユナは、全てのことが創造神アースの悪意ではないかと思えてならなかった。

「わたし達兄弟姉妹に限らなければ、この世界は常に争いの火花が散っている──」

 天使と悪魔、聖魔(せいま)死天使(してんし)、人間と魔物。これらはなぜ対立するような力を持って生まれているのか。どちらか一方が絶対的な力を有すれば一方が淘汰されて済む話だ。ならばなぜ。

「──考えを突きつめると、いかな経緯を辿っても必ず同じ答に至ろう」

「進化の過程であらゆる生物が鎬を削ってきた結果、突出・拮抗した種が生存・繁栄したと考えるのが普通なんやろうけど、お前さんの言いたいのはそういうことじゃないね」

「ああ。どういうことか、解るな」

「進化の過程なんていわず最初から拮抗する存在が創られ、対立構造をも創られていた。その理由は、『創造神アースが争いを観察するため』やね」

「お前にはそんな父の記憶もあるのだろう」

「ああ」

「……全く、厄介なひとだ。死んでも、その意図が遺ってしまったのだから」

 争いが治まると判っていても対立する種族の片方に死ねとは言えない。そこで和平のため話し合えばいいと考えるが両種族の傷に塩を塗ることになる。ラセラユナが知る限り争いが止まった試しはない。

 ……あの戦争も、そうだった。

 拮抗した争いは決して止まらない。形を変え、場所を変え、綿綿と続く。一方的に蹂躙して争いが止まっても、望んだ景色は得られなくなってしまう。

「聞きたいことは聞けたん」

「ああ、充分(じゅうぶん)だ。長年の疑問が解けて、少しすっきりした」

「時間超過したし、俺から一つ訊いていい」

 と、オトが言う。

 ラセラユナは小さくうなづいた。

「答えられぬこともあるぞ」

「いや、そんな答えにくいことでもないと思う。未来改変に妙な変化があるといかんからお前さんの弟子に関する記憶は拾わんようにしとるんやけどな、お前さんとの関係が気になったから本人から聞こうと思った」

「前置きは理解した。質問はなんだ」

「お前さんと弟子、名前が似とるね。偶然なん」

「鋭いとは言わぬ。お前のことだ、単純に似ているからと訊いたのでもあるまい」

「まあね。答は」

「ララナの義父が、わたしと会ってから名づけた。これでいいか」

「ああ、十分(じゅうぶん)だ」

 と、オトが右手を軽く上げた。

 ラセラユナは立ち上がり、オトを見下ろす。

「帰る前に提案があるのだが。──」

 コップを仰いでいたオトに一つの用件を伝えて、ラセラユナは一〇二号室を出た。

 ……あとは、ララナ、お前次第だ。

 あえて彼女には声を掛けず、ラセラユナは自らの存るべき場所に戻っていった。

 

 

 

──一四章 終──

 

 

 

 

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