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一二章 〈奇跡の夜〉

 

 堤端総と面会した帰り、自宅最寄(もより)の図書館に寄った二室ヒイロは、先日の文献の続きを読む。

「えーっと……」

〔──。

 結論、これは現代の魔導学では解析できない高度な技術と理論により構築されている。だがそもそもこれが魔導機構なのか否かを我我は解析するにも至っていない。精霊結晶が内蔵されているかも把握できておらず、その力の源が何であるかを知ることもまたできておらず、しかし起動が容易く、生ずる機能が極めて優れていることが判然としたのみである。

 ──。〕

「うぅ、すごいなぁ、こんな魔導機構をボクの手で起動させてみたいなぁ」

 熱中するとついつい独り言が増え、声が大きくなってしまう。二室ヒイロは周りの視線に気づいて恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤くしてしまった。

 魔導に限らず、新しい魔法や機械、その技術や起動方法を調べるのが二室ヒイロの趣味だ。幼い頃からそんなふうで熱中すると周りが見えなくなり、いつの間にか独りになっていることが多かった。そんな二室ヒイロとずっと仲良くしてくれたのが堤端総達である。

 ……総君に教えられるように、もっと調べておかないとね。

 新しいものを調べるために古い文献を漁るというのは矛盾しているようだが、置き去りとなった資料が豊富で、二室ヒイロはその手の資料から現代の技術で解明できるものがないかを探したりもする。昨今もっぱら気になっているのは〈再生(さいせい)(あかつき)〉なる機械。文献にある通り、非常に優れた魔法的機能を発揮するにも拘らず魔導機構として扱われるべきなのかどうかも判断できていない謎を秘めた古代の遺産。誰がなんのため、どのように作ったのか、想像を膨らませるほど深まる謎。およそ果てなき宇宙のようで、

 ……ロマンだよね〜!

 男心を刺激して余りある魅力に溢れている。

 文献を読み進めること数時間。二室ヒイロは興味深い段落を見つけた。

〔──。

 ダゼダダ警備国家政府がこれを保管したが扱い倦ねて(あぐ    )モニュメントにしてしまっている。これは魔導学者の私としては些か(いささ   )複雑な心を抱く(いだ  )ところであるが我我の力及ばずが一つの原因であることを考えれば不徳の致す所というべきなのであろう。毎日のように立法府に通ってはモニュメントと化した古代の遺産を眺める。血湧き肉躍った若かりし頃を思い出し、余生を華やかに且つ(か )切なげに彩る。それが私の隠居生活の一部である。

 ──。〕

 ……立法府というと、警備府のことだ。

 近代史で習った。近年になって名称が警備府と変わった。役割を引き継いでいるため、立法府と呼ぶ者は年輩に多い。

 文献と睨めっこしていた二室ヒイロは閉館を知らせる司書に驚き、急いでメモを録って文献をもとの場所に戻した。司書に急き立てられるまま外へと出ると夜空を見上げて、母親の顔色より先に文献のことを考えてしまった。

「……うぅ、気になる。気になる……」

 図書館に寄るのは習慣であるから足が帰途を辿るのも習慣化している。が、自宅マンションの見える十字路をいつも通りまっすぐ進むか、警備府に向かうため左に曲がるか。

 ……あぁ、でも、一般人の、それも子どもが警備府に簡単に入れるはずがないか。

 ダゼダダ警備国家の政治中枢である。内部の誰かにアポを取ったりしなくてはならないのではないか。もしくは、政治家や地位がある大人しか入場を許可されないのではないか。一生徒の二室ヒイロに政治家のコネがあるはずもなく。

 ……帰ろう。追い返されるのはもっとつらい気も。

 気になる古代の遺産を目の前に渋渋トボトボと帰る自分の背中を思い浮かべると二室ヒイロは少し諦めがついた。

 が。

 帰宅後、遅くまで図書館にいたことを怒りも褒めもしなかった母と食事を摂って、お風呂に入って、自室のベッドに横たわった二室ヒイロは、携帯端末に届いていた坂木葵のメールを確認すると古代の遺産が脳裏に浮かんでしまった。

〔これについて知っているかしら。〕

 と、いうそっけない文面の下に、最新の魔導湯沸かし器の画像が添付されていた。魔導。その単語一つが二室ヒイロの脳裏にロマンを蘇らせてしまった。

 ……ああっ、必死で忘れようとしていたのに、葵さん空気読んでよ〜!

 言ってもいないことを読めと言われても坂木葵が困るだろうから二室ヒイロは感情を胸にしまった。

〔それは最近開発された業務用の魔導湯沸

 かし器です^ ^

 葵さん、それがどうかしたんですか。テ

 ストで出題されましたか^_^〕

 と、返信すると、当てつけのような文面が返ってくる。

〔ったく治癒魔法科でなんで湯沸かし器な

 のよ。消毒用魔導機構って知ったかぶり

 して書いちゃったじゃないの。バカみた

 いだわ、まったく!〕

〔医療現場でも熱湯は使うって聞きますか

 ら、予備知識的な出題じゃないでしょう

 か(;^_^Aほら、魔法科とはいっても治癒

 魔術師は医療従事者ですし、現場で精神

 力切れして魔法が使えなくなったときの

 ために一通りの道具を使えると便利でし

 ょうから^_^〕

〔精神力切れなんてド素人な真似しないわ

 よ。

 抜き打ちテストで予備知識とか……。頭

 痛いわね。勉強範囲が広すぎて山も張れ

 ないわ。〕

〔災難でしたね(^^;

 次は落とさないように広く勉強しておく

 といいかもですね(^-^)〕

〔さすが不動の副首席。余裕ね。

 勉強忙しいからこれで。〕

〔はい^_^

 無理しないように

 頑張ってください(^-^)/〕

 相手が話したいことがありそうなときは終りを切り出してくれるまで返信するようにしている。そんな二室ヒイロはついついやり取りが長くなってしまった。

 ……あぁ、どうしよう。

 いつもなら歩き疲れてすぐに眠ってしまうが、ブルーライトで覚醒した脳細胞の引出しから古代遺産が勝手に飛び出して横になっても寝つけない。しまおうとするほど存在が大きくなって、文献に載った粋なモノクローム写真の像で鎮座してしまった。

「あぁ、蟷螂(かまきり)の前肢のような、爪のようなあのフォルム、思い出すだけで──、じゅるっ」

 食べるわけでもないのに涎が出る。人間の欲求の中で食欲は必要不可欠であるから、知識を得ることと食欲が自分には同等程度にあるのかも知れないと二室ヒイロは思ったりする。

 うだうだと悩むと携帯端末の時計が三時半を指している。

「駄目だ……。このままじゃ明日に響きそうだ」

 二室ヒイロはベッドを抜けて私服に着替える。自転車なら警備府まで三〇分もあれば着く。

「観るだけならなんとかなるかも知れないのに、諦めちゃ駄目だよね」

 機械人間のような母が寝入っているかどうか不安で、自室を出るときに最も警戒して時間を要した。殺風景な動線から玄関を抜けるのは手間がなく、エレベータに乗って駐輪場へ駆け抜けると警備府が目の前にあるような心持であった。

 ……レッツゴー!

 昔から運動神経が悪く、めったに乗らない自転車にたどたどしく跨ってペダルを漕ぐと、

「重いぃ……!」

 徒歩のほうが速いとは決して言わないが、前輪がふらふらしているので加速できない。運動不足と運動神経のなさを呪いながら二室ヒイロは進んだ。

 警備府に約一キロと迫ると、夜風の冷たさと妙な雰囲気を感じ取った。

 警察車両。たくさん走っていく。それも四台とか五台とかではなく、それにも拘らずサイレンも鳴らさず赤色灯を点灯させてもいないのはどういうことか。行先は二室ヒイロと同じく警備府方面であるようだが。

 ……ちょっと、変だ。何かあったのか。

 一八年という短い人生ではあるがこんなことは初めてだ。夜風のためか、二室ヒイロは肌がざわついた。

 ……でも、行かなきゃ。ここまで来て引き返すなんてそれこそ無駄だ。

 古代の遺産が待っている。その一心でペダルを漕いだ二室ヒイロは異様な光景を目の当りにした。警備府前に並ぶ一〇〇台はあろうかという警察車両。そこに乗り込む貧民らしき多数の人間と警察官。

 ……な、何があったんだろう。

 警察車両が一台また一台と静かに発車して、間もなく大量の警察車両が走り去った。逮捕されたらしい貧民も残らず連行されて、茫然とするしかない二室ヒイロは降りた自転車の鍵を掛けるのも忘れて警備府正面玄関にやってきた。普段哨兵(しょうへい)の一人も佇んでいるのだろうが、よほどの異常事態が起きたのか、がら空きである。

 正面玄関から、

「失礼しま〜す……」

 と、こっそり中を窺うと、「あ!」

 二室ヒイロは思わず声を上げてしまった。

「あ、みんなのヒーロ、ヒイロやん」

「……こんなところで何を」

 半眼の彼は紛れもなく竹神音である。ロビ中央から玄関(こちら)にやってくる彼を二室ヒイロは見つけた。玄関アーチに手をついて中を窺った姿勢の二室ヒイロは、竹神音が差し出したコピ()を流れのまま受け取った。

「これは何」

「書いてある通りだ」

「〔誓約書〕……」

 内容は、貧民への正当な罰と富民の不正によって生じた貧民の損失等の補填。

「署名と、血判、なの。しかも、現職大臣の名前が並んでいるじゃない」

「それはコピでこっちが原本だが」

 竹神音がひらりと取り出した用紙とコピを、二室ヒイロは確認した。

「……あなた、これをどうやって」

「少し交渉をしました」

「さっきの警察車両と貧民らしき人達も、関係しているよね」

「詳しくはあとあとテレビでやるんじゃないかな」

「なぜコピをボクに」

「報道各社に送ってください。ひいろさんの名前で」

「なぜ……」

 この誓約書の内容なら、スクープといってもいい。政府重鎮が貧民に纏わる諸問題を公的に政治の責任だと認めた内容なのだから功績とすら。

「あなたの名前で出せば、あなたは、もっと……その……」

「わたしはヒーロにはなれぬし、なる気はない。そういった役は清く正しく生きる懸命なる者にこそだ。成行きでお前に渡すのだがな」

 竹神音が鼻で笑って、「この動きは富民側の総に取って不利になろう。親友のお前がその動きをすることで破綻する仲を観て愉しむも一興だ」

「ころころ口調を変えるのもそうだけど……ふざけないで。あなたはまだ懲りて──」

「苦しまずに済む方法は簡単だ。見て見ぬふりで破り棄て、当事者にならないことだ」

「っ……」

「一向に構わないよ。原本を送付する選択肢が残ってる。ただね、」

 二室ヒイロは、誓約書を破れない。

「悪を知りながら告発しないのでは堪えただけの園児と大差ないとぼくは思うよ」

「!音君……」

 二室ヒイロは誓約書の端を握るにとどまった。

「これを、受け取ってほしい」

 と、次に竹神音が差し出した紙切れを見て、二室ヒイロはまた驚かされた。

「これは……!」

「破り棄てんかったことを取引成立と見做し、ヒーロに報酬を先払いしとくよ」

 紙切れには、古代遺産・再生の暁の起動方法が記されていた。

「末広氏の書き遺した文献にも載っていなかった細かい手順。こんなのどこにあったの」

「末広所長の後進からもらった知識を書き殴ったんよ。これについて調べとるんやろ」

「いったいどこでそんな情ほ、って、昔からあなたはそうだったね。いつの間にか、ボク達の全部を知ってた」

 同じ和にいた頃を懐かしく思う反面、対すると不気味である。

「取引成立したんやから、しっかりやりゃあよ」

「ちょっ、まだやるとは……、もういないし」

 瞬きした間に竹神音の姿が消えてしまっていた。

 ……正直、ありがたいかな。

 誓約書を持つ手を緩めてふと気づく。「あれ、(こんなのいつの間に)」

 警備府の入場許可証が、誓約書の裏側にあった。竹神音が置いていったか。お誂え向きに内観観覧者用の入場許可証である。

「……気が利くんだか、傍迷惑なんだか」

 ともあれ、入場許可証があるのだから警備府内を怯えず観て回ることができる。静まり返った警備府の異様さより知識欲。二室ヒイロは、再生の暁を探して中央広間へ走った。

 

 

 テラノア兵団を指揮していた敵将の逮捕を見届けると広域警察本部署が落ちつきを取り戻していることを確認して、ララナは警備府前に舞い戻った。

 堤から観ていたときと同じように、そこは闇夜に沈んだ一つの燈でしかない。

 貧民の姿は全く見えず、空気が土のにおいを含んでいる。

 警備府内部に足を踏み入れると、ごく微量に火薬のにおいが漂う。

 ……あの数の銃が使われた、と、すると、かなり薄いですね。

 一発でも発砲があれば双方撃ち合いになってあれよあれよという間に弾数が嵩む。地上三階構造で面積もさほど広くない警備府で火薬のにおいが薄まるような遠い場所はないが、密室や上階、風の通らない地下などで発砲があったとは考えられる。

 警備府内部が外同様に静まり返っていることが気になり、ララナは急ぎ奥へと進んだ。入場許可証もなく侵入しているので、目立った動きはできない。個体魔力が集まった会議室と思われる場所に直行すると、報道番組で見覚えのあるダゼダダ警備国家の国務大臣が顔を揃えていた。火薬の残留魔力が玄関付近より濃いため、発砲現場はここであろう。

 ……火箸凌一総理が見当たりませんね。

 床にかすかな血痕。火箸凌一が撃たれて搬送されたか。広域警察や貧民が見当たらないので火箸凌一にさらなる危険が及ぶことはないだろう。また、なぜか警備府中央付近に二室ヒイロと誰かもう一人の個体魔力があった。二室ヒイロが貧民の人質になっているのかと懸念してそちらを偵察に行くと男性と二室ヒイロが和気藹藹といった雰囲気。

 ……あちらの男性、どこかで見覚えがある気がします。

 個体魔力もそうであるが、面識があっただろうか。黒髪の長身だが背面からでは顔が見えない。ララナは神界やレフュラルに顔見知りが多いがその中にいるならぱっと判りそうなものである。

 ……空見か擦れ違った程度のひとなのでしょう。

 と、割りきっておく。考え込んでは注意がおろそかになるので、ララナは当初の目的であるオト捜しを優先する。堤を始め、警備府の外にはいなかった。いつものように彼が魔力を潜めていると気配を摑めないが、警備府内にもいないよう。魔力を探るさなか、警備員が一塊(ひとかたまり)になっている通路を発見してララナは物陰に身を隠した。

 ……この様子から察するに、オト様は逮捕されたか、既に離脱されたはずです。

 次に会う場所によって、彼がどう動いたか判る。逮捕されていたら最寄の広域警察支部署に留置されており、そうでなければ緑茶荘に帰っている。

 ……まずは。

 ララナは空間転移した。……離脱済みなら、緑茶荘(こちら)に戻っていらっしゃる。

 何せオトの移動速度は人間のそれではない。

 先に緑茶荘を当たったのは、そちらにいてほしいという願いであった。

 深夜に呼鈴を鳴らすのは。ララナは緊張の糸を張って一〇二号室の玄関扉を静かにノックした。中指を当てるか当てないか、音を鳴らすか鳴らさないか程度に、こんっ、こんっ。

「お待た」

「っ……、待って、おりません」

 驚くほど早くオトが顔を出したので、ララナはほっとするより先に、頭が真白(まっしろ)になった。

「意外やったか、逮捕されとらんのが」

「いいえ、その……」

 袂を分ったはずのオトが平然と口を利いてくれることの悦びと、遅れてやってきた安堵感とで体が昂る。外に出て鍵を掛けるオトの背中を凝視してララナはなんとか怺えた。

「どちらかにお越しですか」

「いや、どこも。ただ、もう外におるつもりやったから」

「(()()。)星でもご覧に……なれませんね。出ておりません」

「〔()(とき)の調べ──。〕見やすくなったかもな」

「なんのことですか」

「もうじきだ。カウントダウンでもするか。三、二、一、」

 ララナの疑問など聞こえていないかのようにオトがカウントダウンを始め、「零」

 その瞬間、

 ……っ!

 ぞわっと身の毛がよだつ。恐ろしいほどの魔力流動をララナは感じ取った。不自然な魔力流動は魔法などの人為的作用の前兆であることが常だが、体を押し潰すようなこの圧迫感はいったいなんだ──。

「上空に、何かが来ます……」

「判っとった」

 驚くこともなく緑茶荘の天井に跳び上がったオトが、上空を仰ぐ。

 跳ぶな、と、言われていたララナはオトの隣に空間転移した。

「歴史上二回目だ」

「この、異常な魔力流動のことですか」

「一回目は九年前。それを知らんのはお前さんが神界に行っとったからやろうな」

「メイ君達は知っているでしょう。しかしこれは、」

 人の成せる魔法技術とは思えない。「もはやこれは神の領域、それもお兄様クラスの主神(しゅしん)が複数揃ってようやくの……」

 そういった比較計算はできる。できるが、対抗策が浮かぶはずもない。人間には、抵抗の余地がない代物である。

「かの悪神総裁ジーンも、これほど強大な魔力流動を起こしたことはございませんでした」

「ふうん。〈終末(しゅうまつ)咆哮(ほうこう)〉といわれるだけはあるってことやな」

 凝集する魔力が徐徐に何かを生じ始め、仄かな光を帯びる。

「オト様はあちらについて何かをご存じなのですね」

「テラノアやよ」

「言葉真国夫さんがテラノアに渡ったことと関係がございますか」

「ある。叔父さんが起動させたんよ」

「起動……、これほどの魔力流動が魔導機構によって生じているのですか。考えられません」

「それが常識的見解やろうけどね。テラノアは、仕組も構造も判らん古代兵器、すなわち終末の咆哮を保有しとる。稼動すれば、大陸をも滅ぼす太陽が如き熱源体を落とす」

「大陸をも──」

 魔力が凝集するのはダゼダダ大陸の中心地、田創町の上空だ。

「テラノアは、ダゼダダ大陸を滅ぼすつもりですか!」

 魔力集束完了までにまだ相当の時間があるようだが、オトの言う熱源体が完成すればダゼダダは本物の太陽を見ることがないだろう。

「叔父さんがテラノアに技術を流したのはまず攻撃兵器の技術を得るため。それというのも防衛機構に偏った国造りを続けとるダゼダダは不意の猛攻に弱い」

「先程の広域警察がそれですね……」

 ララナが直接的な武力ではなく魔法的ショックで場を有利に運んだのは、民間人が広域警察を救ったような形にあとあと捉えられないよう広域警察に配慮して最大限の手加減をした。テラノア兵団を制圧する手段が広域警察にはいくらでもあるはずだったが、攻撃的な手段を持たないがために専守防衛体制が不意打ちによって崩されて混乱、統制が執れず、後手に後手を重ねた。これが「戦争」だったとしても同じことが起きただろう。

「現状は概ね叔父さんの計画通りに進んどった」

「言葉真国夫さんの、計画」

「テラノアが攻めてくるところまでは推測できとった、と、付け加えよう。各員の防御術と防衛機構に偏った広警はテラノア兵団への反撃が遅れ、捕縛もしかり。誰が害されるか明白の状況でただちに攻勢に転ずることもできんほどダゼダダは平和ボケしとる。そんな体制を変えんとして叔父さんはテラノアを利用する計画を立てとったんよ」

 とどのつまり、テラノア兵団の侵略を利用し、国防を担う広域警察の脆さを明るみに出すことで、ダゼダダの国防体制に欠陥があることを言葉真国夫は訴えたかった。

「火箸凌一が総理大臣になったことが叔父さんの行動をエスカレートさせたともいえる」

「火箸凌一総理は攻撃兵器の導入を訴えているのでしたね」

 火箸凌一と言葉真国夫は直接の繋がりがないようだが、目指すところは同じだった。ダゼダダの国防体制の不備に逸速く(いちはや  )気がつき、それぞれの立場で改革を促そうとした。

「叔父さんは火箸凌一をある意味同胞って感じたやろうけど(あだ)になった。叔父さんとテラノアとの繫がりが知れたことで火箸凌一は叔父さんを解放、テラノアに引き渡した」

 昨日二一時五〇分のテラノアの声明から六時間を待たず、本日三時四〇分に言葉真国夫は解放されてテラノア本国に空間転移で送り出された。

「叔父さんの立場から事を観れば、国を追い出されたと観ても仕方ない対応の早さだ。要するに、火箸凌一に裏切られたって感じたわけやね」

「それで、斯様な手段に……」

 敵国に通じてまで訴えかけたことを火箸凌一に、国に、否定されたと言葉真国夫は感じた。幸か不幸か、敵国テラノアの国王ゾーティカ゠イルは言葉真国夫を友人として迎え入れた。

 言葉真国夫はテラノアにつくことを選び、ダゼダダに牙を剝いた。テラノアに取って邪魔なダゼダダを排除できれば、テラノアにおける立場が向上することも計算に入っているだろう。

 事の成行きは解った。

 問題は、どうするかだ。

「オト様。熱源体を作り出す終末の咆哮なるものはどのようにお止めになるのですか」

「ん」

 オトが心底意外そうに反応して見せた。「俺は止めへんよ」

「……オト様がこちらにいらっしゃるということは貧民一揆に介入していらっしゃらず、少なくともダゼダダに混乱を齎そうとはお考えでない証拠ではございませんか」

「お得意の好意的見解やな。俺にそんな意図はない。これは花火の観覧やよ」

「お戯れを。太陽が如きその花火が、オト様をも吞み込んでしまうのです」

「構わんよ」

「っ……!」

 ララナは自分の耳を疑い、オトを見上げた。「そんな……、なぜ左様なことを」

「考えてもみろ」

 オトが胡座を掻いて座り、ララナを横目で見上げる。

「俺が生きる価値はあるのか」

「なぜ左様なことを仰るのです。ござるに決まっております」

「俺はそうは思わん。──前に話したことを憶えとるか」

 魔力の凝集が進むにつれて、上空の光が徐徐に強まり広がっていく。

「俺はお前さんに確かこんなことを訊いた。『死とは何か、考えたことはあるか』」

「……。社会的観念や哲学的思索、でしたね」

「あれは噓やよ。本当はお前さんが話したように生物的観念を、摂理を言った」

 ドクンッ。歪むように胸が脈打ち、息が苦しくなる。

「俺は常に死を考えとる。生きることに意味を見出しとらん。そも意味なんかない。俺が生きとったところで災いこそあれ幸福はない」

「……、私は左様には存じません」

「お前さんだけの認識だ。圧倒的マイノリティは意見も思想も生命すらも淘汰されるが常だ。真相はどうあれ非一般性は災厄であり不当であり不条理。従って俺は息が止まるのを待つ」

 彼は、淡淡とそう言った。

 だからだったのだ。と、ララナはオトの無表情の理由を悟った。創造神アースの魂が未練を棄てたから、では、当然ない。これまで、オトはわざとらしく表情を変えたとき以外、常に無表情で感情らしい感情を表さなかった。当然だった。自分の価値を完全否定し、死という結末を迎えるまでの息をする時間に喜怒哀楽を発することになんの意味を見出せるのか。喜怒哀楽を発するのは、何かに達成感を得、期待し、慈しみ、執着しているからだ。オトにはそれらが一切ない。鈴音を自らの手で失って、復讐を遂げ、一切なくなってしまった。そんなオトが、生に求めるものは何一つなかった。求めるは一つ。死──。

 オトの絶望は、ララナが思うよりも深く、闇夜に優って暗い。

 相反して、上空が眩く光る。熱源体の完成が近い。

 

 

 凄まじい魔力を感じて目を覚ました天白位人はコーヒーカップを携えて、自宅ベッドに腰を掛けた。

 ……世界の終り、か。

 後悔することはない。人生、できる限りのことをやってきた。竹神音しかり、壁にぶつかったことも一度や二度ではない。窓から見える熱源体は壁たるモノ。できないことをぐだぐだと考えるのは無駄であるから、諦めも大切だ。

 絶望的な状況にあっても天白位人は冷静に今の人生を愉しむ。コーヒはそのために。

 

 

 オトが言う。

「敵性を淘汰し何をも守る攻勢、されども、望むべき理想──。光しか見てこんかった、未来しか見てこんかった、そんなお前さんには俺のことが理解できんやろう。この世には触れてはならないことがあると知りなさい」

「……私では、オト様のお心に留まりませんでしたか」

 未練たり得なかったか、と、いう意図を含めた問に、オトが答えた。

「留まったよ。けど、足りへん……。俺は、早く死にたい──」

「…………」

 目の前にいながら、ララナは、この一週間オトの心情に気づかなかった。今、死の光を見上げて()()()()彼に、ララナは、言葉を掛けることすらできなかった。

 絶望。オトのそれは、あまりに深い。そこに触れれば、誰もが絶望に苛まれてしまう。そんな危険を感じ取った人は、彼に触れようとはせず逃げ出したのかも知れない。

 ララナは、足が竦んでいた。

 現代のオトと初めて逢った日、オトの無表情に涙が出そうになったのは、ある種の拒絶反応だったのだとも、ララナは気づいた。オトに触れては、自分が自分ではなくなる。壊れる。そうでなくても、引き返すことも抜け出ることも叶わぬ闇の中に引き摺り込まれてしまう。そんな危険を一目で感じ、恐怖して、涙が出そうになってしまっていたのだと。

 光が一際強く輝き、くっきりと球を成して世界を白く塗り潰した。熱源体が完成したのだ。ダゼダダ大陸の消滅が、天を覆うように巨大な死が、目と鼻の先にある。

 だと言うのに、

 ……私は──。

 動けず、……恐い……。

 この真白な世界においても、ララナの眼下の一点に、掻き消されることのない闇があった。

 その闇は、「死」そのものなのである。恐怖の象徴でしかないのである。それなのに、ララナはその闇から目が離せない。骨身に応えて恐ろしいと感ずるのに、触れたときのぬくもりを思い出すと、決して放してはならないと心が叫ぶ。

 凶悪なまでの魔力を放つ熱源体に押し潰されたかのように、オトの放つ異様に気圧されたかのように、ララナは言葉が出ない。足が、前にも、後ろにも、動かない。

 指先だけが、辛うじて動いた。意識を強く持ってそこに集中すれば、腕までが動いた。

 ……っ!

 その闇は、まさしく「死」そのものなのである。まさしく恐怖の象徴でしかないのである。恐ろしくないはずがない。恐ろしい。ララナは今もそれが、オトが、恐ろしい。

 本当にそれだけなら、これまでに確実に逃げ出していた。彼のかつての友人のように敵意すら向けて、憎悪して、現実逃避していた。

 代金だったとしても、オトはララナと話をして、一緒に好物を食べて、思い出を共有した。

 ……私は、恐いのです。

 オトを手放して、孤独に生きていくのが。……私は、恐いのです……。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……私は──!

 熱源体が世界に偽りの朝を招く中で、ララナは手を差し伸べ、闇を摑み、引き寄せるようにして自らが闇に飛び込んだ。

 

 して、ララナは深い深い闇を抱き締めた。

 

 ──なぜ今まで気づかなかったのか。ララナはこの手段を一番よく知っていたはずなのに、気づけなかった。

 オトが自らララナの素肌に触れたことは一度もない。手を握られたとき払い除けることをしなかったのは、触れ合えることをララナが歓喜したようにオトも嬉しかったからに相違ない。孤独に疲れ果てていた彼に取って素肌を触れ合える相手はもはやララナ一人だった。障壁の中で長年孤独に立っていたララナが唯一触れることのできるオトを捜していたのと同じように、触れ合える相手をオトが求めていたことにララナは「死」を眼前にして、ようやく気づいた。

 ……もう大丈夫です。私が、あなた様を孤独になど致しません。

 抱き締めた温かさを、ララナは決して手放さない。空から迫る凶悪な死の光よりも腕の中の「死」のほうがよほど恐ろしい。だから決して手放さない。

「私に取っての死は、オト様を失うことなのですから──」

「…………」

 ララナの背中を、ふと熱い手が触れる。まさぐるようにして撫で、やがて抱き寄せる。素肌を触れられているのでもないのに、じかに触れられているかのように体が芯から熱を発し、震え、吐息が漏れた。

 力が抜けたララナは崩れるようにオトの肩に両手を掛けた。

 耳許で、

「……なぁんや、済んでまったみたいやな」

 と、オトが呟いた。

 ララナは閉じていた瞼をゆっくりと開き、オトの腕の中から中空を見上げた。すると、目に見えて熱源体の光量が抑えられている。

「……あれは、障壁、ですか」

 尋ねたララナに、オトが怒気を孕んで述べた。

 

「──理不尽やもん」

 

「え」

「俺は、現実主義なんよ。都合のいい兵器なんか認めん。攻撃であんな卑怯くさいもんがあるなら逆もあってしかるべきとは思わんか」

 言い得て妙。オトの言う通りである。

「もしや左様な魔導的機構がダゼダダにはあるのですか。それによって、終末の咆哮の熱源体が食い止められていると」

「再生の暁という、これも構造なんかが謎な古代の遺産だが著名な魔導学者によってその起動方法と機能だけは明らかやった。その機能とは、大陸を覆うほど巨大で超高密度の両性障壁。性質はお前さんの全耐障壁とほぼ同じで、物理的にも魔法的にも強い強度を有する。あれを突破するのはまず無理だ」

 熱源体の光がやや抑えられてオトの無表情がはっきり見えた。

 事態の理屈を聞いて理解しながら、ララナはオトの無表情に何かの達成感を見た気がした。

「オト様、今、亡くなりたいですか」

 そんな質問をすべきタイミングなど、どこの時代の誰に対してもないだろう。が、ララナは考えるより先に質問していた。

 オトの答は、やや気の抜けた声。

「生きたくはないが、まあ、死ぬよりはマシかもな」

 言葉と半眼が、呆れたようにララナを見ていた。

 彼は、一朝一夕に変わるものではないのだろう。でも、背中に回った熱い掌にかすかな力が籠もったことを、過敏な背中が伝えた。

 ララナは次に、首に抱きつくようにしてオトを抱擁して、彼の耳許で心を伝える。

「今一度、申し上げさせてください。『私が、必ずお助け致します。』と」

「……お節介な押掛け女め。やけど、そんなお前さんやから、俺は──」

 オトが言いかけて息を詰まらせる。「待て」

 ララナをそっと離して立ち上がったオトが、上空を半眼でもって睨み据える。

 ララナも、オトの感じた異変を察する。

「光量が、増しています……!」

「いや正確には違う。あれは、」

 ダゼダダを覆っている障壁に罅が走っている。そこから熱源体の光が漏れているのだ。

「悪い冗談やな。あり得へん」

「再生の暁とやらの力が及ばなかったということでしょうか」

「……、やとしたら、困ったもんやな。あんな熱源体を食い止められる人間は、この地上には本当におらへんのやからな」

 ()()()。なぜそう言いきれるのか。

「できるのでは、ござりませんか。オト様ならば」

「……」

 オトが額を押さえた。「なんで俺がやらないかん。そもそもあんな化物じみた兵器に一人で立ち向かうとか、そんな恰好のいいことをやる自分に虫唾が走るわ」

 いまさら善人ぶって人助けに等しい行動を起こすことを躊躇っているのだろうか。

 ララナはそれでもオトがなんとかすべきだと思ったのだ。誰よりも他者を傷つけた彼は同時に誰よりも他者を救いたかったひとなのだから、それができるはずだとララナは。

「……」

 オトが閉口。

 ここは、客観的な動機が必要だろうか。

 ララナは思うままに言葉を発した。

「ご家族です」

「……」

「オト様を避けているお姉様も、オト様がお嫌いなお父様も、オト様が気に懸けているお母様も、ダゼダダが故郷なのですよね。オト様はこのまま、ご家族の故郷を、ましてやご家族の命を失ってもよろしいのですか」

 逃げるのは簡単だ。ララナの空間転移でもいいし、オトだって時空間魔法でいくらでも逃げ道がある。だがそれでいいのか。

「オト様は、悪かも知れません。罪も消えません。孤独だったかも知れません。善人になることもできないのかも知れません。それでも、オト様がご家族の一員であることに変りはございません。どんなに縁を切っても、血が繋がっているという物理的な関係以前に、オト様はご家族となんらかの繋がりを経てここに立っていらっしゃる。それだけで、よろしいではございませんか。理由など、それだけで、よろしいではございませんか」

 ララナは、オトの手を握る。

 破裂音が轟き(とどろ   )障壁が粉粉に吹き飛ぶと、体を融かすような物凄い魔力の圧がダゼダダに伸しかかった。

「私が、オト様を孤独には致しません。どうか、ご存分に()()()してください」

 危機感を煽る熱源体など気にせず、ララナは笑顔で言った。

 オトが、「やれやれ」と、深い溜息。到頭、動いた。

「どうなっても責任取れんぞ。こんなん、地上で使うようにはできとらん魔法やから」

 言うや、オトを中心に自然魔力が渦を巻き、見る見るうちに通常の何百倍もの魔力密度に達してなおも密度を増す。魔力の量は、発動する魔法の威力に比例する。熱源体の魔力量がまだ遥か多いが、つい先程まではララナですら予感した大陸崩壊の目が潰れ始めている気がした。期待する肌と同じように、魔力が色とりどりの結晶となって輝き震えている。

「これなら──!すごいです、これがオト様のお力──!」

「ヨイショは要らん。この程度ならお前さんにもできるレベルのはずやぞ」

「お勧めできません。自我がなくなりますが『暴走』すればできるやも」

「そりゃ難儀やな。じゃ、どの道ここは俺がやるしかないわけやん。幸い、再生の暁のお蔭で熱源体の威力がやや落ちとるみたいやし、田創半壊くらいでなんとかなるんやないかな」

 熱源体の抱える魔力は今も桁外れ。だがオトが集める自然魔力の総量も一〇〇人の保有する魔力を超えてまだなお凝集する。

 熱源体の放つ熱のためか、風景が揺らめき始めた。

「気温が上がっているようですね」

「熱源体はいうなれば巨大な炎だ。が、いささか妙やな。再生の暁の放っとった魔力は炎属性に同調する水属性やったのに簡単に壊された。つまり、あれは炎属性単体じゃなく複合属性。流動が激しすぎて把握しづらいが、……熱を発することも込みで(かみなり)()。それらに圧倒的有利な属性で対処せんとな──」

 ララナが握っている左手はそのままに、オトが右手を前方で握る。すると、集まっていた高濃度の自然魔力が一点に集中・衝突、結晶が砕け散って虹のように輝いた。直後、先程と同じ空中の一点に魔力が集中して、次には拡散──、加速度的に凝集が進んで魔力濃度が跳ね上がり、波紋のように景色が歪む。肌で感ずる圧が、水中を歩くようなものから砂の中に埋もれたような感覚になっていた。

「〈再集束(さいしゅうそく)〉を三回……!前例を見たことがございません!」

「興奮するやろ。俺も初めてやった。やる機会がなかっただけやけど」

 言うほど簡単なことではない。なぜなら魔力を操るには集中力を要するだけでなく、操る魔力総量に比例した術者自身の魔力と精神力も必要であり、それらを暴発させないための精細な技術が求められる。学歴を知る者に天才と持て囃されたララナでもオトと同じ年齢のときに一回の再集束もできなかった。オトの再集束回数は三回。一回ごと乗算的に負担が増すのに、息も乱さずむしろ余裕すら見せているオトの掌にはララナの汗しか握られていない──。

 

 

 緑茶荘一〇一号室の窓が切り取る、目が眩むような熱源体。しかし熱源体に優って輝く夜空もある。

「オト君……」

 魔力を持たない日向像佳乃にも判る。熱源体に優る眩しさ。それはきっと彼の魔法だ、と。内に秘めた彼の眩さ。雷か、はたまた流星か、夜空を彩る現象は、熱源体と異なり温かさを感ぜさせた──。

 日向像佳乃は、畳に正座し、彼の行く末を見守る。

 

 

 ──熱源体がじりじりと迫る。

 

 

 奇襲してきたテラノアの師団を纏めた敵将の取調べが続けられている。そう報告が上がったあとから広域警察本部署のスピーカがまた騒いでいる。

〔──至急!次いで強大な魔力集束現象を探知!衝撃に対応・準備せよ!〕

 今日三つ目の警報。魔力集束現象の一つは、巨大な熱源体となったことが判っている。もう一つは熱源体を防ぐ障壁となったが熱源体に破られた。どれほどの魔力を集束すれば発生する現象か考えることすらできないほど、熱源体も障壁も強力なものであった。

 熱源体も、障壁も、そのあとに発生した魔力集束現象も、窓から見えた。天白和はそれら全てを視認し、肌でも感じていた。

 執務室に男女の刑事が飛び込んだ。厳重取締班の砂縁圭と穂咲(ぼさき)稲穂(いなほ)だ。

「天白署長」

「柴倉から連絡が入りました」

 穂咲稲穂が天白和に携帯端末を渡した。画面には写真。竹神音を中心とする魔力集束現象を捉えている。

 ……貴様がどうにかしてくれると。

 化物。そんな存在でもなければ熱源体は止められそうにない──。今まさに背景となっている青い発光(ブルージェット)のような眩い魔力が一点に集まっていく。

 敵将について報告を上げた本部署副長が窺う。

「署長。竹神音を看過されますか」

 絶望的な状況にあっても、天白和は冷静だ。

「わたし達は警察組織だ。治安を乱す敵性ならば排除する」

 

 

「さてと、タイムリミットやな」

 オトが再集束中の魔力に変化をつけた。〈属性(エレメント)転換(コンバート)〉という魔法技術で、習得自体は中等部生徒にも可能だが、ここで扱っている魔力の量が尋常でない上に、

「これは、まさか、最上位の〈()〉──!」

 属性は高位のものであるほど強力な魔法を生ずる。〈無〉は惑星アースではほとんど知られていない、神の領域に伝わる強力な属性だ。

「惑星アースの教科書には載ってない、神界に足を運んだだけはある、と、褒めなす暇ももうないな。魔力量は熱源体の半分未満と心許ないが──」

 オトが右手を開き、人差指を弾くようにして上空へ向けると、通常の一億倍にも膨れ上がった自然魔力が針先のような一点に凝縮、途中、黒き槍の魔法となって加速・飛翔した。

 ダゼダダ全域に降りかかった熱源体の魔力の圧を相殺しながら飛んだ槍は、やがて熱源体の中心点を捉える。と、貫かれた熱源体は内から外へと融けるように食い破られていった。

 闇夜を代弁する静謐。天を衝いて弾けた槍は黒から一転、宝石のように煌めいた。

 自然災害にも優る二つの強大な魔法的現象の衝突。オトが言ったように田創町が半壊してもなんら不思議でない規模で衝撃波の一つも起きそうなものだった。けれども、まるで遠い世界の出来事かのように危険を体感することがなかったのは、熱源体直下に咲いたショウブ型の障壁が全ての衝撃を空へと受け流し、周囲に影響を与えることがなかった。それもまた、オトの魔法であったのだろう。激しくなく、騒がしくなく、抜け目なく、完璧だった。

 

 

 熱源体の放つ異常なほどの魔力の波が中央から霧散すると、障壁魔法も消え、半径およそ数十キロメートルという巨大な熱源体に居場所を奪われていた闇夜が気怠げに姿を現した。

 オトはこれを見上げて、一つの人生を終えたかのように、わずか目を細める──。

 

 

 

──一二章 終──

 

 

 

 

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