第8話 ~ひまわりの約束~ 4/8
翌日、ユミルは朝から机に向かっていた。そして、彼女にしては珍しくイライラしていた。
魔鬼襲来による建物や門の修繕、その手配や王国への報告書作成。数週間前、屋敷に襲来した幽鬼達による被害の後処理。
これらに取り掛かりたいというのに、他国から送られてきた自分宛ての、婚約を前提としたお見合いの手紙の返事を書いていた。届けられた時は思わず破り捨てたくなったが、手紙が送られてきた以上、読まないわけにも返事を書かないわけにもいかない。
昨日の魔鬼襲来はともかく、数週間前に屋敷が襲われた事くらい知ってるはずだ。その上で手紙を出してるに違いない。
ほんとふざけてる、この状況で何がお見合いよ。
手紙の文面も自分達がどれだけお金を持っていて権力があり、価値があるかを紙いっぱいにしたためていた。内容までふざけてる。
「(…あ、間違えた。ダメよ、冷静に)」
ユミルは誤字をした手紙を丸めて捨て、新しく書き始める。
本当はこの手紙の返事も後回しにしたいところだが、相手は街の状況知ってて見合いしたがる無遠慮な貴族だ。あまり遅くなってしまうと差出人が直接屋敷に来る可能性がある。ほんと冗談じゃない。
気を取り直してペンを手に取ると、コンコン、とノックが聞こえた。
「失礼しまーす。ユミル様、届け物っす」
「ええ、ありがとう」
ジョージが小箱を抱えて入ってきたので、笑顔でお礼を言う。ジョージは小箱をテーブルに置くと、こちらをじっ、と見つめる。
「ユミル様、よろしければ紅茶でも淹れましょうか」
「あら、ありがとう」
「ちょうど今茶菓子も持ってるんで、少し休憩しません?」
ジョージは可愛らしくラッピングされた袋を見せる。…うーん、予定がつまってるのよね……
少し悩んだ様子のユミルに、ジョージは笑った。
「俺も明日からしばらく帰れないですし、一杯付き合ってくだせーよ」
「……………………」
ジョージは人の感情の機微に聡い男だ。私の苛立ちを察して気を使っているのだろう。一応、感情を隠して笑顔を取り繕うことには自信があったのだけど……。
「…そうね、少し疲れたし休ませてもらおうかしら」
意固地になるのもおかしいし、このままじゃ仕事にならない。
ジョージとゆっくり話す数少ない機会と思い、ユミルはペンを置いて立ち上がった。
ジョージは棚のティーポットを手に取り、紅茶を作り始める。それを横目に、ユミルはテーブルに置かれた荷物に目を向けた。
「あぁ、それ。今朝騎士団の方に届いたみたいっすよ。旅の商人が他国から届けに来たとか」
「へぇ、誰から…」
手に持った荷物の差出人は、お見合い手紙の差出人と同じ名前だった。
ユミルは持ち上げた荷物を思わずダンッ、とテーブルに思い切り叩きつけ、その音にびっくりしてジョージは振り返る。
「ユ、ユミル様? どうしたんすか」
「……あ、いえ、ごめんなさい。何でもないわ」
ユミルは引きつったように震わせる声を取り繕うように、笑顔を作る。伝票の内容欄に記載された"プレゼント"の文字にも殺意が湧いたが、何とか抑えてニコッと笑った。
「他国の貴族からっすよね、それ。……婿入り道具とか?」
「冗談でしょう。婚約の覚えなんて塵ほどもないわよ」
うふふ、と笑う声から感じる棘に、ジョージは苦く笑う。…まぁ、紅茶も出来たし、愚痴ぐらい聞こうか。
そう思い直して、ティーポットとカップをトレーに乗せてテーブルに置き、荷物を上から覗き込んだ。
「じゃあ、アプローチのプレゼントとかですか? 花とか宝石とか………」
「最近は香水が流行ってるみたいだけどね、その国でしか手に入らない香りとかあるから」
「へぇ、香水………」
ふと、荷物に貼られた"割れ物注意"の札が目に入り……強烈に嫌な予感がした。
「………………」
「………………」
ジョージとユミルは何かに気づいたように表情が固まり、一瞬互いを見合わせる。それからユミルは慌てて荷物の紐を解いた。
「まさか…!」
ユミルが包装紙を手早く取り外し、中の箱を開けた瞬間―――強烈な花の香りが勢いよく広がった。
「うっ……!」
ぶわっ、と勢いよく広がった強い匂いに、ユミルはぎょっ、としたように顔を引きつらせ、ジョージは思わず鼻を抑える。
やはり箱の中身は香水の瓶だったようだ。箱の大きさ的に3本程入っていたらしい香水瓶は、テーブルに叩きつけた衝撃で全て粉々に散っていた。木で出来た箱に染み込んだ液体は、その香りで部屋を満たしていく。
二人は一瞬、時が止まったように固まり
「ジョ、ジョージ! 換気! 窓を!」
「ちょ、きっつ…ゲホッ。タオル!!」
「誰かー! お願いタオル持ってきて! たくさん! 匂い消しも!」
「あと袋! 密閉できるやつ! ユミル様、この紙ナプキンは!?」
「使ってちょうだい! 持ってきて!」
「あ、ちょっと! 破片触んないでください! 俺やるんで!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
ユミルとジョージはギャーギャー騒ぎつつ、割れた香水瓶を片付けていったのだった。
□■□
「はぁ…鼻おかしくなりそう………」
「しばらく部屋の匂いは消えねーっすね……」
ようやく香水瓶を片付け終わり、ユミルとジョージは疲れた様子で換気中の部屋を見渡す。とりあえず出来ることはやった。
「ごめんなさい、不注意だったわ。せめて外で開ければ………」
ユミルは座って、とソファーに促し、ティーポットに手を伸ばす。少し落ち着いたようで、ユミルは気を取り直して紅茶をカップに注ぎ、ジョージも座る。
「昨日のことも、ごめんなさいね。ジョージ」
「昨日?」
「嫌なこと言ってしまったから」
ユミルから紅茶をもらい、一口飲む。…何のことだろうか。
「ミリアと3人で話していた時、思い上がらないで、立場を弁えて、と言ったでしょう?」
あぁ、そういえば……あまり気にしていなかったが、お嬢の事説得する時に言われたか。
ジョージは思い出したように、カップを置く。
「いや、立場無視して意見したのは俺ですし、ユミル様が謝る必要無いっすよ」
「………ねぇ、聞かせて」
ユミルはカップを置いて一呼吸する。
「あなたは、本当にミリアの味方でいてくれる?」
その目は真剣で、射抜くような青い瞳だった。嘘が許されない。
「…昨日も言いましたが」
その射抜くような瞳はお嬢とよく似ているな、と思った。ユミル様とお嬢は実はそっくりなのかもしれない。
「お嬢は、俺が必ず護ります。何に代えても」
真っ直ぐ見返してくるジョージを、ユミルは数秒見つめて、カップに口を付けた。
「何に代えても、か………あのね、ジョージ」
「…はい」
「聞いたと思うけど、私たちの両親は10年前に亡くなって、その時に私がこの家の当主に就いた。その日から、この家にいる使用人メイド達を、私は家族だと思ってる。もちろんあなたもよ、ジョージ」
ユミルは目を閉じて、静かに話す。
「あなたがあなた自身をどう考えているかわからないけど、出来ればミリアの…私達のためにも、死なないでほしい」
「………善処します」
「お願いね」
それでも死ぬときは死ぬ、どんな人間でも。そう思ったが、流石に口に出来なかった。
ジョージは話題を変えようと、紅茶を口に運ぶ。
「そういえばあの香水の差出人、やっぱお見合いだったんすか?」
「そうね、私と婚約したいとか、一度会いたいとかそんな内容ね。断るけれど」
ユミルはフッと息をついて言い放つ。ジョージは少し考えて、気になったことを聞いてみた。
「…ユミル様、結婚とか考えたりしないんすか?」
キョウさんのことを考えるとお見合い断ってくれて良かったと思うが、何だか結婚自体に興味がないように見える。
だとしたら、キョウさん前途多難かもしんないな。あ、でもお嬢はキョウさんが好きなんだろうし……うーん、難しいな。
「うーん…そうね。そこまで必要なことでもないから、まだするつもりはないわ。するとしても、ミリアがお嫁にいった後ね」
「貴族って、結婚重要そうっすけど違うんすか? 家の跡継ぎとか」
「跡継ぎなんて、血縁である必要はないと思うのよ。信頼できる人を見つけて、ルイールを任せられたらそれでいいわ」
「………………………」
前途多難確定か、うーん。
ユミルに想いを寄せているキョウを思い浮かべて、ジョージは紅茶を飲んだ。すると、ユミルも話題を振る。
「ところであなたの目、さっき初めてじっくり見たけれど、変わった色してるわよね」
「あぁ、あまり無いみたいっすね。紫色」
「よく言われるでしょう? 女の子から」
「ユミル様……俺女の子は好きですけど、そんなに遊んだりしてないっすよ。チャラ男じゃないですし」
「あら? チャラ男なんて言ってないけれど」
「…………………」
「ふふふ」
最近、何故か周りにチャラ男認定されてきているためか、つい口をついてしまい頭を抱える。そんなジョージを見て、ユミルは楽しそうに笑っていた。
しばらく、二人は紅茶と茶菓子でお喋りをしていたのだった。
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