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透明の向こう側  作者:
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 二時五十分。有薗が東京へ帰って行く時刻が近づいていた。すでに一週間後の高遠の診察予約は完了していたが、救急部所属の真由がそこに立ち会うことはない。無事にもとどおり動きますように!彼ならまじめに回復期間を無理せず過ごすだろうと確信しつつも医師でありながら、まるで神頼みのように祈る思いで有薗の病室に最後の挨拶に足を運んだ。有薗はベッドサイドに腰掛けていた。もうTシャツの上にオックスフォードシャツをはおり、チノパンという普段着姿だった。荷造りも完了して、あとは運び出すだけとなっていた。荷物と言ってもそう大きくないボストンバッグ二個だけである。そしてそこには“恋人”と思われる人物がパイプ椅子に座って有薗に向かって語りかけていた。有薗が真由に気づき、あっという顔をした後、恋人の肩をトントンと叩き、言葉を中断させた。「ほら、親切にしてくださった渡部先生」と有薗に言われた恋人は立ち上がり、振り返って顔を真由に向けた。真由の顔をまっすぐとらえて「有薗がどうもお世話になりました」と深々と頭を下げるその言葉遣いや雰囲気からも、その人物が単なる友人と言うよりは恋人であろうことは明白だった。「神戸なんて離れた土地で一人ぼっちにさせるのは忍びなかったでしょう?今日は存分に甘えてくださいね」と真由はにっこり微笑んだ。真由の嘘偽りのない言葉と微笑みに、有薗は驚いた。世の中にはこういう人もいるのか、と思った。

 自分の退院のときには恋人が迎えに来るだろう、とだけ真由には伝えてあった。その恋人が、男だとは一言も言っていない。そんなことをにおわす言動も絶対にしていない。にもかかわらず、真由は何事も不思議のないかのようににこにこしている。彼を恋人と受け止めたのか、冗談と思ったか、はたまた恋人は別にいて、友人の一人とでも受け止めたのか。しかし「存分に甘えろ」とは・・。

 有薗は思った。真由という人間の懐の深さ、人間味はすばらしいな、すごい人だろうなと。そして、医師と患者として知り合っていなければぜひ友人になりたかった、と。

 有薗の荷物は恋人が持ち、本人は看護師たちにもにこやかに「どうもお世話になりました、ありがとうございました」といちいち腰を折り丁寧に挨拶してエレベーターに向かった。真由と看護師は「お大事に」と言うと深々と頭を下げ、有薗たちの乗ったエレベーターのドアが閉じるまで見送った。


 一週間後、予約時刻に有薗は大勢の患者でごったがえす外来のソファに座って自分の順番が来るのを待っていた。早めに来てレントゲン撮影は済ませてある。自分の番号が受付横の壁面に設けられた電光掲示板に出ると、有薗はのっそり立ち上がって中待合室へと入っていった。中待合に入るとすぐに高遠の声で「有薗さーん、七番へどうぞ」とマイクを通した声が聞こえた。「七 高遠」と書かれた札がささった診察室のカーテンを開け、中へ入ると高遠が待っていた。ひととおり腕を見たり触ったりしてから「問題なし」と言うとあらためて有薗の顔を見「顔色はいいね。やっぱり慣れた東京での生活がいいんでしょうね。検査結果も異常なし。一応湿布だけ出します。もう一週間ほど右腕を使わず安静にしてれば、そうですね、楽器の練習も再開して大丈夫でしょう。もう一週間の我慢です。我慢してくださいよ。なんか心配だなあ」と高遠はしつこく念を押しつつ、にこにこと有薗に回復のお墨付きを与えた。「わかりました、我慢しますよ」「痛いとか腫れてきたとか思ったら我慢せず、近くの病院に駆け込んでくださいよ。いいですね?」となおしつこい。有薗からつい苦笑が漏れた。

 結局、外来のフロアで真由と再会することはかなわなかった。有薗はそのまま病院を後にし、タクシーでまっすぐ駅へ向かい、神戸の街を観光することなくホームに滑り込んできた東京行きのぞみに乗り込んだ。

 自分は何を期待していたのか。渡部先生にまた会って、温かい笑顔を見たかったのか。飴が欲しかったのか。

 ただ、ひとことだけでいい、言葉を交わしたかった。笑顔を見たかった。

 自分でもよくわからない失意を抱きながら東京までの時間を過ごした。


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不透明人間
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