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帰宅するとすぐにシャワーを済ませて部屋着に着替え、右袖をまくりあげて、湯を含んで重く湿りきったガーゼを完全に外した。傷はまだ生々しく、血が止まらずにぷくぷくと小さな固まりになっては流れていく。
二の腕から内肘、手首にかけて、内側の白くキメの細やかな肌を眺めた。子どもの頃からよくうらやましがられ、誉められた美しい肌だった。しかしそこには、今赤い血を滴らせている新しい傷だけでなく、無数の切り傷があった。もうすっかり傷口は閉じているが、まだ赤みを帯びている比較的新しい傷もある。
初めて自分の腕を傷つけたのはいつだっただろうか。もはや思い出せない。
初めて自分の体を傷つけたとき、涙が溢れて止まらなかったことだけは覚えている。
いつからか、真由は自分の体を傷つけることで束の間の安らぎを覚える悲しい習慣が身についてしまった。何かに挫けたり、心無い言葉に傷ついたりするたび、目に見えない心の傷と同じだけ、体の傷は増えていった。高遠はそのことを知っていた。「他の逃げ道を探せ」とは、ほんの時折、新しい傷に気付いた高遠がそっとつぶやく言葉であった。高遠には自分から白状していた。しかし真由から直接知らされている高遠のみならず、病院の職員たちはきっと口に出さないだけで皆、気付いているだろう。皆が気付いているであろうこともまた、真由を苦しめた。盛夏でも私服はもちろん長袖だし、院内でも滅多に真由は長袖の白衣を脱がないが、救急センターの制服である術衣は半袖だ。羽織っている白衣が邪魔で脱ぐ場面も多い。隠しとおせるものではない。しかも相手は皆プロだ、猫にひっかかれたなどという言い訳は通用しない。真由は自分のこの傷痕が人を不快にさせることも好奇の目で見られることもよくわかっていたから、なるべく人目に触れないようにしてきたし病院の職員たちもそのことにはあえて触れてこない。唯一、一週間の短期研修に来ていた年下の研修医と勢いでホテルに行ったときに「それ、自傷でしょう?」と言われたことがあるが黙殺した。あの言葉が好奇心だけによるものなのか、侮蔑を含むのか、それとも彼なりの心配だったのかは知らない。自分が傷ついたときだけではない。自分が誰かを傷つけてしまったときにも、その後悔の念を振り払うために体を傷つける。私はこれまでたくさんの人を傷つけてきた。また傷つけてしまった・・・。現在険悪な仲に陥っている事務員の久保との最初の衝突の際もそうだった。研修医になってそう間もない頃、久保が真由の依頼した仕事を予定通りこなしていなかったために事務室へ進捗状況を確認に行ったら、のんびりとコーヒーを飲んで隣席の事務員と雑談を交わしていたのを一時中断する格好で「まだなんですよ」とヘラヘラと笑ってあしらわれた。本当は早くしてくれと督促したいのをこらえて今どうなっているかと婉曲に言ったものを、小ばかにした態度で返されて少しも腹立たしくなかったと言えば嘘になる。新人となめられている、といくらか攻撃的になったかもしれない。「お茶してる暇があるのに?」とっさに出た言葉だった。言った瞬間自分でも「しまった」と思った。時折真由は自分でも思いがけずこういう言わずもがなの言葉をきついニュアンスで発してしまうのである。大抵はこのように短いセリフの中にたっぷりすぎるほど嫌味を含んだ剛速球を投げつける。本当に滅多にないことだが、真由自身はひとつひとつを鮮明に覚えていた。そして自分を責めた。そのとき、久保は「俺はあんたみたいに頭よくないからそんなに要領よく仕事できないんだよ」と事務室中に響き渡る大声で反論した。その幼稚な反論に得心のゆくはずもないものの、自分の言葉が彼の自尊心を少なからず傷つけたであろうことは手に取るようにわかり、自分の軽率さを激しく悔いた。久保とのくだらぬやりとりは、そのくだらなさゆえにますます真由の心の不快感をどっしりと重くせしめた。その夜、真由はウォッカをストレートで飲んで酔い、くらくらする頭を振ってわずかな正気で、左手にメスを持ち、右腕に十数本の傷を作った。だらだらと流れる血を見ながら、自分は何をしているんだろうと自問し、自分の行為の愚かさにさらに傷つき、さらに腕の傷が増えた。
真由はいつも、自分自身に生きている価値が見出せず、足掻いていた。存在価値がない自分なぞ生きていても仕方があるまいと本気で思いつめ、死の段取りを考えたことも幾度もある。しかし死ぬこともできず、ただただ、わずかに流れる血を見て、その血の温度を感じて、ようやく自分が生きていることを、これからも生きねばならぬことを認識する。真由の、決して誰にも明かさぬ自己認識の儀式であった。たとえば患者が退院するときに「先生のおかげで元気になりました。ありがとう」と心から感謝されることがある。そのときは束の間、自分の存在に意義を感じる。しかしその思いは長続きしない。それよりも些細ないきちがいや自分の失敗の積み重ねばかりが重くのしかかる。
夏になり、露出の多い服装の人々を見ると、真由は知らず知らず「なんのうしろめたさもない美しい腕だ」と、すべすべした肌に羨望をこめて見入ってしまうことがある。そして自分の腕のことを思う。暑さをかまわぬ長袖の上衣、この布の下には、傷だらけの醜い皮膚があることを痛烈に思い起こす。そしてその醜さはすなわち心の醜さの象徴なのだと。




