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透明の向こう側  作者:
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 本格的にマニュアル類の内容を詰める作業に取り掛かったあたりから、真由は多忙のあまり徹夜することも多くなっていた。論文を読み漁ったり、先日の災害対応訓練でレスポンスの早かった病院に、システムを院内でどういう風に運用しているのか聞き取りを行ったりと、積極的に行動した。医局に残っていると周囲の目があるからわざと医局での作業は早めに切り上げ、持ち帰って頭をひねって検討する。気付けば朝だった、というような日々の繰り返しだった。やつれたり目の下にクマができるような、人目につく変化がないせいで周囲は殆ど真由の日常の変化に気付かなかったが、ふっと勤務中に集中力が途切れて気が逸れるようなことが何度かあって、ついに高遠が気付いて「俺が言い出したことやが、お前、一旦こっちの仕事は忘れろ。臨床の方に集中しろ、馬鹿」とマニュアル類を取り上げた。ひと月近く、真由は友人からの電話にもメールにも返事もしないし出もしない、完全に人との接触を放棄して仕事に没頭していた。高遠から仕事を取り上げられた当日は湯船にゆったりつかり、泥のように眠り込んだ。翌日は夕方近くなってようやく起き出すと、メール類を読み直し、慌てて「忙しかった、返事もせずにごめん」と短い返信を送りまくった。仕事に没頭していたせいもあるが、真由がこれだけ人に無関心になったのにはもうひとつ理由があった。永井荷風という人物を知ったのをきっかけに、憎悪に固められて身動きできない自分を再認識し、憂鬱の波にのまれてしまった。独身を貫き、楽しければ不倫も厭わぬ自分を、人は自由奔放と見るのだろうか。違うのに。違うのに・・・。

 何をするのも億劫で、憂鬱でたまらない。真由には時折そんな波がある。今回は理由がはっきりしている分、まだ楽だった。怖いのは理由もなく突然襲ってくる憂鬱の波だ。そんな時は真剣に死を考える。死神が極上の甘美な笑顔で真由を手招きする。

 ようやく真由の言葉を得た友人たちから「生きてるならそれでいい」といった返事がきた。これまでにも返信が大きく遅れることは何度もあったから、そのことについてはもう諦めている、でも心配してるんだよ。そんな声が行間から漏れてくる。

 ツアー中の有薗からもメールが来て「どんなときも体調は万全に。もうすぐ神戸です。存分に楽しんでほしいから」と、やはり真由を気遣っていることが十分すぎるほど伝わってくる文面に、爽快な青空の写真が添えられていた。鹿児島で見た空があまりに気持ちよかったからお裾分け、と。のまれそうな空の青さに真由はしばし見とれた。ああ、空はこんなにも青かったんだ。もう夏の空だ。最近は空を見る余裕すらなかったんだ。開け放した窓から快晴の空を仰ぎ見るとそこにはもう夏のすがすがしい空気が満ちていて、磯くさい潮風がさらっと吹いて真由から憂鬱を取り払った。


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