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透明の向こう側  作者:
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 訓練も終了し簡易ベッドも何もかも片付けられた十七時頃、高遠からPHSで呼び出された。大会議室に来いと言う。行ってみるとさきほどの救急ネットワークの画面は災害モードを終了して通常運用に切り替わっていた。ホワイトボードには真由が見た三行の下に「13:47 救急センター患者五名受け入れ可能(外科三、その他二)」等数行書き加えられ、最後に「15:40 訓練終了」と締められていた。高遠は正面スクリーンと接続されている基幹PCの前に座って会議室の正面を眺めていた。「お疲れ様でした。抜き打ちで訓練なんて、高遠先生らしいですね」開け放たれた会議室後ろ側のドアをノックしながら真由が入っていくと、高遠は振り向きもせず「事務室で怒鳴ったらしいね?」と言った。顔が見えないので、その言葉が真由を咎めるものなのか単なる世間話のつもりなのか判断がつかなかった。「怒鳴ったつもりはないですが・・・そう思われたのなら反省します、申し訳ありませんでした」相変わらず高遠は振り向かないままなのでどうせ見えはしないのだが、真由は深々とおじぎをした。高遠は「ふふっ」と鼻で笑って「怒ってるんじゃない、誉めてるつもりなんだよ」そう言いながらマウスを操作し、何度かクリックしてスクリーンの画面が変わった。「これを見てどう思う?」顔をあげて真由がスクリーンを見ると、そこには訓練のログが映し出されていた。救急ネットワークが災害モードに切り替わってから終了するまでの、各医療機関からのレスポンスがずらりと並んでいる。一番反応が早いのはさすがに救命救急センターを併設している中央市民病院で、モード切替のわずか二分後に「事故概略了解。ドクターカー出動します」と書かれている。中央市民病院にはドクターカーという名の病院独自の救急車があり、日常的に出動している。通常の救急車と異なり、その名のとおり医師が同乗しているので、現場到着と同時に治療を開始できるのだ。通常の初期治療までの時間を短縮でき、大きなメリットがある。ほかに、事故のあった西区を中心に神戸市内の主だった病院のレスポンスが連なり「ドクターカー出動しました。重症患者受け入れOK」と、中央市民病院から訓練と思えぬ緊迫感漂う二度目の書き込みもある。しかし、神戸海原病院の名がない。真由の驚きを見透かしたように黙って高遠が画面をスクロールすると、事故から十五分後にようやく「重症含め五名受け入れ可」と書き込まれているのを発見した。「反応が遅すぎるし、内容も要領を得ない」真由が率直に感想を述べると高遠は「そうだね」と深くうなずき「ほかに感想は?」と続きを促す。「どうしてうちは緊急車両の出動がなかったんでしょうか。現場でのトリアージや初期治療に当たれる筈です」「うん。それもあるね。せっかくお金をかけてこんなシステムを作っても、立派な道具を揃えても、うまく使わないと意味がない。そう思わない?」「このシステムは導入されてすでに二、三年経ってるでしょう?私、最初の訓練が記憶にあります。すごく大掛かりだった」「そう。だけど使いこなせていないのが現状」「ほかの病院はレスを見る限りそれなりに使いこなせているんだから、問題なのはうちですね」「そのとおり。うちは救命救急センターじゃないとはいえ、外来とは別にちゃーんと救急センターなんて立派なものがあるのに」しばらく高遠は黙り込んでぐしゃっと頭を掻き、そのまま頭を抱え込んだ。「このシステムをみんながどう使うか見てやろうと思って、わざと対策本部から抜け出して上の病棟にいたんだけどね。まさか院長まで対策本部をほったらかしてこの部屋を空けるとは思いも寄らなかった」と言うと深々とため息をついた。「君が事務室に怒鳴り込まなければ、いつまで無人だったことやら」ようやく、高遠の最初のセリフが何を意味したか真由は理解した。システムへのレスポンスの遅さ、ホワイトボードの記述の不足とあいまいさ。訓練であらわになった緊急時の連携のなさや対応の弱さに高遠はすっかり参っているようだった。

「そこでだ!」会議室には二人のほか誰もいないのに突然高遠は大声を張り上げたたかと思うとようやく立ち上がって真由を振り向いた。「君、災害救急のエキスパートになりたまえ」「はい?」「弟子認定」「ええっ?」「お前センスある。向いてるよ」「えーと、おっしゃる意味がイマイチわかりませんが」「このシステムを使いこなせるようになれ。院内の災害マニュアル見直しも手伝え。緊急車両出動のガイドラインも作り直そう。ついでに今日の訓練の報告書の草案作成」「えっと、弟子認定はありがたいのですが、何かドサクサがまぎれているような」「気のせい」「気のせいじゃない」「それも勉強!」会議室の壁を震わせるくらいの大音声で一喝されて真由はひっと肩をすくめてしまった。

 その夜、高遠に連れられて病院近くの居酒屋に行くと彼は「お前俺に弟子入りしたいって言うとったやん。念願かなって嬉しいだろう、な?」といやに気安く真由の肩に腕を乗せながら酔うに任せて軽口を叩き続けた。しかし散々飲んで訓練のグチをこぼした別れ際、急に見たこともないくらい真剣な表情を浮かべ「お前、いつか大学病院とか、救命センターに行って修行してこい。いつまでもこんな病院におったらあかん」と言って「じゃ」と駅への通路へ姿を消した。

 自分は学生時代に感銘を受けた高遠に師事したい一心でこの病院へ来、いつか大学病院のような大病院、高度な施設に行こうとは考えていなかった。自分の目指しているのは少なくとも高度医療だとかではない、もっと現実に身近な患者と接する医療だと漠然と思っていた。思いがけず自分の将来の道を示唆され真由はただ驚いた。

 翌朝、真由は必死に高遠に言われたとおり訓練の報告書を仕上げた。その報告書を自分で加筆修正し終わった高遠から職員全員に宛てて「本日十六時より、昨日の災害対応訓練の検証会を行います。全員参加のこと。@研修室」とそっけないメールが送信された。院長ももちろん出席している検証会で真正面から「災害対策本部を空にするなど論外!」と語気荒く言ってのけたことに、真由は高遠らしさを感じた。彼は自分の情熱と信条に忠実だった。やはり彼を慕ってここへ来て良かった、技術だけじゃない、彼から学ぶべきことはたくさんあると再認識するのであった。いつかこの病院を離れるということは高遠から離れることだ。今は、到底そんなことは考えられない。


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