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週が明けてすぐに美樹と会った。絶対ライブの感想聞かせてくれとせがまれていた。初のオリジナルアルバム完成後の節目のライブに行けなかったことは相当残念だったらしく、会うなり「どうやった、ライブ?」と身を乗り出さん勢いで美樹はうきうきと訊ねた。「もうね、最高。一時間ちょっとしかなかったけど、ほんまあっという間。JAMANIAもかっこよかったし、お客さんが良かった。会場が一体になって大盛り上がり」「マジでー。うわ、行きたかったなー。曲は何やったん?やっぱりアルバムから?」「最初はね、記念すべきデビュー曲『JAMANIMALS』。これでいきなりがしっと客のハート鷲掴み。デビューからずっとファンっていうお客さん多かったんじゃないかな、みんなほんと嬉しそうだった。それからはだだだっと新曲。もう一曲一曲ライブハウスが震えるくらいうわーって歓声で。アンコールで清水さんが『今日が俺たちの新しいスタートだ!』つってニヤッと笑ったのがなんかさ、してやったり、って感じでかっこよかった」「うわーうわー、仕事休んででも行くべきやったな、うわー」とあたりはばからぬうめき声すらあげるものだから、美樹が面白いほどどんどん興奮してくるのは手に取るようにわかった。もう地団太踏む勢いで真由の話に魂を傾けている。真由が覚えている限り忠実に曲順とそのときの雰囲気を詳細に話すと、美樹はますます目を輝かせた。自分の言葉で伝えきれる感動ではなかった。そうは思うものの、真由は美樹の期待に十分応えようと懸命に記憶をたぐり、言葉をつないだ。高ぶる美樹をよそに真由はふふっと笑っていたずらっぽい目をした。「美樹、いいこと教えたげる」「何なに?」「来週の水曜日、清水さんとソノさんが大阪に来るよ」「え、マジ?なんで?」「アルバムの宣伝兼ねて、八〇二にちょこっと出るんだって。生放送だけど夕方だから聴けるんちゃう?」「八〇二かあ。何時の番組?」「十八時から。番組のどのへんで出るかまではわからない」「ライブで言ってたん?」「各メンバーが全国FM行脚してるらしいよ」「絶対聴く!」そう言って美樹は手帳を取り出し「うちFM入りにくいんよ、聴けるかな」と心配そうにひとりごちながらもしっかりと「18:00 FM802 JAMANIA」と書き込んでいた。ライブで告知されたというのは嘘だった。有薗からつい昨日、FM生出演で大阪に行くとメールがあった。ただ、出演が済むとすぐに帰京するので今回は誘わないと記されていた。あえて「誘わない」と明記されたことに真由は少しの違和感を覚えた。自分が有薗から突き放されたような寂しさ。しかし本当に真由を突き放すのならばメールを寄越すこと自体しないだろうと自分の考えを打ち消した。頭を振りながら、有薗から疎外されることに寂しさを覚え、それを否定しようとする自分はすっかり彼に魅了されていると思うとそら恐ろしくもあった。彼と深く付き合うほどに自分の甘えが露呈する不安に陥ることは火を見るより明らかだった。それでも有薗に言われたとおり「力を抜いて」彼の寛容さに正直になってみようとも思っていた。いよいよ有薗の迷惑になりそうになったら、そこまで深みにはまりこんでしまったら、そのときこそは連絡を絶ちJAMANIAのいちファンに戻ろう。CDを聴くたび、ライブで見るたび、胸が締め付けられる思いをするだろうけれど。
有薗との個人的な関わりを迷いつつ、どうしようもなく惹かれつつあることも受け止めながら、真由はそんな思いは胸にしまってひととき美樹とJAMANIA談義を繰り広げた。こうしてファン同士で、純粋にファンとして語り合うのはやはり楽しかった。
翌週の水曜日、研修の講義、カンファレンスなどの日常業務も終えて自分の担当の入院患者の様子を見て廻ったりして医局の自席に着いたのが十八時半頃だった。JAMANIAが何時ごろに出演なのかはわからないが、番組はもう始まっている。美樹は無事に電波を拾って彼らの声を聴くことができたのだろうかと考え、ふと、今から帰ればもしかしたら間に合うかとも思ったが、結局今日の研修のテキストをひろげて復習にとりかかった。「相変わらずまじめくさい奴や」と後ろから突然声をかけられた。高遠だった。「ちょっと一杯行こうや。ほらそんなんしまって」と高遠が真由の背をばしと叩いてせきたてた。高遠はとにかく酒が好きで、しょっちゅう職員の誰かを誘って居酒屋へ繰り出している。真由も何度も付き合ってきたが、彼の飲みっぷりにはいつも感動すら覚えるほどだった。しかし彼の悪いところは、ちょくちょく二日酔いで出勤してくることだった。そこまで飲まなきゃいいのに、と職員の間でも有名だった。だがいたって明るく、酒癖が悪くないので皆は喜んで相伴している。
ほろ酔い加減になってくると「お前はね、まじめすぎるんだよ」といつもの高遠の説教が始まった。いつも真由は高遠に「もっと気を抜け」と注意されるのだ。高遠と酒をともにして説教を食らうなんて真由くらいのものだ。「人間なんて完璧なんてどだい無理なんだから、はなから完璧を望まなけりゃいいんだよ、楽だぜ」「完璧を追い求めてるつもりはありませんけど」「でもお前はまじめすぎる。あれだな、息抜きの上手なタイプじゃないな。家でもリラックスする時間より、勉強してる時間の方が多いんじゃないの?」「そうでもないと思いますが」「いいや、そうだ。こないだ看護部長の研修で宿題出されたでしょう?俺も読んだよ、君の作文。あんな研修の宿題ごときであそこまでまじめに書かんでよろしい、というのが俺の感想」「それは手抜きって言うんじゃ」「ほら、それがまじめすぎるっつうの」こうして真由に説教を垂れるのは高遠くらいのものである。他の職員は真由の言動に思うところがあっても決して表立って口には出さない。患者と密に接しすぎるというのも少なからず思われていることだが、それについてはっきりと助言を与え、ときに線引きをして軌道修正を図るのは高遠だ。必要最低限の接触しか持たない医師が多い中、高遠もまた、患者や家族に親身に相談に乗り世間話も交わし、一人ひとりときちんと向かい合うタイプだった。だから今真由が買っている反感を自分も経験してきている。そしてまた、真由をそういう反感からかばってくれているのも彼だった。
真由が医学部の学生だった頃、教官に連れられて学会に出席したとき「相手は物じゃない、人間なんだ。それを忘れちゃいけない」と本題から大きく逸れながら熱弁をふるっていて、深く感銘を受けたのがほかならぬ高遠だった。抄録集から高遠が設立されたばかりの神戸海原病院に勤務していることを知り、ぜひとも彼に弟子入りしたいと真由は心に決めた。卒業後の進路を決めるとき、研修病院の中に神戸海原病院があったことに心の底から感謝し、迷わず応募した。そのいきさつは隠さず高遠に話してある。高遠は「俺は弟子なぞ取らん。何も教えん。自分で吸収しろ」と言いつつも指導医として真由を指導してくれた。研修医ではなくなった今も、高遠と真由は師弟であることに変わりなかった。高遠と出会い、こうして指導を受けられることを真由は幸せに思っていた。
高遠がふと気付いて真由の右腕をぱっと掴み「これは?」と手首付近の汚れを指差した。真由が返事をせずに黙っていると「何がつらいのかは訊かないけどね、他に逃げ道を探さないと」とだけ言って手を離した。真由は夕べ右手首に怪我をして絆創膏を貼っていたのだがそこからにじみ出た血が袖口に付いていたのだった。
コンビニで缶ビールを買って帰り、帰宅してからも真由は酒を飲み続けた。高遠に付き合って自分も何杯もジョッキを空けたのに、少しも酔いは感じなかった。酔いたかった。照明を落とした薄暗い部屋の中で、真由は手首の絆創膏を外した。するとそれを待っていたかのようにまだ生々しい傷口が開いて血が流れ出した。たいした怪我ではないので噴出すほどではないが、しばらく血の流れるままにまかせ、自分の手首を見つめていた。




