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透明の向こう側  作者:
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「あのね、子どもの頃から父親がいないから、私にとってはそれが当たり前なんですよ。だからもし母が再婚してある日突然新しいお父さんが来たらそれはそれで戸惑ったと思うんです。だから、私にとっては当たり前のことなので、本当に気にしないで下さい」記憶にもない父のことを訊ねられて気分が良くないのは真由の方の筈なのに、知らずに言葉を発した有薗に対して彼女の方が気遣うのであった。彼女の優しさが、有薗をまたせつなくさせた。彼女はきっと幼い頃からこうして数え切れぬほど人を気遣って、思いやってきたのだろう・・・。

 真由がテーブルの上のタバコに伸ばした手を有薗はぱっと掴み、自分の両手で包み込んだ。そして自分でも思いがけない言葉が出た。「君は、もっと力を抜いていいと思う」

真由は混乱した。自分の、普段表に出ない一面を見抜かれたようで、背筋がヒヤリとした。この感覚は以前にも味わった。そうだ、やはり有薗に「自分に自信を持って」と言われたときだ。彼は自分の仮面を通して何を見ているのだろう。

 有薗の手はとても温かで、その繊細な細い指から想像できないふわりと包み込む柔らかさだった。

 言葉を発した有薗自身も驚いていた。自分は何を言っているんだ、と思う一方で、これが真由に抱いていた不思議な違和感の正体なのかな、とも思った。彼女は、もっと力を抜いて自由に、正直になっても良さそうに思えてきた。

 彼の手を、真由がもう一方の手でほどいた。そしてくすっと笑って「ソノさん、駄目です。手なんか握られて、優しいこと言われたら、惚れちゃいます」と冗談めかして言ったが、その表情は言葉と裏腹に少し悲しげだった。「かなわぬ恋はつらいから嫌です」と続いた言葉がその表情にふさわしすぎてますます有薗は不思議にせつない思いにかられた。

 話題の転換を図って気を取り直したのは真由の方だった。あらためて今夜のライブを振り返って感想を口にし「本当に来て良かった」と繰り返したかと思えば突然人気歌手の名を挙げて「プロの目から見て彼の歌はどう?私は音痴だと思うんですけど」などと思いがけないことを訊ねて有薗を戸惑わせてくすくすと笑っていた。

 真由のバッグの中で携帯電話がブルブルと無音で震えて〇時を知らせたので「今日はどうもありがとう。そろそろ帰ります」と告げた。シンデレラではないが、気ままなひとりの自宅ならともかく、叔父の家に帰らねばならぬことを考えて予めアラームを設定しておいたのだ。「遅くまでごめん」と有薗が自分の腕時計で時刻を確認しながら詫びると「とんでもない。JAMANIAのこともいっぱい聞けたし、お酒もおいしかったし、楽しかったです。謝らないでください」と真由はさっぱりと笑った。真由は楽しかったと言ってくれているが、今夜はなんとなく彼女のせつなさの方が印象的で、気まずい思いをさせてしまったような気がして、有薗は彼女になんと声をかければいいのか言葉を捜して迷った。真由もすぐに立ち上がろうとはせず、有薗の顔をじっと見つめてその少し困った表情を、優しくて正直者だなあと思いながら観察していた。「私ね、自分の中で決め事があるんです」「決め事?」「謝るよりまず『ありがとう』です」有薗がきょとんとしていると真由がくすっと笑った。「たとえば、待ち合わせに遅れたら『待たせてごめん』じゃなくて『待ってくれてありがとう』。うまく言えないですけど・・・。謝るのはもちろん大切だし私も謝るんですけど、まずは相手が自分に対してしてくれたことを感謝するんです。ありがとう、って。罪悪感よりも、感謝を相手に伝えたい。これが私の持論です。って持論ってほど大げさじゃないし、なかなか実行できてないんですけどね」「へえ」と有薗は心底感心した。「『ごめん』よりまず『ありがとう』か。いいこと聞いた。難しそうだけどね、やってみよう」どうして真由がそんなことを言い出したのかがよくわかるだけに、今そんなことを言い出す彼女を、そして日頃からそんな持論を持って行動している彼女を素敵だと思った。「今夜は、ありがとう」と言ってみると、なるほど、ごめんと言うよりずっと新鮮に、相手に気持ちが伝わりそうで嬉しくなる。真由もにっこり満足げに微笑んで「こちらこそ、ありがとうございます」と答えた。

「東京ってやっぱりすごいですね」駅まで有薗にしがみつくようにして歩きながら真由が感嘆のため息をついてそう言った。「何が?」「ほんとに眠らない街って感じ」「眠らない街か。そうだね」「ソノさん、飲み足りないんじゃないですか?」「そんなことないよ」「いつもはもっと夜更かしなんでしょう?」「早く帰って寝るときだってあるさ」そう言って有薗も真由とともに改札を通り、ホームまで来た。「ソノさん、今夜のライブ、ほんとに来て良かった。いっぱいお話もできて楽しかったです。ありがとう」「僕の方こそ、真由さんが東京まで来てくれるなんて思ってもなかったから嬉しいよ。ありがとう」ホームへ真由の乗る電車が滑り込んで来、真由はそれに乗り込むと他に乗り込む人を避けつつ、ドアの付近に立ち「おやすみなさい」と言ってひらひらと手を振った。有薗も顔の付近に手をかざして応えた。ドアが閉まり、電車が見えなくなるまで有薗はホームで見送った。

 会うたびに発見がある。会うたびに魅力的に感じる。流れる車窓の夜景を見ながら、電車の去ったホームに立ち尽くしながら、真由も有薗も、互いにそう感じていた。

 真由はほとんど眠れずに朝を迎えた。有薗の「力を抜いていい」という言葉が何度も何度も胸の中で繰り返された。ほんの数回会っただけで自分を見抜かれたようで恐ろしくもあり、その洞察力もまた彼の魅力をなしているようでもあり、考え出すと止まらなかった。このまま有薗と親交を深めれば、いつか、自分は彼にどっぷりと甘えてしまう気がした。彼は真由の甘えを受け止める包容力が十分にあるように思えて、それがかえって真由を不安にした。親友の美樹にさえ仕事のグチひとつこぼさないように、真由は他人に甘えたり弱みをさらけ出すことを極力しないように努めてきたのに、それが有薗の前では崩れてしまいそうで怖かった。


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不透明人間
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