23
ふたりは新宿へ出た。神戸とは比べ物にならない人の多さと街の明るさに真由は少しめまいがする思いだった。一体この街はどうなっているのか。どれほどの人がいるのか。街自体が見たこともない何か大きな生き物のような思いがする。しかし有薗は慣れた風にすいすいと歩みを進める。真由が少し遅れがちになってはとととっと小走りで追いつき、ということが何度かあって、有薗は立ち止まり「ごめんごめん」と笑って「良かったら」左腕をくの字に折り曲げて肘を真由に突き出した。真由は「失礼します」と照れくさそうにその腕に自分の腕をからめた。「真由さんは背が高いからこうやって腕組んでも僕と差がなくって、絵にならないな」「でかくて失礼しました」有薗はさっきよりも格段にペースを落として真由が歩きやすい速度で歩いてくれて、後ろからどんどん大勢の人に追い抜かれていく。「子どもの頃から大きかったの?」「そうですね。普通女の子って男の子より成長が早いでしょ、中学くらいで一番成長する。だけど私は高校でもぐんぐん伸びたんです。しかも二十歳過ぎてからもさらに伸びたもんだからいつまで成長期なんだって大学時代、健康診断のたびに友達に笑われました」「今も伸びてるの?」「まさか」
駅から少し歩いてビルの四階に上がると、そこには今までの喧騒が嘘のように静かな空間が待っていた。ドアを開けると心地よいピアノの音色が響いてきた。土曜の夜だからか、仕事帰りという雰囲気の客は少ない。
「おじさんの家は門限とかあるのかな?」とメニューを片手に有薗が訊き「もういい歳ですから。遅くなるとは言ってきました」と真由が答えると嬉しそうに有薗はにっこり笑った。たった今あんなに熱いステージで自分を酔わせた人とこうしてともに過ごせることにきっと自分の方が驚きと喜びで興奮いっぱいなのに、彼の笑顔がそれを見越した上で自分との時間を喜んでくれる無邪気さと素直さで親しみを深めてくることに真由は面食らってしまうほどだ。「僕はまずビール。あとは適当に、オードブル盛り合わせ・・真由さんは何飲みます、食べたいものある?チョコレートとか甘いものでもつまむ?」と言ってから有薗はあっという顔をし「チョコ食べないんだっけ」と確認した。「よく覚えてますね」と真由は驚いた。「だって女性でチョコレート食べないなんて初めて聞いたもの」「嗜好が年寄り臭いんです。羊羹とかが好きなんですよ」と真由が言うと、オーダーを取りに来た学生と思われるくらい若いボーイがにっこりと「ご希望でしたら羊羹、買ってきてご用意いたしますよ」と言った。「食べる?」有薗がいたずらっぽく訊き、真由は自分の言ったことの場違いに恥ずかしくなり「そんなわけないでしょう」とうつむいてしまった。
ふたりはビールで乾杯した。「真由さんの新しい門出と、JAMANIAの門出に乾杯」と有薗がウインクし、真由も「最高のステージに乾杯」と追いかけるように言った。ゴクゴクっとノドを鳴らしてビールを飲んでから、有薗はきらきらした目で真由を見た。「最高だった?」うん、と真由は大きくうなずき返した。「今までのJAMANIAで一番。ステージも良かったし、お客さんのノリも良かった。もうほんとはじけてぶっちぎれた。あれが一体感ってやつなのかな。演じる側ってどうなんですか?」「もちろん感じるよ。今日はすごく良かった。メンバーもスタッフも『やったな!』って感じだったよ」そう答える有薗は達成感に溢れたいい表情をしている。メンバーも最高と感じてくれたステージなら、きっと本当に最高の出来だったのだろう。東京まで思い切って来て良かったと思った。
カチッとライターの音がして有薗がふーっと煙を吐き出したとき、見るともなし見ていた真由の視線は知らず彼の手元に釘付けになり、ああ、やっぱり綺麗な手元だと惚れ惚れする。指先まで大人の色気と気遣いが満ちている。「ツアーも楽しみにしてて」と力強く言い「神戸とか大阪のことがわかったら真っ先に知らせるよ」と約束してくれるので「本当に楽しみにしてます」と真由もにっこり笑った。「ソノさんって話し方とか態度とかはゆったり構えてる感じだけど、曲はあんなに派手なんですね。びっくりしました」とようやく真由は有薗の曲に対して感想を述べた。「僕がゆったりに見える?そうかなあ。まあ確かに激情型ではないかな。でも昔、高校でバンド組んでた頃なんてパンクだったよ」「ええっ?」「本当ですよ。まあ好きでパンクやってたわけじゃなくて、田舎だからバンドなんてやってる奴自体が少なくて、そこに混ぜてもらってただけなんだけど」「ふーん、意外」真由は座り心地の良い椅子の背もたれに体を預け、自分もタバコに火をつけた。JAMANIAはジャズ路線なのでそんなに激しくパンクを連想させるような曲はない。しかし基調のラテンに、独特の明るさやジャズを飛び出たロック調のノリも併せもっている。彼らのライブに行けば必ず汗をかいて軽いスポーツの後のような疲労すら覚え、爽快な気分で帰ってくるのが常だった。静かに耳を傾けるタイプのジャズではない。自分も音楽に乗り、自然に体が動き出す、そんな感じだった。ふと頭にカタカナの文字が浮かび「パンクでベースと言えば、シド・ヴィシャスだ」と真由がその言葉を口に出すと有薗は「ん?」と怪訝そうな顔をした。「やっぱりパンクやってるソノさんてイメージが湧かない」とまじまじと有薗を見るものだから、一瞬きょとんとしてから「おいおい、そりゃいくらなんでも想像が飛躍しすぎだ」と有薗は弾かれたように盛大に笑った。
「メンバーはどうやって知り合ったんですか?結成のきっかけとか教えてください」と真由に訊かれ、有薗は少し考えて「えーと。軸は大学のバンドです。今残ってるのは田中、太田、清水、増岡。他にも学生時代にはメンバーだったけど、今は普通に会社員とかしてる奴らがいる。そいつらがときどきステージやってたのが、僕が上京してバイトしてた店で。ある日『お前、俺らの仲間になれ』っていきなり言われて『ああ、そうなのかな』って感じで僕が加入して。そこへ知り合いを通じてとかなんとかでメンバーが増えたり減ったりして、最後に伊藤が加入してデビューのときには今の六人になってた」と指折りながらメンバーを教えてくれた。「田中って誰?」と真由が思わず問い返すと「あ、そうか。知らないのか」と言って、ギターのKOUの本名がタナカコウタ、ジャズマンにしては名前がかわいすぎてなんだか気に入らないからとKOUと名乗っている、と教えた。「うわ、それって聞いちゃって良かったのかな、JAMANIAってプロフィールとか全然公開してないでしょ。ソノさんだって、有薗さんだなんてこと普通のファンなら知らないんじゃないのかな」と真由が何気なく言うと有薗は「僕らの本名だとか誕生日だとか、そんなもの知りたい?」と彼にしては珍しく冷たさを含んだ口調で逆に真由に問いかけた。「俺たちの音楽を楽しんでくれと言いたい?」さらに真由は疑問系で応じる。「ご明察」とだけ言うと有薗は真由が自分たちの考えを的確に汲み取ってくれたことに安堵してゆったりと笑った。
JAMANIAがプロフィールを公開しない方針で活動することに対して当然いちファンに過ぎぬ真由に口を挟む余地などないし、真由自身、メンバー個人のプロフィールを暴きたい欲求があるわけでもなく、それ以上疑問形の応酬をすることが非生産的で無価値なことであると真由は十分すぎるほど理解していた。真由が自分たちの活動のあり方をそのまま受け入れようとしていることを有薗もまた十分理解でき、再びJAMANIAの生い立ちについて話を戻し、ほかのメンバーがどんな活動をソロで展開しているか軽く触れたりもした。「ってわけで、ほかのバンドと掛け持ちしてたりアーティストのサポートメンバーやったりとかで純粋にJAMANIAだけなのは一人もいないんだ」「じゃあツアーの日程とか組むの大変じゃないですか?」「そう、だからツアー中でも他のツアーと重なって、行ったり来たりみたいな忙しい奴が必ずいるよ。でも全員JAMANIAメインで、絶対こっちのライブに欠けることはないから安心して」「ソノさんもJAMANIA以外の活動でライブやら録音やらしてるんですか?」「もちろん。最近もレコーディングでちょっと弾いてきた。ツアーはちょうど重なりそうだから不参加だけどね」と大物のソロアーティストの名をさらっと挙げて真由を驚かせた。もう何年も彼のサポートは続けているらしい。一枚だけ持っている彼のアルバムのタイトルを真由が言うと「うん、それにも参加してる」とこともなげに答えた。そのCDを買ったのはたぶんまだJAMANIAを知るよりも以前。それくらい何年も前のアルバムだったが、自分は知らず知らず有薗のベースを耳にしていたのか、と不思議な感慨が真由を覆った。




