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「ソノさん、もうソノさんのホテルの方向へ行く電車は終わってるから、タクシーじゃないと」と真由はそっと有薗の腕を取り、先に立ってタクシー乗場の方へ歩きだした。同じように終電を逃したと思われるビジネスマン連れが何人か待っていた。「真由さんはここでいいですよ。真由さんの電車までなくなったら困る」「まだ大丈夫。それに無理なら歩いて帰りますから」「近いの?」「四、五十分かな、酔い覚ましにちょうどいいですよ」「そんなに歩くの?」有薗は酔いも吹っ飛んだといわんばかりの驚きだった。当の真由はけろっとした顔をしている。「しょっちゅうですよ。日中でもブラブラ、歩いて街へ出たりしますよ」「健康のため?」「まさか!健康志向の人がタバコなんて吸うもんですか」と真由はからからと笑った。「歩く方がね、一人になれるんです。いろんな考え事。悩み事とか、次はどんなライブに行ってみたいとか、そろそろ美術館の特別展が始まるなとか、たまにはのんびり家で本でも読む時間がほしいなとか。あの人は不倫してたけど清算できたなかな・・・とか。もうほんとくだらないことまでいろいろです」「ふーん。家では?」「家では勉強と仕事でいっぱいいっぱいでなかなか考え事に費やす時間が生み出せなくて。精一杯、週に一本は映画を見るようにしてます。そうやって無理やり自分だけの時間を作り出して、浸るのがほっとできる。頭の切り替えが上手じゃないんです」と言うと目を閉じてほーっと小さく息をついた。ほとほと自分の不器用さが嫌になる、とそのため息が伝える。「僕も一人の時間って誰からも侵されたくないって思ってる。大切だよな自分だけの時間って」そんなことを話しているうちに前の数組がはけ、次は有薗の番というときになると「はい」と真由がぶっきらぼうに何か紙袋を有薗に差出した。「何?」と有薗が不思議そうに受け取ると「ちょっと早いクリスマスプレゼントです」と言って照れくさそうに小さな微笑を浮かべた。「へえ、ありがとう。うわ、まずったなー、男の僕が、誘っておいて何も用意してないよ」と心底悔しそうに有薗が自分の頭をぺちんと叩いているのを見て「素敵な時間とおいしいお酒を頂戴したし、ソノさんのメールアドレスをゲットしましたもん、幸せすぎるくらい幸せです。どうもありがとう」と真由は心から礼を述べた。「でも」と有薗が言うところへタクシーが滑り込んできた。真由は無理やりまだ何か言いたそうな有薗の背をぎゅうぎゅう押し込み、乗り込んだのを確認すると「メリー・クリスマス」と不器用だからこそチャーミングなウインクをした。有薗は後部座席の中でそれをまぶしそうに眺め「メリー・クリスマス!」と言うと満面の笑みを浮かべた。車が動き出し、車中で有薗が「じゃ」という風に手刀を切るのを見送ってしまうと、真由は家に向かって歩き出した。有薗が自分のスタート地点だという場所に連れて行ってくれたこと。そこでお気に入りの音楽にたっぷり触れられたこと。彼との語らいがとても穏やかで心地良かったこと。そこまで思うと、いつもの悪い癖が出た。「ソノさんは私なんかにはもたいなすぎる人だ、親しくすべきじゃない」。しかし、彼の物腰の柔らかさ、ふわっと真由を包み込む温かい話し方、大らかさ。ぐんぐん惹かれていく。引き込まれていく。彼はなんだかわからないけど、とても魅力的な人だ・・・。
真由の住むマンションは、勤務する病院に徒歩十分ほどのところにある。電車なら三宮から一駅か二駅、ほんの五分足らずだが、歩けば結構な距離である。真冬とは言え、帰宅したときには額はうっすら汗ばみ、体はぽかぽかと温かかった。帰宅するとすぐにパソコンの電源を入れておいてシャワーを済ませ、不慣れなメイクもしっかり落としていつもの真由の顔に戻ると気分もすっかり落ちついた。
何件かのメールのうちに「今夜はありがとう」という件名のメールがあった。差出人はSONOとなっている。もしやと思い開いてみると「考え事ははかどりましたか?風邪ひかないように暖かくして寝てくださいね。それとプレゼント、すごく気に入りました。どうもありがとう」と書かれていた。真由が歩いて帰ったことを予想していたようだ。真由は時刻を気にしつつ、返信を書いた。「私の方こそ楽しかったです、ありがとう。ソノさんも風邪など召さぬよう。ではおやすみなさい。今日は本当にどうもありがとう」




