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「冬のツアー、全部決定したよ」「ほんとっ?」「予定よりかなり遅くなっちゃった。年末から年をまたいでやる」「冬にやるって言ってたのに発表されないから、諦めてた」「メンバーが増えるんだ。その調整もあって。ずっとサポートだったパーカッションの堀君が、正式にメンバーになる」「ついに口説き落としたん?」「ほんとついに、って感じだね。長かった」そうだ、真由は堀がどういう経緯でサポートに加わったか、なぜ長くサポートを務めながら正式な加入を固辞し続けていたかを理解できる数少ない人間なのだ。だからこそ、加入をどのファンよりも心から歓迎してくれるだろう。そんなファンがいることを、堀だって喜ぶだろう。熱く熱く迎え入れてやってくれ。有薗はそんなことを思った。「じゃあそのお披露目も兼ねるのか、新生JAMANIA、ますます冬が楽しみやね。神戸に来る?」「神戸は聞いて驚け、なんと2daysだ」真由の目が驚きと喜びに大きく見開かれ、声も出ないという顔で食い入るように有薗を見入る。「年末にCUBE、年明けに国際会館」「ほんとに?うわ、どうしよう。ドキドキしてきた」胸を押さえながらそう話す声は心なしか上ずって興奮気味である。十分すぎるほど期待が伝わってくるのが有薗にはたまらなく嬉しい。これほど純粋にJAMANIAを愛してくれているファンがいったいどれほどいようか。「前に僕だけ来て他のバンドと演ったでしょう、あんな風にメンバーが個別に来たことは何度かあったんだけど、JAMANIAとしてやるのは六年ぶりらしい」「だってデビューしてからは初でしょう?」「うん。ツアーの日程組み始めたときに僕が『神戸は久しぶりにどっぷりやりたいな』って言ったらメンバーも乗り気になっちゃって。やるならやっぱりCUBEだろうって即決」「ソノさんが言い出したの?」「ちょっと、仕事に私情を持ち込んだみたいで後ろめたい気もする」「私情?」真由がやや怪訝な顔で問い返すと有薗はいくらか照れくさそうにしながららも正直に「真由に喜んでほしいなって思った。きっとCUBEで演ることを誰よりも喜んでくれる」と話した。「それって、いつ頃の話?」「もう随分前。あれだ、もう忘れてくれって君にこっぴどく振られたあたりだ」「振られたまんまだったらどんな顔して演奏する気やったん」「さあ。絶対なんとかなるって思ってたし。でもきっと振られてもやっぱり、君に喜んでほしい一心で頑張るだろうな」なぜ自分ごときを喜ばせることにそんなに夢中になれるのか。何があなたをそんなに情熱的にさせるのか。こみ上げる様々な感情に、真由はもう、言葉が続かない。「ひとつだけ言っとくと、CUBEについては僕らのホームページでもファンクラブでも告知しない。プレイガイドでのチケット発売も当然ない」「じゃあどうやって行けばいいの」「CUBEのファンならわかる筈だ」はっきり言わずにヒントだけ与えられてしばし考えた真由はぱっとひらめき「今、ホームページ見てもいい?」とだけ訊ねた。たった今「ホームページで告知しない」と言われたのだからこの場合、JAMANIAが事務所サイトの一角に持っているページを指さないことは互いにわかっている。有薗も真由が的確にヒントから正解を得たことを察した。「ちょっと待ってて」と言い置いて真由は迷わずすっくと立ち上がるとリビングに隣接する和室に入っていった。そこは書斎として使用していて、大きなデスクがでんと部屋を占領し、その上にノートパソコンが載っている。膨大な量の本は押入れにすっかり収納されていて、部屋自体はデスク以外に物らしい物もなくいたってシンプルだ。パソコンが起動するのを待ちかねるように真由は迷わずブックマークにちゃんと登録してあるCUBEのサイトにアクセスした。今後のスケジュールのページには年内の予定がアップされているがそこを丹念に探してもJAMANIAの文字はない。が、トップページに戻ってよく見ると、クリックできない見慣れぬバナーがひとつある。「年末、熱い男たちが帰ってくる」と文字が流し込まれている。「もしかしてこれかな?」「なんかあった?」「熱い男たちが帰ってくる、って。マスターが一番喜んでるんじゃない、CUBEでJAMANIAが演奏すること」「そうかもしれないね」「いつ予約開始するんやろう。席取れるかな」「真由なら顔パスだろ」そう言われて真由ははっとした。そうだ、あのマスターは自分と有薗の関係を、たぶん知っている。気付いている。有薗にシェリー酒の伝説を教えた当人なのだ。ぽうっと顔が火照る思いがした。自分こそ、どんな顔をしてCUBEにのこのこと出かけて行くつもりだ。真由が急に黙り込んだので有薗は気になってのっそり立ち上がって書斎に入ってきた。「どうした?」「マスターに会うの、なんかこっぱずかしいなと思って」「堂々としてればいいって言ったろう?」「うん」「真由が知らないだけで、結構ライブにはメンバーの家族とか普通に来てるよ。真由も今までどおり、JAMANIAを楽しんでくれればいい」椅子に腰掛けている真由の目線に合わせるように有薗も腰を落として、彼女の顔を覗きこみながら優しく頬に手を触れた。うん、と答えながら真由がその手を握り返す。最初から魅了されていた彼の手。いつだって温かく包んでくれた、頭をなでてくれた優しい大好きな手。「最高の時間を共にするってさっき約束したでしょう?君も参加するんだよ」「うん」「一緒に、楽しい夜にしよう」「うん。ほんとに楽しみ。そうだ、大阪は?」「もちろんやる」「大阪も行く」真由は上体をねじって有薗に向けると、自分の両手で頬に優しく触れていた彼の手を取ってぎゅっと握り締めた。本当にライブを待ち望んで胸躍らせているキラキラと輝く目で有薗を見つめる。「東京も来る?二月にファイナルがある」「うん。行く」「忙しかったら無理はしないで。チケット取れなかったらちゃんと僕に言って。オークションで取ろうとしないこと」「はい。承知しております」「素直でよろしい。ご褒美にもうひとついいこと教えてあげる。冬のツアーが終わったらレコーディングに入って、秋くらいにアルバム引っ提げてまたツアーやる予定」「マジっすか」「マジっすよ。オッサンの気力と体力を侮るな」「ファンも気力体力つけなきゃ、付いていかれへん」「頑張って付いて来い」「全力で頑張ります」よし、と言って有薗は空いた方の手で今度は頭をごしごしとなでてやる。真由はくすぐったそうに笑った。「クリスマスの頃は東京にいないんだ、早めに東京へ来れない?戦メリ、練習してるんだよ」真由は一瞬有薗に飛びつきたい衝動にかられたのだが、はっとして思いとどまった。ピアノを自分に聴かせるために練習してくれるのはもちろん嬉しい。だが、年末から始まるツアーとクリスマスではばっちり時期が重なる。JAMANIAのベーシストとして、プロとしての仕事をきっちり優先して欲しい。「ソノさん、嬉しいんだけど、とっても嬉しいんだけど・・・。ソノさんの本業は何?」あれ、冷静にそんな突込みを入れるわけ?と有薗はちょっとがっかりした。でも、真由らしいといえばらしい。JAMANIAを大切に思っているからこそそんなことを言うのだと彼にもよくわかっている。「ベースです」「わかってるならいいです」「君がピアノ喜んでくれるから僕も嬉しいんだよ」「うん。ソノさんのピアノ好き。楽しみにしてる。ねえ、キーボード買ったらここでも弾いてくれる?」「せっかく買うんなら自分が練習すれば?指の運びとか初歩的なことなら僕も教えてあげるよ。自分で弾けるようになると楽しいと思うよ」「難しそう」「好きな曲かつシンプルな曲が内蔵されてるといいんだけどね。やりがいがあれば練習も続く」結局二人はそのままキーボード大手メーカーのサイトで内蔵曲や機能をあれこれ比較して、買うならこれと絞り込んでしまうほどしばし本気になった。




