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透明の向こう側  作者:
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 真由がキッチンに立ちありあわせのものでリゾットと野菜炒めを作っている間、無遠慮に部屋を眺め回していた有薗が一角の飾り棚に気付き「すごい、これはコレクター魂?それともただの酒好き?」と感心しながら訊ねた。一瞬キッチンから振り向いて有薗の興味の対象を確認した真由からは「触ったらあかん、もう売ってないレアなやつもあるから」と思いのほか厳しい言葉がぴしゃりと冷静に返ってくる。追い討ちをかけるように「間違っても飲むな、ヤバいのもある」と言う。飾り棚には数十本のミニチュアボトルが並んでいる。ウイスキー、スピリッツ、リキュールなど種類別に分け、さらに綺麗なボトル、変わったボトルがぱっと目に付くように配置されている。各段には必ず小さな地球儀もちょこんと乗っている。本当に地球儀が好きなんだなとそれにも感心する。料理を終えてから真由はとことこと彼のそばに歩み寄り腰を下ろした。「ここにあるのは一滴も飲んでない。純粋にコレクター魂」「よくこれだけ集めたね」「大抵はデパートとか酒屋さんに普通に売ってるものなんやけどね。これなんかは骨董市のガラクタ屋で買った。中身はかなり怪しい」真由が何気なくそう言って小さな掌サイズの木樽に手を伸ばそうとすると突然ドサリとその場に押し倒されてしまった。うわっ、と驚きと軽く頭をぶつけた衝撃で真由は声を上げたが有薗はかまわず彼女に乗りかかって首筋にキスの嵐を降らせ、真由の着ているTシャツの裾から手をすべりこませて力任せに乳房をぎゅっと掴んだり荒々しく揉んだりとなにやら落ち着かない。何、どうしたの、と戸惑いながら問いかけるとふうと小さなため息をもらすとともにこてんと胸に頭を埋め、シャツの中の指先がピンと乳首を弾いた。「僕もおっぱい好きなただの男になっちゃった」と訳のわからぬことを言ってますます真由を戸惑わせる。ただの男?前の恋人が男だったから結局自分も女にたどり着いたとでも言っているのか?真由が返事に窮していると有薗が自分の狭量さにがっかりだとばかりにますます深いため息をもらしながら「ほかの奴に触らせたくない」と呟いた。まったく有薗という男はどこまでも正直にできている。真由より長く生きている分、彼女以上に嫉妬と長く無縁だった。なるほど、衝動的に抑えがたく、どう始末していいやらわからぬ複雑な感情だとするりと納得がいく。真由も「ああ、骨董屋って言葉にひっかかったのか」とようやく有薗の不可解な言動に納得がいく。気まぐれな天使だか小悪魔だかが、彼の心の中に嫉妬の種火を点火してちろっと舌を出して逃げ出したんだ。岡山の骨董屋は今までで一番好きになった男だ、今も関係がある。以前、そんな話をしたせいだろう。今は違うのに。一番の座からはあっけなく陥落したし、もうゲームの関係もない。ただ相変わらず真由の体を気にはかけていて、マメに「元気にしてるか」と電話はかかってくる。

「夏にね、ショウちゃんと会った」と真由は優しく語りかけながらふわりと有薗の頭に手を載せた。「ショウちゃん?」「骨董屋」「ああ」真由が骨董屋とはっきり言ったことで、有薗もまた、彼女が自分の嫉妬の正体を確実に見抜いたことを知ったが別に隠そうとも思わない。あまりみっともなく狂う真似はしたくはないが、少々あらわにするくらいは仕方なかろうと早くも諦めている。ただ、どのくらいが少々なのか匙加減がわからないからきっとこれから、この感情には苦しめられる。そんな予感はするがさほど悪い気はしない。自分も結局ただの男だったのだと思うだけだ。感情があるからこそ人間なのさとさっぱりしている。「失恋したって言ったら、喜んでくれた。お前も普通に恋するんやなあ、良かったなあって。めそめそせんと、思い出大事に胸にしまっとけ、って。一緒にご飯食べた。それだけ。今もときどき電話くらいはするけど、もう、何もない」夏というと、有薗はタケシとの別れ話がもつれ、仕事も続いて真由に会う機会が作れなくて連絡すら取っていなかった時期だ。真由はその頃、自分との関係を「失恋」とケリをつけようとしていたのか、とせつなくなった。でも真由の言葉には責める色も後悔の色もない。失恋と思い込んで整理をつけていた期間も、彼女にとっては決して無駄ではない。自分に人を恋する感情や涙があると知ってかえって嬉しかったくらいなのだ。有薗は体を起こし、真由の体も抱えるようにして起こした。そっと彼女の頭をなでながら「ぶつけた?ごめんね」と謝ると「うん、平気」と真由はゆったり微笑んでみせながら大丈夫という風にうなずいた。

「僕たちの新しい始まりの夜に、乾杯」と少々クサいセリフと有薗のウインクで二人のグラスがキスをする。ビールがないからグラスの中身はウォッカ。二人ともごく少量である。「お酒、いいの?」と有薗が訊ねると真由は「楽しいお酒はいいねん。その代わりお酒飲んだときは薬を飲まへん。これも医者の不養生になるんかな」と笑い流した。アルコールか薬を常に処理している真由の肝臓はフル稼働だが、幸い今のところ健康診断でも何も引っかからない。そんなことを知ったら松浦は「俺の努力を台無しにするのか」と怒り狂いそうだと思って胸の中で「先生ごめんね」と詫びながら真由はうまそうにウォッカをすすった。

 ウォッカのグラスを傾けながら、有薗はしみじみと透明な液体を見つめた。一体この真由という女性のどこが汚れているというのか。ウォッカを愛する女性は聡明で、ウォッカ並に透明な魂の持ち主ではないか。純粋だからこそ傷つくのではないか。陽気な仮面で本当の自分を隠しているなどと言うが、その仮面すらも透明で、何もかもお見通しだ。仮面の向こう側の君も澄んでいて、十分美しい。グラスを揺らすと液体の表面が小さく波立ってチラチラと光が跳ね返る。もしも僕が君の本当の姿を見透かすようで怖かったというなら、たまたまこうやって角度の関係で闇の部分が垣間見えたに過ぎない。でも真由、すごいと思わないか?僕にだけその角度が見えたなら。ほかの人は気付かない何かが見えていたならその偶然はすごいことじゃないか?

 真由が作った料理を有薗はうまいうまいと誉めながら平らげた。大したもんじゃない、大げさだと真由は照れくさそうに笑うばかりでまともに取り合おうとしない。有薗は「これからはいいところをいっぱい発見して誉めてやる、覚悟してろ」くらいに思っている。父親の愛情を知らない女に、男として精一杯の愛情を注いでやるぞと鼻息荒い。


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