放課後レイン 2
やれやれ何なんだよ。
状況を把握できていない俺のことなどお構いなしに、桜田は野島の背中を見送った後にサイドの髪を耳にかける仕草をした。
雲ひとつない空の下、俺と桜田がそこにいた。
俺としてもこの場でどうするべきかわからない。何しろ俺は教室で会話などした事も無い桜田とこの場に取り残されてしまっている。
ひとまず何か場を取り繕うような気の利いた言葉を口にしたかったがいい言葉が見つからなかった。
「えっと、邪魔しちゃったかな俺」
「いいえ?」
「そ、そうか」
「ええ」
「…………」
会話が続かねえ!
今までまともに会話した事もなかったから気づかなかったが、こいつは他人と仲良くする気がまるで無いのかもしれない。
野島が逃げていったのだから桜田はもう屋上に用事などないはずなのに、何故かこいつは屋上に立ったままでいた。
そよぐ桜田の長い髪を見やりながら俺は眉を寄せた。聞いておきたい事がひとつある。
「……桜田お前、野島に告白されたんじゃないのか」
「ご名答ね来栖川隆景君」
「フルネームはやめろ恥ずかしい。それでお前は何て返事したんだ?」
するとその質問に無感動な表情を浮かべて俺の方を向く。
「わたしと付き合いたいなら力ずくでものにしなさい、と」
「……は、意味わかんねーんだけど」
桜田が俺のフルネームを知っていた事にも驚きだが、こんな意味不明な事を口にする女だった事を知ったのも大いに驚きだ。
「お前、頭は大丈夫か」
「いたって健全だと思うけど、あなたにはそう見えないの?」
「俺にはどうかしているように感じるが……」
「そうかしら? 本気で付き合いたいって思うなら、色々と考えてみるのが普通じゃないかしら」
「いや普通、力ずくっていったらその……婦女暴行とかそういう事を考えるだろ」
着崩した学ランと、一見しただけでは絶対にわからない程度に変形したズボンを観察した後、桜田は口を開く。
「来栖川君って、髪の毛染めてみたり馬鹿みたいな格好した不良のくせに難しい言葉をしっているのね?」
「……お前、俺の事を馬鹿にしてるだろ」
「ええそうね、だから馬鹿みたいって言ったじゃない」
またサイドの長い髪を耳にかけながら、俺の顔を見上げて桜田が言った。
少しだけ唇を緩めた桜田の表情としぐさは、意外にも可愛かったが、言っている事は極めて悪辣だ。
「コホン……それでお前と付き合いたいのなら強引に押し倒してみせろと、そういう訳なのか」
「言葉の意味通り受け取るもよし、何か別の解釈をして何とかしようとするもよし。それは相手が考えて行動すればいいこと。告白が本気なら出来るはずよ? 好意を寄せている女子に一発で嫌われたいなら、押し倒してもいいんじゃないかしら」
「お前馬鹿だろ、それで本当に襲われたらどうするつもりなんだ……」
俺はたまらずため息をこぼした。
「じゃあ来栖川君で試してみる?」
「本気か!?」
俺も学校の連中からは不良扱いされているが最低限、人としてのルールぐらいはわきまえているつもりだ……。
「わたしは別に構わないけれども。特に付き合っている相手もいないから、何の遠慮もいらないわ」
そんな言葉を口にした桜田が、普段はする事が無い笑みを浮かべたような気がしてドキリとした。もしかするとそれは眼の錯覚だったのかもしれない。
「い、いや俺は遠慮しておく。別に告白する訳じゃないし」
俺は必死に取り繕いながら返事をした。その仕草に少しばかりドキリとしたのは間違いないけれど、この後何を口走るかわかったものじゃない。
「本当のところね、」
桜田は身を翻しながら言葉を続けた。
「たまたま、誰かが屋上に上がってくる足音が聞こえたの。屋上のドア開けっ放しだったでしょ? だから力ずくでものにすればいいって言っても、平気だって思ったのよ」
種明かしを聞いてみると計算づくだったって事か。だからって桜田がひどい女だって事には違いないが。
「つまりそれが俺だったという訳か」
「そうね」
「……だからって、何で力ずくでなんて言ったんだ」
「野島君が何度も屋上で話がしたいっていうものだから仕方なく来てみたら、ただの告白だもの。興味の無い人と恋愛の話しをしたってしょうがないでしょう?」
そう返事をすると桜田は屋上の扉に手をかけた。
説明責任を果たしたという事で、こいつも屋上から退散するのだろう。
俺も俺で給水塔の下に突っ込んでいた雑誌を取りに歩き出す。
けれども、校舎へと続く扉に手をかけたままの桜田は、いつまでたってもそこから動こうとはしない。
給水塔の下から漫画雑誌を引っ張り出して振り返ると、てきめんに焦った桜田の顔が飛び込んできた。やつのそんな表情を見るのはたぶんこれがはじめてだ。
「……あれ、あれ?」
小さな声だが、何か必至さの伝わる言葉。
「どうした」
「開かないわ……」
「ドアか?」
「ええそうよ、何かノブを回してもまったく動かないの……」
振り返った桜田はいつも以上に青い顔をして、俺を見返してきた。
屋上と階段をへだてた扉の鍵が馬鹿になっている事は間違いない。開かないはずはないのだ。
「どれ、俺がやってみる」
桜田が扉の前を動くと、かわりに俺がドアノブに手をかけてみた。ノブを回してみようとおもったものの、動く気配が無い。もちろん引っ張ってもびくりとしないものだから俺も段々と必死になる。
「チッ、何でだ……!?」
例え扉が閉まっていたからと言って、屋上側から明けることが出来なかったことは過去に一度も無かったはずだ。もしもそんな事があったのなら、ほとんど毎日の様にここを出入りしているのだから少なくとも俺たち不良は知っていてしかるべきだ。
だから俺は必死でドアノブを引っ張った。開かないはずはないし、開ける時に何かコツが必要だとかそういう事もありえない。
「まさか野島君が――」
「あいつが俺たちをここに閉じ込めたとか?」
告白失敗した事に腹を立てて屋上の出入り口を封鎖してしまったのかと、俺は一瞬考えた。
「そうじゃないわ。あの時野島君が勢いよくドアを閉めたから、それで鍵がおかしくなってしまったのかと……」
確かに野島は逃げる様に去っていったし、その時おもいっきりドアを叩き閉めていった。
「そこに何か特別な意図があったとは思わないのだけれど、結果的にわたしたちは孤立してしまったわ」
先ほどまでの焦り顔は引っ込めて桜田は意外にも冷静な顔で返してくるのが、俺としては信じられない。
「孤立してるわじゃないだろ、開かないとヤバイだろ」
「焦ったところで開く訳じゃないのだから」
「じゃあどうしろっていうんだ!」
俺はガツンと金属の扉を蹴り飛ばした。すると桜田は冷静に口を開く。
「助けを呼びましょう」
そりゃしごく当然の理屈だ。
ここは学校だ。そうである以上は、生徒どもが活動している時間なら叫べば誰かが気付いてくれるはずだ。
実際、屋上から見下ろすことが出来るグラウンドでは、陸上部やソフトボール部の生徒たちが部活をしている姿が見えた。
「……お前、不良と一緒に立ち入り禁止の屋上にいたんだぞ。教師に助けなんて求めてみろ、進路に響くんじゃねえのか」
呆れて俺がそう返事をすると、桜田は少しだけ口元をほころばせてみせた。
「助けを呼ぶ相手は、先生以外にもいるじゃない? 例えばあなたのお友達とか。屋上はいつも来栖川君だけが使っている場所という訳じゃないわよね?」
……言われて見れば、確かにその通り。だいたい毎日、友達とかもこの時間になったら来るはずだ。
「お前、頭いいな!」
「来栖川君が馬鹿なだけよ?」
「うるせえ!」
そう言いながら携帯電話を取り出すと、携帯電話でメールを飛ばす。
これでそのうち俺たちは助かるはずだった。






