かわいくねーし! 3
女子トイレに駆け込んだ瑞希は洗面台の蛇口をひねる。
あまり冷たくはない水道水でパシャリと火照った顔を塗らした。
「ったく、まさかあのタイミングで鉢合わせになるとかっ」
一度二度では、ちっとも茹で上がった顔を落ち着かせることが出来ない。
何度かパシャパシャと繰り返したあとに、髪の毛をかきわけながら鏡の向こうの自分の顔を覗き込んだ。
――仏光寺のやつ。いったいあたしの、
「どこがいいんだよもう……」
ひとりごちて瑞希が言った。
父親や従兄弟たちの影響で小学校からずっと空手を続けてきて、その流れから中高の部活でも空手部に席を置いてきた。
身長も、同世代の男子と比べても遜色がない一六七センチの背丈だ。まだまだ伸びそうな気配すらある。
恋愛というか、本音を言うとそういうのに興味が無かったわけじゃない。
女の子らしく、そういう事にちゃんと憧れはあった。
あまり他人には話した事がなかったけれど少女漫画や少女小説ならば、部屋の本棚にびっしりと詰まっている。
その事は小学校からの大親友である高槻茜だけは知っていけれど、その他大勢の友達には内緒にしていた。
だって気恥ずかしいから。
ずっと空手一筋の瑞希が実は女の子趣味全快で、白馬の王子様が登場するようなファンタジー小説の愛読者だなんて、ちょっと口には出来ない。
瑞希はそんな風に思っていた。
前髪をかきわけると、瑞希が気にしている自分の特徴的容姿があらわになる。
「……あたしなんてデコッパチだし」
ボソリと続ける。
「それに、ノッポだし」
空手のやりすぎでそうなったのか、背丈だって高いし割合と筋肉もある方だ。
「こんなんじゃ、全然かわいくねーし……」
誰かが女子トイレに入ってくる瞬間、はっとして瑞希は背筋を伸ばした。
「くそう、それもこれも仏光寺の奴が告白とかしてくるから……」
ブツブツとつぶやきながらハンドタオルで塗らした顔を拭きながら女子トイレを出る。
「うわああああああああああっ。まじどうしよおおおっ」
こんなに教室に戻るのが億劫なのは、学校の試験の時ぐらいのものだ。
ドキドキのおさまらない瑞希は、他人の視線などお構いなしに、ついつい叫んでしまった。
☆
放課後。
とにかく終わりのホームルームをすませると、瑞希はスクールバッグと部活の道具入れを引っつかんで、一刻も早く教室からと飛び出そうとする。
けれども、
「あの、堀川さん――」
そう仏光寺から声がかけられた。
声をかけられた瞬間に瑞希の体が金縛りの様に固まってしまう。
まさか教室で声をかけられるとは思わなかった。
否、それは違う。声をかけられてしまったらどう対処していいかわからなくて、一刻も早く教室から逃げ出そうとした。
「お、おう。仏光寺。あたしに何か用か?」
用ならば十分ぐらいに瑞希は承知していた。
けれども逃げ出したい。
そんな逃げ腰の瑞希に近づきながら、仏光寺は言う。
「少し話があるんだけど、いいかな?」
「い、いいけど別に。あたし部活あるし急いでるから手早くな……」
ツンケンに瑞希が返すと、
「うん、時間はとらせないから。ここじゃ話しづらいから、あっちで」
気を使うように小声で話しかける仏光寺は、瑞希を誘って廊下に出た。
☆
廊下を歩きながら、しばらくは無言の時間が続く。
校舎と校舎をつなぐ渡り廊下を抜けて、中庭のあまり人気の無い場所にやってきた。
「んだよ、話しがあるなら――」
「堀川さん」
朱顔で耐え切れなくなった瑞希が切り出した瞬間、カウンターの様に仏光寺が口を開いた。
「今朝の手紙、読んでもらえました?」
「……ああ、ちゃんと見たけど」
「そっか。ありがとう」
もじもじとしながら瑞希が言い返して、それに仏光寺が応える。
またそれから、二人は言葉を失った。
校内は放課後の喧騒に包まれていて、どこからかさっそく部活をはじめた人間たちの掛け声も聞こえてきた。
「急にあんな手紙出しちゃってごめん」
「謝ることじゃねーし。別にいーよ」
「うん、ありがとう。手紙にも書いたけど、もうすぐ夏休みが始まるから。そうしたらまた、しばらく堀川さんとは会えなくなるし。来年は受験も控えてるし。突然だったから堀川さんに迷惑かもしれないと思ったけど、告白するなら今かなって思ってね」
「……」
「だから、読んでくれてありがとう。それと、お付き合いの返事は急いでないんだ」
「………」
「けど一度でいい、よかったら俺とデートしてもらえないかな? 告白の返事はそれからでもいい」
「…………」
「俺は堀川さんのことずっと見てたけど、堀川さんは俺のこと知らないだろうし。だから、俺のことを少しでも知ってもらって、それで判断してくれたら」
息を呑んで、瑞希が目の前の華奢な少年を見返した。
少し長めの髪の毛だが、学校の規定違反ほどまでではない。それに細い顔をしていて黒縁のメガネをかけている。
仏光寺は優しい顔をしていた。優しい顔をしていて、少しだけ頬が朱に染まっていた。
実のところ仏光寺の顔をまじまじと見やったのはこれが初めてだった。それもそうだ、仏光寺と恋愛関係なんて過去に一度だって考えたことは無い。
「んなこと、急に言われてもわかんねえし。あたし恋愛とかした事ないから」
「うん」
静かに仏光寺は言葉を待つ。
「でも……」
「……うん」
「こここ、こんなあたしでよければ、でででデートよろしくおねがいしますっ!」
「ありがとう堀川さん」
こうして瑞希の初デートの予定が決まった。