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君はまた、僕に笑う  作者: 水野悠亀
『再会』
10/13

本当の優しさ

「無断欠勤?」


「なんか連絡も無しでそのまま休んでるらしいですよ」



 俺は会社に来てから今日の仕事後に中里に会えないか直接聞こうと広告部のところへとやって来たのだが、中里の同僚からそう伝えられた。



「あいつ何やってんだよ。寝坊か?」



 一応LINEを送ってみたが返信がすぐ来る様子も無い。なら仕事が終わったら中里のマンションまで行こう。そう考えて中里に仕事が終わってから行くというLINEを入れておく。



 昨日あの後、そのまま妹の鈴花の元へとお見舞いに行った。鈴花に舞との事を伝えると長い溜息を吐いた。



「割と優しい事だけが取り柄だった優兄が女の子泣かせたー。最低だね。けどこれでやっとスタートラインに立てたんだし、速攻で攻めるんだよ。スピードが命!」



 と散々に人を貶した後、ニヤニヤしながら翌日に告白しろと言ってきた。無理があるとも思ったが、自分自身でもこの気持ちを留めて置くことは長く持たないと感じていた。だから俺は自然と頷いていた。



「優人さんはニヤニヤしたり唸って悩んだり、今日は大変そうですね」


「えっ。そ、そんな表に出てた?」


「遠足前の子供並みにソワソワしてますよ」



 中里に想いをやっと伝えられるという嬉しさと何て告白すればいいのかという悩みが頭の中でループし続けている。仕事中に考えるようなことではないが、初恋なので大目に見てください。



「クズ優人、有休取った成果はあったのか?」



 また顎髭を触ってニヤニヤしながら俊吾さんが近づいてくる。隆は不思議そうな顔をして俺と俊吾さんを交互に見比べる。



「はい。俊吾さんのお陰でクズになれました。ありがとうございます」


「いやー初めから磨けば良いクズになれると思ってたが、その通りだったようだな。先輩を馬鹿にするとは」


「やっぱり善人は僕だけみたいですね。というか優人さんと岸田さんは一体どうして名前で呼びあってるんですか?」


「俺が俊吾さんと同じでクズの仲間入りしたからこうなった」


「初めから俺をクズ扱いしてんじゃねえよ。これでも先輩だぞ」


「クズの先輩って意味ですよね?」


「お前って素直になると本当に毒吐いてくるのな……」



 なんだかんだ言って俺の事を気にかけてくれる俊吾さんには感謝だ。ここの職場に勤めることが出来て本当に良かった。




 ▽ ▽ ▽





「優人、今日はもう帰れ。仕事に集中出来ないんだろ?それは俺がやっとく、貸し1つだかんな?絶対なんかしろよ」



20時になった時に俊吾さんが溜息を吐きながら言ってくる。中里に早く想いを伝えたいのと告白の考案のループが続いて、仕事に集中出来なかった。そんな時に頼らせてくれる先輩は素直にかっこいい。俺も俊吾さんみたいな先輩に……いや、それは嫌だな。



「ありがとうございます!また喫茶店で次は俺が奢りますよ」


「1番高いヤツ頼んでやるよ」


「いてっ」


 別れ際に俊吾さんに俺の背中を強く叩かれた。痛かったが背中も胸も熱くなった。



 中里のマンションへと車を走らせながら告白の言葉を考える。


「中里の変人っぽいところが好きだ」

  うん、ないな。


「中里の無い胸が好きだ」

 うん、ないな。最近は別にいいかなと思っている程度だ。


「中里の手料理が好きだ」

  それは料理褒めてるだけだろ……


「中里の無表情が好きだ」

 なんだよそれ。ロボット好きですって言ってるようなもんだな。いや、最近のロボットでも感情表現する機能ついてるから負けているな。


「中里の笑顔が好きだ」

 間違ってはない。けれど相手の顔を見て言える気が全くしない。


 もう単純に「好きだ」でいいだろ。中里にだったら伝わる。自然とそんな思い上がりを抱いてしまう。そう考えているとあっという間にマンションに着いた。やはり会社から近い。



 中里の部屋のある階まで階段を使って行く。仕事終わりの疲れもあまり感じない。静かなマンションに俺の心音が響いているのではないかと思う程高鳴っている。治るように深呼吸しながら進んでいると、音が静まることもなく着いてしまった。

 中里の部屋の前まで言ってインターホンを押す。反応はない。ドアノブに手をかける。鍵はかかっていないようだ。入ってみるか、そう思ってドアを開けた時。


 中から血の匂いがした。久しく嗅いでいなかった不快な臭い。しかし、その匂いはまだ少ししかしないのでパニックになることは無い。

 玄関を覗くと中里の靴がある。この中にいるんだろう。俺はゆっくりとドアを開けて入る。



「中里……いるのか?」



 何も聞こえない。俺は靴を脱いでリビングへと入ると電気をつけた。奥に行くにつれて血の匂いが濃くなる。テーブルにはノートからちぎった一枚の紙と何冊かノートが置いてある。こんな状況を俺は小さい頃に見たことがある。俺はそんな既視感に襲われながら俺は自然と一枚の紙を掴んでいた。

 理性は必死に読む事を止めようとしてくる。けれど俺は止まることが出来なかった。





『これを読んだ方は中村さんに渡してください。伝えたいことがあるのです、お願いします。読んでくれる事を願って書きます。

 中村さん。憶えていますか? 私達って昔会った事があるんですよ? 会社で中村さんを見つけた時は驚きました。小学校の頃の面影があったので中村さんだって確信していました。私にとって小さい頃の中村さんは憧れでしたから……だから話したいなって思って財布を忘れたことにして話しかけたんです。そしたら私の事を忘れてるようで少し傷つきましたけど、忘れていてくれたからあんな風に話せたんだなって思うと許してもいいかなって思っちゃいました』



 俺は本当は思い出していた。憶えていたんだ。チャーハンの時の涙が凄く引っかかって、その後に見た夢。あの子猫はお前の体現だったんだ。



 小学校5年生、父さんが亡くなった数日後。俺は自暴自棄になっていた、荒んでいた。信じていた父さんが死んでしまったことが原因だった。


 そんな俺の下校はゆっくりと気力なく帰っている時、雨の降る公園の横を通るとジャングルジムの中で膝を抱えて泣いている子がいた。それは誰にも関わらないで欲しいと主張するようにジャングルジムを壁、檻にしていた。そんな時、俺はその子と目が合ってしまった。その子は今にも崩れて壊れてしまうようなそんな危うい目をしていた。


 俺はそれまで自分勝手な優しさを振りまく偽善者だった。だからきっとその子は俺に助けて欲しかったのかもしれない。その壁を壊してでも助けてくれる、せめて声をかけてくれる事を望んだのかもしれない。


 けれど俺はその子を、中里を見捨てた。それまで続けていた偽善はここで終わった。



『あの時に私を見て見ぬ振りをしてくれて嬉しかったです』



 嘘だ。なら何故あんな目立つ所で泣いていた。あの目は心の底では救いを求めていた。それを俺は見捨てただけだ。


『あの頃から中村さんは、優人君はとても優しい人だったから。私は大人になった筈なのに優人君に甘えてしまいました。優人君には舞さんがいるのに』


 何で、知っているんだ? そんなこと俺が話すまで知らなくて良かったんだ……



『私なんかが甘えてはダメだったんです。私は優人君に再会するべきじゃなかったんです』



 俺は君に甘えた。だから君が甘えたっていいじゃないか。互いに依存し合っていたじゃないか。



『優人君は優しいから……私が甘えるのを、頼るのを許してくれたんですよね? それは本当に嬉しかったです』



 違う、俺は好きだから。中里のことが好きだから甘えて欲しかった。もっと頼って欲しかった。



『でも、もう耐えられません。あなたが誰かと手を繋ぐのも、笑い合うのも、キスするのも、それを見るのが……独りで生きるより辛いんです。それは私でいたかった。私が優人君とずっと笑い合って、死ぬその時までずっと側に寄り添っていたかった』



 俺もそうしたい。ずっと望んでいた、追い求めていた人生だ。



『私の大切な人は皆、私の周りから消えていきます。でもこんな孤独で辛い世界でも優人君となら生きていけるって思ったんです。思えたんです。でも、そう思ってしまったから、あなたがいない状況で生きていくことがもう出来そうにないんです。私は再会するべきじゃなかった。こんなこと知らなければ良かった。優人君と再会しなければまだ独りで生きていけた。ごめんなさい、私から話しかけておいてこんな都合の良い風に思ってしまって……優人君は私が死んだら恨みますか? 悲しんでくれますか? 怒ってくれますか?』



 「ああ、恨むよ。悲しむし、怒ってもいるよ……」



『そう思ってくれていると嬉しいです。最後に甘えさせてください。優人君、私のことを許してください。それが私からのあなたへの最後の甘えです』



「ダメだ、許さない。やめてくれ! だから、だから戻ってきてくれ……」



『今まで助けてくださって、甘えさせてくれてありがとうございました。私はもう充分幸せに感じています。

だからお別れです。もう2度と再会しないように……

 さようなら』



 紙には涙が落ちたであろう、丸くシワになっている部分が多くあった。その横に置いてあるノートの表紙には『幸せノート』と書かれている。


 俺はおぼつかない震える手で中を開けると綺麗な字で丁寧に『正』という漢字が書き並べられている。右にノートをめくり続けると綺麗な字の他に汚く乱雑に書かれた『正』が右端に書かれていた。次のページをめくるとノートには隙間など生まれない程に乱雑に汚く『正』という字が黒く染まる程書かれている。

 それが最後のページまで続いた。いや、最後のページから書き始められている。



「中里、そんなものは数えなくていいんだ。嫌な事、辛い事から目を背けたっていいんだ……」



 他に床に落ちている『幸せノート』も全て黒く塗りつぶされていた。本当にこれが幸せで埋まっているのならどれだけ素晴らしいことだろうか。あの時ノートについて話してくれた、嬉しそうな中里が脳裏に浮かぶ。


 他のノートは日記だった。児童養護施設での日々や中学、高校、大学での出来事が記録されていた。どれもこれもが輝かしいものではなかった。見ているだけで涙が堪えられなくなり、目を背けて日記を閉じた。


 床のカーペットには赤い水玉模様がついている。その形は不規則で大きかったり小さかったりする。テーブルにはカッターが置いてある。


 俺は彼女がリストカットをしていること気づいていた。お金を渡す時に袖から赤黒い線が見えていたからだ。俺は見て見ぬ振りをした。俺が何か言ったところで何も変わらないと思い何も触れなかった。


 俺は立ち上がり、襖で見えなくなっているもう一つの部屋を開ける。開けた瞬間に血の、死の臭いが一層濃くなった。部屋にはタンスとベット、机が置かれている。


 中里は壁にもたれかかって座っている。華奢な脚は伸ばし、腕も力なく垂れ下がっている。彼女によく似合った私服は血で真っ赤に変わっていた。



「なあ、中里。俺さ、お前に伝えたい事があったんだよ」



 中里の肩を揺らしてみるがこちらを見ようともしない。首がただ左右に揺れるだけだ。



「俺さ、中里の事が好きなんだ。さっき必死に考えてたんだけど、こんなのしか思いつかなくてさ。けど今思いついたんだ……俺が死ぬ時まで側にいて欲しいんだ。なあ、だから……こん、な。こんな、ことって……あんまりだ……」



 中里のお腹には包丁が刺さっている。お腹は何度も刺されて形がよく分からない。首にも切り傷がある。彼女の息は止まっている。



「なんで俺はまたこんなの見なくちゃならないんだよ。なんで俺の大切な人は、みんな……死んでいくんだよ」







 中村家の部屋の隣は中里の家だった。中里を無視したその日。俺は自分の部屋に戻るためにアパートの廊下を歩いていた。


 中里の部屋の前を通る時、血の匂いがした。初めてあれ程の濃い血の匂いを吸ったことはなかった。背中に嫌な汗が出ていたが俺は好奇心に負けて中里の家へ入った。


 それがいけなかった。俺は見てはいけなかった。中には包丁で何度も自分を刺した、中里の母親が壁に寄りかかっていた。


  中里はこれを見たんだ。だからあれ程泣いていたんだ。俺はそれを慰めもせずに無視したんだ。自分の実の親が死んでいる光景を目の当たりにしたあの子を、声をかけることもなく。


 その翌日中里は転校した。あれから中里は児童養護施設に預けられたらしい。それからずっと独りで生きてきたんだ。


  俺は初めての人の死を目の当たりにして頭が真っ白になった。後から警察も来て質問もされたらしいが何も思い出せない。俺にとってこれは心の奥底にしまい込んだトラウマとなった。俺は思い出さないようにしていたんだろう。中里のことを、だから気づくのにも遅れた。俺があの夢をよく見るようになったのは中里と再会したからだったんだ。


  もう頭の中がごちゃごちゃだ。俺の頬には涙が流れて止まらない。手足が震え感覚がなくなってくる。自分が今ここに立っていることにさえ不快感を覚える。



「中里、なんでだよ……一言、一言俺に愛してますかって聞けばさ。俺は愛してるって……お前をずっと離しはしなかった」



 中里の髪を退かすと彼女頬には涙が流れた跡があった。それは傷が痛かったからか、それとも未練があったからか、それは分からない。


 彼女の手から包丁を離させる。とても強く握られていたが何とか取れた。その時に彼女の手首に触れてしまう。もう線の傷だったのかも分からないほど何度も切られている。


 ベットの横には薬がある。睡眠薬だ、あれにも気づいていて知らないフリをしていた。キッチンへ皿洗いに行った時に片付けておくのを忘れたのだろう、俺は見つけてしまった。ちゃんと中里に言えば良かったのだろうか。そんなことをするなと、俺に頼れと。



「俺はお前に頼ってもらうのが本当に嬉しかったんだ。自分でも役に立つんだって……俺なんかでもお前を笑顔にできるんだって……」



 彼女の口から垂れている血を指でぬぐい取る。触れた頬は氷のように冷め切っていた。



「幸せになるまで協力してやるって言ったじゃないか……俺に愛してるって、大好きだって、側にいてくれって言わせてくれよ……」



 でももう全てが遅いんだ。俺が舞との関係をただ身を任せて続けていたのが原因か。いや、そんなことを言えば舞に勘違いさせるような自己中な優しさが原因だ。


 自分のすることは自分自身を、大切な人を傷つけるのか……なら俺はなんで生きてるんだ? 俺が生きてたって誰かが傷つくだけじゃないか? いや、やめよう。俊吾さんに言われたじゃないか、自分に素直になれと。今、俺は素直に死にたいって思ってるだけなんだ。



「舞ごめんな……約束したのに。幸せにできないみたいだ」



 舞の涙を鮮明に覚えている。約束したことも。けど、もう幸せにする相手がこの世にいないんだ……仕方ないだろ?


 俺は中里から包丁を抜く。肉が生々しく動く気持ち悪い音がした。



「俊吾さん、すいません。1つ貸し作りましたけど返せそうにないです」



 俊吾さんは俺の生き方を少しでも変えてくれた。本当に感謝している。けど、大切な人は皆あっちに行くんです。父さんも母さんも中里も……これから鈴花も。だから置いて行かれるなら、ついていくしかないんです。


  俺は中里の横に座る。床の血は固まってしまっている。



「鈴花……ごめんな。お前が死ぬ時まで側にいてやるって、死んだ時は俺が悲しんでやるって言ってたのに。俺、先にいくよ」



 父さんに誓ったんだ。【優しい】人になって、中里を世界一【幸せ】にしてみせるって。だったら俺は彼女に寄り添ってあげよう。彼女はずっと独りで怯えてたんだ。ずっと独りが辛かったんだ。なら俺は中里と一緒にいる。それが俺の今できる優しさだ。




「おやすみ……中里」



 俺は包丁を自分の胸に突き刺した。




 ▽ ▽ ▽




 公園のベンチに座っている。いつもの公園だ。空は晴れて公園全体を照らして、風が吹き樹々が騒めく。ふと隣を見ると父さんが座っている。久しく見なかった父さんは病気の面影はない。父さんは俺の顔を見て少し微笑んだ。



「優人、優しい人になれたのか?」


「いや、分からない。けど、彼女だけには出来るだけ優しくした。もうどうしようもなかったけど」


「お前自身が納得するなら大丈夫だ。お前が頑張っているのを俺は見ていた。ずっと父さんの我が儘に付き合わせてすまなかった。本当に……よく頑張った」



 そう言って父さんは俺の頭をグシャグシャに撫でてくれる。こんなに力強くされたことはなかった、父さんも出来なかったことだろう。


 けど俺は本当に納得出来ているのか? 出来ている筈がない。俺は誰かを、大切な人を殺すために優しくしたんじゃない。幸せになって欲しかったから……



「雪が降ってきたな……」


「凄く冷たいね」



 先程の快晴はいつの間にか覆った大きな雲によって隠されている。白いその雪は手に取ってみるととても冷たく、心の芯から凍りつかせるようだ。俺はベンチから立ち上がる。



「優人、どこにいくんだ? お前はもう充分頑張っただろ」


「うん、俺なりに頑張ったさ。けど結果がついてきてないんだよ。そんなの独りよがりだ。俺は誓ったんだ、父さんに。だから俺は彼女を幸せにするって結果が欲しいんだ」



 一方的な約束だけどねと言い残して俺はジャングルジムへと足を向けた。ジャングルジムには2匹の猫がいる。2匹とも血だらけで刺し傷があり息が弱い、このままでは死んでしまうだろう。紛い物でもいい。俺が彼女達に重ねているだけでもいい。俺はただ、助けてやりたい。



「ここで見限るのは簡単だ。殺してやるのも簡単だ。けど、違う。やっとわかったんだ。俺にできる本当の優しさを」



 俺はジャングルジムの中に入ると2匹の猫を胸に抱く。そしてジャングルジムの中で俺も丸まって縮こまる。



「このまま一緒にいる。ずっとだ。もう離したりなんてしない。きっと俺に出来る事はこれくらいしかないから」



 どんなに歪んだ優しさでもいい。どうせ変わらない結末なら、俺は俺に出来る事をやりきる。


 雪が更に降ってくる。少し風も強くなってきて、俺も更に縮こまる。



「優人、次はお前自身の信じる事をしろ。そうすればきっと笑って死ねるさ」



 公園の出口にいる父さんが俺に言ってくる。きっとこれは夢じゃない。死後の世界ではないだろうか。父さん俺もきっと死んだんだ。もう次は無いんだよ。そんなことを思っていると更に雪は振り風も強くなり、吹雪と言っていい程になった。


  もうダメだ。耐えられそうもない。けど、死ぬなら彼女達と一緒に死ぬ。俺の身体は次第に縮こまっていく。けれど決して猫を離しはしないように強く抱く。しかし、限界は近いようで瞼が重くなり、意識が遠のいていく。自分の死を覚悟した時、白い子猫は俺の頬を舐めてくれた。






 ▽ ▽ ▽




「ーーと、ーーゆう……」



 耳元で何か聞こえる。この後に及んでまだ誰か俺に会いに来たのだろうか。



「おい、ゆうと!」


「うわっ!?」



 すると耳元でいきなり声が大きくなり飛び起きる。すると目の前には小学生姿の太一と和樹と香夏がいる。



「え?」


「どうした? カラスがエアーガンくらった顔してるぞ」


「太一。それゼッタイにちがうよ」


「太一には少しレベルの高すぎる用語だな。それよりも、かくれんぼで見つける役が居眠りしていたことについて言及したいんだが」



 太一と香夏のやり取りを軽く流した和樹が俺の方をじっと見てくる。



「か、かくれんぼ? いやいや、それよりもなんでお前ら子供なんだよ」


「何言ってんだ優人。お前頭でも打ったのか?」


「小学五年は子供だろ。そんなのオレでも分かるぞ!」


「太一はだまってて! それから優人もヘンなこと言ってないでつづきをするの!」


「いてっ!?」



 そう言った香夏は俺の背中を強く叩いた。その衝撃は本当に痛いと実感することができた。ということはこれは実際に今起こっていることなのか。



「ちょ、ちょっと待ってくれ。いた、痛い痛い! これは夢じゃないのか?」


「なにいってんだよ。さっきまで寝てたけどこれは夢のつづきじゃねぇよ」


「ま、待ってくれ!」



 俺はさっき何をしていた。 確か父さんに会って、猫を抱いてまた死んだんじゃなかったのか。 どんどん身体が縮こまっていく感覚と共に凍えていって……どんどん縮こまる? い、いや、嘘だろ。



「さっき小五とか言ってたな。そして今は春か」



 中里が引っ越したのは秋頃だったか? ならまだ居るはずだ。



「優人どうしたの?カゼでもひいたの?」


「ああ、ちょっと風邪ひいたみたいだから俺ちょっと帰るわ。じゃあな!」


「え!? ちょっと優人!」


「ゼッタイにカゼじゃないだろ……」


「何か事情があるんだろ。また今度ゆっくり聞かせてもらおう」



 皆んなのそんな声を聞きながら公園を出た。


 俺は自分のアパートまで走る。もし、俺は過去に戻ってきているなら、彼女が中里がいる筈だ。けれど実際に見ないと安心が出来ない。俺は身体が小さくなったことにまだ慣れないからか、それとも気持ちだけが前に出すぎてか何度も転びそうになる。


 脇目も振らず走っていると俺の住むアパートまでついた。俺は自分の住んでいた部屋の前までくる。中里がもしいるならこの隣に住んで居る。震える手でなんとかインターホンを押す。その指は期待か、不安かどちらなの震えなのかは分からない。



「はい」



 その声は知っている物よりも高く、澄み切っている。けど俺の耳に脳裏に刻まれている声が幼くなっただけだと教えてくれる。


 そして扉が開く。普通に開いた筈なのにとてもスローモーションで自分を置き去りにされているような感覚だった。


 中里は出てきてくれた。あの頃よりも背が小さくより胸も小さい。少し不思議そうな顔をしている。まだ幼さがあり、綺麗というよりも可愛らしく無表情で顔が死んでいることもない。社会人になった時の笑った顔とやはり似ている。彼女がまた、俺の前に立っていてくれている。こんなにも嬉しいことは無い。子供になった影響か、今すぐにでも泣きそうになってしまう。



「中村君、どうしたんですか?」



 再び彼女に会えたことで少し動揺して声が出なかった。そんな自分を振るい立たせる。中里をもう独りになんてさせないために。どうしたら彼女を救えるのかなんてまだ分からないけど、俺にも出来る事がある筈だ。



「あ、あのさ、一緒に遊ぼっ!」



 俺は理解した。自分勝手な偽善も、中里の苦悩も、自分の犯した過ちも。そして今の自分ではまた繰り返してしまうと。


 だから俺は……いや、僕はこの新しい命を罪滅ぼしに使う。中里の為に生きていく。これは歪んでいるかもしれない。けれど僕は自分の優しさを理解した。どれだけ歪んでいようとも、その優しさの意味は彼女が持っていてくれている。なら僕は。




  今度こそ中里を【幸せ】にしてみせる。






これにて社会人編は終わりです。

次は少年編へと入ります。

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