自然
壁にかけられた一枚の絵が目の前にあった。
縦二メートル・横四メートル程度の大きさ。
赤銅色で、枯れた木、荒廃した大地、薄暗い空が描かれている。
ボクの記憶の中で、この風景画はもっとキレイなものだった。
数十年前に一度見ただけの絵とはいえ、ここまで記憶と違ってしまうものなのだろうか。
設置されている場所も、書かれている作品名も、描いた作者名も、間違いなく記憶のものと同じだった。
「この絵が、どうかしましたか?」
振り返ると、見たこともない老人が立っていた。
九十度近く腰を曲げて、後ろ手に大きく古い皮の手提げバッグを持っている。
にこやかな顔つきと親しげな口調とは裏腹に、目にはなにか鋭いものを感じた。
「展示する絵が間違ってませんか」
「というと?」
自分の中に生じた違和感を老人に話す。
老人は興味深そうに話を聞いてくれていたが、
「間違いではない」
ふいにゆっくりと絵に向かって歩きだす。
絵の前に立ち、老人はバッグを地面に降ろした。
中をあさり、そして、たくさんの色が並べられたプラスチックのパレットと数種類の筆を取り出した。
筆に色を乗せて、そして、風景画に塗りつけた。
驚きはしたが、とめる気にもならなかった。
老人の見た目に似合わない力強さで絵に上塗りを続ける。
だんだんと緑色を基調とする明るい絵に変化していく。
絵の変化に合わせて、筆の動きが加速していく。
描いている老人もいつのまにか青年と呼べるほどに若返っていた。
まっすぐに立ち、激しく踊るような勢いで筆で絵をたたき続ける。
その後もペースは上がり続け、しばらくして動きが止まった。
立ち止まったとき、老人だった青年は、少年にまで若返っていた。
少年は、胸で荒く呼吸をしながら満足そうに立ち尽くしている。
絵が完成したようだ。
「あんたが見たのはこんな絵だろ」
暖色系の草木で彩られた大地、柔らかな日差しに満ちた雲と空。
たしかに、自分の記憶にあった風景画はこれだった。
少年は、筆とパレットをカバンへ投げ込んだ。
同時に、絵がふたたび目まぐるしく変化し始める。
花は散り、草木は枯れ、空は薄暗く染まる。
絵の世界が荒廃していく。
五分も経たないうちにもとの赤銅色の絵にもどってしまった。
いや、はじめに見た赤銅色の世界よりも赤黒い、ドロリとした濃厚さを含んだ凄惨な風景になっている。
若返った少年も、腰の曲がった老人へもどっている。
老人が振り返り、両手のひらを上に向ける『お手上げ』のポーズをこちらに向かってして見せる。




