番外~近衛騎士の突撃お宅訪問事情~
最近、年下の上司の様子がおかしい。
何と言うか、上機嫌だ。宙に花でも舞ってそうなぐらいにうきうきしているのが目に見えてわかる。それだけなら良い。
近づく度に女の子が好むような、柔らかい花の匂いが鼻先をふわりと掠めてドキッとして、色々あらぬことを想像した。
しかも、前の婚約者との時はそういうことは一切なかっただけに。彼は表には出さないが、元々女性は苦手だ。派手な噂とは裏腹に娼館には仕事以外では立ち入らないし、女性にくっつかれてもすげなくあしらってしまう。そのために密かに難攻不落の要塞だと彼狙いの女性達には嘆かれていた。
その彼が沈黙期間を経て、あっさり次の婚約者を決めた時にはぶったまげた。俺はたまたま婚約パーティーに招待を受けたが、彼女を見て驚いた。フィリアとは趣が違うが、随分大人しそうな可愛らしい少女だ。ただし、顔がひきつっていなければ、という条件がつく。
最近、件の彼女と羨ましいことに同居を始めたらしい。匂いは恐らく彼女のものだ。上司の上機嫌も不眠解消も例の婚約者が原因だろう。不機嫌よりは喜ばしいことだが、調子が狂う。というか、滅多に笑わない人が上機嫌に笑っているのは純粋に怖い。
突っ込むべきか悩んで頭をかきむしるのが最近の日課になっていた。
「副隊長、最近隊長は随分付き合いが悪いと思いませんか?」
「あ…ああ」
部下の間にも不満が溜まっているようだ。面倒見の良い上司はいわば、この職場の緩衝材…母のような存在なのだ。
欠点というものがおおよそ見つからない隊長は基本的に一人で何でもこなす。炊事洗濯に裁縫はては帳簿整理から部下の愚痴の相談まで何でもござれだ。
年中不休で有給を滅多に取らない彼が最近はちょくちょく有給を取るようになった。そればかりか最近は以前に増して付き合いが悪くなった。
「噂だと年下の彼女ができたらしいですね?何かご存知ですか?」
「…彼女というか婚約者だな」
マークは驚いたように息を呑んだ。聞き耳を立てていたらしい周りもざわついた。
どうやら、彼が婚約したことを未だにこいつらは知らなかったらしい。情報が遅過ぎるだろう。
「じゃあ、薬指のあれは本物だったんですか?てっきり女よけのフェイクだとばかり」
「ああ。年内に彼女と結婚式を挙げる予定だそうだ」
唸るように言えば、マークはまた悲鳴を上げた。
「嘘でしょう?副隊長の話だと婚約したのは最近ですよね!早すぎませんか?相手はどなたですか?」
矢継ぎ早にマークに質問されて名前を告げれば、更にざわつきが大きくなったのは言うまでもない。何せ、相手はあの悪名高いレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢だ。彼女の名を知らない者は国内にはいないだろう。実物は噂とは違い、随分清楚で可憐な儚げ少女だったが。
上司とは不釣り合い…というか、遠目に見た小柄で華奢な彼女は上司に腰を抱かれて随分居心地が悪そうだった。噂だと上司が彼女に脅されていることになっているが、現実は逆に見えた。あれは上司から強引に迫ったのだろう。二人の温度差も激しかった。あの時はどう見ても上司の片想いだった。
よくあそこから結婚まで話を運んだものだと結婚の話を聞いたときは感心したものだ。やはり強引に力技で迫ったのだろうか。
「俺は反対です。俺たちのお母…いえ、隊長が悪い令嬢にたぶらかされて無理矢理結婚だなんて許せません」
マークが拳を握りしめて力説した。
こいつはちょろい。女の涙に騙されやすく、何も知らずに良いように言いくるめられてアリーシャ=ラッセルに協力したのはこいつだ。悪い奴ではないのだが、根が真っ直ぐだから当時の上司のストレスと心労を重くした原因だという自覚が未だにない。ついでに俺にも多大な迷惑をかけたという自覚がない。
あの「紅茶薬物混入事件」の後、俺は暫く紅茶の臭いを嗅ぐだけで脂汗が出るようになるくらいの紅茶恐怖症になったのだ。
「そんな君たちに提案だが。今日の仕事帰りに実物に会いに行くのはどうかな?丁度私は彼の屋敷に用があるんだ」
声の方を向けば、また何かをやらかして陛下から逃げてきたらしい王弟殿下が立っていた。逃げてきたとどうしてわかるかと言うと、遠くでニコル陛下の罵声とガチャガチャと音を立てながら追従する女騎士の雄叫びが聞こえてくるからだ。
これは日常茶飯事なので気にしないことにしている。隊長の言葉を借りるなら、いちいち相手にしていたらキリがない。国王陛下の罵声も風景だと思えば案外気にならないものである。
用があるというのは嘘だろう。愉快犯なこの人は急用を今でっち上げたのだ。何せ、彼自身が虚飾の塊だ。
不意に後ろめたそうに視線を反らす薄毛の侍従が目に入った。この人も本当に苦労するな。
「奇遇だな、アルマン殿。私もティルに用事があるから一足先に行って足止めでもしようかな?ティルが例の婚約者を隠してしまわないように」
丁度視察からフィリアと戻ってきたらしいザクス殿下が顔を見合わせて企むようににやりと笑った。いかにも今しがた通りすがった体を装っているが、一体いつから聞いていたのだろうか。白々しいな、と嘆息した。
最初から示し合わせていたのだろう。タイミングがあまりにも良すぎたし、王弟殿下の後ろに控える人間嘘発見器…もとい、薄毛の侍従パッドが申し訳なさそうにしている。恐らくこれは周到に計画された偶然だ。隠すつもりもないらしい。
「あら!名案。私も彼女に会いたかったの。だって、あいつったら執拗に隠すのだもの」
「ついでだから、噂通りの悪い令嬢なら皆で引き離して目を醒まさせてやればいいんじゃないか?」
悪魔と悪魔と悪魔が強力なタッグを組む瞬間に期せずして立ち会うことになった。心情的には隊長の味方をしてやりたいが、何せ相手は悪魔三人である。とばっちりをまともに食らえばこちらもただでは済まない。天秤が激しく揺れた。病み上がりの身に三人の悪魔の相手は荷が重すぎる。恐らくは代わりの暇潰しの種を身をもって提供する羽目になる。明日は我が身だ。すみません、隊長。
部下達は上手く丸め込まれてしまって、一致団結して既に突撃する気満々だ。まるで討ち入り前のように闘志をみなぎらせている。
俺は一人、薄毛の侍従と視線を交錯させて通じあったのは言うまでもない。
※※※
道すがら、令嬢の兄君も同伴することになったのはなぜだろうかと思った。悪魔たちは隊長に最大限に隊長にダメージを与えて面白がることを考えるはずだ。
エントランスに入って令嬢に大歓迎される彼を見て、このためにわざわざ連れてきたのかと理解して呆れた。小柄で華奢な彼女が小さなコンパスで小走りに兄君に駆け寄ってにっこり微笑む様を見て、皆呆気に取られて顎が外れそうになった。一度実物を遠目に見て知っている俺はそこまで驚かなかった。
噂や想像とは大分違い、実物は人畜無害で大人しそうな少女だ。噂の伯爵令嬢は男達を惑わし、手玉にとる歴戦の猛者だが、目の前の彼女はとてもそうは見えない。どちらかというと、逆に獲物にされる子兎のようなイメージだ。
目を醒まさせてやろうと意気込んでやって来た面々は皆一様に毒気を抜かれて、ぼーっと彼女に見とれたのがわかった。ついでに隊長が慌てたように二人に近づくのが目に入った。彼女が自分より兄君を慕うのが面白くないらしい。実の兄にまで嫉妬してどうする、と心の中でだけ突っ込みを入れた。しかし。
「…天使だ」
お馬鹿なマークが呟いたのがわかった。いや、気持ちはわからないでもない。日頃、毒気にまみれた王宮で羊の皮を被ったワイルドな狼のようなご婦人方の相手をしている身としては彼の気持ちは痛いほどに理解できた。綺麗な薔薇には棘があるとは言うが、彼女達は陰では随分正直で辛辣だ。まさに棘だらけ。
彼女達は狙った獲物を落とすために手段を選ばない。つい最近、俺も隊長のとばっちりで被害に遭ったばかりだ。巷で流行りの薬を盛られた紅茶を口にした俺は三日三晩、幻覚に惑わされ、のたうち回ることになった。一瞬お花畑と死んだ爺さんが見えた。一つ間違えていたら天に召されていたに違いない、冗談抜きでガチで。後から聞けば指示量の倍以上盛ったらしいじゃないか。可愛い乙女の恋心で片付けられる問題ではないし、盛れば良いというものではない。狙った獲物の心臓を文字通り物理的に仕留めては意味がないと思う。程々を知るべきだ。
それはともかく、レイチェル嬢は俺たちに気づいたようで、困ったように笑って丁寧に歓迎の挨拶をしてくれた。
「隊長は本気で死ねばいいと思う」
「…さっきまでは隊長の味方だったくせに」
「だって、色々恵まれているのに更にこんな可愛い奥さんをもらうなんて恵まれ過ぎですよ」
ぼやくマークの気持ちはわからないでもない。
はっきり言ってレイチェル嬢のような女性は周りにはいない。隊長が他の女性に見向きもしない理由が嫌というほど分かった。普段は殆ど笑わない彼が口元を緩めて彼女を優しい目で見ている。
噂とは違う平和な悪女の姿に皆一様に言葉を失い、見とれて溜め息をつけば、彼女は不安げな顔で可愛らしく首を傾げた。こんな無害な生き物を悪女と呼ぶなら、世の中悪女だらけだろう。
隊長ががっちりと彼女を確保して傍から離そうとしないのは恐らくは俺たちを警戒しているからだろう。中には粗野な奴や品のない奴もいるので彼の懸念は否定はできない。
令嬢の兄君は傍観を決め込むことにしたようだ。彼は最近、過保護を卒業して、「可愛い子には旅をさせろ」というスタンスにシフトチェンジしたらしい。とはいえ、部下達が彼女に悪さをしないように常に目は光らせているようだ。目の前で彼女に悪さでもしようものなら生まれてきたことを後悔するような目に遭わされるのだろう。隊長といい、王弟殿下といい、俺の周りは二つ名をもつ色物だらけで困ってしまう。
ちなみに噂の武闘派文官とはレイチェル嬢の兄君のことだ。最近、ペンより重い物を持ったことがない文官達の間で密かに筋トレが流行っているらしい。
これは彼が脳筋騎士を腕力でのして黙らせたことに端を発している。文官達の間で彼は既に密かにレジェンドになっているのだ。
「さて、ティルのことは我々が引き受けるから彼女のことは頼むぞ?」
ザクス殿下とアルマン殿下が面白がるように笑い、酒瓶を片手に嫌がる隊長をずるずると無理矢理奥に引きずっていった。
レイチェル嬢は聞き上手だ。マークの下らない武勇伝でさえ真剣に耳を傾け、素直に物珍しそうに大きな反応を示す彼女に部下達は全員骨抜きになった。元々、彼女は他の令嬢と関わる機会が少ないのかもしれない。マークを馬鹿にしたりしないで真面目に相手にするあたり、そうなんだろうと察した。
以前に社交場で緊張してどもって、令嬢方に陰で「子供っぽい粗野な人」と馬鹿にされて、失笑されて萎れていたマークを思い出した。マークは悪い奴ではないのだが、話題の選択が壊滅的に駄目で少々野暮ったいのだ。女性は隊長のように、とかくスマートな男性を好む傾向にある。他に売りがあれば別だが、俺と同じでマークは平凡を絵に描いたような男なのである。
その凡夫マークは今、水を得た魚のように生き生きとその時と同じ内容の話をしている。彼女は乗せるのが上手い。絶妙な相槌を入れる彼女の前で上がり症のマークが終始興奮して、滑らかに喋り、上機嫌で酒もどんどん進んでいった。噂ではレイチェル嬢は社交下手という話だが、あてにならないものだ。
背後に突き刺さるような冷気を感じて、ぶるりと震えた。そちらを見れば言うまでもなく、隊長が苛々しながら、無表情でなみなみとグラスにつがれるままに酒を飲み干していた。自分以外の奴と仲良くする彼女を見るのは面白くないらしい。殺意の混じった視線をマークに向けるのを見て、俺は肩を竦めた。
隊長の心配は杞憂に過ぎない、と思う。彼女はマークも他の奴等も特別な異性として見てはいない。彼女の心は隊長にある。彼女が話の合間で時々気遣うように隊長にちらちら視線を向けているのに俺は密かに気づいた。お互いに目が合わないから気づかないだけで二人は立派な両思いだ。他の奴等が入り込む余地が全くないほどに。
マークよ。残念だが、諦めた方が良い。彼女はもう売約済みだから想いを寄せるだけ不毛だ。恋敵になる相手も悪すぎる。
あっという間に楽しい時間は過ぎて、数名の部下は酔い潰れて広間に突っ伏した。
レイチェル嬢が酔っ払いのあしらいも上手いのは意外だった。マークの絡み酒を適当にかわしつつ、家令に水の準備と寝床の手配を依頼していた。ふわふわしているように見えてしっかりしている、つかみどころのない女性だと思った。
優しいレイチェル嬢とは対照的にフィリアは広間に転がして蹴飛ばしておけばいいのだ、と言った。実際、酔いつぶれて床で雑魚寝は騎士団ではよくあることだ。
死屍累々と酔い潰れた屍達の中に隊長を見つけて珍しいなと思った。隊長はざるだ。その彼を潰すとは、どうやら悪魔達は相当に酒を盛ったらしい。
隊長はよろよろしながら余力を振り絞り、赤い顔でレイチェル嬢に後ろから抱きついて力尽きた。隊長の身体の重さでふらついて倒れそうになる彼女を慌てて家令と執事が支えた。そのまま隊長を引きずって彼女達は階上に姿を消した。
何と言うか、隊長とレイチェル嬢のやり取りは見ているこちらが恥ずかしくなった。彼女の名前を呼びながら素直に甘える隊長に流石の彼女もぴしりと固まって赤くなっていた。
まだ意識のあった部下も皆驚いていた。普段から何事もそつなくこなし、年齢より大分大人びて見える彼が年相応に見えて、妙に人間味を帯びて人並みに見えて俺も戸惑った。
レイチェル嬢は知らないようだが、彼は人前では滅多に甘えや弱味、本音の部分を見せない。
恐らくは立場上そのように教育を受けて、長年徹底してそうしてきたのだろう。俺たちの前でさえ、大体は取り繕い、どこかで壁を作っているところがあった。周りもそうさせたのかもしれない。
精巧な人形のように完璧な上司がオーバーワークで壊れてしまわないか、俺は心のどこかでずっと心配だったのだと気づいた。誰にも心を預けられないというのは不幸なことだ。
今までに彼を婚活対象に見て近づいてきた令嬢達は基本的に自分にとって都合の良い面しか見ず、一方的に期待を向ける。誰も自分が利益を得ることに必死で、彼がもつ荷物を一緒に背負ってやろうとは思っていないのだ。
誰も彼もが薄皮一枚で取り繕いながら彼の周りに近づき、集まってくる。
隊長はレイチェル嬢といる時は素の自分に戻り、重荷を下ろせているらしい。それがわかっただけでも良かったと思う。
以前に婚約パーティーの時に見た、ぎこちなかった二人を思い出して俺は口元を緩めた。今度会ったときは盛大に上司をからかってやろうと心に決めた。




