9.身の程はわきまえていますが
ヴィッツ家主催の内輪だけの晩餐会当日になった。ちなみに裏のテーマは「レイチェルお嬢様のお見合い大作戦」である。
帰宅した兄とその友人を出迎えに出た家令ジェームスは珍しく焦った様子で、何度も眼鏡のフレームを上げ下げし、額の汗を白いハンカチーフで拭っていた。
想定外の事態が起きたのだろうか。こんなに慌てる彼を見るのは珍しいな、と両親と三人で食卓につきながら首を捻った。数分後、兄と共に食堂に入ってきた人物を見て、全員が納得することになるのだが。
それぞれ己が目を疑うがあまり、三人で二度見したが、残念なことに現実は変わらなかった。
父は驚き過ぎてまずいくらいに瞳孔を開いているし、母は母で自分の娘がまさかこんな大物を狙うなんて思ってなかったわ、と戦いていた。誤解ですよ、お母様。
私は私でティルの正体を知らなかったので、詐欺にあった気分である。まず、髪色が違うじゃないか。いや、それを言うなら鬘をつけていた私も他人のことは言えないが。
今思えば気づくだけの共通点と判断材料はあったのだけど、敢えて見てみぬふりをしていたというか、なんというか…。
兄に連れられて入ってきたティルナード=ヴァレンティノ公爵ご子息様は私達に向かって微笑んだ。どうでもいいが、あまりにキラキラしくて、うちにいる違和感が半端ない。兄と並んでいる姿を見ると等身から手足の長さ、顔の大きさ全てが違っていて、同じ次元の人間なのかと悲しくなる。
彼は私達に向かって礼儀正しく挨拶し、ジェームスに王都で人気の有名洋菓子店の包みを渡した。あれは確か、ジャンヌのチョコレートだ。限定販売で入手困難、蕩けるように美味しいと有名な…なんて、目の色を変えてギラギラ光らせていたら、母に無言で睨まれた。
兄ルーカスは私達の間に流れる気まずい空気には気づかず、「まぁ、座れよ」と気軽にティルナード様に席を進める。その鈍感さが羨ましいです、鬼い様。
全員が食卓につくと、前菜から料理が運ばれてきた。料理を運ぶメイドも若干緊張で固くなっているのが分かる。
私と両親は視線を交わし、裏のテーマ「レイチェルお嬢様のお見合い大作戦」はなかったことにしよう、と決めた。
「その節は妹が本当に世話になったな」
兄はそんな我々の方針変更を知ってか知らずか、傷口に粗塩をすりこむようにティルナード様に話題をふる。鬼い様、今「レイチェル」の話題は禁句です。
「いや、大事に至らなくて良かったよ。そういえば、今日は巻いてないんですね」
ティルナード様は私の方を見て言った。何を指しているのか、何となくわかった。多分、最初にお会いした時の気合いの入った髪型のことを言っているのだろう。残念ながら、私は直毛のため縦ロールを標準装備しているわけではない。
「大事に?」
両親の眉がぴくりとつり上がり、視線で、大事に至らなかったとはどういうことなのかと追及してくる。余計なことを口にしたティルナード様を恨みつつ、私は明後日の方を向いた。
「壁にぶつかりそうになったところを助けて頂きましたの」
母がどのような状況になればそのような事態になるのか、とやや顔色を青くするのがわかった。きっと火だるまになりかけた話をすれば卒倒するに違いない。
「ところで、ティル。以前頼んだ妹の見合い相手のことなんだが…」
良い人物はいたか、と鬼い様は最悪なタイミングで最悪な話題転換をしてきた。どうやらルーカスはティルナード様に私の見合い相手の紹介を以前から頼んでいたらしい。近衛兵団で誰か適した者はいないだろうか、と。全く余計なことをしてくれたもんだ。
「あぁ。その件だけど、残念ながら条件に合う相手が一人しかいなかったんだ」
その言葉に私以外の全員が食いついた。しつこいようだが、私ことレイチェルお嬢様は目下お見合い連敗中だが、その殆どは会う前にお断りされているのである。兄の提示した条件を満たし、かつ、私を貰っても良いという奇特な人物が見つかるとは誰も期待していなかった。故に水面下で割と真剣にグウェンダルとの婚姻が結ばれようとしていたらしい。
「誰か聞いても?」
兄の目がぎん、と光った。俺の眼鏡にかなわないやつなら認めないぞ、と目が物語っているが、正直兄以外は本人も含めて選り好みする時期は疾うに過ぎたと悟っている。
「俺がお願いしようと思うのだが、駄目だろうか?」
兄以外の全員が耳を疑った。ティルナード=ヴァレンティノ様は大変もてるために、結婚相手には困っていないはずだ。少なくとも、誰もが名前を聞いただけで縁談を回避するような令嬢をわざわざ嫁に貰う必要はない。ティルナード様に悪い噂は特に聞かないが、もしかしたら何か隠された難があるのか。
そこで私は閃いた。ティルナード様が私に求めているのはお飾りの婚約者なのではないだろうか。私は飽くまでも件の元侯爵令嬢を迎えに行くまでの隠れ蓑で、二人は真実の愛を貫くのだ。なんとも、ドラマティックではないか。最終的に巻き込まれて捨てられる予定の私には迷惑なことこの上ないが…。
私は身の程をわきまえている。どう考えても、目の前のティルナード=ヴァレンティノ様は色々差し引いても、何の取り柄もない伯爵令嬢ごときの手に負える獲物ではない。両親もそれを十分に理解している。挑戦と無謀はいつだって紙一重だ。
「こちらにとっては大変有り難い話ですが、ご両親は反対なさっているのではありませんか?」
父は遠回しにこの縁談話を断ろうとして、ティルナード様に探りを入れた。結婚は当人同士の問題ではなく、その家族が反対した場合は成立しないことの方が多いのだ。野心家と噂されるヴァレンティノ公爵がこの縁談に賛成しているとは思えない。
「両親には既に話を通してあります。二人とも大変喜んでいましたね。それとも、やはり俺ではレイチェル様には相応しくないでしょうか?」
喜んでいた、の下りを聞いて人違いか誤解でもあるのではないかと私も両親も思ったのは言うまでもない。ヴァレンティノ公爵夫妻は一体どこのレイチェル=ヴィッツさんとの縁談を喜んでいるのだろうか。
相応しくない、と聞かれれば家格の上でも公爵家には遠く及ばない伯爵家としては断りづらくなる。全ての面で釣り合わないのはこちらの方だが、これだけ相手側から望まれているのに断りをいれれば、そうとは取られないだろう。縁談の話はこちらからお願いしたので、相手の顔に泥を塗りかねない。
「まあ、レイチェルは可愛いからなぁ」
兄の斜め上を行く発言にその場にいた全員が心の中で、それだけはない、と突っ込みを入れた。兄はシスコンで、私のことになると、少々目と耳が悪くなるのだ。昔の私は兄の妄言を素直に信じて、何度も痛い目に遭った。だから、絶対に真に受けないことに決めている。
私は真意を図るべく、ティルナード様の青い目を見つめた。視線が絡むと、なぜか甘く微笑まれた。これが可憐な普通のご令嬢なら完全に勘違いしただろうが、彼の瞳に今映っているのはチビで目付きの悪い、何を考えているかわからない顔をした私である。
何でこうなったのか、彼が何を企んでいるのか全く理解できないが、まぁ、いいだろう。これがお飾りの婚約であるとしても、私の創作活動の糧にしてやろうじゃないか。
「まぁ。私、実はティルナード様をお慕いしていましたので、コウエイデスワ、ホホホ」
主にネタ的な意味で、という言葉はぐっと飲み込んだ。後半棒読みになったのはご愛嬌である。退路は絶たれていたし、他に選択肢がないのだから仕方がない。
その後、両家の顔合わせの日取りを決めた後、晩餐会はつつがなく終了した。
レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢の黒い噂に新たなものが加わることになるのも時間の問題だった。