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番外~???とカルガモ令嬢~

二回目の投稿です。

ついていない。

気のせいでなければ、小さな生き物がちょこちょこと後ろをついてきている。早足で歩けば走ってついてきて、足を止めればぴたりと止まる。

その小動物は黒髪につり目の瞳で不安そうに、どこまでもついてきた。

困った。子供は苦手だ。特に女の子は何を考えているかわからないし、面倒だ。昔からそうだった。競うように私に近づき、勝手に失望して離れていく。

ともあれ、このまま放置すればどこまでも追いかけて来そうだ。それは困る。私は立ち止まって屈んで、その小さな生き物と視線を合わせた。

視線をぴたりと合わせると、その生き物は安心したような顔になった。まるで知り合いを見つけたみたいに。


「どうして後をついてくる?」


「迷ってしまって。貴方が知り合いにそっくりだったから、つい」


頭が痛くなった。彼女がいる位置は王宮から大分外れている。彼女がいる位置は離宮に近い。私がそこに用事があるからついてきてしまったのだろうが、更に迷わせてしまったようだ。


「帰り道は…わからないよな?」


少女の肩に手を置いて息を吐き出した。少女も悲しげに項垂れた。


「どこの子だ?名前は?」


聞きたくないが、聞かないことにはどうしようもない。本当はかかわり合いになりたくない。彼女はそのぐらい雰囲気が似ていた。あれも丁度このぐらい要領が悪くて野暮ったかった。加えて、後ろ向きでお人好し。

あんな弱い生き物が魑魅魍魎の巣窟では長生きできないだろうと思っていたら、予感は的中した。

そもそも、打算なく適当に選ばれただけだと知っていた。他に使い道があれば、他家に出されたろうが、「要らない」とされたから、ここに来たのだ。


「ヴィッツ伯爵の娘のレイチェルです」


意外にもしっかりした受け答えにびっくりした。不審者についてくるぐらいだから、どんな馬鹿な娘だと思っていたら話は通じるらしい。いや、不審者に名前を名乗るぐらいだから単に危機感がないだけか。


「レイチェルか。君の家族はどこに?」


「王宮に用事で。待っているようにと別室にいたんですが」


そこで彼女は俯いた。よく見れば靴を履いていない。落とすはずもない。


「靴はどうした?」


「無くしました」


彼女はそこで悔しげに唇を噛み締めた。

ああ、そうか。恐らくは他の子女に嫌がらせをされたのか。それで隠された靴を探す内に迷子になったわけだ。不思議としっくりしたのは虐げられる性質を彼女が備えていたからだ。

ぱっと見て、弱い。

格好を見て理解した。あれもそうだった。ついでに私も似たような目にあったことがある。

私は彼女の身体をひょいと抱き上げた。彼女はぎょっとしたような顔をして私を見上げた。


「ついてくるなと言ってもついてくるのだろう?君の小さな足で追いかけてこられるよりはこちらの方が早い」


私は憮然とした顔で言った。


「…やっぱり似ています」


先程から知り合いに似ているのだという彼女に「馬鹿なことを」と言いたい。私は仮面をつけて顔の半分を覆っている。彼女の知り合いは仮面をつけた不審者だとでも言いたいのか。


「先程から疑問に思っていたが、君の知り合いというのは?」


「…ヴァレンティノ公爵子息、です」


頬を染めて身を縮こませながら、小さな声で言った。

一瞬、ひゅっと息が止まりそうになる。かの公爵家の名前は嫌なぐらい聞かされてきたのだ。

反応を見る限り、彼女は「ヴァレンティノ公爵子息」とやらを慕っているのだろう。

今の私は原型を留めていない。だから、似ている要素はないのに「似ている」と少女は言うのだ。「呪われている」としか思えない。そもそも、「似ている」ということはあちらがオリジナルということで、私は模造品に過ぎないということだ。昔から私の周りはそうだった。誰も彼も何かにつけて似ていると言い、違うことに落胆する。愚かな父は「能力が同等なら使い道があった」というが、考えて欲しい。鳶が鷹を生む確率は低い。鷹から鳶が生まれる確率の方が高いくらいだ。私は元々鳶の子供だ。


「似ていないだろう?あの一族は銀色の髪をしているが、今の私はほら。赤い髪だ」


私が髪を摘まむと彼女は不思議そうに首を傾げた。


「カツラでしょう?黙っておこうと思ったけど、ずれていますよ」


小さな指でそっと私の本当の髪をつまんだ。私は凍りついた。いつからずれていたのか気付かなかった。


「心配しなくても白髪だと思われたみたい?お月様みたいに綺麗な銀色なのに隠すなんて変な人」


レイチェルはくすくすと笑った。

彼女の瞳は誰かを思い出すように優しい。

警戒心が薄いのは「ヴァレンティノ公爵子息」とやらに似ているからなのだろう。そいつに少し興味が湧いた。


「君の知り合いについて聞かせてくれないか?」


よせばいいのに、口をついて出た。

遠目に先代の公爵を見たことがある。しかし、色以外はさほど似ているようには思わなかった。あちらは驚いたようだったが、それは私の髪色のせいだろう。

話を聞いて後悔した。簡単に言うとのろけ話だ。本人は全くのろけている自覚がないから尚更たちが悪い。

ヴァレンティノ公爵子息はこのレイチェルを相当可愛がって入れ込んでいるらしい。

生粋の王子でも言わないような口説き文句に、幼女と遊んでも男友達の前で堂々としていられるメンタルの強さはどこぞの誰かさんにも見習わせたい。普通「ヴァレンティノ公爵子息」ぐらいの年頃の少年は女子供と遊ぶのを恥ずかしがるし、馬鹿にする。彼も最初はそうだったらしいが、途中から変わったらしい。

恥ずかしさのあまり、顔を逸らした。

目を離せずに虐めてしまうのは途中でレイチェルが「好きだ」からだと彼は気づいたのだ。実際、「レイチェル」は可愛い部類に属す容姿はしている。本人は欠点だらけだと思っているようだが。「ヴァレンティノ公爵子息」の気持ちは何となくわかった。確かに、好きな女の子の口から「好きだ」と言われたいし、彼女は成長すれば綺麗になる。私の知り合いがそうだった。今の内に確かな約束を取り付けておきたいのだろう。


「なんだ。要するに君の婚約者の話か」


「婚約なんて恐れ多いことはしていません。兄の友人で、私の知り合いです」


レイチェルがあっさりと否定したので、公爵子息を不憫に思った。


「もたもたしている内に相手が決まるよ?」


私は意地悪を言ってみた。焦れったいにもほどがある。レイチェルは公爵子息が好きで両思いなのだ。婚約まで申し込まれているのに、意味がわからない。

彼女の足元に目を向けた。恐らくは公爵子息狙いの子女にでもやられたんだろう。レイチェルの話を聞く限り、公爵子息は全く周りに隠すつもりがない。妬まれたのだと思った。


「似合わないもの。ダンスは下手だし、野暮ったいし、とろいし。顔は変だし」


ええい、鬱陶しい。久しぶりに苛々した。あれでも、こんなにカビは生えていなかった。


「後悔したことがないからもたもたできるんじゃないか?君は適当な理由をつけるけど結局自分が可愛いんだ。だから、公爵子息が痺れを切らして決めてくれるのを待っているんじゃないか?」


レイチェルはびくり、と肩を震わせた。自覚はないが図星をついたらしい。


「できる人にはわからない」


ぷつりと堪忍袋の緒が切れた。ヴァレンティノ公爵子息は我慢強くこれを甘やかしているのだろう。しかし、私はそこまで甘くはない。


「そうだな。でも、君だって全くわかっていないじゃないか。君が怖いのと同じくらい相手も怖いんだ。誰だって好きな相手に嫌われたくない。人の気持ちを正確に理解できる奴がいるもんか。言わなきゃわからないし、言わなきゃ伝わらない。家族だってお互いを全部理解している訳じゃないのに他人同士が理解できると?君みたいに甘ったれた奴は私は大嫌いだ。我慢するな。欲しいなら欲しいと言え。隣にいたいなら努力すればいい。じゃないと」


「じゃないと?」


「一生後悔するぞ。私みたいに」


私は呻くように言った。「あんなこと言うんじゃなかった」、「もっとこうすれば良かった」、私の人生は後悔だらけだ。後悔だけでできている。

私は自分の気持ちを呑み込むことが正しいと思っていた。ある意味でそれは正解で、大きな間違いでもあった。


「…少し話をしようか。私と私の知り合いの話だ」


私はベンチを見つけて彼女を隣に下ろした。離宮の外れの人気がないそこは私のお気に入りスポットだ。鬱陶しい仮面と暑苦しいカツラを剥ぎ取り、ガチャンと横に置くと、彼女は目を丸くして息を呑んだ。

先程までは関わるつもりはなかった。今もそれは変わらないが、目の前の彼女に腹が立ったのだ。

私が話を終えると、彼女はマリエ=ネーベのナイトメアに似ていると言った。そりゃそうだ。あれはこの話を元に書いていて、私はその作者なのだから。執筆活動を開始したのは憂さ晴らしも兼ねてのことだった。

しかし、よく気づいたものだ。あれはわざと元の原型はわからないように幼女が好むようなお伽噺風に仕上げたのだ。実話は教育上よろしくない。最初にあれを彼が読んだ時は渋い顔をした。が、何も言わずに出版社に持ち込むように臣下に指示し、発刊と同時にベストセラーとなった。驚いたことに私には文才があったらしい。手遅れになってから私は私の可能性を自分で決めつけていることに気づいた。


「いいかい?君は…」


幼女に説教しようと私が向き直った時のことだ。


「何をなさっているんですか?」


気だるげな、金髪がやや後退した老けた男が呆れたように私達に近づいてきた。

よくよく考えると、この構図は突っ込みどころが満載だ。幼女と成人した男がベンチで座っている。誘拐犯と被害者にも見えなくもない。


「これは…!違うからね。勝手についてきたんだ」


「……貴方が幼女といちゃつこうが、どうでもいいです。それよりも、随分無用心ですね。誰かに見られたら問題ですよ。そこの幼女のことも含めて色々と」


彼は私の顔を見て、だるそうに指摘した。変われば変わるものだ。覇気に溢れていた彼はまるで生気がない。私の方が彼より七つは上なのに、今では彼は私より年をとって見える。


「貴方は昔から小さい子どもが好きでしたね」


「出鱈目を言わないでくれ。子ども好きなのは君の方だろう?私は子どもは嫌いだ。何を考えているかわからない。君の子ども時代も本当は大嫌いだった」


「じゃあ、何でそれを連れてきたんですか?顔まで見せて随分親しげですね」


「彼女とはさっき会ったばかりだ。迷子らしいんだ。放っておこうと思ったのだけど、しつこくついてくるものだから、つい」


ちょこんと隣に座るレイチェルを見た。大人しい子だが、やはり説教が必要だ。こんな風に誰彼構わずカルガモのようについて行くのは無用心に過ぎる。たとえ、知り合いに似ていてもだ。


「どうしますか?顔を見られては生かしておくわけにはいかない」


目を眇めて彼は面倒くさそうに言った。


「また、君はどこぞの悪役が言うような台詞を思ってもないくせに言う。大事になるのはまずい」


「もう十分大事になっていますよ。先程、妃から伯爵の娘が行方不明だと知らせが来ました。何で、靴なんか脱がせて連れてきたんですか?いくら可愛くても、足がすぐにつく方法をとるなんて貴方らしくない」


頭をかきむしった。そもそも、私は彼女を誘拐したくて連れてきたわけではない。言い訳に過ぎないが、成り行きだったのだ。

それに靴は私の仕業ではない。


「禿げますよ」


「…君に言われたくないね」


ただでさえ蒸れるカツラの着用を義務付けられていて危機感は感じている。ちらりと彼の後退した頭髪を見た。明日は我が身だ。


「…貴方に心労をかけられた結果です。好きで禿げた訳じゃない。息子には将来を憂えて泣かれるし、ろくなことはないな」


ぽりぽりと頬を掻きながら、くたびれたように哀愁を漂わせて遠くを見つめる姿はこの国の最高権力者には全く見えない。威厳がない。それもそのはずだ。長男には陰で色ボケ爺いと呼ばれているらしい。可哀想に。

レイチェルは呑気に座ったまま、成り行きを見守っている。


「私はどうすればいい?」


「仮面とカツラを早くつけて下さい。彼女のことはエリザに任せましょう」


エリザは彼の細作であり、王宮仕えの侍女の名前だ。籠の鳥の彼は自由に身動きが取れない。控えていたエリザは心得たように頷いた。

私が仮面とカツラをつけて立ち上がると、なぜかレイチェルは私の後ろをカルガモのようについてきた。


「…彼女を離宮の出口まで連れていって下さい。そこからエリザに引き継がせます」


「幼女に何を?」と白い目で見てくる彼に目で訴えた。「待て、誤解だ」と。


「…どうでもいいから早く。ここで貴方と私と彼女が見つかると色々まずいのはわかるでしょう?私達はこの国の嫌われ者ナンバーワンとツーです」


「まさか兄弟そろって殿堂入りをすることになるとは」


父のことは笑えないな、と言うと彼は顔色を変えて言った。


「滅多なことは言わないで下さいね。私の尊敬した兄上は随分前に亡くなりました。貴方は残りかすに過ぎない」


「生きていても死んでしまっても幽霊扱いか。酷い話だよ。生まれながらに死んでいる人間は辛いね」


「死者は口をつぐむものですが、生前より随分お喋りになりましたね。むしろ死んでからの方がお元気そうで何よりですよ」


いきいきしているじゃないか、と呆れたように言う弟に笑った。


「我慢しないことにしたからね。若さを保つ秘訣はストレスを溜め込まないことだよ、ネリル」


老けた弟を笑い飛ばしてやれば彼は苦虫を噛み潰したような、何とも言えない顔になった。


「…死んでからよい性格になりましたね。さ、早く元の場所に返してきなさい。うちでは面倒見れませんよ」


捨て猫のようにレイチェルを顎で嫌そうに指した。実際の彼は子供好きだからポーズに過ぎないとわかっていても笑えてしまう。


「ネリルは私のお母さんみたいだ」


「人の子を拾ってくるような非常識はあのアルマンでもしない。貴方は本当にあの兄上なのか」


溜め息をつかれて、私は苦笑いした。

甥っ子は非常識が服を着たような人間だが、犯してはいけない領域は弁えていた。アルマンのことは心配していたが、兄王子がネリル似のお馬鹿さんで良かったと思う。アルマンは出家も考えていたらしいが、頼りない兄を放っておけずに考え直したらしい。


「今までが私に幻想を抱きすぎていたんだよ。私は元からこうだったし、大きく変わった訳じゃない。ただ、もっと話し合うべきだった。もっと早くに手を取り合っていれば君は愚王にならずに済んだんじゃないかと反省している」


「今更です。しかし、厄介だな。彼女が何も言わない保証はない」


そこで、じーっと私達は彼女を見た。

殺すという選択肢は勿論ない。実は子煩悩なネリルは冗談で言えても、実行できる度胸はない。それに、数年の間に王宮では不審な人死にが続いているから大騒ぎになる。流石の私も幼子を手にかけるのは心が痛む。色々悪事を働いて堕ちるところまで堕ちた身だが、殺人は躊躇われた。

こうしている間にも可愛い弟がレイチェルをやっぱり、うちの子にしようかと悩みはじめているのがわかった。弟は女の子も欲しかったらしい。今から作れば、と言いかけたが、既に后との間には顔を合わせればブリザードが吹雪く関係らしい。表向きは愛人を作って悪事に手を染めながら豪遊していることになっているから無理もない。それに、側妃の死で密かに心に深い傷を負ってしまった彼にはもう新しい妃を得るつもりがないのは知っていた。

レイチェルが私のことだけを忘れてくれるのが一番だがそう上手くはいかないだろう。催眠術の専門家に心当たりはないし、時間はない。迂闊に姿を見せるのではなかった、と後悔した。彼女があまりに「ヴァレンティノ公爵子息」に似ていると言うから腹が立ったのだ。私の方が先に生まれているから彼が私に似ているのが正しいのだとどうでもいい憤りを感じたし、似ていない証明がしたかった。なぜか、一層なつかれてしまったのだが。

そこで私は思い付いた。忘れられないなら、より彼女にとってインパクトの強い事件を起こしてやればいい、と。


「私に考えがある。可哀想だとは思うけど、上手くいかなければ、その程度だったということさ」


私は彼女の頭をぽんぽん叩いて、「行こうか」とにっこり笑ってレイチェルの手をとった。


※※※


血は大袈裟に流れたのに傷が浅くて一命をとりとめた。死ぬつもりだったのに間抜け過ぎて呆れてしまう。


「…なんと馬鹿なことを」


「殺してくれ」


「自分を刺すなんて馬鹿じゃないですか?」


「殺してくれ」


「死なせませんよ」


「良いから殺せ!もう、いいんだ。もう沢山だ。もう無理なんだ」


怒鳴って涙を流して子どものように泣いた。

生まれた時から空気のように無視されてきた。もう、こんな風に生き続けるのは辛い。楽になりたかった。


「何が沢山なんです。貴方は何もしていないではありませんか!貴方がしたことなんて、ただ、勝手にいじけて引きこもったことぐらいだ。弟に責任を押し付けて」


がっと襟首を捕まれて私は目を見開いた。


「死にたいなら、お望み通り殺して差し上げます。ただし、今度は私のために生きて下さい」


ネリルは冷たい目をして襟首を離した。


「これから死ぬのに生きろなんて滅茶苦茶だ」


「最初から貴方は死んでいたようなものだ。生きてすらいない。貴方には一度死んで、生まれ変わって頂きます」


妙なことを言う弟に私は疑問を口に出していた。


「…マリーベルのことを恨んでないのか?」


弟の表情が凍りついた。何かを思い出したように苦しげに顔を歪める彼を見て私は自分の性格の悪さを自覚した。ネリルはマリーベルが好きだったのだ。知っているくせに知らないふりをして、何度かからかってやったことがある。


「…あれは私の考えが足りませんでした。まさか湖に身を投げるなんて」


「何をした?」


可哀想な娘だと思った。私がいなければこんなことにはならなかったのだ。或いはネリルと関わらなければ湖に身を投げることもなかったのだろうか。


「兄上は誰も愛せないと伝えただけですよ?」


にっこりと弟は憐れむように笑った。


「私は誰も愛せないわけでは…」


ない、と言おうとしたが、ネリルは首を左右に振った。


「事実でしょう?」


「違う」


「昔から貴方は空っぽなんだ。自分だけが可哀想な人だと思って可哀想な自分に酔っている。だから、自分以外は愛せないんだ。マリーベルのことだって本当はどうでもいいんでしょう?」


先程から彼女がどうなったか気にも留めてないでしょう?と詰るネリルに私は言葉に詰まった。


「マリーベルは結局どうなったんだい?」


取って付けたように聞いた私を見てネリルは深い溜め息をついた。


「一命をとり止めましたよ。ただ、記憶を一緒に落としてしまったみたいでね。もう元の彼女じゃない。が、彼女が湖に身投げした本当の理由だけはわかりました」


「そんなの聞かなくてもわかることじゃないか」


私か君に対する当て付けだろう、という言葉を呑み込んだ。


「聞いてもないのに本当のことがわかる訳がない。貴方が私のことは何も理解していないように。私が貴方を理解できないようにね。彼女、妊娠していたんです。知っていましたか?ちなみに私でも貴方の子供でもありません。私も貴方も彼女とはそういうことはしていないでしょう?」


予想外の事実にぽかん、と呆気に取られた。てっきりネリルが彼女に何かをしたのだと思っていただけに。


「待った。ネリルは彼女に何もしていないのか?」


「…確かに一度彼女を甘い言葉でお誘いしましたよ。だけど、断られました。だから、腹いせに私だけが知っている貴方の秘密を教えたんです。兄上は誰も愛せない、と。私は最初、それに絶望して身投げしたんだと思いました。きっかけには過ぎなかったんでしょうね、浮気の。恐らくは寂しかったんでしょう」


「なぜ、彼女はそれを私に言わなかったんだ?」


言えば望み通りにしたのに。


「…言えば兄上なら気持ちはなくても機械的にアイシテルと答えたでしょう?正妃から聞きましたよ。兄上は優秀には違いないが、人間としては欠陥だらけだ、と。それはともかく」


ネリルのあんまりな言いように私は口の端を歪めた。


「一人だけ楽になるなんて許しません。せいぜい馬車馬のようにきりきり働いて私の役に立って下さいね。死に損なったんですから人権はないものと思ってください」


「死んだ人間には何もできないよ」


生きている時でさえ幽霊扱いで無力だった。ネリルはおかしなことを言う。父上に殴られ過ぎて頭がおかしくなったのかもしれない。


「死んでいるからこそできることが沢山ありますよ。一度捨てた命を無駄なく再利用して下さい」


「意味がわからない」


鬼のようなことを言う弟の言葉に私は口許をひきつらせた。


「別の名前と人生を用意します。貴方にはこれから悪者になって頂きます。悪者としてコネクションを広げて勢力を拡大して下さい。巨悪に成長すれば成長する程良い。貴方ならやればできる。むしろ、貴方が王位を継げば良かったんだ」


きょとんとして弟を見返した。本当に意味がわからない。変な太鼓判を押されて私は戸惑った。


「私も悪者になりますから安心して下さい。せいぜい馬鹿な臣下に気に入られるように頑張りますよ」


「そうか、復讐したいのか」


そこまで恨ませてしまったのかと後悔した。


「まあ、そんなところです。数日前、エーベ子爵が病で亡くなったそうです。元々病弱で引きこもりがち、人嫌いな方で死んで数日後に発見されました。発見したのは私の小飼です。まだ、このことは誰も知らない」


「まさか」


そこはかとなく嫌な予感がした。


「貴方には彼に成り代わって貰います。彼の遺体は丁重に子爵家の墓に密葬しましたし、兄上は表向きは死んだことになっているから安心して下さい」


「いやいやいや。倫理的に問題がありすぎるだろう」


成り代わりなんて死者への冒涜だ。それに別人に成り済ますなど無理がある。


「兄上がやらないなら子爵家がとり潰されるだけです」


エーベ子爵家には後継も親戚もいないらしい。


「使用人が流石に気づく」


「残念ながら、通いの使用人しかいなかったそうです。誰も顔は見たことがないらしいですよ。なんでも幼少時に負った火傷が原因で人を寄せ付けなかったとか。友人も妻もいない可哀想な人です」


言葉にちくちくと棘を感じた。


「私に具体的に何をさせたい?」


暗い焔を蒼い瞳に揺らめかせながらネリルは涼やかに笑った。

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