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閑話~公爵子息の妻の浮気調査事情~

三回目の投稿です( ・∇・)

お約束の裏側ティル視点(^-^;そして相変わらずのストーカー&病みっぷり。

馬車から降りるレイチェルを見かけて俺は固まった。彼女は王宮の車止めになぜか一人で降りてきたのだ。そのまま侍女に伴われて王宮に入る彼女を見て、嫌な予感がした。

すぐに屋敷に確認の使いを出せば王妃様の招待を受けたらしい。事実確認をすれば王妃様は全くご存じではなかった。何か思い当たることがあったのか口を押さえた王妃様を見て、すぐに王弟殿下絡みだと察しがついた。

レイチェルはそのまま伯爵家に帰省するらしい、と知らせが来た。それは構わないが、供も連れずにはおかしい。朝、彼女は帰省のことは何も言っていなかったし、喧嘩したわけではない。

馬車の件以降、屋敷の者には彼女を一人にはしないように言いつけていて、身の回りの世話をする侍女に護衛の任を兼ねさせていた。その護衛を外すことができるのは高位の者だけで、公爵家の上位となると王族しかない。

王弟殿下が仕事で仮面舞踏会に潜入することがわかった。フィリアに交渉して夜勤を交代してもらい、準備を整えると仮面舞踏会に向かった。

会場に入り、密着して寄り添う二人を発見して頭に血が上った。殿下の手が気安くレイチェルの肌に触れる度に苛立ちが募った。殿下の腕に遠慮なくぶら下がる彼女にも納得のいかない気持ちになった。俺の腕をとる時は遠慮がちなのに、なぜ、と思う。夫にはなかなか気を許さない妻がなぜか他の奴には簡単に気を許すのだから当然面白くはない。二人の間に漂う空気には遠慮は微塵も感じられないが、なぜか倦怠期の夫婦のように冷えきっていた。甘い空気を一欠片でも感じたら俺が我慢できなかっただろうが、レイチェルは殿下と馬が合わないらしいことだけはわかった。

けほけほ、と時々咳をするレイチェルを見て、殿下を呪った。気管が弱い彼女をこんなところに連れ出すとは、と文句を言ってやりたいが、ドリーに宥められて押さえた。

余興が始まるらしい。内容を聞いて冗談じゃないぞ、と思った俺はじりじりと彼女との距離を縮めた。ドリーが呆れたような眼差しを向けてくる。

殿下を狙う女性達がじりじりと包囲の輪を狭めていくのと同時に俺の周りにも人が集まるのを感じたが、そんなことはどうでもいい。問題はレイチェルだ。殿下には護衛がついているが、彼女には今はついていない。殿下の護衛が優先するのは殿下でレイチェルは二番目だ。

ハァハァしながらレイチェルの傍に近づいてくる男達の空気も敏感に感じて俺は「またか」と嘆息した。彼女は自覚がないが、昔から変な奴に好かれやすい。前の仮面舞踏会だって危なそうな奴等に関しては俺がこっそり追い払っていたのを彼女は知らない。その前でさえ、従兄と兄という強固な盾を常に従えていたのだ。彼女は決して悪い噂のせいだけで、もてないのではなく、鉄壁のガードのせいで声をかけられなかっただけだ。そもそも架空のレイチェルと実物のレイチェルはかけ離れすぎていて、本人だと認識されていないことが多い。

本人達は完全に溶け込めていると思っているが、気品が滲み出ていて目立っている。王室育ちのサラブレッドと屋敷の奥で大事に無菌培養された深窓の令嬢ならそうだろう。二人とも普段なら絶対にこういう場所には来ないだけに、周りから見れば格好の餌食で上等な獲物に見えるだろう。

暗転と同時に俺は彼女を殿下の腕から奪取し後ろから抱きすくめた。激しく抵抗されて動揺する。俺だとわかっていないのだと言い聞かせても最愛の女性に本気で拒絶されるのは地味に精神を抉る。彼女の判断は正しいが、複雑な気持ちになった。

レイチェルの手が俺の頬に当たったが、離してやる気はない。今離したら危険だ。暫くして急に抵抗が緩んで首を傾げた。屋敷に戻ったら彼女には防犯対策について言い聞かせる必要がありそうだ。相手が危害を加える気がなくても不審者にはついていってはいけないし、抵抗を緩めたら駄目だ。

明かりがついて、レイチェルは俺だと気づいたらしい。一瞬彼女の身体が強ばり逃げようと腰を引くのを俺は見逃さなかった。最近まで割とよくあった反応だ。むっと不機嫌になる。なぜ、俺だとわかったのに逃げようとするのか。

更に謝られたものだから動揺した。まさか、と思った。

殿下はレイチェルの大好きな絵本に出てくる元「王子様」だ。挿し絵に出てくる王子達と風貌は近く、性格は俺と同じくらい悪いくせに端麗で優しげな容姿をしている。幼い頃は「天使の面の皮を被った悪魔」と呼ばれていた。

対照的に俺は氷のように冷たい容姿をしているらしい。「やっぱり殿下の方が好き」とレイチェルに言われたら、どうしようかと思った。

それが俺の杞憂に過ぎなかったとわかってほっとした。殴ったことと内緒で屋敷を出たことについての謝罪だったらしい。

白い小さな指が控えめに頬をなぞる感触が心地よく、眉を下げて心配そうにこちらを見上げる可愛い妻を見て俺は機嫌を直した。

とはいえ、元凶に対して容赦するつもりはない。甘い顔をすれば、すぐ付け上がるのは国王陛下と殿下の普段のやり取りを見ればわかる。俺はともかく、レイチェルは二度と危ないことに誘わないで頂きたい。

少なくとも部下の妻を怪しげな夜会に誘った挙げ句嘘をつかせて無断外泊させようとした件については小一時間程問い詰めた後で反省させないと駄目だ。その他にも言いたいことは山ほどあった。

レイチェルの左手の薬指をなぞると、あるはずのものがなかった。ずっと気になっていたことだ。

殿下の指示で外したのだと聞いて俺は殿下に冷たい目を向けた。それに気づいたレイチェルは慌てて首にかけていた細い鎖を引っ張り胸元から指輪を出した。

うっかり無防備に晒された胸元を注視してしまい、鼻の血管が緩みそうになった俺は鼻を押さえた。下世話な殿下が察したように可哀想なものを見るような目で見てきたが、放っておいてくれ。

レイチェルに着せられているドレスは華奢な彼女の身体に微妙に合っていない上に露出が多い。レイチェルは男が皆、豊満な体型を好むと思っているようだが、大きな間違いだと言いたい。人の好みは千差万別である。

ちらほら彼女を盗み見る不躾な視線を感じて俺は彼女の身体を隠すように包み込んだ。痣は大分薄くなったし、肌に白粉をはたいているせいか目立たない。

レイチェルはつり目がちの大きな瞳、華奢な身体に色白の滑らかな肌をしている。本人は気づいていないが、俺の母も妹も父も、表面上は威厳を保っているが影では「可愛い」と猫可愛がりしていて、既にあちこちで自慢の嫁、義姉と言って回っている。母と妹は特に彼女の身につける物にも口を出すくらいだ。

ドリーに言わせると、俺は贅沢で面倒なくらい理想が高いらしい。元婚約者のフィリアはレイチェルを「幻の美少女」だと言って、紹介しろと煩い。こちらについては絶対に引き合わせないように警戒している。彼女を同僚で大事な友人だとは思うが、可能なら結婚式にも招待はしたくない。理由はとられたくないからだ。これに尽きる。彼女には前科が複数ある。そこらの男より男前な性格な上に、女性だから女心をよく理解していて、包容力に溢れている。だから、非常に質が悪い。レイチェルが万一、道を踏み外したら俺はフィリアを一生恨むだろう。

腕の中で大人しくしている彼女を盗み見て、頬が赤くなった。ドリーと殿下が「嫁馬鹿め」という微妙な目で見てくるが、全く気にはならない。

殿下に首尾を訊ねたところ、収穫はあったのだから許せ、と言ってきた。視線を追えば、アリーシャ=ラッセルが水煙草を吸いながら賭けをしていた。一斉摘発で余罪も明らかにできるかもしれないらしい。

殿下の言う収穫に魅力は感じなかった。どちらかと言うと、こちらが犯したリスクに見合わない。俺の最優先はレイチェルの安全だ。

俺の不満を感じとったのか、殿下はオークションの話をして、目録を差し出した。

目録に記されたある商品を見て、俺は激昂した。式はまだだが結婚したばかりの可愛い妻が裏オークションとやらに無断で出品されていたら冷静ではいられない。ただでさえ、馬車の事故に隣の王族の暴挙にとろくでもない目にあったばかりなのだ。

レイチェルは大丈夫だろうか、と顔を見れば意外に平然とした顔をしていた。どうも慣れたらしい。慣れないで欲しいものだが。

なぜ、他の物より開始価格が高いのか、と無邪気に聞く彼女に殿下は律儀に答えた。聞かせたくなかったので耳を覆った。

開始価格はむしろ安いくらいだ。三年前に領地の混乱に乗じた悪徳貴族に嵌められて彼女が領地とセットで買い叩かれそうになった時は十倍以上の額だったのを俺は知っている。ルーカスに泣きつかれて寸前に阻止した。シスコンのルーカスがレイチェルを殿下に貸し出したのは三年前の件絡みだと思った。

欲しい奴はいくらでも出すだろう。地方や新興貴族で金はあっても成り上がりと馬鹿にされている者から見れば、古くから続く貴族の血統は喉から手が出るほどほしいだろう。

貴族にも格があり、格下から格上には縁談を取り付けるのは困難だ。逆に格上からの申し出は断れない風潮がある。ヴィッツ伯爵が愛娘の婚約を断れなかったのがそれに当たる。悪いことをしたとは思うが、後悔はない。レイチェルは結婚適齢期に達していて昔のように悠長に事を構えている余裕はなかった。ああする以外にレイチェルと距離を縮める方法はなかったし、婚約の確約があれば伯爵側も一応は安心する。俺に立っていた根も葉もない噂を考慮すれば伯爵は婚約の確約がなければレイチェルに近づくことも許さなかっただろう。初見で明らかに歓迎されていなかったのはわかった。娘を弄んで捨てるのでは、と婚約当初は割と頻繁にこっそり様子を見に来たり、逢瀬の時間もきっちり決められていて密室には二人きりにしないように徹底していたし、三月ぐらいは常に使用人の目が光っていたのは知っていた。そのぐらい信用がなかったのだから悲しい限りだが。今はそこまででもないが、俺を「息子」のように思うのは抵抗があるらしい。署名をもらう時も結婚式までは絶対に節度を保つようにと約束させられた。かなり破ってしまっているので心は痛むが。一線を越えなくても一緒に寝るのはアウトだ。自覚はあっても一度味を占めたらなかなか抜けられないのが人というものだ。彼女は一緒に休む意味について深く考えていないだろうが。

もし、レイチェルが裏オークションとやらに出品されたら俺は金に糸目をつけずに買い戻す。破産しても構わない。全財産をぶちこんでも取り戻すだろう。

他の貴族の子女にしろ、庶民にしろ、金さえあれば大事な家族を取り返すために出すだろう。随分悪趣味だ。人身売買は宰相の失脚後は固く法律で禁じていた。まして、売られるのは誘拐されてきた人間だ。許されることではない。

彼女を膝の間に座らせて気持ちを鎮めるように髪を撫でた。レイチェルは文句を言いたげに口を開いたが、周りを見て納得したように頷いて、すぐに口を閉じた。時々、彼女の頭の中が覗けたらいいのに、と思う。わかりやすい時と全く読めないときの落差が激しい。

何度か女性に誘われて俺は首を傾げた。なぜか毎回、「妹さんのことはお友達に任せて遊びましょう」と言われる。仲睦まじく過ごしている女性がいる前で公然と誘うなんて喧嘩を売っているとしか思えないと、笑顔で全て断った。大体、妹サフィーはここにはいない。レイチェルはなぜか、「やっぱり」という顔で俺のシャツを掴んでため息をついた。

暫くしてドリーが堪えきれないように隣で爆笑した。女性達が言う「妹」はレイチェルのことだと言う。俺は漸く誤解に気づいて憤慨した。彼女は妻で妹ではない。社交シーズンが終わって他人に不釣り合いだと言われる機会が久しくなかったので忘れていたが、憮然とした気持ちになった。

レイチェルは気づいていたらしい。人目があるのに珍しく大人しく膝の間に座っていると思っていたら最初から周囲には兄妹にしか見えないと思ったからだった。彼女ともっと仲良くなる必要を感じた。

オークション前に目録が配られた。ぱらぱら捲って考え込むレイチェルからそれを取り上げた。彼女も商品として載っているそれは面白いものではないからあまり見せたくはない。胸に抱き寄せて優しく髪を撫でてやればレイチェルは俺の胸に頬を寄せて目を伏せた。レイチェルは幼く見える外見に反して時に妙に大人びた顔をするのだ。声をかければすぐに戻るが。

ぞくり、として心臓が跳び跳ねた。ふとルーカスが結婚にあたって新たに出した裏の条件を思い出した。確か、「レイチェルから絶対に目を離すな」だ。

レイチェルは何かに気づいたように「変だ」と言った。足を引きずりながらふらふらと歩いて行こうとする彼女を見て、「まずい」と思い、慌てて腕を引っ張って抱きすくめた。

話を聞いた時は俄には信じられなかった。

ただ、レイチェルの話だと彼女に間違われた人間が誘拐されていて競りにかけられているらしい。

言われて初めて、そういえば会場にいる人数が減っていると気づいた。言われなければわからなかった小さな変化だ。


「ティルナードか。何だ?」


レイチェルの考えを説明すれば、殿下は目を見開いた。


「驚いたな。それが本当だとすれば…。人員を二手に割こう。お前はこちらを指揮してくれ。私は本命の方を探ってみる」


俺は頷いた。

彼女は一体どうして気づいたのだろうか。最初は酷くショックを受けているように見えたのだ。

暫くして殿下が数人の部下を連れて戻ってきた。


「くそっ!やられた!ぎりぎりで感づかれたらしい。商品を置いて逃げられた」


殿下が悔しげに言った。

目録の商品を確認して息を呑んだ。行方不明になっていた高位貴族の子女が複数人いた。更には盗まれていた前王妃様の首飾りまで出てきたのだ。

貴族の子女は衰弱していたが、健康に害はないらしい。

誰も犯人グループの顔は見ていないようだった。


※※※


「お手柄だが。レイチェル嬢は何者なんだ?」


普通じゃない、と殿下が呟いた。


「別に。あいつは人をよく見ているだけですよ。昔から人の輪に入れないことが多かったから、外から見るのに慣れているだけです。そんなことより、妹の誘拐を企てた奴は掴まったんですか?」


ルーカスが苛々しながら殿下に問いかけた


「すまない。アリーシャ=ラッセルは今回の件に関しては否定している。誘拐までは頼んだが、そこから先は知らない、とな。目録を見て驚いていたよ。少し怖がらせてやろう、くらいの感覚でオークションについては知らなかった」


「…頼んだのは事実でしょう?同じことです。いや、それ以上に酷いことになったかもしれない」


苦い顔でルーカスは言った。この件に関しては俺も腹には据えかねていた。


「顔は見ていないらしいんだ。ここ最近の記憶が曖昧らしい。そうしなければならないと思ったそうだ。馬車の事故については確かに車輪に細工はするようには言ったが、それ以外のことは身に覚えがない、とさ」


「随分虫の良い話ですね」


ルーカスが言いたいことはよくわかった。

あの一斉摘発後一週間が経つ。殿下と部下と実際アリーシャ=ラッセルに面会したのだが、まるで憑き物が落ちたかのように茫然自失の状態だった。話してみれば別人のようだった。


「母がそうだったんだ。あれは完全に気が触れる前のことだったか。夢と現実の境目がわからなくなって妙な焦燥感に駈られていた。虫が身体を這うらしい。何かが命令するんだそうだ」


殿下の母君は中毒で亡くなったことになっている。実のところは不明だ。河にうつ伏せに浸かっているところを発見されたのだ。自殺か他殺か中毒で気が狂っていたのか、或いは事故だったのかわからない。真相を知っている本人はもうこの世にはいない。このことは公開されていない。

公然の秘密はこれ以外にも複数存在する。

側妃様の死は存在を疎ましく思った正妃の差し金、ということになっている。正妃様も否定しないが、それは事実ではない。あの方はそういう陰湿で無駄なことはしない。


「薬、ですか」


「ああ。薬だ。嫌になるな。アリーシャ嬢は思い込みが激しいところはあったが、そこまで酷くはなかったそうだ。おかしくなったのは恋の妙薬なるものを手に入れてからだな。あれと一緒に売りつけられた薬を今アーネスト先生に解析してもらっているんだが」


「ああ、もう!またふりだしですか」


ルーカスが頭を抱えた。


「時にルーカス、またレイチェル嬢を」


「もう貸しませんよ。あれ一回だけの約束ですし、今回の件で外に出すのはまだ物騒だとわかりましたからね」


殿下が入手したリストはほんの一部に過ぎなかったことがわかった。裏で関わっていたとされる主だった貴族は痕跡を残さずに既に逃げていて誘拐失踪事件に関しては未解決のままだ。捕まえた貴族は中毒患者で何も知らなかった。殿下が目をつけていた男もオークションの開始と同時に姿を眩ましたらしい。オークショニアも雇われのごろつきで商品の出所については何も知らなかった。


「となると、エドを」


「父のは洞察力というよりは単なる推理ですよ。情報を繋ぎ合わせるのが上手いんです」


繋ぎあわせる情報がないと意味がない。


「便利には違いないじゃないか。あの夜会も仮面舞踏会でなければな。お前が顔を全て記憶していたかもしれないのに」


「…レイチェルがいたら、どのみち無理ですよ。こいつ、視野が狭くなってレイチェルしか見えなくなるから。話だと腕を組んで仲良く寄り添っていたんでしょう?」


「…確かにレイチェル嬢は可愛いが、恋愛感情はなく雛鳥を守る母鳥のような気持ちだったぞ。考えが読めない分、馬鹿王子とは違う意味で怖い。そして背後で無言で後をつけていたティルナードはもっと怖い。そういえば」


「どうしました?」


はっと何かに気づいたように殿下が口許を押さえた。


「後で腹一杯食わせてやると約束したが、結局できなかったな。今度連れていってやるから何が食べたいか聞いておいてくれ」


「…夫の前で公然と誘いますか」


俺は恨みがましく殿下を見た。


「だから、そういうあれではない。…レイチェル嬢の胸元を見てもお前のように興奮して鼻血を噴きそうにはならないから安心しろ。他の令嬢は素っ裸だろうが平気そうなのに、お前は本当におかしい。それだけに目前でお預けを食らっている現状は可哀想だとは思うが」


殿下の言葉がきっかけで一瞬、馬車の事故で服を脱がせた時に見た彼女の胸と以前誤って触れてしまった感触を思いだしかけて、頭をぶんぶん振った。忘れられないのはこういう時に困る。

胸元で不意に指輪のことを思い出した。


「…彼女の身に付けているものを勝手に外されては困ります。虫除けの意味が全くない」


「指輪はオーダーメイドの最高級品だったな。他のものもそうだが。本人は全く自覚がないが、あれらは恥ずかしいぐらい全身で彼女がお前のものだと主張している。お前は本当に腹黒い奴だな。彼女にそれを教えてやらずに涼しい顔で身につけさせるんだから。一発で彼女だと特定されて都合が悪かったんだ。安全に配慮した結果だ」


どう言われようが構わない。俺が彼女を愛しているのだと周囲にわかればそれでいい。


「…特定される以前に仮面舞踏会への参加は俺は許可してませんからね」


俺は殿下に苦い顔で抗議した。

レイチェルは足を怪我している。屋敷の外は危険だらけだから、外出が必要な時は護衛を兼ねた侍女をつけている。一人で馬車から降りた彼女を見て怪しいと思ったのだ。


「悪い、ティル。それは俺と殿下の間の交換条件なんだ。また目前で駄目になって二度と妹を泣かせたくなかったからな」


「ルーカス?」


王弟殿下が歯切れ悪くルーカスの代わりに説明し始めた。


「レイチェル嬢を借りる代わりに三年前の貸しは帳消しにして、彼女の後ろ楯になると約束したんだ。彼女自身、実績を上げれば煩い周りを黙らせることができる、と考えた。悪くない話だろう?」


話を聞いて頭が痛くなった。


「…ルーカス。次から、こういう大事なことは先に相談してくれ。やっと振り向いてくれたのに二度と俺が手離すわけがないだろう?あの時とは状況も違う。前と同じ失敗はしないように周りには話を通して、しっかり固めてあるし誓約書も提出済みなんだ。式の手配だって滞りなく進めている」


ドレスも完成間近だし、ヴェールも友人に頼んで取り寄せていた物がもうすぐ届く。会場の準備も招待客の選別も始めているし、蜜月は辺境の領地視察に決めていた。屋敷は手狭だが内装はレイチェルが好きそうだし、森と湖に囲まれて静かだ。海も近い。父には「やっぱり彼女のために手に入れたがったのか」と苦笑いされたが。

あとはレイチェルの気持ちが整うのを待ちながら挙式だけ、というところまできていた。ここまで来て何かが起きて全てが御破算になれば、俺が何をするかわからない。手段は選ばず、一切待たないし我慢しない。彼女を連れて今度こそ強引に駆け落ちするかもしれない。これでも彼女の体裁を考えて大分譲歩している。本来なら怪我が治り次第挙式して書類だけでなく名実共に妻にしているところだ。無闇に挙式を早めれば邪推されて彼女の体面に傷がつくと説得されなければ、俺は実行しただろう。馬車の事故の後、そのぐらい危機感を抱いたのだ。


「あ…ああ」


勢いに気圧されるようにルーカスは頷いた。


「殿下も。貴方の事情は理解しているつもりですが、目的のために一般人を巻き込まないで下さい。そうでなくても彼女の周りは危険なんだ。狼の群れに無防備な子羊を放り込むような真似は極力避けたい」


「ぬけぬけと。別の意味でお前が一番危険な狼だと思うが?」


「俺は彼女に乱暴なことはしていませんよ?妻になった女性と仲良くしているだけです」


「…自覚がないからたちが悪いな」


「殿下。兄としては複雑ですが、ティルに預けたのは正解だったと思いますし後悔はしていませんよ。レイチェルは相当な不幸体質で世間知らずですからね。権力と金があるティルが傍にいれば大丈夫でしょう。大事にしてくれる上、こいつは才能お化けだから事業に失敗して路頭に迷うことはない。それに妹は愛に飢えて歪んでますから、好きな女には過保護で溺愛気味なティルとは実は相性が抜群に良いんです。レイチェルは人に無頓着なように見えますが、独占欲はティル以上です。嫉妬深いし、一度懐にいれたものは離さないからティルはこれから覚悟した方がいい」


ルーカスは深くため息をつきながら言った。

レイチェルに束縛されるなら悪くないと俺は思った。むしろ、されてみたいと思う。


「おい!…ティルナードの奴が何故か嬉しそうなんだが?」


「…嬉しいでしょうね。こいつ、昔は大好きなレイチェルに避けて避けて避けられ続けた経歴がありますからね」


「一人の女に束縛されたいなんて理解に苦しむな」


殿下はやれやれと肩を竦めた。


「そのレイチェル嬢は大丈夫そうか?今回の件でショックを受けていないといいが…」


「食事も睡眠もとれています。屋敷の守りも固めてますし、今度の連休に気分転換に彼女の望む場所に連れ出そうと思っています。丁度彼女の従姉の結婚式もあるようですし、気晴らしに。大変な事続きで屋敷に籠らせてばかりで外出する時間がとれませんでしたからね」


「なら、いい。今回の事件で被害に遭った者達の精神面も気がかりではあるな」


「公にはしないんですか?」


「できるわけがないだろう?そうでなくても貴族の子女にとって誘拐された事実だけでもマイナスに心証が傾くことが多いんだ。たとえ何もなくともな。過去にはそれを理由に破談になった縁談もある。お前もよく知っているはずだ。だから、アリーシャ=ラッセルはレイチェル嬢を狙ったんだろう?誘拐された事実があれば、それだけで身持ちを疑われるものだ」


レイチェルが誘拐されていたら、と。怒りが再び込み上げていた。

誘拐は未然に防ぐつもりだし、防げなかったとしても草の根を分けてでも見つけ出す。誘拐犯はただでは済まさない。馬車の事故の首謀者もだ。

アリーシャ=ラッセルと話したが、彼女の話だと車輪に細工はしたが、玩具は知らないようだった。誘拐についてはヴィッツ伯爵邸の付近で捕まえたごろつきこそがそうらしい。彼らは現在勾留中だ。調べたら数件の婦女暴行の余罪が出てきたので、近日中に裁判で服役が決まるだろう。これについても知らなかったらしい。少額で雇ったごろつきへの依頼はレイチェルを少し拐って脅かすぐらいで、暴行までは頼んでいないと言うのだ。薬の影響下にあったとはいえ、考えの浅さに頭が痛くなった。

捕まえたごろつきの方は勿論違う証言をしている。少額で引き受けたのは旨味があるからだ、と。そちらは下衆な発言をした瞬間に拳で床に沈めた。罪の意識は全くないどころか、いつ保釈されるのかとにやにや笑う奴に同情の余地はない。大声で喚いていたが、誰も取り合わなかった。

アリーシャ=ラッセルは賭博の負けで多額の負債を作っていた。家には見放されたらしい。同情の余地はあるとして、今後は王家が彼女の身柄を預かることになる。侯爵令嬢の身分は剥奪、王宮の下働きとして働いて借金を返済するようにという宰相と王妃様の采配だ。借金の立て替えは宰相が行った。反省を促し、働き次第で借金を帳消しにする意図もあるのだろう。彼女の以前の勤務態度を見るだに無一文で投げ出せばどうなるかわかるので妥当だと思った。

ぼろぼろと子供のように泣きじゃくるアリーシャ=ラッセルを見て、彼女は嫌がらせの犯人だが、事故を起こした真犯人は他にいる、とすぐにわかった。頭が回るようにはとても見えなかった。

何より巧妙に彼女がした証拠を消して、彼女を疑わせるようにした誰かがいる。その誰かの目的がわからないから怖い。

目眩まし、といったレイチェルの言葉が頭に響いた。


「ティルナード?」


「ああ、いえ。大丈夫です」


頭が痛いことだらけだ、と思うと同時に本当は狙われたのは俺の方だったのでは、と疑問が頭をもたげた。考えすぎかもしれないが。

心配そうにこちらを見る王弟殿下に微笑んだ。


「大丈夫ですよ。本当に。ここしばらく働きすぎたせいです」


水に沈んだレイチェルの蒼白い顔が脳裏をよぎった。手から大事なものがこぼれ落ちていく。もう、あんな想いは二度と御免だ。

俺はしっかりしろ、と自分に言い聞かせるように頬を叩いた。

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