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54.多岐亡羊は御免です

本日二回目の投稿ですm(_ _)m

酷く混乱した。

私は子猫のように後ろから抱きすくめられているわけだが、その人からは嗅ぎ慣れたお日様の凄く良い匂いがした。ほっとして身を預けたくなるが、私は必死でもがいた。

暴れる私の出鱈目な拳が当たったのか、ぐっと男性の唸り声が聞こえた。どこかで聞いたことのある低い良い声だ。

腕の力は緩まなかったが、絶妙な力加減で私を傷つけないように配慮しているのがわかり、私は一度抵抗を緩めた。

ぱっと明かりがついて私は振り返った。私を掴まえたのは長身の男だった。手足は長くスタイルがいい。仮面をつけているが、すっと通った鼻筋をしていて顔立ちも整っているのがわかった。不機嫌に口許を歪めている彼の全身からは冷気が漂っていた。仮面の隙間からは長い睫毛に縁取られたサファイアブルーの瞳が…。サファイアブルー、だと?

悪寒で身震いした。顔が凍りつく。身体が全身で逃げろ、と警報を鳴らして訴えてくるが、がっちり後ろから抱きつかれていて無理だった。

彼が怒っているのは空気だけでひしひしと伝わってきた。


「…どうして、逃げようとするんですか?」


私の動きを敏感に感じとり、恨みがましい声でティルは言った。


「じょ…条件反射です」


至近距離で迫られて私は顔を逸らし言い訳した。


「へぇ?何か後ろめたいことでもあるのかと思いました」


私はキョロキョロと殿下の姿を探した。目で助けて、と訴えてみたところ、彼は私を後ろから抱き締めているティルに気づくいた。笑いながら怒っているティルを見て、殿下は目を剥いて逃げようとした。事が露見すればこうなることは予想がついただろうに、とんだ裏切り行為である。


「驚いたな。実家に帰っているはずの奥さんが、知り合いの男性となぜか随分親密な様子で腕を組んで、どうして、こんなところにいるんですか?結婚したばかりの妻の浮気現場を目撃した場合、俺はどうしたらいいんでしょうかね?」


後半は殿下に向けて彼は言った。にっこり笑っているが目は全然笑っていない。


「…ごめんなさい」


私は拳が当たってしまってうっすら赤くなったティルの頬に手を伸ばして撫でた。


「…それはどういう意味で?何に対しての謝罪ですか?」


ティルはなぜか動揺したように瞳を揺らしながら聞いてきた。私は小首を傾げて答えた。


「誤解をされるような行動をとりましたし、殴ってしまったから。痛かったでしょう?」


彼は少し気持ちが落ち着いたらしく、険しい表情が緩んだ。ただ、殿下に向ける殺気が凄い。


「待て。話せばわかる!…お前、なぜ、ここにいる?仕事は?」


そうだ。ティルからは今夜は夜勤だと聞いていた。王宮にいるはずの彼こそ、ここにいるのはおかしい。何かあったのだろうか。

ドリーがティルの代わりに遠慮がちに口を開いた。


「…実は、王宮で馬車から降りるレイチェル様を偶然目撃されまして。気になって仕方がなかったティルナード様は屋敷に確認の使いを出したんです。そうしたら王妃様に招かれたというじゃありませんか。王妃様に確認したら、そのような事実はなく怪しんだティルナード様はこの仮面舞踏会のことを聞き付けたんです。で、夜勤をこちらの潜入担当の知り合いの方とわざわざ代わって頂いた、と。執念ですね」


ドリーはそこまで言うと、やれやれ、と肩を竦めた。


「…いつから見ていたんだ?」


「最初から全部です。殿下が俺の奥さんに馴れ馴れしく触れて腰を抱いて、耳元で何かを囁いているのも一部始終全部見ていました。さて、何か言い残すことはありますか?」


ティルは目を眇めて言った。


「…誤解だ!これはそういうあれではないからな!」


「そうです。少し殿下のお願い事をきいていただけなんです」


私も王弟殿下を弁護した。

エスコートは右足に負担がかからないように、歩く時もゆっくり歩いて周りにも目配りしていただいた。

それに、私がこの人と浮気することだけはまずない。私は殿下の好みではないのはわかりきっている。


「ええ。…事情は聞いているので大体は知っています。ただ、それでも腹は立つものなんです。俺に内緒でいかがわしい夜会にレイチェルを連れ出して、目の前で無遠慮にべたべた身体に触るものだから我慢できなくて」


ティルはそう言うと、私の腰を抱いた。


「…お前、本当に心が狭いな。そんなことで挙式後も大丈夫なのか?公爵夫人ともなればダンスの誘いも多いが?」


「…今回のように内緒でなければまだ許容できますよ。それで?目当ての人物は見つかりましたか?」


「ああ」


殿下はちらりと先程のディーラーを見た。


「ところで、さっきの暗転は何だったんだ?」


「聞いてなかったんですか?暗闇の中で気に入った男女同士がキスするための余興の趣向だそうですよ?悪趣味なことだ」


ティルが呆れたように言った。


「まさか、お前はそれでレイチェル嬢を?」


「殿下はどうなっても構いませんが、俺の奥さんに何かがあっては事ですから。ああ。殿下もご無事そうで残念です」


そこで殿下を見ると、薄毛の侍従がなぜか近くでぐったりと灰色になって燃え尽きていた。着ていたものがぼろぼろである。短時間で何かあったのだろうか。


「根にもつなよ。心の狭いやつめ」


「…ティルナード様も相当狙われてましたけどね。暗転と同時に全部かわしてレイチェル様を真っ先に確保しにいくんだもの。じりじり距離を詰めていた周囲の肉食女性方は唖然としていましたよ。狙っていた獲物が一瞬の内に目の前から消えたから」


ドリーが苦笑いした。

周囲を見れば、彼を見る女性の熱い視線を今更ながらに肌で感じた。私が魔除けの置物のように彼の腕の中にいるから声をかけられずにいるらしい。気のせいでなければ私は睨まれている。


「あほくさいな。実に下らない。そんなどこの馬の骨ともわからん奴とキスするかもしれないのに何が楽しいのか」


理解に苦しむ、と王弟殿下は冷たい目で周囲を見回した。


「そういう趣向を楽しいと思う方々が、この会に出席してらっしゃるんです。殿下方は上品過ぎるんです。だから、こういう場では一番に狙われるんです」


ドリーが訳知り顔で言った。


「わかるものなの?」


私たちは変装している。


「レイチェル様も殿下も着ているものがまだ上等で品がある方ですからね。佇まいも違う。目端の利くものならわかりますよ」


ドリーの言葉に私は驚いた。

私の左手をとっていたティルは私の指を確認するように撫でながら何かに気づいたように口を開いた。


「…ところで、指輪はどうしたんです?」


私は視線を泳がせた。

抵抗はしたのだが、私のつけている装飾品は全て上等過ぎて目立つのだと苦言を呈され、押し問答の末に殿下に外すように言われたのだ。ここに来る前に王宮の侍女に文字通り身ぐるみ全て剥がされた。

その話をティルにすれば、彼は一層冷たい眼差しを殿下に向けた。

私は慌てて首にかけていた鎖を引っ張って胸元に隠していた指輪を彼の前に見せた。ティルは一瞬私の胸元を注視した後、赤くなって鼻を押さえて物凄い勢いで視線を逸らした。貧相な物を見せて申し訳ないとは思うが、そこまであからさまにされると傷つく。身長と胸に関してはこれ以上成長の余地はない。

殿下は私達を呆れたように見ていた。

ティルは私の全身を確認するように改めて見下ろした後、すっぽりと周囲の目から覆い隠すように抱き寄せて殿下に冷ややかに言った。


「…殿下、後でゆっくり話し合いたいことがあります。夜会が終わったら顔を貸してください」


「嫌だ!私にはお前と話すことは何もない。お前の言いたいことは大体わかるが、潜入上必要なことだったのだ」


「殿下?」


ティルは白い目を殿下に向けた。


「仕方がないだろう。周りを見ろ。袖丈の長いドレスを着せれば目だって仕方がない。王宮の格式ある舞踏会ならまだしもだが」


ティルは周りを見て呻いた。


「…そもそも、レイチェルを連れていく必要はありませんでしたよね?よりによって、こんな場所に」


周りは煙草の煙が充満して空気が悪い。タイミング悪く咳が出たものだからティルの殿下を見る目が一層冷ややかになった。


「面通しをしておきたかったんだよ。近くで見ている彼女が最適だった。気になることも聞いていたしな」


殿下はディーラーの男を見た。


「面白い人物も見つけたし、今回はそれで手打ちにしてくれ」


顎でくいっと指し示す方向を見れば、泣きボクロのセクシー美女が気だるげに水煙草をくわえ、賭博台に座っていた。遠くから様子を見るだに敗けが込んでいるようだ。

賭けをしている集団は見るからに怪しげだった。傍には例の小瓶が置いてあり、色のついた煙が立っている。


「…今晩、一斉摘発する予定だ。麻薬常用に違法賭博、ここは犯罪の温床だからな。今晩は裏オークションも開催されるらしい」


「裏オークション?」


私とティルは顔を見合わせた。


「ああ。目録の中には盗品や誘拐してきた貴族や庶民の子女も含まれている、裏の、だ」


そこで殿下は目録を私たちに見せた。目録には他にも装飾品や美術品が出品されていた。中にはどこぞで聞いたことがあったり、最近盗難にあったという話を聞いたことがあるものがあった。

殿下が示したそのページにはばつ印がついている。用意できなくてキャンセルになったらしい。

驚いたのは商品名だった。


「私の、名前?」


知らない間にレイチェル=ヴィッツさんがお一つ出品されていて驚いた。開始価格設定は他のものと比べて遥かにお高めだった。こんな金額を払える金持ちはそういないだろう、と私はぼんやりとどうでもいいことを考えた。

さして恐怖やショックを感じなかったのはティルの腕の中にいるからだろうか。基本的に彼の腕の中は居心地が良くて落ち着く。安心するのだ。

既に私は彼の腕の中にいることに順応し始めていた。慣れとは恐ろしいものだ。

後ろから物凄い冷気を感じて見れば、ティルが冷笑していた。


「…誘拐も人身売買も犯罪ですよ。どういうことか説明していただけるんでしょうね」


「そうだな。始まりはさる男爵家から被害届が出されてな。調べてみたら、こちらに出品されるのがわかった。目録の中に偶然ティルナードの婚約者の名前を見つけたわけだ。誘拐には失敗したらしいな。あの事故の後、ティルナードは伯爵家の警備を厳重にしただろう?それにレイチェル嬢が伯爵家にはいないのは限られた一部の人間しか知らない。これは事故の証拠にはならないが、誘拐未遂の証拠にはなる。加えて、違法薬物常用の現行犯だ」


そういえば殿下はやたらとここの飲食物に手をつけないように私に言い聞かせていた。どうも薬物が含まれているらしい。


「でも、どうして、こんなにすぐに足がつく真似を?」


私は目録を見て言った。人一人行方不明になれば大騒ぎになるだろう。リスクが高い。


「意外とそうでもない。貴族は面子が全てだからな。身内の誘拐なんて恥でしかない。もし、そのような事実が残れば、名誉に傷がつくから秘密裏に処理したがる。立派なカモだ。永久に揺する口実ができる。身代金を払えない貧乏貴族からだと金をむしりとるより旨味は大きいな。庶民に至っては高額すぎて払えないし、この裏コミュニティを取り仕切っているのは悪徳有力貴族だからな。手出しができずに泣き寝入りだ。今回のように騒ぐ者がいなければ事件にもならない。裏コミュニティはそうやって長く続いてきたんだ。腹立たしいことにな」


「他より値段が高いのはどうしてですか?」


私につけられた価格は昔、我が伯爵家がこさえた借金の数倍高かった。


「伯爵令嬢は一種のブランドだからな。高位程高く売れるんだ」


ティルはそこで私の耳を両手で塞いだ。


「殿下。レイチェルを帰しても?これ以上は…」


「残念だが、罷らない。ここでお前達が不審な動きをすればオークションは中止になる可能性がある。現行犯で押さえないとがない。申し訳ないが、終わるまでは付き合ってくれ」


ティルは諦めたように息をつくと、椅子の方に私の腰を抱いて移動した。ドリーも静かに後に続いた。彼は私を膝の間に座らせて私の体を彼の胸にもたれ掛からせるようにすると私の髪を撫でた。公の場でこれはまずくないんだろうかと動揺して周りを見たら、もっと凄いカップルがいた。私は大人しくされるがままになった。

我に返って周囲には仲が良い兄妹か従兄妹にしか見えていないだろうし、この場ではこれが自然なのだろうと気づいたのだ。私達は普段から恋人や夫婦には全く見えない。昔は全く気にならなかったが、最近は危機感と不安と焦りを感じている。だから、今日はあんな夢を見たのだろう。ティルは私と違って、とにかくモテる。

案の定、ティルは複数のグラマラスなお姉様方から「妹さんは放っておいて向こうで楽しいことをしましょう?」と声をかけられた。彼はなぜ声をかけられるのか、わからないという顔をしているが、私達が兄妹にしか見えていないからに他ならない。仮に私が恋人でも私が相手なら勝てると踏んでいるのだろう。馬鹿にするように私の起伏に薄い身体を見て、鼻で笑われて思わず唇を噛み締めてティルのシャツを掴んだ。ティルは私の髪を撫でながら愛想良く「残念ながら裏切れない相手がいるのでご遠慮します」と笑って適当にかわした。よくあることで、あしらいには慣れているのだろう。後ろ髪を引かれるようにして女性たちは去っていった。きょとんとした顔で私を確認するように見るティルにドリーが我慢できずに笑い始めた。彼はどうも本気で私達が恋人や夫婦に見えていると思っていたようで、女性達の誤解の内容に気づいて少し不機嫌になった。

その姿を見て、少しほっとした。私を置いて彼女達について行ってしまったらどうしようかと思っていたのだ。妻らしいことはしていないし、大人の色気は全くない。ティルを喜ばせたいとは思うが、どうしたら喜ぶのかわからない。彼が好きなものは何かも知らない。事故の後看病してくれた時に聞くのだったと後悔した。今の彼は忙しいみたいだし、殆ど話す時間がない。バタバタしてばかりだったな、と思い出した。

暫くして目録が配られた。壇上を見るとオークションが始まっていた。パラパラとめくり目録に目を落とし、私はあることに気づいた。

例えば人なら身体的特徴が印されている。傷があるならその部位がどこかという具合に。私の項目はそれが一致しない。それに。

私の様子を見ていたティルは私からさっと目録を取り上げると、横に置き、抱き寄せた。私は黙って胸板にもたれて頬を寄せた。

視界の端では殿下がオークション参加者を確認する姿が見えた。もし、逃げられた場合に家宅捜索するためだと思われた。

オークショニアがどんどん品物を代理で出品し、番号札をつけた客がそれを競り落としていく。飽くまで出品、落札者が特定できないシステムになっているようだ。場にいる人数は大分減っていた。


「…やっぱり変だわ」


自然と口をついて出た。


「え?」


ティルとドリーが顔を見合わせた。


「人が少ないんです。目録も。このままだと今夜は取り逃がすわ」


目録を見て思ったが、ヴィッツ伯爵令嬢含め、ばつ印がついているもの以外の出品は総じてしょぼい。勿論これは私個人の価値に対して言ったものではなく価格設定的なものだ。

盗品にしろレプリカにしろ、今出ているものは値段が知れていた。


「このオークションは目眩ましです」


本日、捕り物があるという情報が漏れている可能性が高い。だからこそ目の前に餌を吊り下げておいて注意を逸らす。実際、この場に残っている参加者は小者ばかりに見えた。つけているものが安っぽい。

ふと、疑問が頭をよぎった。

「ヴィッツ伯爵令嬢」は本当に調達できなかったのだろうか。

噂のレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢は発育の良い妖艶な美女らしいが、私は社交場に姿を殆ど現さない。姿を現しても私が私と認識されることはない。実物は架空の人物像とはかけ離れ過ぎている。

加えてティルから婚約者だと何回かお披露目や紹介はされていても皆、ティルの端整な容姿に気をとられて私を見ていない。早い話、記憶に残らない。

もしも、壮大な人違いが起こっていたらどうだろうか。


「大変」


黒髪、黒目は珍しくない。

誘拐の実行犯は社交場には出入りしないだろうし、家紋もわからない。特徴だけ聞いて当たりをつけたら別人だった可能性は十分あり得る。


「本命の会場は別です。助けないと」


ふらふらと私は立ち上がった。右足をずりずり引きずって探しに行こうとして、ティルに後ろから腕を引かれて行く手を阻まれた。そのまま再び彼の胸に倒れこむ格好になる。

人数が減っているということは本命の会場が別の場所にあるのだ。それは近くにある。そう思った。


「説明して下さい。どういうことですか?」


ぎゅっと私のお腹に回した腕を強めて彼は言った。説明するまで離してくれる気はないらしい。


「ヴィッツ伯爵令嬢は既に調達されていて、他の場所で競りにかけられています」


「意味がわからない。レイチェルはここにいるじゃないか」


「人違い、なんです。多分、私と間違えられて誘拐された人がいるんです。この印はキャンセルではなく他の場所で競りにかけるから下げられたんだわ」


ティルは驚いたように息を呑んだ。私だって俄には信じがたいし、読みが外れていてほしい。

彼は「ここにいてください。ドリーから離れないように」と言って、ドリーに私の事を頼むと、すぐに殿下の元に向かった。私は膝の上で手を組んだ。

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