53.胡蝶の夢とはいいますが
寒くなりましたね。皆さん、お元気ですか?投稿祭りの後に急に失踪してすみません。
前回の話をなかったようにさらっと流して申し訳ありません(´-ω-`)隣国王子のその後にご興味ないかしらん、とざっくり書いていたものを没カットしました!興味があるという声があれば、いつか書くかも。
雨が降りそうな天気だと思った。殺風景な部屋で私は読んでいた本を横に置き、ふーっとため息をついた。
ティルナード様と結婚して二年が経つが、不実な彼は変わらず私を省みない。初夜すら何もなかった。もう何ヵ月も顔を見ない。二人の仲は冷えきっており、悲しいぐらいにこの二年間何もない。ハーレー元侯爵令嬢の元に入り浸りである。無理もない。愛のない政略結婚で私はカモフラージュの妻だったのだから。事故で動かなくなった右足をずりずり引きずりながら私は何かを飲もうと部屋を出た。あの事故で私は色々なものを失った。
しんとした屋敷には最低限の使用人以外は誰もいない。だから、自分の身の回りの世話は自分で焼いている。最低限三食用意してもらえるだけ有り難いのかもしれない。
廊下に出たところで浮遊感に包まれた。後ろから何者かが私の身体を持ち上げたのだ。私は手足をばたつかせ、力の限り抵抗して…。
近くで呻き声が聞こえた。
ここはどこだろうか。もしや、私を邪魔になったティルナード様がとうとう私を始末しようと…?
私はきょろきょろと辺りを見回して、傍近くで悶絶するティルナード様を発見した。どういう状況かはわからないが、私は彼の腕の中にいて膝の上に乗っている。
白を貴重とした調度品に囲まれた部屋に私たちはいて、傍にはドリーが身体を九の字に折って爆笑している。
「あー。おかしい。まさか、寝ている奥様に襲いかかろうとして返り討ちにあうとは」
ぼんやりする頭で私は「やっぱり」という目で警戒するように身体を縮こめた。私の身体に馴れ馴れしく触らないでと冷たい目で彼を見上げる。身体が強ばる。まだ頭がぼんやりする。
彼は私の反応に凄く傷ついた様子で長椅子に私の身体を下ろした。それから慌ててドリーの言葉を打ち消すように言った。
「違っ。誤解です。俺はただ、転た寝していたからベッドに運ぼうとしただけだ。レイチェル、俺がどうとか魘されながらぶつぶつ言ってましたが、一体?」
私はもう一度周囲を確認した。頭が急にクリアになって、すとんと先程までのことが夢だったと理解した。
青ざめたティルを見てさーっと血の気が引いた。
「…ごめんなさい、ごめんなさい。寝惚けていたんです」
「一体どんな夢を?」
「そ…れは、ですね」
私は視線を横に逸らした。言いたくない。
「レイチェル?」
「うわ。あえて聞くんですか、そこ。想像つきそうなことなのに」
「…身に覚えがないから余計気になるんだ。何をしたらあそこまで嫌われるのかは知りたい。久しぶりに本気で拒絶されたんだからな」
私は気まずい表情で先程まで見ていた夢について話した。
「あり得ませんからね。そんな酷いことをするはずがないでしょう」
ティルは憮然とした顔で言った。
「まぁまぁ!夢なんだから大目に見て差し上げて下さいよ」
そういえば、と長椅子を見て私は首を傾げた。
「…本は?」
転た寝する前まで読んでいた本がなかった。サフィニア様から借りた伯爵令嬢が主役の話題の大衆小説だ。あんな夢を見たきっかけも恐らくは小説に影響を受けたのだと考えられた。
ティルはさっと顔を背けた。
「あの本はあまりお勧めしません」
どうやら彼がドリーに言ってどこかに持っていってしまったらしい。
「良いところだったの」
転た寝直前まで読んでいたのは主役で婚約者である伯爵令嬢を疎ましく思った公爵子息が伯爵令嬢を城のバルコニーから簀巻きにして海に落とすシーンだった。
「…あの後、伯爵令嬢は侯爵子息に助けられて、二人は文字通り結ばれるんですよ。ね?ティルナード様」
「そうなの?」
あっさりドリーが結末をばらした。勿論、それで興醒めすることはなく尚更過程が気になったのだが。
ティルはドリーを睨み付けながら、顔を赤らめて咳払いして曖昧に言葉を濁した。反応を見る限りだとティルも読んだらしい。
「…まぁ、ね」
結末を聞いても尚、続きが凄く気になった。ラストは凄く甘くてロマンチックだったとサフィニア様からも聞いていた。
「代わりの物を今度持ってきますからそれで我慢してください」
ティルは誤魔化すように言うと、私の髪を撫でた。
「あの本が良いんです。どうして駄目なんですか?」
「…不適切な表現が沢山あるからです」
歯切れ悪くティルは視線を逸らしながら言った。
「…けち」
「けちで結構」
「まぁ。年頃のお嬢様には刺激が少々強い描写がありますからねぇ。あれをレイチェル様の手元で見つけた時のティルナード様、面白いったらなかったなぁ。物凄い勢いで取り上げるんだもの」
げらげらと笑うドリーを見て、ティルはため息をついた。
むしろ、それ目当てで読んでいたとは今更言えない空気だ。恋人や夫婦が具体的にどういうことをするのか勉強したいとサフィニア様に相談したら勧めてくれたのがあの本だった。
「サフィー様にお借りしたから返さないといけません」
「後で俺から返すから大丈夫です。なるほど。あいつが犯人か。本当に余計なことをする」
それでも諦めきれずに未練がましい目を向ければ、ふと、ティルが制服姿であることに気づいた。
「今からお仕事ですか?」
「ええ、まぁ。今日は夜勤で今からなんです」
そういえば朝起きた時にそんなことを言っていた。最近は物凄く忙しいらしい。私の看病で一月近く休みをとった皺寄せが来ているのだろうか。それとも隣国王子の件の事後処理だろうか。
あの後、第一王子はリサージュに強制送還になったと聞いている。
合間を縫って彼は私の顔を見に来る。夜勤以外の日は夜は一緒だが、夜遅くに帰ってきて朝早くに出掛けてしまうから殆ど顔を合わせる時間はなく寂しい。が、これ以上を望むのは我が儘だと思う。私は彼に何も妻らしいことはしていないのだから我慢しないと。
「忙しいんですね」
「まぁ。隣国の王子の送還手続きやら、条約の再締結やらで。最近は物騒な事件も多いですしね」
ああ、と頷いた。
怪我をしてから引きこもりに磨きがかかった私は世情には疎い。主な情報源は新聞や公爵家の方々との会話だった。
そういえば新聞に盗難やら貴族の子女の行方不明事件やらが載っていたな、と思い出した。ゴシップ記事が多いので真偽のほどは不明だが。
「お気をつけて。いってらっしゃい」
「いってきます。レイチェルも気をつけて。くれぐれも外には一人では出歩かないようにしてくださいね。敷地内なら大丈夫だとは思いますが念のため」
ティルは私の額に口づけした後、部屋を出ていった。
※※※
さて。
私は変装して時期外れの仮面舞踏会に参加していた。隣の殿下を杖がわりにして腕を絡めて歩く。私の心の相棒は目立つから置いてきている。本当に恐ろしいぐらい杖とは縁がない私だ。
「…随分不満げだが?約束は約束だろう?」
「そうですね。約束は約束ですね」
私はため息をついた。
ティルが出たすぐ後のことだ。
王宮から王妃様の名前で急用だと呼び出しを受けた。王家から馬車の迎えが来ていたので断ることもできず、気が進まないまま出掛けた。実際にはそこには王妃様はおらず、麗しい笑顔を浮かべたこの人が待っていた。
呆気に取られている間に捕獲され、あれよあれよという間に準備されて今に至る。今の私はこの人の兄妹という設定だ。
「事前にご連絡を下さっても良かったのでは?…ティルには?」
「あいつが知っている訳がないだろう?気づかないように準備を整えるのは大変だったんだぞ。君は嘘が下手だし、あいつは君がらみだと妙に勘がいいから」
否定できなかった。事前に知っていたら、嘘が下手なので、あっという間にティルにばれていただろう。
「内緒にしなければならない理由は?」
「…わかってないな。あいつは絶対に許可しない。今の君は立て続けに大変な目にあったばかりだからな。心配症の奴は君を一人で屋敷から出したがらない」
そういえば、と思い出した。元々引きこもり気質だったのでわからなかったが、最近私の周りには常に誰かがいる。屋敷の中でも一人になることは殆どない。
「…すぐ帰るつもりで出てきてしまいました」
王宮に出向くことは伝えたが、夜会に出席していることは誰にも言ってない。言う暇を与えてもらえなかった。連絡せずに夜になっても屋敷に戻らなかったら流石に不味いだろう。大騒ぎになったら申し訳がない
「公爵家には実家に泊まると連絡してあるから心配するな。口裏も合わせている」
「…帰れないのですか?」
「場合によってはな。終わったら伯爵家に送り届けるさ。そちらは手配済みだ」
私は根回しの良さに嘆息した。
「この夜会に何が?」
殿下は答えなかった。
会場に入ると噎せ返るような煙草の煙が漂っていた。普通の夜会と違って露出が高い格好の女性が多い。仮面をつけているせいか、奔放な雰囲気だった。
私は煙を吸い込んでしまい、けほけほと咳き込んだ。
殿下はそんな私を見て、「奴に見つかればまずい」と頭が痛そうに押さえた。
「いいか。私の傍を絶対に離れるな?君は大事な預かりものだ。君の身に何かあれば私はあいつの剣の錆にされるだろうからな。絶対だからな?」
嫌なことを思い出したように酸っぱい顔で王弟殿下は私に念を押した。あいつ、とは鬼い様のことだろうか。
「…この足では離れたくても離れられませんよ」
杖がないから一人では自由に歩けない。不本意ではあるが、殿下に密着して腕にぶら下がるしかないのだ。
不満はもう一つある。私が着ているドレスも例外ではなく露出が高い。勿論、周りに比べれば肌が露になっている面積は少ない方だし地味なのだが。最近は袖丈の長いドレスで隠している部分が全て露になっている。そのため手首や背中など痣の残る箇所は白粉をはたいて誤魔化していた。
王弟殿下もそれに気づいたらしい。
「すまない。君が事故に遭うのは計算外だったんだ。この場では肌を隠したドレスは浮くから我慢してくれ」
私は渋々頷いた。
その時、お腹が盛大にぐーっと鳴った。最後に食べたのは昼だったか。ふと、テーブルの飲食物が目に入った。
「後で腹一杯食べさせてやるから、ここの飲み物と食べ物には絶対に口をつけるなよ?」
私はこくりと頷いた。どのみち、この煙の充満した部屋では何も食べる気がしない。息をする度に喉が痛い。
殿下は賭け事のテーブルを見つけると、そちらに向かって私の腕を引いて支えながらゆっくり歩いた。
「…あいつに見覚えはあるか?」
カードを切るディーラーを顎で指し、屈んで耳元で囁く。
私は男を注視した。中肉中背の男は独特の訛りがある話し方で客の応対をしている。中指には大きな輝石の嵌まった指輪をしていた。
私は殿下に視線を戻して小さく頷いた。
「あの人です」
服装が違うが、恋の妙薬の売人がそこにはいた。殿下は面通しがしたかったらしい。
「当たり、か」
殿下と私が顔を近づけてひそひそ話をしていた、その時だ。突然、広間の明かりがふっと消えて薄暗くなった。
仔細は聞いていなかったので不明だが、夜会の余興の演出であると主宰者が告げる。
ぐい、と後ろから強く引っ張られてバランスを崩した。殿下の腕から手が外れて後ろから誰かに抱きすくめられて混乱して私はもがいた。
直前に似たようなことがあったな、と思ったら、昼間似たようなことがあったと思い出した。




