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閑話~公爵子息の通訳事情~

本日二回目の投稿です。箸休め終わりまして、一度本編に戻ります☆

「嫌…です」


案の定、レイチェルはぶんぶん首を振りながら夜会への出席を拒否した。

嫌だと言う彼女の手首につけられたブレスレットを見て、俺の頬は緩んだ。彼女は俺の土産をつけてくれているらしい。そのことだけで幸せになった。

本音は王子がいる夜会に連れていきたくない。しかし、あれは厄介でしつこそうだ。無視して妙なことになっても困る。一応、あんなのでも国を代表した使節で王族なのだ。


「レイチェル」


もう一度名前を呼べば、レイチェルは諦めたように渋々頷いた。


「…わかってます。仕方がないことは」


言ってみただけだ、とレイチェルは笑った。

俺は息をついた。


「一緒にいられますか?」


「いや、それが通訳を頼まれたんだ。両親とサフィーも一緒に行くから、そちらにいて下さい」


レイチェルは目を丸くした。


「婚活に来てティルをわざわざ傍に連れ歩くなんて。王子様は何を考えているの?」


「…王弟殿下も似たようなことを言っていたけど、大丈夫だろう。彼いわく、俺は彼には遠く及ばないらしいし」


俺は王子の言葉をしみじみと思い返していた。


「申し訳ないけど、私は王弟殿下が正しいと思います。夜会ではティルとあまり一緒に並びたくないもの」


「…俺と一緒にいて、そんなに恥ずかしいですか?」


がっくり項垂れた。

レイチェルと並んで歩くのが俺は好きなだけに。


「違います!そうじゃなくて。ティルは整った顔をしているから気後れするんです」


「俺からすればレイチェルも…。その、可愛い…から心配しなくても」


レイチェルは驚いたように視線を上げた。意図せずお互いに照れながら見つめ合う格好になった。ドリーかマリアがこの場にいたら、呆れたことだろう。


「もう!…ティルといると勘違いしそう」


レイチェルは赤い顔で睨んだ。こういうところも可愛いと思う。


「…でも、あの王子様、本当に何を考えているの?」


「わからない。考えなしに突拍子もないことをしそうだから迂闊に断れなかったんだ」


国王夫妻もそうだ。短絡的過ぎてかえって扱いづらいのだ。幼い子供みたいなもので、下手に刺激すると意図する方とは違う方に事態が転びそうで厄介だ。だから、断りきれなかった。

レイチェルは俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。本気で気乗りしないのだろう。


「まぁ、でも。今回の夜会が終わったら彼は帰国する予定だから少しの辛抱です」


俺はそう言うとレイチェルの髪を撫でた。


「サフィー様も行くんでしょう?選ばれないか心配です」


「サフィーは多分、放っておいても大丈夫だよ。見た目はタイプでも喋ると色々台無しなんだ。選ばれてもきっぱりと拒否するだろう。それより、両親から離れないで下さいね。俺は傍にはいられないからレイチェルの方が心配だ」


レイチェルは王子の希望を全く押さえてないのに何故か気に入られたらしい。あれは基本誰でもいいんじゃないかとも思う。正妃に側室にとだらしない顔で言った彼の顔を思い出して、溜め息をついた。贅沢な話だ。

手紙のことを思い出して、あれは彼女には言わないことにする。渡しても彼女は読めないだろうが、この様子だと怖がるに違いない。

俺は彼女を引き寄せて髪をさらりと梳いた。レイチェルはくすぐったそうに目を閉じて俺の肩に遠慮がちにもたれた。昔ならあり得なかった些細な反応に俺は幸せになる。両想いは本当に素晴らしい。

正直、時期外れの夜会なんて行きたくないし、王子が女性を口説くための通訳なんて馬鹿らしくて引き受けたくない。

リサージュ語で「愛している」と囁いたら、彼女は物凄く難しい顔をした。


「今、リサージュ語は聞きたくありません。ティルは無神経だわ」


「その割には嬉しそうだけど?」


「…一番言われた言葉だし意味はわかるから嬉しい…けど、凄く複雑なんです」


彼女は葛藤するように唸り、俺は苦笑いした。


「聞き取れるぐらいには上達したでしょう?」


「ええ。ティルのお陰で簡単な会話ぐらいならできるようになりました。本当に意地悪なんですもの。私がわからないと思って。後で調べて恥ずかしかったんですよ?やけにサフィー様や公爵様達がにやにやしていると思って調べてみたら…。もう!あんな…」


言語を上達させる近道は現地に親しい人間を作ることだ。できれば恋人が良いらしい。

レイチェルが上達した方法は他の奴には使えない。療養中の彼女に折角だから勉強したいのだと相談を受けた俺は日常的に隣国語を使って彼女を誉めて愛を囁いただけで特別に何も教えていない。


「気が紛れたでしょう?勉強にもなったし、嘘は一つも言ってない」


「…気になって仕方なかったんですよ?訳す度に顔から火を吹きそうになったんだから。ドリーもドリーです」


俺は思い出して笑った。あいつも隣国語で的確に突っ込みを入れて、からかっていた。何を言われているかわからないレイチェルには面白くなくて仕方がなかったらしい。普通はそうなのだ。あの王子は特殊だと思う。


「折角覚えたところ申し訳ないけど、王子にはリサージュ語で話す必要はない」


「でも、あの人、全然喋れないし、聞き取れないでしょう?外国に外交に来たのに、その国の言葉がからっきしだめなんて、珍しい」


「だから殿下に良いように遊ばれていたよ。ルーカスは絶句だ。元々外交はおまけみたいなもので本題が嫁探しだったんでしょうね。リサージュ語以外なら通じないから好きなように言えばいい」


俺が淡々と言うとレイチェルはぎょっとして俺を見上げた。


「通訳が傍につくのに?」


「当日の通訳は俺だから、適当に不敬にならないよう誤魔化すさ」


「それは…さすがに可哀想じゃ」


レイチェルが口元をひきつらせた。


「都合の悪い言葉を包み隠さず訳す通訳をクビにしたらしいから大丈夫だろう。気分よく過ごしてもらって夜会が終わったら一人でお帰り願うよ」


「…一人で帰るかしら?他所からわざわざ、このために来たのに?」


レイチェルが口許に手を当てた。


「彼の国について行きたいという女性がいないなら仕方ないだろう?レイチェルは見つかると思う?」


今回の夜会を開くに当たって本人がいくら気に入ろうが、相手の意思がないと連れ帰れないという取り決めをしている。その他には相手がいる者は選べない。

こちらは別に感謝の証に王子との結婚など全く求めていないから、無理に相手を見つけなくても全く問題はなかった。


「…いないと思う。話を聞いていたら、一切歩み寄る気がなさそうだもの。それにリサージュは財政難だとお兄様が言っていました」


俺は頷いた。


「うちは今回の条約は結べなかったら結べなかったでいいんだ。元々あちらが言い出したことだし、そこまでして結びたいわけじゃない。リサージュはそう思っていないみたいだけど」


これ以上面倒事に発展するようなら反故にされても良い。王子の相手が万一見つかれば王女まで押し付けて来そうだな、と思った。


※※※

通訳でこんなに苦労したのは初めてだ。

しかし、かつてないほどに悲壮感漂う暗い雰囲気の夜会だ。年頃の女性は総じて地味な格好をしていて華がない。普段は鮮やかな色を纏い、華々しく着飾っている彼女達だが、今夜は皆野暮ったい装いをしている。付き添いの家族の方が派手なくらいだ。

この王子の評判の悪さは国内外に轟きわたっていて、この夜会は相手のいない女性は強制参加だからだろう。

王子のつけた条件も反感を買っているらしい。王弟殿下から聞いた条件は本当に一部だった。人の口に戸は立てられず、この王子が好き勝手注文をつけているのは夜会前には知れ渡ってしまっていた。

しかも、彼は興味がない相手は完全にスルーする。傍にいれば、傾向は見えてくる。金髪碧眼でもふくよかな女性や二十代後半からの女性には目もくれない。逆に外見の条件を満たしていなくても、この国で美人や美少女と評判の若い女性ばかりに声をかけるのだ。ただ、そういう女性でまだ相手が決まってない者は総じて矜持が高いことが多い。うちのサフィーがそうだ。


「…お兄様、そのガマガエルを私の前に連れて来るとは良い度胸ではありませんの」


サフィーは思いきり顔をしかめて、冷たい目で王子を見た。

傍には両親とレイチェル、国王夫妻、王弟殿下もいた。レイチェルは心配そうにサフィーの手をとっていた。両親は不愉快という顔をしている。


「仕方がないだろう。一応お止めしたが、吸い寄せられるように来てしまったんだから」


自国語で俺は妹に伝えた。

リードのついていない躾のなっていない犬を散歩させているようなものだ。

最初から容姿でいくならサフィーに目をつけるのはわかっていた。金髪ではないが、碧眼で、俺の友人曰く、美人でスタイルは良い。ただし、性格に難がある。一言で言うとキツいし、男には容赦がない。あれを可愛いとあしらえるのは王弟殿下ぐらいだ。その意味では王弟殿下は懐が広いといえる。


「口説き文句も不快ですわね。あなたなら私の隣に立っても見劣りしないでしょう、ですって?鏡を見て出直した方が良くってよ?ほら、お兄様通訳なさって」


「できるか!話せるんだから自分で言えよ」


サフィーも隣国語を話せる。通訳の必要がない。王子の言葉を正確に理解した上で自国語でわざわざ悪態をついたのだ。気持ちはわからないでもない。サフィーの言葉もそうだが、王子の発言も最低で、本来は相手にそのまま伝えることができない。

王子はサフィーをロックオンしたらしい。主に胸元を見ながら鼻を膨らませている。俺に期待をこめた目を向けてくるので、困ったものだと思う。

そのまま、王子がサフィーの身体に手を伸ばしかけたところで、サフィーは扇子で思いきりバシリッと王子の手を叩き落とした。触るのも嫌らしい。


「汚らわしい」


王子が叩かれた手を振りながら悶絶した。そこだけ痣になっている。

だから、「やめとけ」と俺は何度も止めたのに。猪のように勝手に突っ込んで行くからこうなるんだ、と俺は溜め息をついた。王弟殿下は俯いて肩を震わせている。ツボに入ったらしい。


「…貴殿の妹は見かけは美しいが、実態は徒花のようだな」


王子はむっつりと不機嫌に言った。


「少し…気が強くて、男嫌いなんです」


正しくはサフィーは男嫌いなわけではなく、目の前の王子が気に入らないだけだ。今のは王子も悪い。

レイチェルにも同じことをしたのかと思うと、思わず怒りをぶちまけそうになった。


「王太子殿下?リサージュの国風は存じ上げませんが、いきなり女性の身体に触れようとするのは無礼ですわ。娘が驚いて叩いたのは当然です。聞けば、うちの嫁にも同じことをしたそうではありませんの?殿下は反省という言葉をご存じないようですわね」


母はリサージュ語で言い、にこりと微笑み冷気を漂わせた。父も笑顔だが、全く笑っていない。二人はレイチェルとサフィーを背中に庇って、王子からは見えない位置に隠した。


「私を歓迎する席で無礼だな。全く、この国の女性は美しいが、男をたてるということを知らない。王子の私に見初められることほど栄誉なことはないのに」


サフィーが「栄誉ですって?生け贄の間違いではありませんの?」と眉をぴくりとつり上げて自国語で憤慨した。


「殿下。それは問題発言です。何度も申し上げましたが、皆に平等に意思と尊厳がある」


横で聞いていた国王陛下はやんわりと苦言を呈した。


「我が国では王族の言うことは絶対なのだ」


残念ながら、ここはリサージュでない。そんなに気に入らないなら、他所で嫁探しなどするな、と言いたくなった。他国の国民に権力を翳すなど無意味きわまりない。


「殿下…ぶふっ。ここはリサージュではありません。…くくっ。こちらも手を尽くさせて頂いておりますが、そこまで気に入らないなら、自国で伴侶を探されたら良いのでは?」


王弟殿下がそう言えば王子は下唇を噛み締めて黙りこんだ。

彼はきょろきょろ見回して、両親の後ろに目を止めた。ターゲットが変更されたことに気づいた俺は慌てて間に入って前に立った。


「殿下。まだ一人としかお話しされていないではありませんか。他の方ともお話されてはいかがでしょう?」


「そう思って、声をかけようとしたのに何故邪魔をする?」


そんなのレイチェルに声をかけようとしたからに決まっている。彼女は怒らせなければ基本的には気弱でおとなしく押しに弱い。きっと上手く断れないだろうと思った。


「殿下。今回は相手のいる女性は対象外です。婚約者の前で口説くのは感心しませんね」


見かねた王弟殿下が諭すように彼に言った。


「だが、ここに来たということは口説いて良いということだろう?」


事情を知っている全員が耳を疑った。自分で言ったことも忘れたんだろうか。少々頭にきた俺は棘のある声で自国語でぼそりと呟いた。


「貴方がどうしてもレイチェルに謝りたいというから連れて来ただけで、そうでなければ彼女はここにいませんよ」


両親に目で彼女とサフィーを安全な場所に避難させるよう合図すれば二人は貴賓席にレイチェル達の手を引いて無言で移動した。貴賓席にいるのは夜会に参加している令嬢の付き添いの家族で既婚が殆どだ。そこに突撃して声をかけるのは非常識だ。

遠ざかるレイチェルの後ろ姿を目で追いながら、王子は声をあげた。


「あ…あー。貴殿の両親は本当に失礼だな。彼女と話したいのが伝わらなかったのか」


この王子がレイチェルに本当に謝るつもりなら止めなかったが、そうではなさそうだった。だから、遠ざけたのだ。

国王夫妻にあきれた目を向けられているのに気づいていない。めでたい馬鹿王子に溜め息をついた。


「それにしても売れ残っているだけあって、ろくな女性がいないな。愛想がない。もっと多くの者に機会を解放すべきだ。他国の王族に見初められる機会など滅多にないというのに」


たとえ彼の言うように、本当に売れ残っているのだとしても同じ売れ残りにだけは言われたくはないだろう。俺は失礼な王子を冷たい目で見た。


「殿下の高貴さに皆、気後れしているのですよ。殿下は住む世界が違うから」


王弟殿下はにやにや笑いながら言った。あれは馬鹿にしている時の顔だ。


「おお!アルマン殿はわかっているなぁ」


この茶番にまだまだ付き合わなくてはならないのか、と俺は気が重くなった。俺たちの周りを避けるようにして、出席者達は女性同士で固まって談笑している。平時の夜会ではあり得ない光景に俺は閉口した。

王子はやはり、美人にばかり目がいくらしい。貴賓席のどこぞの有名なご夫人を見ては「機会を均等化すべきだ」と鼻を膨らませるが、間口を広げようが結果は同じだ。条件が良いなら周りが放っておかない、は自分にも当てはまることだとわかっていない。

彼が歓迎されているなら、この惨状はあり得ない。かの聖人が海を割ったという伝説の如く周りは腫れ物に触れるように遠巻きである。

気を取り直して彼は手近な女性に声をかけることにしたらしい。俺と王弟殿下はフォローも兼ねて彼について行った。しかし、ここで問題が発生した。

王子の言葉を障りのないように俺達が訳すのだが、基本女性は王子を見ない。俺達が傍にいる時は愛想が良いのだが、二人きりでダンス、ということになると豹変するらしい。


「最初だけは楽しそうなのに、なぜだ?ダンスも酷い」


「…あなたにダンス下手だと言われたくないでしょうよ。外から見ていたが、酷過ぎる。ステップは間違いだらけで、パートナーの足は踏む。リードも下手すぎだ」


殿下は溜め息をついて、自国語で喋った。


「最初楽しそうなのはティルナードが女性の扱いが上手いのと、奴が口説いているように聞こえるからだよ。酷い口説き文句も柔らかい表現に直されているし。普通はこういう場では引き立て役をつれ歩くべきだ。自分が引き立て役になっていることに気づいていないのだからめでたいな。なぁ、パッド?」


いつのまにか、傍に控えていたらしい殿下の薄毛の侍従は顔を恐怖でひきつらせた。


「私に振らないで下さい。不敬罪に問われるかもしれないのに同意できるはずがないでしょう?」


「別に私は誰のことを言ったわけではないのに、パッドは随分正直だなぁ。余程首と胴体を離したいらしい」


パッドの顔が青ざめたのを見て、俺は気の毒になった。


「ティルナード、行っていいぞ」


王弟殿下は「後は引き受ける」と言って許可を出したので、俺は貴賓席にいるレイチェル達の元へ向かった。

貴賓席に着けば、母が激しく嫌悪を滲ませた顔で王子を睨み付けていた。


「聞いていたより大分酷いわ。あんなのを国外に出すなんてリサージュは信じられないわ!」


「確か、数年前に王子の派閥によるクーデターが起きて、まともな人間は幽閉されたんだよ。リサージュ国王は元々あれに継がせるつもりはなかったらしいから」


父は口許をひきつらせながら言った。レイチェルは俺の姿に気づいて、杖をついて、ひょこひょこと俺の方に歩いてきた


「もう終わったんですか?」


「ええ、まぁ」


俺は彼女に手を伸ばして腰を抱いて引き寄せた。公の場だが、構うものか。疲労感が半端ないし、癒しが必要だ。


「あの…。ティル?」


「何です?」


「…人前だし、もう少し離れた方が」


「いいんだ。前からこのぐらいの距離感だったでしょう?」


レイチェルは考え込んだ。それから首を振って否定した。俺の力が強いせいでほぼほぼ抱きつく体勢になっている。そのことに気付いたらしい。


「こういうのは…!二人きりの時に」


「へぇ?二人きりの時ならいいんですか。なら、屋敷に帰ったら遠慮なくたっぷりくっつかせてもらうとしよう」


俺がくすくすと笑うと、レイチェルは目を白黒させて全身を朱に染めた。


「…もう!」


レイチェルは赤い顔のまま、俺を睨んだ。当初からすれば、大分表情が変わるようになったものだ。気安い口もきいてくれるようになったし、気を許してくれるようになった。

あの我が儘王子なんかに彼女の髪の毛一本だってくれてやるものかと思う。これだけ距離を縮めるのに俺がどれだけ時間を要したことか。

結婚すれば少しは落ち着くかに見えたが、彼女への想いは募るばかりだ。俺は前より更に彼女の虜になっている。好きで好きでたまらない。全部欲しい。最近はその気持ちを押し止めるのに苦労している。事あるごとに彼女を茶化してしまうのもそのせいだ。

俺は彼女の腰を抱いたまま、髪に頬を寄せ、貴賓席から王子の婚活の状況を眺めた。外から見ても王子は尊大で女性の扱いが雑だ。あんな風に乱暴に手をとれば、話をする気も失せる。

我が国では男の社交デビューは女性をエスコートできるようになってからだ。彼はそこをいくと、不合格だ。


「ティル。あの…。やっぱり近い気が。それに周りの目が」


両親とサフィーは生暖かい目で寄り添う俺達を見ている。他にもちらほらこちらを盗み見ている視線を感じたが、俺は一向に気にならなかった。


「その内慣れますよ。現にもう大分慣れたでしょう?」


婚約当初は少し触れただけで石みたいに固くなった彼女だが、徐々に触れて慣れていった結果、大分俺に気を許すようになった。


「…やっぱりわざとだったんですね。これ以上慣れたら凄く困るわ」


そう言いながらもレイチェルは抵抗を諦めたらしい。俺に身体を委ねながら言った。


「そういえば、アリーシャ様はいらっしゃってませんね?」


俺はその人名を聞いて無表情になった。


「ああ。宰相の姪御なら病欠らしいよ」


父は苦い顔でレイチェルに教えた。

実情は自宅謹慎だ。うちからいくつかの彼女の嫌がらせの証拠を提示して抗議した結果、さすがに宰相もラッセル侯爵家側もまずいと思ったらしい。ただ、馬車の事故の件は未だ証明できていない。


「…そうなんですね」


レイチェルは視線を落とした。

俺は再び王子を目で追った。どうも思うようにならず、苛ついているらしい。


「間に入らないとまずそうだな。行ってきます」


彼女の身体を離し広間に戻ろうとしたら、服を掴まれて立ち止まった。


「レイチェル?」


「放っておきましょう?あの人のためにもなりません」


「だけど」


「ああなったのは本人が身分に胡座をかいて都合の悪いことから逃げ続けたせいです。殿下もついていらっしゃるし、ティルが行かなくても大丈夫です」


「むしろ、揉めて問題を起こしてくれた方が王家には都合が良いんだろうね。追い払う良い口実になる。だから、殿下はティルをわざと通訳の任から解放したんだろう?」


父が言った。


「…殿下に外された意図は大体わかっていますが、巻き込まれる人間が可哀想だ。それに暴れたら人手が必要でしょう」


「お兄様が言いたいことはわかりますわ。あのガマガエル、歩く非常識ですから何をするかわかりませんものね」


サフィーが深く頷きながら扇子をパチリと閉じた。

レイチェルは掴んでいた服を漸く離して、俺に言った。


「気をつけて」


「ええ。レイチェルは両親から離れないで下さいね」


俺はそう言うと、彼女の髪を撫でて殿下の元に向かった。

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