番外~侯爵令嬢の婚約事情~
ティルナードの元婚約者のフィリア視点。箸休め的な感じです。いちゃいちゃは多分なしです。
「フィリア!お前の結婚相手が決まったぞ!ヴァレンティノ公爵子息だ」
うちの飲んだくれ爺は髭を引っ張りながら、上機嫌でノックもなしに入って来やがった。
「はぁ!?」
私は言葉が出なかった。そんな大事な話を娘に断りもなく決めてきやがったのだ。この色ボケ飲んだくれ爺いは。
私はヴァレンティノ公爵子息について思い出した。三歳下の銀髪碧眼の鼻持ちならないガキだ。容姿と家柄は良い。本人の能力は高いが、それだけ。性格悪く周り全てを見下して馬鹿にしているのを隠そうとしない奴だった。周りの大人達も扱いに苦労していた。奴の妹と二人セットで密かに「公爵家のプラチナデビル」と呼ばれている。
私の人生はお先真っ暗だ。
大体、何であんな子供っぽい奴に私が嫁がなければならないんだ。
どうせなら、あのお方のように余裕のある人がお相手ならいいのに。
※※※
初見でいけすかない奴だとお互い認識した。
ティルナードはちらりと私を見た後、すぐに興味を失ったようだ。両親達が話を進めていくのを投げやりな感じで傍観して、周りにはわからないように小さく息をついた。気に入らないらしい。
そんなに気に入らないなら、ぶち壊してくれれば私も助かるというものだ。
奴はおもむろに懐からハンカチを取り出して、ぼんやり赤い顔で眺めて口許に当てた。それから苦しそうに眉間に皺を寄せる。
大丈夫か、こいつ。何かの病気じゃないのか、と私はその時思った。この時の勘はある意味で的中する。
ハンカチをよく見れば、奴のものではなさそうだ。可愛らしいそれは女の子が好みそうなデザインだった。
奴は見られているとは思わなかったらしい。まあ、お互い初見で興味を全く示さなかったものな。慌てて、ハンカチを懐にしまって私を睨んできやがった。威嚇か、威嚇なのか。
両親の話が終わると、私達は別室に移動した。後はお若い二人でどうぞ、という奴だ。お若すぎて反応に困るところだが。
二人きりになったところで、私は口の端をつり上げて奴に話しかけた。
「ねぇ」
びくっと奴は反応するように肩を震わせた。嫌な予感がしたらしい。それは正解だ。
「そのハンカチは誰のなの?」
「…別にいいだろう?君には関係ない」
むすっとして奴は答えた。先程までとはえらい態度の違いだ。まあ、さっきは愛想が良すぎて薄気味悪かったし、今のが地なのだろう。
「女の子のでしょう?」
奴は赤くなりながら、顔を反らした。
珍しいものを見た、と私は思った。社交場で見かけた奴はいつも完成された人形みたいに表情のパターンが決まっていた。こんな風に取り乱すのは初めて見たのだ。
私は「女の子のもの」としか聞いていないのに、ここまで正直な反応をするとは。
「…話次第では協力してあげてもいいわよ?」
「協力も何も。君と婚約している時点でもう無理じゃないか」
奴は苦々しそうに言った。本当に失礼だな。私だってお前のような失礼な奴は願い下げだ。政略結婚じゃなきゃ速攻で断っている。嫌なのはお互い様なのだ。
「方法がないわけじゃないわ。私だって貴方なんて願い下げだもの。だから、話次第では協力してあげると言っているの」
「どうして君に話さなきゃいけない?」
「ギブアンドテイクよ。貴方が話したら私の方の事情も教えてあげるわ。それとも、このまま何年か後に私とゴールインして素敵な家庭を築きたいわけ?」
正直な奴は首を左右に振って「嫌だ」と息をついた。
うん。私も無理だ。腹に一物を抱えたまま作り笑いをお互いに浮かべながら目の前の奴と挙式する姿を想像してみてぞっとした。しかも、奴は他に想いを寄せる相手がいるのだ。私も他人のことは言えないが。
お互いを見る度に溜め息が絶えない真っ暗な家庭など築きたくはない。うちの両親が政略結婚の過ちの最たる失敗例だ。
奴も同じことを思ったらしい。ポツポツと想いを寄せる「レイチェル」について話し始めた。
さて、話を聞いて、ますますこいつが気にくわないと思ったのは言うまでもない。
「レイチェル」は奴より二歳年下の大人しい可愛い伯爵令嬢らしい。
「レイチェル」には好感を持った。私は可愛い女の子が好きだ。だから、協力するか一瞬迷った。協力してこいつを自由の身にした場合、可哀想なレイチェルはこいつに一生つきまとわれるのではないか。果たして、それが彼女の幸せになるのだろうか。
悩んだ末、私はこいつに協力することにした。目の前の奴と一緒になることは耐えがたい。同族嫌悪と言えばそれまでだが、この失礼な奴と結婚して所帯を持つのは嫌だった。レイチェルよ、許せ。
私は計画を話した。奴はぽかん、として口を開けた。私の考えたプランは親の悪事を暴いて没落を狙い、どさくさ紛れで婚約解消、というものだ。
奴は「親の悪事を暴くなんて」と呟いた後、穴だらけだと指摘して、涼しい顔で穴の部分を修正しやがった。いけすかない野郎だと再認識した。
※※※
ティルがどうしても出席したいというお茶会に私は仕方なく付き合いで参加した。
奴は元々入っていた予定をずらして無理矢理時間を作って調整した。このお茶会にそこまでさせる何があるのかと首を捻った。行くまでもなく理由は検討がついた。
「レイチェル」が出席していた。とはいえ、彼女とティルの席次は端と端だ。
茶会などは主人が席順を采配する。会話が弾むように縁ある男女を爵位や家柄に配慮しながら交互に座るようにするのが一般的だ。「レイチェル」の隣は彼女の父で、ティルの隣は私だ。
それでも奴は同じ空間に「レイチェル」がいるのが嬉しいらしい。お茶会のたった数時間の暇を作るためにわざわざ予定を調整するぐらいには。
お茶会の主人も出席者もティルに恐縮していたのは何となくわかった。奴は公爵子息で、この会の主催は下級貴族だ。本来有力貴族を招待するのは恐れ多いぐらいに格式が違うのだ。多分、彼女が参加するとどこからか聞き付けて、いつものように遠回しに招待を頼んだのだと何となくわかった。強引な奴め。
実物の「レイチェル」は想像以上に可憐で清楚系の美少女だった。野暮ったい格好と俯き加減で髪で顔が隠れていなければモテただろうに。緊張しているのか父親以外の前では顔が物凄くひきつっていた。前に座る男性は彼女を第一印象で判断したらしい。彼女を無視して隣に座る女性に話しかけていた。本当に勿体ない。
隣に目をやれば奴がレイチェルに見とれているのがわかった。
私はテーブルの下で奴の足を蹴った。一応の婚約者の前だから控えろ、と目線で指示する。今変な噂が立てばティルだけでなく、この儚げ美少女も被害を被るのだ。ティルはどうなろうが構わないが、可愛い女の子が被害を被るのは我慢ならない。
ティルははっと気づいたように頷いた。遅い。
お茶会が始まって受けた印象だが、「レイチェル」は本当に大人しい。影が薄いというべきか。私もティルナードも注意を向けていたが、父親に一言二言喋っただけだった。
「レイチェルはいつもあんな感じなの?」
帰りの馬車で私はティルナードに質問した。
「いや。親しい奴の前ではもう少し、くるくる表情が変わるし、よく喋るよ」
ティルナードは思い出したように遠い目をして頬を赤らめた。
「あんたの前では?」
「……あんな感じだ」
項垂れた奴に私は吹き出した。昔もティルナードは彼女の「親しい人」のカテゴリーからしっかり除外されていたらしい。話を聞く限りでは結構顔を合わせて一緒に過ごしていたらしいのに。
「婚約解消しても、あんたがあの子を落とすのは多分無理だと思う」
「どうして言い切れるんだ」
「あの子、見るからに大人しそうな子だもの」
どちらかというと、ティルナードみたいな外見が派手で積極的なタイプは苦手だろうなと思った。彼女みたいな大人しい女性は安心感を与えてくれる男性を好むことが多い。
「あんたの趣味はわかるけど」
ティルははぁ、と悩ましげに息をついた。こいつの恋の病は重症だ。何せ、夢に出てくるぐらいなのだ。転た寝しているこいつの口からうわ言のように甘い声で漏れる「レイチェル」という人名を聞いたのは一度や二度ではない。人の気配に気づいてすぐに起きるのだが、私以外が奴の婚約者だったら大問題で修羅場に発展したかもしれない。奴に関心がある女性なら間違いなく「レイチェルって誰よ」というサスペンスな展開になる。ティルは本当についている。
夢を見るティルは随分幸せそうだ。多分、夢に出てくる「レイチェル」とはよろしくやっているのだろう。夢の中でしかよろしくできないのだから、ある意味可哀想な奴と言える。
私が考えを巡らせていると、ある宝飾品店の前で馬車が止まった。
「懲りないのね」
あきれてしまった。そういえば、もうすぐ「レイチェル」の誕生日だ。毎年のように贈り物を用意してはルーカスに阻まれて渡せないでいるらしい。
「今年は何にしたの?」
馬車を下りて、中に入ったティルナードは大分前から注文していたらしい品を受け取り、支払いを済ませた。
ついでにショーケースの中から見繕ったイヤリングを買う。こっちはうちの飲んだくれ爺を欺くためのカモフラージュだ。婚約関係が良好だというアピールのためのものだ。悔しいことにこいつのセンスは良い。適当に選んだように見えるが似合わないものは押し付けてこない。
「オルゴールだ」
「ふうん。随分ロマンチックで高価なものを贈るのね。受け取ってもらえないくせに」
「別にいいだろう?」
「本当はドレスや靴を贈りたいんでしょう?随分可愛い子だったものね、レイチェルは」
華奢で小柄な彼女は野暮ったい、古めかしい格好をしていた。枯れ葉色の飾り気がないドレスなんて若い少女が着るような色ではない。あれは明らかに誰かのお古の使い回しだろう。
「…サイズを知らないから贈れない」
「ルーカスに聞けば?」
「性格が悪いな」
ルーカスは絶対に教えないだろう。多分「レイチェル」の誕生日だってティルには教えてないはずだ。知っているのは調べたからだ。
「お互い様でしょう?うちのお父様が知ったら何と言うかしらね?正式な婚約者を差し置いて友人の妹に高価なオルゴールを贈るのですもの」
わざとらしく思ってもいないことを言ってみた。付き合わされた腹いせだ。
「お互い何とも思ってないんだから良いだろう?何なら同じものを贈ろうか?時間がかかるけど」
「要らないわ。…オルゴールより鎧が欲しい」
「…そんなもの贈ったら、怪しまれるだろう。君が騎士の採用試験を受けたことを君の父親は知らないんだから」
「拳をかわした仲でしょう?こっそり贈ってくれてもいいじゃない。あと数ヵ月の付き合いなんだから」
数ヵ月で全ての準備が整う。そうなれば奴は人目を憚ることもなく「レイチェル」に想いを寄せることができるのだ。上手く行けば現実の「レイチェル」と触れあい、想いをかわすこともできるのかもしれない。そう思うと、慰謝料を頂いてもバチは当たらないだろう。
何せ、ティルには「レイチェル」が出席する催しに何度も付き合わされている。実物とは幻獣ばりにいつもすれ違いになるので、顔を見たのは今日が初めてだったが。あまりに会えないからティルの妄想ではないかと疑ったぐらいだ。
「駄目だ。勘づかれたら面倒だ」
「けち」
「無事すべてが終わって婚約が解消できたらお礼を考えるから、それまで待ってくれ」
ティルは唸るように言い、私はにやりと笑った。
三歳下の奴は私の弟分みたいなものだ。
「レイチェルと上手くいったら紹介してよね」
「……絶対に嫌だ」
「どうして?」
「とられたくない。君は俺の友人の婚約者を悉く虜にした前科がある」
「小さい男だこと。女心がわからない男側にも問題があったでしょうが」
「何とでも言ってくれ。結婚式で花嫁を目の前でさらわれるのはごめんだ。君は自覚がないからたちが悪い」
「…あれは事故だわ」
まさか、式当日に「好きです。お姉様」と花嫁に告白されるとは。新郎が唖然としていたし、ティルの視線は「またか」と突き刺さるように痛かった。あの後、じっくり話し合って漸く諦めてくれたが、冷や汗をかいた。
でも、あれは新郎も悪い。彼女を放ったらかして仕事と友人優先、全く構わなかったらしい。式直前まで話を聞いて慰めている内にやたらと熱視線を浴びると思っていたら、カミングアウトされたわけだ。
「とられたくなかったら入り込む余地がないくらい夢中にさせなさいな」
そう言って笑えば、奴は顔を真っ赤にして口許を覆った。その姿は氷の貴公子とはかけ離れて人間臭くて私は堪えきれずに吹き出した。




