48.杯中の蛇影といいますが
読みにくい拙い文章を読んで頂いている方へ日頃の感謝をこめて(?)本日二回目の更新、です!感謝という名の、ただの長文テロだったらすみません(^-^;
目覚めると、銀髪の美丈夫に身体をすっぽり抱え込むように抱き締められていた。至近距離であどけない無防備な顔を直視して心臓が止まりそうになった。
ぼんやりする頭で、そういえば、私はこの人と結婚したのだったと思い出した。未だに実感が湧かないのは書類上だけのことで公表されていない上に、挙式がまだなせいだろう。公式ではまだヴィッツ姓だが、書類上はもうヴァレンティノ姓らしい。両家で相談して式までは公表しないことにしたそうだ。
社交シーズンが終わったのも有りがたい。怪我の説明をしなくて済む。ついでに、変なぼろを出す心配もない。時期外れの夜会やお茶会の招待状はほとんど届かないから、毎日をゆったりヴァレンティノのお屋敷で静養している。
それにしても、抱き枕にされているせいかはわからないが、朝っぱらから体が熱っぽく動悸、息切れが激しい。超絶美形の顔をどアップで見たせいだろうか。
結婚しても婚前みたいな状態の私達が成り行きで毎日一緒に眠るようになったわけだが、屋敷では誰にもそれを咎められない。
不思議に思ってマリアに聞いてみたのだが、「全く問題ない」らしい。ティルに私が肉食令嬢よろしく獣のように迫ったり襲いかかったらどうするのか、と聞いてみたら、「そうなると、むしろ危ないのはレイチェル様の方で心配なのはレイチェル様のお身体ですわ。ワトソンや奥様あたりは喜ぶでしょうね」とばっさり切り返された。
あれからティルは付きっきりで看病してくれていた。移動には基本的に彼が付き添う。
周囲の生暖かい目が非常に恥ずかしくて気まずい。屋敷からは出ないものの、使用人や公爵夫妻やサフィニア様に微笑ましい目を向けられて居心地が悪い。本当に松葉杖さえあれば一人で歩けるのだが。
事故で命を落としかけた一件のせいかはわからないが、ティルの過保護っぷりは以前にも加速して、とどまることを知らない。
彼は何かにつけて私を甘やかしたがる。最近、それに慣れ始めていて当たり前のように感じている自分が怖い。
今は彼が休みをとっているから四六時中一緒だが、彼が仕事に戻ったら、夜勤で屋敷を空けたら私は孤独死するんじゃないかと心配だ。それに、それまでに車椅子か松葉杖を入手しないと死活問題だ。
彼が深く眠っていることを確認して、私は彼の腕から逃れるべく再度もがいた。今日こそは移動手段を探すのだ。
腕を解こうとして、失敗してそれどころか、締め付けが強くなって焦った。じたばた足掻く内に瞼が震えて深い蒼の瞳がぱっちりと開いた。戦略的撤退に失敗した瞬間だった。
「ん。…レイチェル?おはようございます」
私と目が合うと、へにゃりと口元を緩めて彼は眠そうな顔で笑った。不意打ちに蕩けそうな笑顔を向けられて心臓が跳ね上がる。ティルは無自覚に無防備過ぎる。はぁはぁと朝から息切れしそうになる。この人はたまに私を悶え死にさせようとしているのではないかとおもうのだ。
「お…はようございます。ティル」
彼は手を伸ばして私の髪を梳くと、微笑んで頬にキスをした。心臓が早鐘を打ち過ぎておかしい。
「着替えてきます」
彼はそう言うと、隣部屋に姿を消した。私はぼんやりと彼を見送った。茫然と固まっている間に入れ替わりにマリアが入ってきて私の寝間着を脱がせながら身支度を手伝い始めた。
「レイチェル様、大丈夫ですか?お顔が真っ赤ですわ」
姿見に映る自分を見て私は焦った。口元がにやけていて、顔が赤い。ティルのせいだ。この状態はまずいと思う。
心なしか顔の輪郭も丸くなったように思う。簡単に言うと、太った。運動しないせいだ。このままだと本当に歩けなくなる。
「…マリア、松葉杖はないんですか?」
私はマリアに探りを入れた。
「あるにはございますよ。ただ、ティルナード様がどこかに隠されたようですので探し出すのに時間がかかりますが」
確かに、聞いたときには彼はない、とは言っていなかった。「必要ない」と言ったのだ。
「…どうして?」
「そんなの、レイチェル様に頼ってもらえなくなるからでしょう。車椅子も松葉杖もなければレイチェル様はティルナード様を頼らざるを得ませんからね」
「でも、ティルが仕事に戻ったら凄く困るわ。今から少しずつ練習しておかないと」
「ああ。それなら心配いりませんわ。レイチェル様の足が完治されるまでは仕事を休まれるそうですから」
「それは厳密に大丈夫ではないんじゃ…?」
「王弟殿下も認められているそうです」
私は青ざめた。私が寝込んでいる間にそんな大事になっているとは思いもよらなかったのだ。ティルからは有休をもらったとしか聞いていない。
「レイチェル様はお気に為さらなくてよろしいですわ。運が良かったから命はあったものの。我々も相当に頭に来ておりますもの」
確かに、結局右足に後遺症が残らず、この程度で済んだのは運が良かったんだとは思う。定期診察では特に他の部分も問題ないと聞いて一応は安心した。
マリアは私の髪を梳かすと、丁寧に編み込んで白い花のモチーフの飾りをつけた。
薄青の室内用の上等な、ふわふわした可愛らしいドレスに着替えさせられたのだが、片足を負傷している今の私には実用的ではない。もう少し簡素で安そうな服はないのだろうか。それなら転んでも破いたり汚す心配はないし、歩く練習もできる。ああ、でも、ここにそんなものがあるはずもないか。サフィニア様のお古でさえ、がばがばなのだ。お兄様にお願いして、今度持ってきてもらおう。
マリアは私を見て、苦笑いした。
「ティルナード様のご指示ですわ。レイチェル様は動きやすい格好にすると、ご無理をなさるから思いきり飾り立てるように、と」
彼は私の浅い考えなどお見通しだったらしい。
「レイチェル様が床を芋虫のように這っているのは兄あたりは面白がるでしょうが、式を控えたお身体にこれ以上生傷や痣が増えるのは感心しませんわ。ただでさえ、足のお怪我をティルナード様は気にされているので」
「五針ぐらいで大袈裟だし、足は見えないから大丈夫よ」
「レイチェル様はもう少し自覚をもたれた方が良いですわ。逆なら気にされるでしょう?」
マリアの言ったことを考えてみた。
ティルが大怪我をしたら嫌だ。自分の傷だから笑い話なのだ。
「さ。若奥様、ティルナード様のお仕度も済まれたようですわ」
私はけほけほ、と咳き込んだ。
「…若奥様って?」
「レイチェル様は新婚で、もうティルナード様の奥方様ですから致し方ありませんわ」
わかっているが、実感がわかない。特別に何かが変わったわけではない。私は今のところ、妻らしいことは何もしていないどころか、名ばかりの花嫁で彼のお荷物だ。最近は食べて寝てを繰り返しているような気が…。
密かな危機感を再認識している間にティルが中に入ってきた。長いコンパスで私に近づくと慣れたように流れる動作で私を抱き上げた。一瞬抗議を忘れて、私は困惑して彼を見上げた。
彼は僅かに首を傾げた。
「…何かあったのか?」
「歩く練習をなさりたいそうですわ。そろそろ、練習させて差し上げてもよろしいのではありませんか?奥様に甘えて頂きたい気持ちは察しますが、過保護が過ぎると愛想をつかされますわよ」
マリアの地味にメンタルを抉る「奥様」呼びにぐっと耐えながら、私は彼をすがるような目で見た。
「…わかりました。では、朝食の後に練習しましょうか」
私は彼が頷いてくれて、ほっとした。毎日の居たたまれない苦行から漸く解放されるかもしれないと期待して。
※※※
ティルの腕に私はぶら下がって庭を歩いている。この人間松葉杖ほど安定性があって安全な物はないだろう。なぜなら、転びそうになれば体勢を支えてくれるのだから。
「…ティル。これでは練習になりません。松葉杖は…?」
今更だが、これはリハビリという名の散歩デートという奴ではないだろうか。傍目には仲良しカップルに見えなくもない。いや、確実にそう見えているのは通りすがりの使用人達の反応から言って確かだ。確かに私たちはカップルには違いないから間違ってはいないのだが。
「俺がいるから必要ありませんよ」
「必要です。だって、どこに行くのも一緒じゃ申し訳が」
現状、トイレや湯殿まで一緒だ。勿論、中までは付き添われないが、凄く居たたまれない。
彼は大袈裟だ。少し咳き込んだだけでベッドに運ばれ、迂闊に傷が痛むと言おうものなら、酷く心配して患部を念入りに確認する。
「座って話をしましょう」
私は立ち止まってベンチを指した。私たちは並んで腰を下ろす。
「本当に大分いいんですよ。肺炎は治ったし、足も。もうすぐ糸も抜けそうだとお医者様も言っていたんですよ」
私はそこで包帯の巻かれた右足をとんとん、地面につけて、少しドレスの裾を持ち上げた。ティルはぎょっとした後、慌ててドレスの裾を押さえつけた。
「貴女の言い分はわかりました。でも、まだ糸は抜けてないんですよね?傷が開いたら心配なんです」
「ティルはこの分だと糸が抜けても言いそうです」
「貴女が見かけ通りの大人しい女性なら言いませんよ」
失礼だ。まるで私が見た目は大人しそうに見えて、実際は無茶ばかりするようではないか。
私が彼をぎろりと見ると、彼は一つ咳払いをして、赤い顔で私に言った。
「昔、屋根に上って降りられなくなったでしょう?」
正確に昔のことを引き合いに出して、地味に精神を抉ってくる彼に言葉を詰まらせた。
「今、昔の事を持ち出すなんて狡いです。ティルは知らないかもしれないけど、最近はそんなことしませんよ?」
私はえへんと小さな胸を張った。たまに上る程度だ。昔程はしない。
「…最近は?貴女が隠れる場所は昔から高い所と危ない場所が多かった。木の上とか、屋根もそうだ」
かくれんぼを引き合いに出されて、私は唸った。
「あれは…!あなたがしつこく追いかけてきたからだわ」
「レイチェルが本気で俺から逃げるから追いかけたんだ。表には出さなかったけど地味に傷ついていたんですからね」
憮然とした顔でティルは言った。
「かくれんぼも鬼ごっこも、鬼に捕まらないように逃げる遊びだから当然だわ」
もごもごと言い訳すると、ティルは納得がいかないような顔で私を見た。
「なぜかいつも、お二人だけのおいかけっこになるんですよね。あなた方は気づいてらっしゃいませんでしたが、他の方々は呆れてましたからね。付き合いきれない、と」
マリアそっくりの顔の従者がおかしそうに笑いながら、ひょっこり現れた。
二人だけの、と言うと甘いように聞こえるが、ガチのおいかけっこである。ティルはここぞとばかりに、なぜか私ばかり探して追いかけて捕まえようとした。他の人が飽きてやめてしまっても、だ。
「ドリーは他人事だから笑えるんだ。好きな女の子に本気で逃げられる俺の気持ちも考えてくれ」
「それは自業自得でしょう?あなた、触りたいからってレイチェル様ばかり追いかけるんだもの。…抜糸したら一人で歩くぐらいいいじゃないですか。リハビリは大事ですよ。それに、公爵家の敷地ならそう危険なことはありませんよ」
ドリーの言葉にティルは考え込むように顎に手を当てた。
「…糸が抜けたら、ですよ。右足は完全に治ってからだ。一度悪化すると癖になるから治るまでは一人歩きは禁止、激しい運動は駄目ですからね」
折れたようにため息をついて言うティルに私は「わかりました」と返事をした。
「ドリー、ありがとう」
ティルの許可が出て、私はドリーの手をとって感謝した。
「レイチェル様、ティルナード様が怖いので、そこはティルナード様に感謝して下さい」
ティルはなぜか、慌ててドリーの手から私の手を引き剥がした。「相変わらず心が狭いなぁ」とドリーは苦笑いする。
「…ティルは過保護過ぎだわ。まるで鬼い様みたい」
私が唇を尖らせて言えば、ティルは少し嫌そうな顔をした。
「心配されているんですよ。レイチェル様は見かけと違ってお転婆で好奇心旺盛だから」
「…ティルも私と良い勝負です。蛙の卵をとったり、蛇の脱け殻を拾ったり」
「主人を弁護するならあれは初恋で一時的に変になっていただけなんです。貴女と出会う前のティルナード様は本当に可愛らしいところのない、滅多に笑わない、頭の良い厭味な糞餓鬼でしたよ」
「…ドリーは余程、職を失いたいらしいな」
「やだなぁ。事実を言ったまでですよ。それにしても、結婚しても一方通行な片想いなところがティルナード様らしいですねぇ。あなた、事故の後もふられかけたんでしょう?」
ティルは言葉を失った。私は慌てて、弁解する。
「ドリー、ティルのことは好きよ?」
「冗談です。良かったと思います。本当にご無事で。レイチェル様、俺からもお願いします。ご自分を大事になさってください。主のあんな顔はもう二度と見たくありません」
私は右足の怪我を見た。
あの時、ティルが諦めていたら私はこの世にはもういなかっただろう。死の淵に立ってなおも彼が追いかけて連れ戻しに来てくれたお陰で今がある。
「…無茶はしません。約束します」
私はティルとドリーに言ったが、ティルはなぜか疑惑の目を向けてきた。本当に失礼な人だと思う。過去の失態の数々から信用がないのは仕方がないとしても、だ。
この怪我は不可抗力だ。
「もう!信用してませんね?」
「すみません。今と昔の記憶の数々が蘇ってきて」
遠い目でティルは乾いた笑いを漏らした。
「結婚したのだし、流石に少しは落ち着きますよ。それに、ティルは私を離さないように捕まえていてくれるのでしょう?なら、きっと大丈夫です」
ティルとドリーは目を丸くした。
「私はおかしなことを言いましたか?」
「いえ。意外だと思っただけです。レイチェル様は昔も今もティルナード様にどうも捕まりたくないように見受けましたので。ほら?昔からわざと見つかりにくい場所に隠れていたでしょう?」
理由は子供じみていて、恥ずかしすぎて言えなかった。
途中から意地になっていたし、本当のところは言えるはずがない。怖かったのもある。だが、彼はどこにいても必ず私を探しにきて見つけてくれた。それだけの事が純粋に嬉しかったのだ。
私は本当に天の邪鬼で性格が悪い。あれは正しくは彼に「見つけて欲しかった」のだ。
「…本当に嫌だったら結婚しないわ」
結婚誓約書へのサインを躊躇したのは重荷になるのが嫌だったからで、彼のことが嫌だったわけではない。後遺症が残るかもしれないと聞かされた時に、真っ先に考えたのはティルのことだ。
足を不格好に引きずる私を連れたティルが周囲に哀れまれることを考えると我慢できなかった。
それならば、他に立派に役目を果たせる、自慢できるような人と一緒になってもらって私が我慢すれば良いと考えた。
ティルに見透かされて結局私の浅い目論みは失敗したばかりか、「レイチェルがその気なら、もう待たない」と言われ、激しく動揺することになった。本気で教会に連れて行かれるかと焦ったが、冗談だったらしい。頭の良い彼は半分本気で算段し始めているように見えたが、気のせいだと思いたい。
もう二度と馬鹿なことは言わないと決意した。やたらと強調された「二人きり」という言葉も何となく危険な香りがして気になったし、ティルの顔も少し怖かった。本当に彼と「二人きり」になるのはまだ心の準備ができていない私には無理だ。
だけど、彼が私の考えに頷かなくてほっとしている。やはり、ティルが私以外の人と結婚して、キスやその他のこともする…と考えると、苦しくて耐えられそうになかった。
そういえば、こんな風に悩むことになった全ての始まりは、あの馬車の事故だ。事故のお陰で思い出したこともあったけど、事故がなければ結婚をやめようとは思わなかった。
「ドリー、馬車の事故の原因は結局何だったの?」
「ああ。それならこれです」
ドリーが懐から取り出したのは鼠の玩具だった。
「…これは偶然では飛んでくるものではないわね」
私はそれをドリーから受け取った。頬に手を当てて、ひもでできたネズミの尻尾の部分を引っ張る。こんな玩具一つで、こんな大事になったのだから馬鹿みたいだ。
「ですよねぇ。投げた人間は金で頼まれただけで何も知りませんでした」
「偶然、あの日走る馬車の通過に合わせて投げるなんてあり得ないわ。そこを馬車が通ると事前に知らないと駄目だもの。つまり、頼んだ人間はそれを知っていたということだわ」
レイフォードの帰り道は残念ながら一本道だ。早い話、あそこをいつ馬車が通るかわかっていたら良いのだ。
「…レイチェル様は引っ掛かることがある、と?」
私は首を傾げた。
頼まれた人物に聞いた方が早いかもしれない。顔を見ているはずだ。
「…直接話を聞けたら良いのだけど?」
「駄目ですからね。無茶をしないと言ったそばから貴女という人は」
ティルが眉をぴくりとつり上げた。
「無茶はしません。投げた人は屋敷か、近くに匿っているのでしょう?」
「レイチェル様。どうして、ご存じなんです?」
ドリーが驚いたように目を見開いて言った。
「だって、無関係の人なら危ないわ。放っておいて危険なことに巻き込まれる前に保護する、と思っただけです」
恐らく投げたのは子供だろう。鼠の玩具を見ながら何となくそんな気がした。




