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閑話~悪役令嬢の企み事情~

ぱっとしない冴えない田舎娘。それがレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢の印象だった。


密かに噂が流れていた。ティルナード様はヴィッツ伯爵子息と親友であり、二人は怪しい関係なのではないか、と。その陰で実はティルナード様がご執心なのはヴィッツ伯爵令嬢ではないか、と。そう考えれば、言動の怪しさに説明がついた。

ドレスや靴のサイズもヴィッツ伯爵令嬢に贈るために知りたがっていたのだ。それはしっくりくる仮説だった。

一目惚れで運命の恋だと思った。その彼には既にハーレー侯爵令嬢というお似合いの婚約者がいて、私の恋は始まる前に終わってしまった。

だから、婚約を解消したと聞いた時は舞い上がった。彼の運命の相手は私だったのだと確信した。実際、彼の目に止まれば彼も私に夢中になるに違いないと思っていた。容姿は彼の元婚約者に負けていない。ダンスも得意だし、私ほどあの銀髪の王子さまの隣に相応しい令嬢はいない。

噂のヴィッツ伯爵令嬢の夜会デビューの日、遠目に彼女を見て、私は鼻で笑った。噂はあてにならない。あれに彼が執心だなんて笑ってしまう。よく見れば可愛らしい顔はしているが、彼の元婚約者に比べれば随分と幼い、大したことない、大人しそうな女だった。

驚いたのは暫くして、二人が婚約したらしいと聞いた時だ。


「どういうことですの?」


叔父に詰め寄った。ティルナード様が婚約解消した後、両親や叔父に頼み、何度か公爵家に縁談を持ち込んだが、芳しい返事をもらえなかった。断られ、会ってももらえなかった。聞けば、彼は婚約解消した後、どこの家からの縁談も受けていないという。元婚約者に遠慮しているのだろう。ならば、仕方がない。彼がその気になるまで根気よく待てばいい。会ってさえもらえれば彼は私に夢中になるのだから、と信じていた。

その彼が非公式なお見合いを受けたばかりか、その令嬢との婚約をあっさり即決してしまったという。まるで、前から決めていたみたいに。

これがヴィッツ伯爵令嬢でなければ納得したかもしれない。可哀想なティルナード様。あの女に何か弱味を握られたか、怪しい術にでもかけられたか、無理矢理夢中にさせられたか。


「もう決まったことだから、どうしようもないだろう?婚約のお披露目に招待を受けたけど、なかなかお似合いだったよ」


だから諦めなさい、と叔父に諭されたが納得できるはずがない。

あの二人がお似合いなわけがない。ティルナード様は長身の大変整ったご容姿をされている。彼に似合うのは同じようなスタイルの良い洗練された美女だ。ヴィッツ伯爵令嬢の見た目はおっとりとした、どちらかと言うと可愛くて気が弱そうな感じの普通の令嬢だった。背も低く顔立ちも幼い彼女の容姿は少女めいていて、二人が並べば倒錯的な印象になっただろう。


「お似合いなはずがないわ。ティルナード様は騙されているのです」


おとなしそうな可愛い顔をして、腹の中に特大の怪物を飼っているに違いない。あの女は無害そうな顔で内心、上手くやったとほくそ笑んでいるに違いない。


「目を覚まさせて差し上げないと」


悪魔の魔の手から王子様を助け出すのだ。それは彼の運命の相手である私にしかできないことだ。


「彼は馬鹿ではないと思うがね」


「当たり前ですわ。ティルナード様は優秀な方ですのよ」


「第一、どうするんだい?アリーシャは彼とは接点がないのだろう?」


叔父に聞かれて、私は自分の計画を話した。叔父は渋面になった。


「アリーシャ、騎士の仕事はハードだよ。遊び感覚では務まらないものだ」


「心配いりませんわ。叔父様。ティルナード様は一目見れば、本当の運命の相手に気づくはずです。ですので、私は騎士のお仕事をする必要はありませんもの」


職場に花は必要だ。そう、私は言うなれば職場に咲く一輪の花。ティルナード様専属の秘書であり、いるだけで和む癒しだ。泥臭い仕事などする必要はない。

叔父は深く溜め息をついて、こめかみを押さえた。


「…そこまで言うなら紹介するけど、約束してほしい。働く以上は指示に従って仕事をきちんとすること。途中で投げ出さないこと。我が儘はこれっきりにすること。職場の厳しさに君が泣きついてきても私は手を出さないし、もう紹介はしないよ。いいね?」


不思議な約束をさせる叔父に私は首を傾げた。だって、ティルナード様は私を見れば運命を感じて私に求婚するだろう。なら、働くまでもない。


※※※


ティルナード様の職場に配属になって、私は彼にここぞとばかり話しかけ、ボディータッチを試みた。書類仕事の傍で話しかけ、外に出る時はご一緒した。しきりに腕を解こうとされたり、眉根を寄せられたりしたけど照れているだけで彼も満更ではないはずだった。

その証拠に執務室への出入り禁止を言い渡された。気になる令嬢が傍にいれば仕事に集中できないのだろう。シャイなところも可愛いと私は思いながら体をくねらせた。

仕事が終わったら、私の顔を一番に見たがるに違いない。私は彼の未来の妻なのだから。一応巷で話題の恋に効くお薬も使っておこう。これを飲めば私の魅力にますますメロメロになるに違いない。

そんなことを考えていたら、彼が数日休暇をとることが耳に入ってきた。

不機嫌になったのはその後だ。彼が休暇を取ったのは一ヶ月ほど御無沙汰していたヴィッツ伯爵令嬢に会うためらしい。世論は例の婚約者とは破局寸前で、私と婚約秒読みのはずだ。不仲な婚約者と会ってどうするのか。

調べさせたところ、例の婚約者とオペラを見に行くことがわかった。いわゆるお出掛けデートというやつで、誘ったのはティルナード様の方らしい。報告はそれだけでは留まらず、彼は前々から婚約者の趣味を調べていて、いくつかのデートコースを考えていたようだ。時期的にたまたま、婚約者の好きそうなオペラの演目があったから、それに決めたらしい。

私は歯噛みした。まるで、それではティルナード様の方がヴィッツ伯爵令嬢に夢中なようではないか。そんなはすがない。あり得ない。彼は今、真実の愛に気づいたはずだ。だから、ヴィッツ伯爵令嬢が彼に何かしたに違いない。汚い女だ。

デート当日、私はオペラ劇場の傍に行くことにした。彼の前に立てば選ぶべき相手が誰か気づくはずだった。

劇場から出てきた二人を見て、唖然とした。ティルナード様は見たことがないような、慈しむような微笑みを婚約者に向けていた。歩幅もヴィッツ伯爵令嬢に合わせて、優しく腰を抱いてエスコートしている。外見的には兄妹にしか見えない二人だが、雰囲気は恋人のようだった。

きっと見間違いだ。認めない。私は二人に声をかけた。

ヴィッツ伯爵令嬢は怯えたようにティルナード様に身を寄せた。そのことに険しい顔をしていたティルナード様の顔が一瞬緩んだ。これでは私がまるで悪者みたいではないか。

昼食に誘えば、ヴィッツ伯爵令嬢の顔がひきつった。彼女は私に婚約者が取られることが怖いに違いない。

「また今度にしましょう」とヴィッツ伯爵令嬢はティルナード様を見上げて言った。ティルナード様の顔が落胆したように曇った。

別にヴィッツ伯爵令嬢が帰りたいなら一人で帰ればいい。それにしてもお腹が空いている婚約者と昼食にも付き合えないなんて嫌な女だ。

ティルナード様が彼女の腕を掴もうと手を伸ばしたが、彼女は人混みに消えてしまっていた。流石のティルナード様も本当は誰を愛すべきか気づいたはずだ。

私は上機嫌で彼の腕にぶら下がり、話しかけた。彼は照れているのか無言で、急ぐように歩いていた。ああ、きっと無理してあの令嬢に合わせていたからストレスが溜まっていたのね。

私はうきうきしながら、彼の歩幅に合わせて歩いた。これから二人きりでとる昼食に胸が高鳴った。

彼はあるお店に着くと、ぴたりと足を止めた。そのまま迷うことなく中に入っていく。私も彼についていった。

あるテーブルの前まできて、私は口を開いた。叔父が昼食をとっていた。

もしかして、彼は私との婚約を叔父に申し出るつもりなのか。瞳を潤ませながら、私は彼の言葉を待った。


「お休み中失礼します。ただ、どうしても言いたいことがあったのです。俺は今日は非番で婚約者との久しぶりの逢瀬を楽しんでいました。ですが…」


そこで、ちらりとティルナード様は私を見て、言葉を濁した。

叔父は何かを察したらしい。平謝りしながら私の腕を引いて、私を席に座らせた。


「姪が迷惑をかけて本当にすまなかった」


「とにかく、こういうことは困ります。今後二度とこのようなことはないように願います。俺はこれで失礼します」


彼は叔父に一礼して、急ぎ足でその場を離れた。

あ、待って。彼の腕を掴もうと手を伸ばしかけたところで、隣に座る叔父の制止を受けた。


「アリーシャ、座りなさい」


私は叔父を睨んだ。


「君に伝えたいことがある。実は君は明日付けで軽装騎士団への異動が決まった」


「どういうことですの!?そんなの、ティルナード様がお許しになるはずありませんわ」


「配置がえは彼のたっての希望らしい。君が異動しないなら彼は職を辞して、婚約者と二人で田舎に引きこもるとまで言い出したそうだ」


私は大きく目を見開いた。


「君の職務態度に関する苦情で最近は耳と胃が痛かった。私は君を甘やかしすぎていた。自覚はあったが、それを今回の件で痛感した」


「私は職務態度に問題なんてありませんわ」


毎日出勤して、職場の花としての仕事は全うしたつもりだ。


「…アリーシャ。近衛騎士は荒事も書類仕事も仕事だ。だが、その前に決められた制服を着なければならない」


「私にはそのようなことは求められておりません」


制服は渡されていたが、可愛くなかった。私の魅力が半減するから着なかった。それだけだ。


「仕事をする以上はそれが求められるんだよ。君が選んだのはそういう仕事だし、ヴァレンティノ公爵子息もこなしている」


「私はそういう仕事がしたかったわけではありませんもの」


「君が彼のお姫様になりたいのは知っているが、ヴァレンティノ公爵子息には正式な婚約者がいる。彼が自分で望んだのだと聞いている」


「ふさわしくありませんわ」


「…君がヴァレンティノ公爵子息を好きなように、ヴァレンティノ公爵子息もヴィッツ伯爵令嬢が好きなんだ。それを無視して自分の気持ちを押し付けてはいけないよ」


「ですが!今回の異動はあまりにも酷すぎます」


「私が許可したのは君が仕事をする、と言ったからだ。それに、これは辞令だから拒否権はない。私も責務を放棄した君を庇うわけにはいかない」


私は唇を噛み締めた。


「そもそも、ティルナード様と私の婚約が成立していれば職場まで乗り込む必要はなかったのですわ」


「ヴァレンティノ公爵家は貴族の中でも別格だ。その後継に格下の家から無理に婚約話を通せない。君には黙っていたが、ヴァレンティノ公爵子息は婚約解消した後に両親に政略結婚はしないと宣言したらしい。自分の相手は自分で決めるから縁談は一切受けない、と。かなり前からヴィッツ伯爵令嬢にご執心だったようだよ」


「認めませんわ」


「アリーシャ、あまり過ぎた真似をすると、私も君の両親も君を庇えなくなる。私達は君が可愛い。警告はしたよ?」


叔父の言葉は耳に届いていなかった。それより、あの無害そうな、いかにも守ってくださいという顔をしたレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢だ。あの女は許せない。悪い噂だってティルナード様の同情を買うために自分で流したのだ。そうに決まっている。

潰してやる、と思った。婚約していても結婚できないことはよくあることだ。例えば、不慮の事故とか、家の没落、令嬢の不貞の噂とか。

誘拐なんてどうだろうか。二、三日どこかで監禁して帰す。それだけで何もなくても、人は信じない。公爵家に嫁げなくなるだろう。

或いは家が爵位返上するまで追い詰めて、貴族でなくなるのはどうだろうか。

ちょっと怪我をさせて脅すのも悪くない。本人が堪えないようなら家族や親しい人間を傷つけてはどうか。目立つところに傷を作ってやるのも悪くない。

足がつかないように上手くやる自信はあった。ツテもいくつかあるし、都合よく使える貴族の下僕もいる。


「アリーシャ、馬鹿な真似は頼むからしないでおくれ」


懇願するように言う叔父に向かって私は口の端を吊り上げて笑った。


「ええ。わかっておりますわ」

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