39.甘い空気は苦手です
短くてすみませんm(_ _)mちまちま直しつつ( ̄▽ ̄;)
夜会は元々好きではなかった。というより、社交が苦手なのだ。とはいえ、これ程まで気乗りしないことは今までになかった。
馬車が目的地にどんどん近づくにつれ、私は憂鬱な気分になった。隣に座る彼の左手と手を繋いでいるのだが、その彼の薬指には私の左手の薬指に嵌められた物と同じデザインの指輪が嵌まっている。とんずらしたい衝動に駆られながら、私は首をぶんぶん振った。
ティルナード様が訝しげな視線を向けてくるが、私にしてみれば、それどころではない。
婚約お披露目の時にも確かに揃いの指輪は嵌めていた。しかし、あれはその場かぎりのことだった。今つけているものを彼は肌身離さず嵌めたままらしい。
私は右手で彼の薬指の指輪をなぞった。しっかり嵌まっていて外れそうもない。
「指輪がどうかしましたか?」
私の不審な指の動きを察知したらしいティルナード様は私に向き直って言った。
「いえ。何でもありません」
私は慌てて視線を窓の外に向けた。夜会会場である王宮が近くに見えて、私は眉根を寄せた。右手はティルナード様と繋がれたままなので、自分の左手に手をやることができない。仮に左手に手をやることができても、なくしては困るので外すことはできない。
「…そんなに嫌ですか?」
私がそわそわしているのに気づいたのか、ティルナード様は私の左手に視線を落として言った。
「嫌というわけでは…。ただ、その…何というか、恥ずかしくて」
「今更じゃないですか。今まで忘れていたかもしれませんが、俺達は正式な婚約者同士ですよ?」
直球で言われて、私は絶句した。彼の言うように、婚約したのは数ヵ月前なので今更である。
「そもそも、婚約者がいる俺が未だに迫られるのがおかしい」
彼が言っているのは正論だ。普通は婚約者のいる男性に猛アプローチする未婚女性はいない。夜会の度に言い寄られている現状は確かに異常である。
「それは仕方ないですよ。王弟殿下を除けば、これ程条件の良い独身男性はいませんから。年頃のご令嬢の親族にとっても、ご令嬢にとっても」
私はガーネット侯爵一家を思い出していた。
彼に何がしかの重大な欠点があれば嫌がるご令嬢も多かっただろうが、公爵子息で容姿も整っていて、知る限りでは大きな難点らしきものはない。あるとすれば、結婚すればもれなく掴み所のない義母と世話焼きな義妹ができることぐらいだ。
もちろん、彼以外にも条件の良い相手はいるのだが、狙うからには大物を、ということなのだろうか。実際王弟殿下へのアプローチも激しいと聞く。
「…あなたは俺を独占したいとは思わないんですか?」
私がまるで他人事のように言ったのが気になったのだろう。ティルナード様が不満そうな顔で私を見つめた。少しだけ、私の手を握る力が強くなり、指がぎゅっと絡んだ。
私が答えられないでいると、ティルナード様は「俺はあなたを独占したいです」とぼそっと言って、そっぽを向いてしまった。彼の耳は赤い。
私はもぞりと膝の頭を擦り合わせた。元々こういうことに免疫がない。
「そ…そういえば、ハーレー元侯爵令嬢と婚約なさっていた時も言い寄られたんですか?」
甘く微妙な空気に耐えかねて、私は急いで話題を変えた。この頃よく甘い空気になって、どうしたらいいかわからなくなる。
「いいえ。フィリアと婚約していた時も確かにアピールはされましたが、今ほどではありませんでした。どうにも、お披露目までしたのに認知されていないような気がしてならない」
不本意そうに言う彼に私は苦笑いした。
「そういう意味では指輪は効果的ですものね」
薬指の指輪は無言の拒絶にもなる。自分にはもう決まった相手がいるのだと。ちなみに浮気性の既婚の男女が結婚指輪を嵌めないのは逆の理由である。指輪を嵌めているのに迫るのは余程鈍くて野暮な人間でない限りはしない…はずだ。何事にも例外というのは存在するもので、恐らくティルナード様には適用しないと思った。
「ええ。ずっと身に付けて頂ければ、悪い虫も寄って来ませんからね。俺達が両想いだという証にもなりますし」
「!?」
油断していたところに不意打ちを食らって、私はひゅっと息が止まりそうになった。
「何かおかしいことを言いましたか?俺の記憶に間違いがなければ、つい先日、お互いの気持ちを確認して、結婚に同意を頂いたように思いますが」
何でもないことのように真顔で彼は言った。
あれはやっぱり嘘だったんですか、と聞かれて、私は慌てて首を勢いよくぶんぶん振った。あまりに勢いよく振りすぎたせいだろう。髪が乱れてしまったらしい。ティルナード様は可笑しそうに目を細めながら私の髪に手を伸ばして、優しく撫でて整えた。私は彼にからかわれていたことに気づいた。
「もう!からかわないで下さい」
「すみません。からかっているわけではなく…。ただ、その…可愛いな、と思って」
顔を赤らめて目をそらしながら口許に手を当てる彼を見て、私も耳まで真っ赤になった。
以前はティルナード様は基本ポーカーフェイスで臆面なく恥ずかしい台詞を言うのだと思っていた。最近は彼の表情の微妙な変化が読めるようになってきて、最初から照れながら「可愛い」とか、「似合っている」、「好きだ」といった言葉を口にしていた事実が発覚した。
更に、社交辞令だと思っていた言葉の数々が本心からのものだとわかった。他人から見れば、目付きの悪いレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢だが、彼の目には不思議なことに違って映っているらしい。
私は暫くティルナード様のサファイアブルーの瞳を見つめた。こうして照れている姿は年相応に見えて親近感を覚えた。男の人に言うのはどうかと思うが、彼の方が可愛い。
そうこうしている内に馬車が王宮に着いたようだ。私はすっかり薬指に嵌めた指輪も、憂鬱な心持ちも忘れてしまっていた。冷やかされて、指輪の存在を思い出すことになるのはすぐ後のことである。




