表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/124

5.悲恋には憧れるけれど、平凡が一番です

気持ちの良い風が私の頬を撫ぜる。文机に向かいながら、私は一心不乱に筆を走らせた。

今書いているのは、貴族の身分違いの恋の話だ。二人は仮面舞踏会でお互いの身分を知らずに出逢い、戸惑いながらも次第に牽かれあっていく…というありがちなものだ。

だが、書き進めるうちに、一つの壁に突き当たった。

私は今までに一度も仮面舞踏会というものに参加したことがない。実際にどんなものか想像がつかなかった。そもそも、顔がわからない相手に恋などできるのだろうか。いや、顔がわからないからこそ盛り上がるのかもしれないが、お互いの正体を知った時に百年の恋も覚めてしまうのではないだろうか。


「やっぱり弱いわ」


ほう、と溜め息をついた。以前に貴族向けの小説を発行している出版社に持ち込んだ時、はっきりと言われたのだ。貴方の話はリアリティに欠ける、と。

そういえば、と思い出した。兄が今度仕事でザルツブルク大公主催の仮面舞踏会に出席すると言っていたような気がする。ザルツブルク大公主催の仮面舞踏会は毎回変わった趣向を凝らしていることで有名だ。


「お兄様に相談しても反対されるのがオチね」


兄ルーカスは仮面舞踏会について、あまり良くは思ってないようなのだ。行きたいと言っても、即座に却下されるだろう。

私は文机の引き出しから、便箋を取り出した。さらさらと筆を走らせ、それを封筒に入れ、家紋の入った封蝋をする。

呼び鈴を鳴らし、メイドのエリザを呼んだ。


「エリザにお願いがあるの。お母様のクローゼットに確か鬘があったでしょう?あれを拝借してきてほしいの。それが終わったら、この手紙を至急送ってほしいのだけど」


手紙の宛先のシュタイナー子爵令嬢は私の読書仲間であり、私と同じで大の噂好きである。彼女なら、ツテを使って招待状を手に入れることが可能だろう。アリバイ工作も頼めて、まさに一石二鳥のように思えた。

エリザは一礼して退室した後、すぐに薄茶色のウェーブがかった鬘を持って現れた。私が礼を言って鬘を受けとると、彼女は私の手紙を手に、部屋を後にした。

私は受け取った鬘をそのまま頭に載せてみた。うん、ワカメのように頭の上で浮いていて、我ながら似合わない。横から黒い髪がはみ出しているのだから、無理もないか。

髪をまとめるネットと仮面が必要だな、と心の中でメモをした。それは当日、子爵家に向かう道中で手に入れるとしよう。



ダリアからは二つ返事で協力の承諾を得られた。彼女も元々興味があったのだろう。父親に強請って招待状を何とか入手できた、と嬉々とした返信があった。

仮面舞踏会当日、私はシュタイナー子爵家で支度をして、会場に出発した。流石に家で鬘をつければ、家族や従者に訝しまれるからである。彼らには子爵家の縁戚主宰の夜会に参加する、と伝えてある。

子爵家で侍女に支度を手伝ってもらった後、私たちは思い思いに用意した仮面を装着した。私は黒のベルベットでできたものを、シュタイナー子爵令嬢は紫の、刺繍が見事なものを着けた。

子爵家の馬車で会場に向かう道中、私たちは噂話に花を咲かせた。


「ダリア、私はこの間の王家主宰の夜会でヴァレンチノ公爵ご子息を間近で見たのだけど、世のお嬢様方が騒ぐはずね。本当に素敵だったわ」


私はダリア=シュタイナー子爵令嬢にこの間の夜会での出来事を話した。彼女は目を輝かせて話に食いついてきた。


「そういえば、レイチェル。貴方はご存じかしら?そのヴァレンチノ公爵ご子息のお話なのだけど…彼に婚約者がいらしたのは知っていて?」


羽扇子を口許に当てて、シュタイナー子爵令嬢は優雅に微笑んだ。そのしぐさは妖艶で、口許の黒子が色っぽさを強調していた。異性なら見とれてしまうに違いなかった。


「いいえ」


私は曖昧に笑った。まぁ、あれだけ優良物件と騒がれる彼のことだ。今までに浮いた話の一つや二つ、あったところで不思議がない。しかし、今の彼には婚約者がいるという話は聞かないが…。


「ティルナード様は幼い頃、ご両親の意向でハーレー侯爵令嬢と婚約されたの。ハーレー侯爵令嬢は美人で性格も良く、お二人は仲睦まじく、お似合いだと言われていたそうよ」


「そうなの?でも、今、ティルナード様には確か、婚約者はいなかったはずだわ」


そもそも、ハーレー侯爵という名に聞き覚えがなかった。夜会に参加する前に両親に渡された貴族年鑑にも、その名前は載っていなかったように思う。


「なんでも二年前にハーレー侯爵の横領が発覚して、侯爵家は没落、ティルナード様とご令嬢の婚約は白紙に戻ったそうよ。ティルナード様が未だ独り身なのは今でも、そのご令嬢のことが忘れられないからだとか」


ダリアがそこで、きゃあ、と一人で盛り上がった。美形の悲恋話はご飯三杯はいける、と豪語する彼女の好きそうな話だった。

私もそういう話は嫌いではない。しかし、現実にあるものなのか、と感心する気持ちの方が大きかった。あの時、彼に嫌味を言って悪いことをしたかもしれない。まぁ、彼は冴えない伯爵令嬢ごときの嫌味など歯牙にもかけていないだろうが。


「サフィニア様が未だ婚約者が決まらないのも、そういった事情が絡んでいるという噂よ。ヴァレンチノ公爵は野心家だと専らの評判ですもの」


なるほど。サフィニア様が屈折した性格になったのも、そのような事情があったからなのか、と私は納得した。男性から見ればサフィニア様はかなりの好条件のはずなのだ。性格を除けば。

ティルナード様がサフィニア様に頭が上がらないという噂も、この破談があって引け目を感じているからなのかもしれない。


「大きな家は大変ね」


我がヴィッツ伯爵家が成り上がり根性のない、平々凡々な貴族で良かったと心から思った。両親自体が一般的には珍しい恋愛結婚だった。

だからだろうか。両親が私たち兄妹にあてがう縁談の多くは分相応で、強制力のないものだった。もっとも、私に関しては顔面効果で目下連敗中、ついには匙を投げられたのだが。両親が本当に血も涙もない人間なら私の意思を無視して、強制的に二回り以上離れた結婚相手でも見繕うだろう。


「そうね。物語のような恋愛には憧れるけど、平凡が一番よね」


ダリアが隣で同意した。物語を読んで楽しいと感じるのも、他人の噂話で盛り上がれるのも所詮は他人事だからかもしれない。

話に飽きたのか、ダリアが有名な悲恋のオペラの台詞の一文を口ずさみ始めた。親同士が政敵の貴族の子女同士がお互い強く牽かれあい、永遠の愛を誓いあう話だった。

彼らは最後どうなったのか、会場に着くまでに思い出すことができなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ