35.嫌われ令嬢の夜会の楽しみはそれぞれです
公爵家に滞在すること二日目、午前中はマダムリーリエが来て、ウェディングドレスの試着をすることになった。
「まあ、迷うわぁ。どれも素敵」
公爵夫人が頬に手を当てながら言った。
仮縫いのサンプルは三種類あった。デザイン図案を見る限り、今袖を通したものに、更に装飾が施されるらしい。布地も違うものを使うのだと説明を受けた。私は着せ替え人形よろしく全てのドレスに袖を通した。
「もう少し沢山候補がありましたが、ティルナード様にご意見を頂いて、これでも候補を絞りましたの。お嬢様は大変お可愛らしいから、どれもお似合いですわ」
「ティルも残念ね。お仕事がなければ試着も見ることができたのに」
「あら?本番のお楽しみにできるから良いのではなくて?お姉さまはどれかお気に召したものはあったのかしら?」
ドレスはどれも裾がふんわり広がった、綺麗というよりは可愛いものばかりだった。完成図も凝ったものだ。
「…どれも素敵過ぎて選べません」
私の頭はドレスのデザインよりも、費用の算出に忙しかった。一体どれが一番お財布に優しい価格設定なのだろうか。
「いっそ、全部着ちゃう?どれも似合いそうだし、二回お色直しをすればいいわね」
公爵夫人の提案に私は物凄い勢いで首を左右に振った。一回きりのことにそんな不経済はできない。大体、私のお色直しを見て、誰が楽しいというのか。しかも、ドレスから何から全てティルナード様個人から支払われるという。一応、母のお古を直すことも提案してみたが、満場一致で却下された。
「一着で十分です」
「お兄様はどれが一番お気に入りでしたの?」
「ティルナード様は裾に小さな花が沢山あしらった、透かし編みのレースの重なったドレスがお気に召したようですわ」
じゃあ、それにしよう、と言いたいところだが、そのドレスは候補の中で一番上品でデザインが凝っていた。要するに一番高そうだということだ。しかも、そのドレスはベアタイプで、デコルテから背中にかけて割と大胆に開いていた。谷間を持たざる私にとっては、できれば避けたかった。いや、他の物も割とばっくり開いているのだが、袖がついているだけましな気がする。
私が躊躇っている内に、公爵夫人とサフィニア様は「それにしましょう」と決めてしまった。
「この中だと、やっぱりそのドレスが一番よね。見映えもいいでしょうね」
「そうですわね。お姉さまが決められないなら私もお兄様が気にいっている物で良いと思いますわ」
「実は私もそのドレスが一番のお勧めでしたのよ」
マダムリーリエは鼻息荒く、興奮しながら言った。
私を置き去りにしてウェディングドレスが決まったところで、今度はお茶会と次の夜会用のドレスを作ることになった。私は頂いた物があるので、必要ないと言ったが、「ティルナード様に既にオーダーを承っておりますわ」と言われて、断れなかった。
サフィニア様と一緒に採寸されながら、私はサイズなんてそう変わることがないのに、と苦笑いした。どうも顔に正直に書いてあったらしい。マダムリーリエが目をぎらりと輝かせた。
「お嬢様、サイズは日々変わるものですわよ。現にレイチェル様の胸囲は前回より二センチ程成長しておりますわ!他は変わりませんので、羨ましい限りですわ。馬鹿にしたものではありませんわよ」
私は硬直した後、自分の胸部を見下ろし、耳まで赤くなった。
「まぁ!」
公爵夫人が大袈裟に喜んでいるが、私には恥ずかしい限りである。ヴィッツ伯爵家の食事は基本慎ましいものである。私は特に食が細いらしい。公爵家の食事はバランスのとれた、栄養価も高いものだ。食が細い私には量が多いのだが、ある程度食べないとティルナード様に怒られる…というか、「食べないなら、俺が食べさせて差し上げましょうか?」と口に運ばれそうになる。断っても、「あなたはもう少し太った方がいい」と言われるのだ。
一緒に食事をしたことがあるからか、私の胃袋にどのくらい食べ物が入るかも把握したらしい。多いと言っても食べられる量しか出されない。
美味しいのもある。伯爵家にいる時よりも食べているから体重が増えたのだろう。
「それは太ったというのでは?」
「レイチェル様は今までが栄養不足気味でしたのよ。太ったのなら、胸だけ増えませんわよ」
「ティルナード様のせいだわ」
私は顔を覆った。胸だけ成長したというのも、複雑な気持ちになる。
彼の「あーん」攻撃がなければ、と思う。あれは恥ずかしい。食べさせてもらうくらいなら自分で食べてやる、と思うのだ。残念がられるが、結局は彼の目論見通りになっているような気がする。
「お兄様はお姉さまの食が細いことと、体重が軽いことを気にしておりましたわ」
「私はその分、背が低いから決して軽いわけではないと思います」
食べても縦には伸びず、横に伸びるだけだ。
「お言葉ですが、十分細いと思いますわ。色々なお嬢様のドレスを仕立てさせて頂きましたが、コルセットなしでそれだけ腰が細い方は初めてで、びっくりしております」
「そういえば、最近はコルセットはつけないのが主流なんですか?」
マダムリーリエに聞いてみたが、彼女は苦笑いしただけだった。サフィニア様も公爵夫人も曖昧に笑うだけで答えてはくれなかった。
最近、私はなぜかコルセットをつけない。理由をマリアに聞いても、「レイチェル様には必要ありませんわ」の一点張りなのだ。確かに括れのない私には必要ないのかもしれない。見栄っ張りのように思われるかもしれない。
最近の最大の謎だが、誰に聞いても誤魔化されるだけで腑に落ちない。奥歯に物が挟まったような、すっきりしない気持ちになるのだった。
※※※
午後はサフィニア様と一緒に今度出席するお茶会の予行練習をしようということになり、彼女の案内を受けてサロンに来ていた。折角なので私は昨日気になっていた「宿り木」について聞いてみた。
「宿り木の話をご存じないですって?女性なら憧れる有名な話でしてよ」
ティーカップを優雅に持ちながら、サフィニア様は呆れたような顔で私を見て、「あり得ないわ」と呟いた。
「サフィー様も憧れているんですか?」
「憧れますわ。好きな方と永遠に結ばれることほど、ロマンチックなことはありませんもの」
サフィニア様はうっとりした顔で手を前に組んだ。私は身を乗り出して先を促した。
「どのような話なんですか?」
「宿り木の下では男性は女性にキスをしていいのです。最近は女性がわざと意中の男性を木の下に誘って、なんてこともありますのよ?勿論、口にする決まりはありませんが、そこで口づけを交わした男女は永遠に結ばれるそうよ」
私は口に運んでいた紅茶で噎せた。昨日、私はティルナード様を宿り木の下に誘ったのだ。つまり、あれは私からティルナード様にキスを強請ったように取られたのか。
「ところで、どうしてお姉さまはそんなことを知りたがるのですか?」
面白そうに笑うサフィニア様から私は顔を赤くしながら、視線を逸らした。言い訳するなら、知らなかったのだ。
「お姉さま?」
言い逃れできない状況に追い詰められて、私はとうとう小さな声で「彼を木の下に誘った」と白状した。
「お姉さまも知らなかったとはいえ、随分なことをなさるのね。少しお兄様が可哀想になってきたわ。さぞや、がっかりしたことでしょう」
「そんな意味があるなんて知らなかったんです。知っていたら」
「知っていたら?どうされましたの?」
誘わなかった、と口にしようとして自信がなくなってきた。私は葛藤した。
「お兄様は結局どうなさったの?」
「私が知らないと言ったので、何もありませんでした」
「あら。残念。でも、無理に迫って縁起が悪いことにならなくて良かったのかもしれませんわね。宿り木の下でキスを拒まれた相手とは結婚できないそうですわ」
私は目を見張った。それは本当に縁起が悪い。何も知らない状態でキスされそうになれば、突き飛ばすことだってあるだろう。
「それで?お姉さまはもし、お兄様にキスされそうになったらどうなさったのかしら?」
にやにやしながら、サフィニア様が意地悪な質問をしてくる。私はぐっと言葉に詰まった。
「言えません」
「それは結局どちら?」
「今、後悔しています」
「また誘えばいいじゃない?」
「聞いた後で誘えません」
「あら?簡単だわ。お兄様を宿り木の下まで引っ張って行って目を閉じるだけで良いのよ?」
無理だ。あれは知らなかったからできたのだ。
「ですが、お姉さま。どのみち、避けられませんわよ?結婚式では花婿が花嫁に誓いの口づけをするのが仕来たりですもの。今から予行練習をしておいた方がよくってよ。本番で突き飛ばされたらお兄様が可哀想だわ」
我が国の結婚式では、新郎、新婦が誓いの契りを終えた後、新郎が新婦のヴェールを外し、誓いを永遠に封じる名目で唇に口づけるのが習わしだ。サフィニア様のいうとおり、失敗しないために予行練習を行うカップルも多いらしい。
さすがに私も本番で彼を突き飛ばしたりはしない…と思う。多分。自信がなくなってきた。
「考えておきます」
私は波立った心を落ち着かせるために紅茶を一口口に含んだ。
別に嫌で突き飛ばしたりするわけではなく、恥ずかしくて抵抗する可能性があった。
「お姉さまはお兄様を今はどう思ってらっしゃるの?」
「どうって…?好き、ですよ?」
「キスしたいとは思いませんの?」
そういう気持ちはある。ただ、自然な流れでそういうことはするものだとも思うのだ。
「思いますけど、そういうのはしたいと言って、してもらうことでもないような…?」
「そういう呑気なことを仰っていると他の方に先を越されますわよ?お忘れかも知れませんが、お兄様はおもてになるのだから」
それは知っている。つい先日も香水の移り香を巡って、嫉妬したばかりだ。夜会に出向けば、肉食系令嬢達が彼をギラギラした目で狙っているし、他にも薬を盛られそうになったり、女性にベッドに侵入されたりと、彼のもてっぷりに関するエピソードは尋常ではない。
彼は見た目や爵位もだが、女性の扱いが上手い。頭は良いし、聞き上手だし、意地悪なところもあるけど、最終的に優しい。大人びて見えるのに、意外と子供っぽいところも魅力だし、実は照れ屋なところも可愛いと思う。そんな話をサフィニア様にすれば「甘ったるいのろけ話を聞いて、胸焼けが」と苦い顔をされた。そこで初めて、自分がのろけていたことに気づいて、耳まで赤くなったのだった。
サフィニア様は気をとり直すように咳払いをした。
「…そういうことこそ、お兄様に直接お伝えするべきですわ」
「サフィー様は反対ではないんですか?」
今更だが、悪い噂話しかない令嬢との婚約をヴァレンティノ公爵一家は歓迎し過ぎなような気がする。
「反対するはずがありませんわ。お兄様は普段はあまり笑いませんし、感情豊かな方ではありませんのよ?お兄様が何て呼ばれているかご存じかしら?」
「氷の貴公子様、ですか?」
有名な通称だ。私には違和感しかないが、確かに一見すると、冷たい印象を受ける顔立ちだと思う。ちなみにサフィニア様は氷の女王様と呼ばれている。
「サフィニア様もですが、不似合いなあだ名ですよね」
「いえ。それは私達があなたに心を許しているからそういう風に感じるだけですわよ。先程申し上げたようにお兄様は普段はあまり笑いませんし、女性のあしらいは冷たいんですのよ?」
それはどこのティルナード様の話だろう。確かに、彼は時々意地悪だが、細やかな気配りのできる人だ。歩幅もそうだ。彼の足のコンパスの長さなら、私を置き去りなり、引きずる格好になったりするだろうが、今までにそういったことはない。疲れたと言った時などは靴擦れの心配をしてくれた。話下手な私のつまらない話にも耳を傾けてくれて、よく笑う。
サフィニア様も似たところがあり、兄妹だなと感じる。つんけんしているように見えるが、彼女は情に厚く、面倒見が良い。女王様というよりはお姫様の方が合っている。
「お兄様が気に入ってらっしゃるのだから、反対する理由がありませんわ。噂があてにならないことなんて、私達が一番わかっていますもの」
私も噂で苦労しましたから、とサフィニア様に寂しそうな顔で言われて、私は俯いた。レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢ほどではないにしても、サフィニア様に関する噂話は沢山ある。そして、その殆どが悪いもので、デマだと私は今では知っている。
「理解してほしい人に理解さえしてもらえれば、それでいいと思いますわ。お兄様の口癖ですが、言いたい奴には言わせておけばいいんです」
「うちと一緒ですね。そういえば、サフィー様にずっと聞きたかったことがあるんです。最初にお会いした夜会の時、本当は何て言おうとなさってたんですか?」
彼女とその取り巻きに囲まれた時、彼女はなにかを言いたげにしていたが、結局何も言わなかったのだ。
「あんなダサい髪型とドレスの方がまさか他にもいるとは思わなかったんですのよ。私の取り巻きの方々は私がどんな格好をしていても誉めるのです。だから、どこまで誉めるのか試していたのですが、まさか流行るとは思いませんでしたから、焦りましたわ」
「なるほど。ダサいと注意しようとして下さってたのですね」
私もサフィニア様も今は髪は縦ロールではない。サフィニア様は本来は腰までの緩いウェーブの髪だ。ティルナード様もだが、銀糸のようにキラキラ輝く髪は動く度に柔らかく揺れて綺麗だと思う。縦ロールはゴージャスだったけど、断然今の方が素敵だ。
「あれはわざとだったのでしょう?」
「嫌われ令嬢の夜会の楽しみはそれぐらいしかありませんわ」
私たちは顔を見合わせて、声をあげて笑った。あの時はこんな風に話すようになるとは思っていなかった。
ややして、家令のワトソンがティルナード様の帰宅の先触れがあったことを告げた。私が慌てて、出迎える準備をしようとすると、「お兄様は帰宅が不規則ですから、いつも出迎えませんのよ」とサフィニア様には言われた。
流石にそうもいかないと私が言えば、「仕方ないから付き合いますわ」とサフィニア様も腰を上げた。私達は連れだって公爵家の玄関に向かった。




