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閑話~公爵子息の動揺~

どこで間違えたのかわからない。


気の短い俺にしては随分待った方である。昔と同じ轍を踏まないように慎重に彼女の様子を伺いながら、親交を深めていった。レイチェルとの関係は順調で段々心を許してくれているようだった。だからこそ思いきって、お茶を濁してきた結婚の話を切り出した。実際、彼女から承諾も得られて先程までは実に良い雰囲気だった。

抱き締めたのがまずかったのだろうか。でも、これまでにも彼女を抱き締めたことはあったが、本当の意味で拒まれたことはなかった。

拒まれた理由がわからないまま彼女に視線を落とせば、昔のようにひきつった顔をしていた。手を伸ばして触れようとすれば、怯えて身を縮こませた。


「がっつき過ぎたから嫌われたんだろう」


俺は思わずルーカスを睨んだ。これでも色々我慢している方なのだ。

俺だって不埒なことを考えることぐらいある。色事や女性にもそれなりに興味がある。周りの遊びなれた友人たちは適当に娼館や夜会で出会った未亡人などとの火遊びで発散したりしているが、俺はそういう経験は皆無である。

日頃我慢しているだけに、レイチェルが傍にいれば触れたくて仕方なくなるし、時には眺めているだけでは満足できない時もある。

ルーカスの言うようにぎらついていたのだろうか。そうでないとは言い切れないし、実際彼女に触れる時は胸が高鳴り、呼吸が荒くなる。目も血走っていたのかもしれない。それでも。


「今までは本気で嫌がられることはなかった」


悲しい話だが、実際に本気で嫌がられた経験があるので、彼女が何を思っているか表情で大体わかる。ずっと遠くから見つめ続けてきたのだ。

結婚を了承してもらってやや浮かれていて、これくらいなら、もう許されるかも、と思ったのが間違いだったのかもしれない。


「端から見守らせて頂いておりましたが、ティルナード様が抱き寄せる前までは普段通りのレイチェル様でしたよ?」


「どさくさに紛れて変なところを触ったとか?」


ルーカスの目に殺気が宿った。


「していない!」


するはずがない。そんなことをして、折角得られた了承が撤回されたら元の木阿弥である。レイチェル自身は無自覚だが、深窓の令嬢だ。

許されるなら、彼女の柔らかそうな唇に自分の唇を重ねたい。滑らかな肌や柔らかな頬に思う存分に触れて感触を堪能したい。もっと言うなら早く結婚して、安心したい。

彼女に自分の頭の中など到底見せられない。実際、行動にこそ移さないが、頭の中だけなら何回も彼女に言葉に出せないような不埒な行為を働いていた。


「汗臭かったとかな。お前、仕事帰りだし?」


今日は内勤でそんなに汗はかかなかったはずだが、と思いながら自分の身体をすんすん、と嗅いでみたが、自分ではわからない。

実際、体臭で嫌われたのならショックである。彼女と結婚できても傍に寄り付くのも嫌がられて距離を取られたら、一体どうすれば良いと言うのだ。


「そんなに臭わないと思う」


そう言うと、なぜかマリアが近くに寄ってきて、俺の匂いをかいで「ああ」と呟いた。


「何がああ、なんだ?」


「レイチェル様がティルナード様を嫌がった原因がわかったのですよ」


「何が駄目だったんだ?」


「微かですが、女性ものの香水の匂いがします。ティルナード様は詰めが甘いですね。女性を口説くときは特に気を付けないと。レイチェル様はご自覚はありませんが、不潔な男性は受け付けないようですからね」


不潔、とは酷い言い種である。俺は無実だし、誘惑はされても浮気はしていない。異性と身体を重ねた経験はおろか、口づけさえまだだ。抱きつかれることはあっても、自分から抱き締めたのはレイチェルだけである。

好きでもない女性に一方的に身体を擦り付けられたり、ベッドに裸に近い格好で忍び込まれたり、薬を盛られそうになったが、それだけだ。それなのに肝心の意中の女性には全くモテないのだから悲しい限りである。


「なるほど。口説いたそばから浮気がばれてフラれたわけか。それは仕方ないな。縁がなかったと思って諦めろ。どうせ好感度マイナスからのスタートだったんだしな」


ルーカスが口の端を歪めて笑った。目が笑っていないところから察すれば、本気のようだ。


「待った。浮気はしていないし、まだフラれてない。誤解だ」


本当にタイミングが悪すぎる。香水の匂いの主を本気で恨んだ。

彼女は先日、うちの国に見聞を広める目的でやって来た隣国の王女だ。勿論、それは建前で、本当の目的は婚活である。有り体に言えば王弟殿下とのお見合いを目的とした留学であった。だが、なぜか気に入られたのは俺の方だった。

正直、レイチェルを妾にして彼女を正妻にどうか、と打診された時は怒りで、どうにかなりそうだった。婚約者がいると丁重に断れば、空気の読めない彼女は「たかが伯爵家の娘との婚約でしょう?まだ結婚はなさってないなら問題ないじゃない?」とアリーシャ=ラッセルみたいなことを宣ったのだ。俺がその「たかが伯爵家の娘との婚約」を取り付けるまでにどのくらい苦労したかわからないくせに、だ。

それからも不必要な接触を避けてきたのだが、今日は王弟殿下が彼女の高飛車な態度にうんざりしてきたのもあり、無理矢理押し付けられたのだ。勤務終了までまとわりつかれた結果、匂いを移されたのだろう。

ルーカスに事情を話せば、「やっぱりレイチェルとは縁がないんじゃないか?」と呆れ顔で言われた。


「誤解を解かないと」


「どうやって?あいつ、自分では気づいていないけど、相当潔癖だぞ?多分、愛人なんて作った暁には結婚しても、お前に触られるのは完全拒否だな」


誤解でも、とルーカスは付け加えた。結婚できても、最愛の妻に指一本触れられないのは辛い。第一に触れても怯えられるならどうしろというのか。


「レイチェルと話したい」


「最低な男だと思われたかもな。他の女の匂いをさせながらプロポーズして抱き締めれば、軽薄な奴だと思われても仕方ないだろう?」


見てきたかのように言うルーカスに情報を洩らしたのはマリアだろう。そして、本当にそう思われたのだとしたら最悪だった。

レイチェルと距離を縮めるのは難しい。やっと掴んだと思ったら今回のように逃げられるのだ。

本音としては、どこか遠くの地に拐ってしまって横槍の入らない場所でゆっくりと口説きたいところだ。実際に父から譲り受けた辺境伯の爵位と領地がある。そこなら王都から離れているので、酔狂でもない限りは邪魔者は来ない。一旦、レイチェルと結婚してしまって、そこで時間をかけて警戒を解きながら愛を育みつつ、公爵夫人としての振る舞いなどを手取り足取り教えることも考えていた。両親は健在だし、身を固めて落ち着いて、彼女の気持ちがこちらに完全に向いたところで関係を結び、子供を作って、足場を固めてから爵位は継げば良い。彼女が嫌がるなら子供か、サフィーの夫に継がせれば良い。

頓挫したのは思いの外、サフィーと母がレイチェルを気に入ってしまい、領地に引きこもれば漏れなく二人がついてくるだろうこと、更には王弟殿下もまた、俺という手駒を離す気がないことが原因だった。何より、レイチェルが結婚に頷かない限り、シスコンのルーカスは許さないだろう。

母とサフィーがついてきてしまえば、寂しくなった父もついてくることになる。それを国王や王妃様が許すはずもない。母とサフィーは王妃様のお気に入りだし、父は国王陛下の非公式な相談役なのだ。ヴァレンティノ公爵は野心家だと噂されているが、実際のところは野心などない。寧ろ、家族揃って面倒くさがっている。


「とにかく話さないと」


また誤解されて会えないのは嫌だし、仲違いしたまま茶会でダニエル=ヤーバンと万一仲が深まりでもしたら、と思うと、かなわない。一旦は結婚に頷いてくれたものの、あの様子ではどう転ぶかわからない。

俺がよろよろとレイチェルの部屋に歩を進めかけたところで、マリアが前に立ちふさがった。


「レイチェル様は中庭です」


マリアの言葉に俺は中庭に向かった。途中、躓いて転びかけたのは動揺していたからだと思う。

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