3.初恋は実らないものです
初恋が実らないものだ、という言葉を身をもって実感したのは私が8歳の時のことだった。
私には3歳歳上の兄がいる。兄ルーカスは私の自慢の兄である。文武両道、眉目秀麗、才色兼備など四文字熟語がよく似合う彼は人望もあり、沢山の友人がいた。
私が恋したカイルもその一人である。兄の友人で私にも分け隔てなく接してくれた数少ない人物だった。お世辞にも特に目立つところのない彼は穏やかに笑う人だった。私は彼の困ったような笑顔が大好きだった。
子供というのは単純なもので、私は自分に優しくしてくれるカイルを見て、彼にとっての特別は自分なんだと勘違いしてしまった。今、思えば恥ずかしいことこの上ない。
私は聖誕祭の日に彼に告白することを勝手に決めた。この国では聖誕祭といって、聖人が生まれた日を大切な人と祝う風習があった。
当時も今も、私には婚約者はいなかったし、彼にも婚約者がいるという話は聞かなかった。上手くいく自信はあった。
私は告白に際して、初めての我が儘を両親に言った。折角だからやっぱり、可愛い自分を見てほしい。だから、華やかな薄ピンクの可愛い花びらをモチーフとしたドレスを仕立ててもらった。彼に誕生日に貰った髪留めに似合うように。
私の恋が破れたのは聖誕祭の前にカイルから婚約者を紹介された時だった。カイルは彼の家主宰のお茶会の席で私と兄に婚約者の令嬢を紹介した。私とは対称的な明るい髪の、可愛い少女だった。
カイルの婚約者ルイスとカイルは最近、別のお茶会の席で知り合い、二人は恋に落ちたらしい。一目惚れだったと、はにかみながら笑う幸せに満ち足りた彼の笑顔はいつもの困ったような笑顔とは違っていて、私の胸にちくり、と棘が刺さった。
私は兄と一緒に彼らの婚約を祝福した。政略結婚が主の貴族において思いあった人と結ばれるなんて素敵なことだ、と。上手く笑えたかどうかはわからない。その日は何もかもが他人事で、どこか上の空になってしまい、何度かカップのお茶を溢したり、粗相をしてしまった。幼い不慣れな令嬢のすること、と特に咎められることはなかった。カイルはその度に眉尻を下げて、「仕方がないな、レイチェルは」と困ったように笑った。
家に帰った私は髪飾りをしまい、ドレスもクローゼットの奥に押し込んだ。ベッドに突っ伏して大泣きして、その翌日は顔がぱんぱんに腫れて見れたものではなかった。伯爵家に遊びに来ていたグウェンダルには「不細工」と言われ、頬を摘ままれた。その仕草は労るように優しくて、また泣いてしまった。兄と二人で困ったような顔をしながら、私の髪を優しく撫でて慰めてくれた。
結局、新しく作ったドレスに私が袖を通すことはなかった。
振動が止まり、私は現実に引き戻された。馬車が屋敷についたようだ。
「そういえば、カイルとルイスの結婚披露宴の招待が来てたな」
グウェンダルが私に手を差しのべながら、世間話でもするように言ってきた。瞳の奥が心配そうな光で揺れている。
私は気づかないふりをして、グウェンダルの手を借りて馬車から降りた。
「そうね。何を着ていこうかしら?」
「そうだな。薄ピンクの花びらがついたドレスがいいんじゃないか?」
「本当に悪趣味ですね、貴方」
顔がひきつった。笑えないジョークだし、喧嘩を売っているとしか思えない。売られた喧嘩は高く買ってやる。
「似合ってたし、ルーカスも残念がっていた」
私は窺うように彼を見つめた。からかっているなら質が悪いが、彼の態度は真剣そのものだった。毒気を抜かれてしまって、私は呆れたように言った。
「似合わないし、もう着れないわ」
あれは8歳の時に作ったドレスだ。16歳の私が着れるはずがない。
「残念だな」
グウェンダルはそう言って苦笑いした。彼は兄と一緒で私の初恋と失恋の顛末を知っていた。忘れ去られたドレスとその髪飾りの存在も、全部だ。
「そうね。懐かしいから髪飾りはつけていこうかしら?」
大丈夫だと自分に言い聞かせながら、私は笑った。もう子供じゃないんだから間違えない。
あの髪飾りはどこにしまっただろうか、と考えながら、私はグウェンダルのエスコートを受けて、屋敷の中に入った。