25.都合の良い奇遇などありません
オペラの演目は前々から気になっていた今流行りの可愛らしい恋物語であった。
二人の男女をくっつけるために妖精が奮闘するのだが、彼は失敗ばかりで、行き着く先々で次々とトラブルを引き起こすのだ。それに周囲が巻き込まれて、ドタバタしながらも最終的に男女は愛を誓うというものだ。
公爵家の指定席からは舞台がよく見えて、歌手の演技も上手かった。オペラを実際に見るのは初めてだったが、すぐに引き込まれて夢中になってしまった。
「感動しました」
目を輝かせながら頬を上気させて、月並みな感想を述べれば、ティルナード様は目を細めて笑った。
「最終的に二人が結ばれるのかハラハラしました。歌手の方も凄く演技が上手で引き込まれました。オーケストラの演奏も素敵でした」
さっきから私は一人で喋ってばかりだが、ティルナード様は静かに私の話に耳を傾けていた。私はまた、自分の趣味に付き合わせてしまったのではないかと不安になった。
「もしかして、退屈でしたか?」
「とても楽しかったですよ。貴方にも喜んで頂けて、良かった。このオーケストラは母とサフィーも贔屓にしているんです」
彼は眠そうな顔でそう言った。やはり、疲れが溜まっているのだろう。早く帰った方が良さそうだ。
「この後はどうしましょうか?」
「そうですね。少し歩き疲れたので、帰りましょうか」
私は帰る口実を作るために嘘をついた。私がそう言うと、ティルナード様は私の足を心配そうに見た。ロビーの長椅子にエスコートされて座らされ、彼は私の前に跪いた。
「あの…」
「失礼しますね」
そう言って、靴を脱がされ、彼は私の足を手にとって、注意深く観察した。
「良かった。靴擦れはしていないようだ」
本気で心配してくれたようで心が痛んだ。
「この近くに美味しい料理屋があるんです。もし、良かったら、そこで休憩しませんか?足が痛いなら、俺が抱えますよ」
私は彼の申し出にぶんぶん首を振った。抱えられるのは非常に注目を浴びて恥ずかしいからご遠慮したいし、歩き疲れたということ自体が嘘である。美味しい料理屋は大変魅力的だが、疲れが溜まっているだろうティルナード様をこれ以上連れ回すのは気が引けた。
私が悩む姿を見て、彼は眉を下げた。
「もしかして、この後用事がありましたか?」
そんなものはない。お誘いを受けて嬉しさのあまり、私はその日一日の予定を空けたのだ。
「丁度お腹が空いていたので、楽しみです」
結局断ることはできなかったが、ティルナード様が嬉しそうなので、良しとしよう。
私達はオペラハウスを出て、広場に出た。掘り出し物市が開催されているようで、人々で賑わっていた。
「ティルナード様!ごきげんよう。こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね。あら、そちらの方は?」
やたらと甘ったるい、鼻につく声で呼び止められて、私達は振り返った。亜麻色の髪の泣き黒子がセクシーな、やたらとはだけたドレスの美女が白いレースの日傘を差して立っていた。
夜会の場でもない場所ではだけたドレスは場違いで浮いているが、彼女は気にした様子はない。昼間から気合いの入った格好を見て、ただの偶然ではないと私は思った。
ティルナード様の顔が一瞬能面のように無表情になった。彼は私の不審げな視線に気づくと、すぐに微笑んだ。激しい落差を感じて、私が戸惑っている間に、美女は私達の前までやって来た。
「ああ、これは失礼しましたわ。私はティルナード様の職場の同僚でアリーシャ=ラッセルと申します。もしかして、そちらが妹のサフィニア様ですか?大変仲がよろしいのですね」
サフィニア様に失礼である。大体、私とティルナード様は髪の色も瞳の色も違う。骨格も違えば、身長差もある。
彼女が同僚というのも俄には信じられなかった。
「私はレイチェル=ヴィッツと申します」
私の名前を聞いて、アリーシャ=ラッセルは眉をつり上げた。「あの」と唇が小さく呟き、緩やかに弧を描いた。どのレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢を想像したのかはわからないが、不快である。
「オペラからの帰りですの?今日の演目は確か、妖精の悪戯でしたわね。随分可愛らしい演目だこと。婚約者様の趣味に合わせるなんて、ティルナード様はお優しいのですわね」
暗に幼稚だと馬鹿にされた。彼女は私の全身を見て、ふっと笑った。身を隠したい気持ちになり、たじろげば、図らずもティルナード様の方に身体を寄せる格好になった。
その様子を見て、アリーシャ=ラッセルは顔をしかめた。
「俺もこの演目は好きなんですよ。俺達は先を急ぐので、これで失礼します」
ティルナード様は話を切り上げて、私の腰を抱き、さっさとその場を立ち去ろうとしたが、アリーシャ=ラッセルはティルナード様の腕をすかさず掴んだ。
「あら?ティルナード様も近くで昼食をとられるのでしょう?折角だから、ご一緒しませんこと?」
私の存在は無視することに決めたらしい。
ティルナード様が絶対零度の視線でアリーシャ=ラッセルを睨み付けたが、彼女は特に気にした様子もなく、彼の右腕にしがみついた。さりげなく胸を押し当てながら、甘えるように上目遣いで見上げてくる。鼻先に甘い香水の匂いが漂ってきて、私は不快感で眉をひそめた。彼女は私の視線に気づき、邪魔者を見るような目で見る。
空気が全く読めない彼女をすぐにでも腕からひきはがしてやりたい気分になったが、何とか堪えた。
彼女は同席する気まんまんだが、私の方はしたくない。折角のご飯が不味くなりそうである。
「私、歩き疲れたので、やっぱり昼食はまたの機会にしましょうか?」
「あら?残念ですわ。折角ティルナード様の婚約者様のお話を聞けるかと思いましたのに。では、私達は行きましょうか」
私もティルナード様も耳を疑った。確かに、私が歩き疲れたからといって、付き合う道理はない。しかし、婚約者の私を差し置いて婚約者でもない彼女が彼と二人きりで食事をとるのもおかしな話である。
思わず、まじまじと見詰めてしまったが、上機嫌で微笑まれてしまって唖然とした。
話が通じそうになく、仮に彼が私と一緒に帰ることになっても、馬車に相乗りしてきそうな雰囲気である。人目の多い往来でこれはまずい。
ティルナード様が呆気に取られている隙に、私が彼の腕からするりと逃れた。彼女の態度から察するに、私がいる方がティルナード様が被る被害は大きいように思えた。
恐らく一人の時はいつも彼女を上手くあしらっていたのであろう。彼女から逃げ損ねたのも、歩幅の狭い私に合わせていたからだろう。
「本当に残念ですわね。では私はこれで失礼します」
「レイチェル!?」
私はにこりと礼をとって、二人から離れた。ティルナード様がこちらに腕を伸ばしてきたが、何とかかわして人混みに紛れた。後ろから慌てたように名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。




