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22.恋とは人を馬鹿にするものです

後悔というものは先に立たないものである。

私は目の前に置かれたそれに目をやり、頭を抱えた。どこからどう見ても、男性物の上着である。更に限定するのなら近衛の制服だ。なぜ、こんなものが手元にあるのか、それこそが今の私の悩みである。

ティルナード様と話をした後、私はほっとするあまり、気を失ってしまったらしい。本来なら椅子から滑り落ちて床に頭を打ち付けるところだったが、ティルナード様が支えたため大きなたんこぶを作らずに済んだようである。ここまではまぁ、いいだろう。問題はここからである。

私は図々しくも、無意識下でティルナード様にコアラのようにしがみつき、更に彼の服を握りしめて離さなかったらしい。血の気が引いたのは言うまでもない。彼に私室のベッドまで運んで頂いたと聞いた時には頭痛がした。しかも、私が顔を押し付けていた部分には涎の染みがうっすらとついていた。


「いやぁぁぁ!」


私は顔を覆った。思えば、彼にはみっともないところしか見られていない。


「お兄様がまったく気にしていないのだから、気に病むことではなくてよ?」


サフィニア様は紅茶を優雅に啜って言った。プラチナブロンドの私より色々な部分が大人びた美女が私の殺風景な部屋にいて、私を「お姉さま」と呼ぶ。違和感が半端ないが、もう慣れるしかないのだろう。


「うぅ」


「最初、派手に着崩れてよれよれになったお兄様が帰ってきた時は主にお父様が大騒ぎだったわ。お兄様が無理矢理不埒な行為に及んで激しく抵抗されたのでは、と気を揉んでいたわ。対照的にお母様は早くお式の準備を進めなきゃ、と大盛り上がりだったから真相を知って残念がっていてよ?」


ヴァレンティノ公爵夫人の言動は突っ込みどころが満載であるが、公爵家の良識の部分は公爵が担っているということがわかった。

むしろ、私が無理矢理彼を襲おうとしたという誤解を受けていなくて喜ぶべきなのかもしれない。

サフィニア様がふふっと目を細めて、茶目っ気たっぷりに笑った。完全に面白がられているのがわかるので、私はむくれて頬を膨らませた。


「言い訳をするなら、長らくティルナード様がお見えにならなかったので、愛想をつかされてしまったのではないかと不安で…。それで、一気に気が緩んだというか…」


あの夜会で浮気と疑われるような行動をとったため見捨てられたのではないかと思ったのだ。それが杞憂だとわかり、安心した結果、彼の前で醜態を晒してしまった。

そういえば、あの日、ティルナード様はひどく疲れた様子で、話の途中までは不機嫌だった。


「そのことなら、お仕事が立て込んでいたようよ?お姉様は宰相の失脚はご存じかしら?あの一件で大規模な人事異動があったようで、騎士部門の統括が変わりましたの。近衛騎士の直属の上司は王弟殿下ですが、勤務管理はヤーバン侯爵が担っているそうですわ。夜勤が一気に増えたのと、部下に問題児がいるとかで、お兄様はここ一月お仕事で忙殺されていて、なかなか来られなかったのです。お兄様も酷いんですのよ?ご自分が会いに行けないからと言って私がお姉さまに会いに行こうとすると、睨むのですもの。あら?お姉さま、どうかしました?顔色が悪くてよ?」


「あの、サフィー様。今、ヤーバン侯爵と?」


聞き覚えのある名前に心がざわついた。

実はティルナード様にもサフィー様にも、まだ相談できていないことがある。

未だにヤーバン侯爵子息、ダニエル=ヤーバンから手紙が届くのだ。時には贈り物が添えられており、冗談か本気かわからない、熱烈な口説き文句が綴られた手紙は何度お断りしても送られてきて、非常に対応に苦慮している。

勘違いでなければ、ティルナード様は私のとばっちりを受けているのではないだろうか。


「ヤーバン侯爵をご存知ですの?」


「ええと。まぁ、少し」


歯切れの悪い返事を返しながら、私は視線を泳がせた。

丁度その時、ノック音とともに、ジェームスが室内に入ってきた。彼は腕に赤い薔薇の花束を抱えており、手紙を携えていた。


「レイチェル様、先程こちらが届きまして」


いかがいたしましょう?と、ジェームスに差し出された手紙の封蝋に刻まれた家紋を見て、私は顔を曇らせた。本当にタイミングが悪い。ふう、と溜め息が自然に口をついて出た。

いくら受け取れない、と手紙で断っても、聞き入れてはもらえないのだ。


「あら?綺麗な薔薇ですわね?一体どなたから?」


私は曖昧に笑って誤魔化した。わざわざ言うべきことではない。さっと手紙を文机の引き出しにしまった。


「お姉さま。赤い薔薇の花言葉はご存知ですの?」


サフィニア様の問いに私は左右に首を振った。なぜか彼女は難しい顔をしている。


「真実の愛、ですわ」


サフィニア様の瞳が揺れた。私は思わず固まった。

そのような意味がこめられているなど知らなかった。


「送り主がどなたかは存じ上げないけれど、婚約者のいる女性に贈るには非常識ですわね。お姉さまの不自然な態度から察するに、ヤーバン侯爵家が何か関係しているのかしら?」


サフィニア様の鋭い指摘に私は短く唸った。私は隠し事が下手らしく、顔に出るのだと兄ルーカスは言っていた。


「サフィー様。ティルナード様には言わないで頂けますか?」


「言いますわよ。こういうことこそ、早めに対処しませんと。本来なら侯爵家に厳重抗議するところです」


「ですが」


「ヤーバン侯爵家側の事情もわからないでもありませんが、こちらはこういう事態を避けるために正式な手続きを踏んでいるので、文句は言えないはずです。もし、意図的にお兄様の勤務や人事に口出ししているのなら、職権濫用もよいところです。事実を王家に報告して然るべき措置を依頼すれば済む話です。正式な手続きのなかった時代には度々ありましたのよ?爵位が上位の家が下位の家に圧力をかけて、婚約者を横取りする事例が」


万一、不服を申し立てられたとしても、正式な手続きは済んでいるので問題にはならない、とサフィニア様は笑った。


「お姉さまはもっとお兄様や私達を頼って良いと思います。正式な婚約者なんですから。それとも、そんなに頼りないですか?」


私はぶんぶん首を振った。今までだって十分過ぎる程大事にしてもらっている自覚はあった。だからこそだ。これ以上は罰が当たるというものだし、あまり甘やかされ過ぎると駄目人間になりそうな気がした。


「前々から気になっていたのですが、お姉さまは遠慮し過ぎですわ。欲とかありませんの?」


「もう十分過ぎるくらい沢山頂いてます」


ちらりとクローゼットに目をやった。中にぎっしり詰まったドレスや靴、宝飾品、普段着は私には過ぎるくらい、どれも高級品である。


「結納品やドレスはお姉さま自身が望んだものではないでしょう?あれらは役割を果たして頂くための義務的なものですわ」


ご笑納ください、と笑うサフィニア様を始めとした公爵家の方々は随分豪気だと思う。

欲しいものならある。それは金品ではない。現状それを叶えるのは難しいように思ったが、気づいたら口に出していた。


「今、一番欲しいのは時間です」


サフィニア様の眉がぴくりとつり上がったのを見て、言い方を間違えたことに気づいた。考える時間とか、婚約期間の延長を希望しているように取られたのだと思い、慌てて言い直した。


「できれば、もう少し一緒にいたいと言いますか…。お忙しいのに、我が儘だとはわかっているんです。ただ、やっぱりここまでお会いできないのは寂しい」


恋とは人を馬鹿にするものである。サフィニア様とこうして過ごす時間も楽しいが、それとティルナード様に会えないのは別問題だった。実際、最後に顔を見たのは私が気絶した日である。今思えば、かなり勿体無いことをした。

私の言葉を受けて、サフィニア様の頬がなぜか上気した。


「お姉さま、可愛らし過ぎですわ。抱き締めても良いかしら?」


言い終わる前に、既にがばっと抱き締められ、私は困惑した。小柄でちびな私はサフィニア様の胸に顔を埋める格好になった。どうでも良いが、凄く柔らかく良い匂いがする。やはり、美人の巨乳は最終兵器だと再確認した。女の私ですら、顔が火照って鼻の血管が弛みそうになるのだから。

私が頭の中で、そんな不埒なことを考えながら、ハァハァしていると、サフィニア様の白魚のような手が私の頬に伸びてきて、撫でられた。そのまま、ふっと笑った。


「あのう。サフィー様?」


私はサフィニア様の腕に囲まれたまま、小首を傾げた。


「いえ。お兄様の悔しがる顔が目に浮かんで、愉快でしたのよ。ああ、そうだわ。今度は是非、我が邸にも遊びにいらしてね。お見せしたいものがあるのよ。お母様も貴方に会いたがってましたし、お兄様がいなくても仲良くしましょうね」


そこまで言うと、サフィニア様は漸く私の身体を解放してくれた。

私は口元をひきつらせつつ、頷いた。社交辞令だろうと思うが、ティルナード様のお母様は少し苦手だ。どこがというわけではないが、考えが読めないのだ。


「お兄様には私からお伝えしておくわ。そろそろ、身動きがとれるようになった頃合いでしょうから、お姉さまは心配なさらないでね」


悪戯っぽく笑うサフィニア様の顔にティルナード様の面影を感じて、やはり二人は兄妹なのだと実感した。

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