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21.穴があれば入りたいです

ヴィッツ伯爵邸に着けば、公爵家の馬車が停まっていた。それを見た瞬間、何となく嫌な予感がした。

真っ青な顔をしたジェームスに出迎えられ、応接室へ案内される。彼に何があったのか聞けば、例の婚約辞退の件でティルナード様が来ているのだと言う。

応接室へ入れば、両親とテーブルを挟んで向かい合って座るティルナード様がいた。両親は顔色悪くカタカタ震えており、相対するティルナード様は無表情だ。冷たい印象を受ける美形なだけに迫力がある。彼は近衛の制服を着ており、珍しくやや着崩れた格好をしていた。ティーカッブの紅茶はすっかり冷めきっているようで、彼が来てから大分時間が経っていることを示していた。

激しくその場から逃げ出したいが、どうにも状況が許してくれそうもない。そもそも身体が硬直して、足が動かないから逃げ出すことは不可能なのだが。

ティルナード様は私を視界に入れると、「彼女と話がしたい」と両親に言った。両親は壊れた人形のように首をがくがくと縦に振った。

彼は私が固まっている間につかつかと近づき、流れるような動作で私を横抱きに抱えた。そのまま部屋を出ようとする彼の前になぜか、マリアが立ち塞がった。

天の助け、とばかりに私はマリアを見つめた。

私は私がいない間のティルナード様と両親の間のやり取りを知らない。彼がなぜ、こんなにも不機嫌なのかがわからない。その状態で二人きりにされるのは非常に辛い。

彼の眉が不機嫌にぴくり、とつり上がった。


「レイチェルと二人で話がしたいだけだ。乱暴なことはしない」


「安心いたしましたが、念のため、お側には控えさせて頂きます」


ティルナード様は暫く無言でマリアを見つめたが、やがて諦めたように溜め息をついた。彼は私を抱えたままサロンに向かい、その後ろにマリアがつき従う格好になる。

サロンの入り口でマリアは足を止め、私とティルナード様はサロンの奥の長椅子に隣り合って引っ付く形で座った。

肌で彼の体温や怒りの感情を感じて、非常に落ち着かない。しかし、ティルナード様に逃がさないとばかりに、がっしり腰を掴まれているため、離れようにも離れられなかった。


「婚約を辞退したい、と伺いましたが…」


低く、冷たい声で告げられて、私の身体はびくりと跳ね上がった。答える代わりに、つ、と目線を逸らした。そっと彼から距離を取ろうとするが、逆に腰をぐいと引き寄せられてしまう。


「他に気になる相手ができましたか?例えば、ダニエル=ヤーバンとか…」


なぜ、という思いで顔を見上げれば、至近距離で彼の深い蒼の瞳に冷たく射すくめられて、私はぞくりと震えた。このままではいけないと、逃げ腰になる気持ちを奮い立たせながら、覚悟を決める。


「誤解、です」


やっとの思いで、それだけ口にできた。前回の夜会に比べれば大きな進歩だと思う。


「誤解?」


彼の、腰を抱く力が緩んで少しほっとする。目を閉じて、すっと息を吸い、吐き出す。


「私は貴方との婚約を解消したいとは思っていません」


当初は確かに気乗りしなかった。だけど、今は違う。

人間とは不思議なもので、一度知ってしまえば、それを知る前にはそう簡単に戻れないものだ。私は既に彼に執着してしまっており、彼が私の両親の申し出に応じれば、心穏やかでいられる自信はなかった。


「私がぎこちなくなるのも、上手く笑えないのも貴方を意識するからです」


そこまで言って、恥ずかしさで身悶えしそうになった。穴があれば入りたい。彼は私から視線を逸らしてはくれない。私は今、自分の顔がどえらいことになっている自覚がある。これ以上ないほどに茹で上がっているに違いなかった。それもこれも…。


「全部、貴方のせい」


私は目を逸らしながら、見ないでくれと言わんがばかりに彼の身体をぐっと押した。そんなことをしても彼の視線に自分が晒されている事実は変わらず、無駄なことはわかりきっている。更に言うなら、非力な自分の力で彼を押し退けることなど到底無理な話だ。

ティルナード様が驚いた様子で息を呑んだのがわかった。


「俺は婚約を解消するつもりはありませんよ。勿論、俺の両親も。周りがどう言おうと、俺は貴方がいいんです」


ティルナード様にぐっと両手を握られ、心なしか赤い顔で見つめられて、私は困惑した。「婚約を解消するつもりはない」とはっきり言われて、全身にぴんと張り詰めていた緊張が一気に緩んだ。


「レイチェル?」


正直、限界が近い。元々身内以外の異性に免疫もなければ、恋愛初心者なレイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢にしてはよく頑張った方だと思う。お相手は世のご令嬢がこぞって胸をときめかせるフェロモンたっぷりなティルナード=ヴァレンティノ様である。

そう。例えるならネズミが猫に挑むようなものだ。

心臓がどくどくと不整脈を刻みすぎて、おかしなことになっており、顔は火照りっぱなしで頭はまともに働いていない。凄く恥ずかしいことを言われたような気がするが、正確に理解する余裕はなかった。

安心したせいか、目がぐるぐる回って、ふっと意識が遠のいた。目の前が真っ暗になる。全身の力がくたっと抜け、椅子から滑り落ちそうになるが、寸前で誰かが背中に腕を回して支えてくれたようだ。いつまで経っても打ち付けるような痛みは襲って来なかった。

温かくて安定感のある腕に抱き寄せられて身を預ければ、凄く良い匂いがした。遠くで焦ったように名前を呼ぶ声が聞こえる。その声はどこか懐かしく、子守唄のように耳に妙に心地よくて、私はそのまま意識を手放した。

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