20.誤解は深まるばかりです
馬車がガタゴト揺れる。
車内には気まずい空気が流れていた。ティルナード様は私に背を向け、窓の外を見たまま、こちらを見ようとはしなかった。行きの馬車とは完全に逆である。
私はドレスの裾をぎゅっと握りしめ、ティルナード様の広い背中を見つめた。何度か口を開くが、かける言葉が見つからない。
唇を噛みしめれば、口の中に苦い鉄の味が広がった。
ふいに、隣から低い、掠れるような声が話しかけられ、私は微かに肩を震わせ、身構えた。
「ダンスは苦手じゃなかったんですか?」
彼は窓の外を見たまま、ぽつりと言った。何を言われたか、わからなくて私はぽかんとした。
「俺と踊った時とは全然違いましたね。いつも、ぎこちない表情をするのに、今日はとても楽しそうだった」
婚約お披露目の時は失敗しないか緊張して、それどころではなかった。今日リラックスしているように見えたなら、それはダニエル=ヤーバンが私と一緒でダンスが下手だったからだろう。親近感を覚えたのだ。
「俺の前では絶対にあんな風に笑わないでしょう?」
私は言葉に詰まった。
違うと言いたいが、上手く否定する言葉が見つからなかった。何度も手を握ったり離したりを繰り返し、彼の問いに答えようとするが、結局やめてしまう。
そのまま、ぷつりと会話は途切れた。ティルナード様は屋敷に着くまで私を見なかった。
ティルナード様と別れて両親に子細を話せば、こっぴどく叱られた後、心配された。婚約者のいる身で他の男性と誤解されるような言動をとれば破談になってもおかしくないとのことだった。
この夜会以降、ティルナード様からのお誘いも訪問もないまま、一月が過ぎた。
「世間では、レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢とティルナード=ヴァレンティノ公爵子息の婚約は解消寸前だと噂されているな。君の婚約者殿と他の令嬢が懇意にしているという話も聞いたな。何でも相手は新しい宰相の姪御で巨乳、亜麻色の髪に泣き黒子がセクシーな美女だとか」
その話は私の耳にも届いている。正直、私の身体はセクシーとか、妖艶とは無縁なので、彼がその手の女性が好きなら私に勝ち目はない。身長はこれ以上伸びないし、他の部分も急成長は望めない。
私はリエラの元を訪れていた。相談できるような相手が彼女の他には思い浮かばないのが悲しいところだ。
リエラは自室で本から視線を上げて、私を探るような目で見た。あの夜会以降、彼から何の音沙汰もない。こちらから連絡をとるべきだろうかとも考えたが、何と申し開きをしたものかわからず、今日に至る。
愛想を尽かされるようなことをした自覚はあり、彼にはっきりと断られるのが怖くて、今日までずるずると問題を先送りにして来たのだ。
加えて、頭を悩ませている問題が一つある。あのダニエル=ヤーバンから婚約の申し入れがあったのだ。まだティルナード様とは婚約が解消されていない。その上に、うちの両親も私も「駄目になったから、じゃあ次へ」と簡単に切り替えができる程器用ではない。丁重にお断りしたのだが、通じなかったのか、未だに彼から手紙が届き続けて困っている。
「やっぱり、愛想を尽かされたのかしらね」
「きちんと話をしたのか?」
私は左右に首を振った。ティルナード様には誤解されてしまったままだ。あの夜会の帰る道すがら、話す時間は十分にあったというのに、その機会を潰したのは私だ。
「元々、不釣り合いな縁談だったし」
「そうやって、逃げるのは楽だがね。君はそれで後悔しないのか?何でもかんでも理由をつけて、すぐ諦めるのは君の悪い癖だな」
リエラは読んでいた本をぱたん、と閉じた。呆れたような視線を向けられて、私は目を泳がせた。
「愛のない婚約だもの」
しどろもどろになりながら、私は言った。
「なら、何で君はそんなにがっかりしているんだろうな?」
図星をつかれて、うっと言葉に詰まった。私は自分に言い聞かせて、無理に納得させようとしている。そんな自分がどうしようもなく情けないが、面と向かって拒絶されるのも怖かった。先程からの言葉は全て本心ではない。
「リエラは意地悪ね」
「今更だな。それに、そんな悠長にしている場合でもないだろう。既に君の小心者な両親は婚約辞退に向けて動き出していると聞いている。公爵家側が受け入れて成立すれば、君たちは晴れて赤の他人だ。おめでとう」
「本っ当に意地悪」
私はリエラを恨みがましい目で睨み付けた。リエラは私の視線を受け流し、「受け身で、優柔不断な君が悪い」と鼻で笑った。
「素直に言えばいいじゃないか。全部誤解だ、とな。婚約者殿を前にして、ぎこちなくなるのは貴方を意識しているからだ、と。大体、相手から誘いがないなら、君から誘えばいいだろう?」
「迷惑だと言われたら?」
「それでも諦められないなら、みっともなくても縋ればいいんじゃないか?君の話は呆れるほど仮定だらけだな」
「はっきりとフラれたら?」
或いはヴァレンティノ公爵家から、相応しくないと婚約を解消されるかもしれない。
「その時は慰めてやるさ」
艶然と笑うリエラにうっかり惚れそうになった。彼女は生まれてくる性別を間違えたんじゃないかと思うほどに、潔く男らしい。
「…話してみるわ」
私は心の中で意気込み、決意した。ヴィッツ伯爵邸に帰ったら、彼に会いたいと手紙を書こう。会って話をする機会がほしいと伝えるのだ。そうして、あの夜会の帰り道のやり直しをしよう。
その決意は思わぬところから早々に出鼻を挫かれることになった。
「レイチェル様。その件ですが、実は今朝、ヴィッツ伯爵夫妻から正式に婚約を辞退したい旨の書状がヴァレンティノ公爵家に届けられたそうです」
傍で控えていたマリアの無慈悲な宣告に私は言葉を失った。
そんな話は両親から聞いていない。マリアに話を聞けば、どうにも私の両親が先走ってしまったようで、マリアもヴィッツ邸を出る前に公爵家より、この件について伝達を受けたらしい。
行き掛けの馬車の中で、マリアの様子がおかしかった原因が漸くわかった。
しかし、だ。本人への報告が最後とはどういうことだろうか。
「ふ…ははははっ」
リエラがお腹を抱えて大爆笑している。
「笑い事ではないのだけど!?」
私は彼女を横目で睨んだ。
公爵家側が正式に受理して所定の手続きを踏めば、婚約は解消される。こちらから辞退を申し入れたのだから、なかったことにはできない。
「失礼。実に君の両親らしいな」
リエラの言葉に私は納得しつつ、がっくりと肩を落とした。どうにも血は争えないらしい。
レイフォード家の家令がノックをして、入室してきた。彼は私にヴィッツ伯爵家から至急屋敷に帰るようにと連絡があったことを告げた。
恐らくは婚約辞退の話だろう。しかし、至急帰るようにとは一体どういうことなのだろうか。
釈然としない気持ちのまま、私は馬車に乗り、家路に着いた。




