18.王弟殿下は枯れています
本日3番目の更新ですm(_ _)m
喧嘩はしていても、エスコートは受けなければならない。ティルナード様の手を借りて、馬車から降りる。降りた後ですぐに手を離せば、彼はまた傷ついたような顔をした。世の中のお嬢様方なら彼の様子を見て許してしまうかもしれないが、私は本当に怒っているので、そんな顔をしても無駄だ。
この国では特にエスコートの形は決まっていないので、今日は彼の腕に腕を絡める形をとることにした。
ティルナード様が何度か謝罪の言葉を口にしていたが、私は無言で彼を見上げて睨み付けた。心のこもってない謝罪は無意味だし、何が悪いかわかっていないのに謝るのは不誠実だ。そういうところは昔から全く変わっていないと思う。私はまた違和感を感じて首をひねった。彼と喧嘩をするのはこれが初めてなはずなのに、どうして昔から、と感じたのだろうか。
夜会の開式を王弟殿下が宣言した。開式の後で、私達は王弟殿下に挨拶に向かう。形式的な臣下の礼をとった後で、手で楽にするようにと示された。
「噂に聞いていたが、でこぼこだな」
王弟殿下の率直な感想に私は目を丸くした。私達が不釣り合いなのは指摘されるまでもなく、私もよくわかっている。
「大型犬と小型犬ほどの差があるな」
どうやら容姿的なことではなく、体格と身長差について仰られたらしい。わかりにくいことこの上ない。私は女性の中でもチビで小柄な方だ。対して、ティルナード様は長身である。王弟殿下の仰るように、二人並べばアンバランスだと思う。
「それにしても、どんな肉食系妖艶美女を連れてくるかと思っていたが、可憐な儚げ美少女が来たので、拍子抜けだ。まぁ、そういう趣味だったかと納得ではあるが」
王弟殿下のあまりの言い様に私は乾いた笑いを漏らした。悪い噂が一人歩きしているのは知っているが、「肉食系」とは心外だ。そんな噂はなかったはず。しかも、「可憐な儚げ美少女」とは誰のことを言っているのか意味がわからない。
「何のことかわからない、という顔をしているな?まぁ、無理もないか」
彼は側近に命じて、一枚の紙を持ってこさせた。側近の手から私の手に渡ったそれを見て、私は愕然とした。
穴があれば入りたい。
そこに書いてある内容は鬼い様が私の結婚相手募集のために作成した条件であった。それらは五十項目ほどあり、内容は厳しいものだった。見つからなくて当たり前だし、この厳しい条件をくぐり抜けた先に待つのが「私との結婚」などとは烏滸がましいにも程があると思う。私だったら、こんな細かい条件ばかり挙げる女性はご遠慮したい。レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢、お前は何様なんだ。
最後に「兄より強いこと」が挙げられているが、鬼い様は腕っぷしに自信のある文官なのだ。彼の屍の上を越えるのは至難の業だと思う。第一、この条件を満たす男性を待っている内に私は化石化して行き遅れてしまうと思う。
「正直、あのルーカスをして、この条件を提示させる令嬢はどんな猛者なのか興味があった。ちなみに、私も候補に上がっていたらしい。私でさえ、その項目全てを満たすのは無理だがな」
はっはっはっと快活に王弟殿下は笑った。
おっふ。私はあまりの畏れ多さに肩を震わせた。
「兄が暴走してご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありません」
「ルーカスは妹馬鹿だからな。そこが楽しいところだが。ところで、ティルナードはどうしたんだ?先程から脱け殻のようだが?喧嘩でもしたか?」
「なんでもありませんわ」
私はにっこりと笑い、放心状態のティルナード様の脇腹を腕でつついた。いい加減、気持ちを切り替えてほしいものだ。
「どうせ、ティルナードが余計なことでも言ったのだろう。レイチェル嬢、程ほどにしてやってくれ。ティルナードは派手な外見に反して純情な上、女性経験は皆無だ。嫉妬深いやつだから面倒くさいだろうが、一途ゆえのことだ。まぁ、俺が女なら、こんな重い男は嫌だな」
「殿下!?」
ティルナード様が咎めるように、王弟殿下を睨み付けた。
「事実だろう?臆病ゆえ肝心な言葉もまだ言えてないだろうに、大方、望んだ答えが返ってこなくて勝手に嫉妬して怒らせた。そんなところかな?」
見てきたかのように、つらつらと言う王弟殿下に私は驚いた。
「フィリアにも言われただろう?独占欲が強いのも大概にしないと、愛想を尽かされると。喧嘩の原因が何かは知らないが、何が悪かったか反省して、早く謝るのだな」
「フィリア」という女性名が出てきて、私はもやっとした気持ちになった。表情に出ていたのだろうか。王弟殿下は面白そうに笑った。
「フィリアはティルナードの元婚約者だ。心配しなくても、フィリアとティルナードの間には何もなかった。フィリアは蠱惑的な美女で世間的にはお似合いだったようだが、レイチェル嬢を見る限り、ティルナードの趣味とは真逆らしい。夜会の度に面の皮一枚下ではお互いに悪態をついているのをもう二度と見ることができないのは非常に残念だな。私の唯一の楽しみだったのに」
王弟殿下は私をちらりと見て、ふっと笑った。
一瞬、胸部の絶壁に目が止まったような気がして非常に不愉快であったが、不敬に当たるので、口角をつり上げてにこりと笑う。
「殿下、下世話な話はやめて下さい。あなたは臣下の婚約者を見て面白がるより、自分の伴侶を探す努力が先でしょう」
全くその通りだ。今宵、ここに集まった令嬢の大多数は彼に見初められることを望んでいる。それをほったらかしにして、臣下を相手に長々と管を巻いているのはいかがなものか。
「まぁ、そう言うな。これで頭の痛い問題なのはティルナードもよく知っているだろう?見かけは華やかでも中身は野心にまみれた毒花のような令嬢ばかりで困っている。ともすれば、勢力争いのために自分の娘を売り込もうとする有象無象どもにもうんざりでな。私の場合、微妙な立場上、お前以上にしがらみが多いんだ。お前みたいに惚れこんだ娘が都合よく無派閥の家の出という奇跡はそうないさ。兄上はせっつくが、後々のことやら、勢力図やらを考えると、面倒で正直食指が今一つ動かないのだ。楽しみの一つもなければやってられんよ」
枯れている。王弟殿下は結婚を決める前からマリッジブルーのようだ。盛大な愚痴を聞いて、私が眉根を寄せていると、「ルーカスとそっくりだ」と笑われた。
「しかし、残念と言えば、お前とルーカスが実はデキているとかいう噂が聞けなくなるのもだな。あれに顔を青くしているお前たちを見れなくなるのも…」
「誤解です」
兄とティルナード様の噂は私も知っている。私にはそういう趣味はないが、ダリアはそれで、ご飯三杯はいけると豪語していた。美男同士の恋愛は生産性はないが、案外需要は高いのだ。私はルーカスの女性の趣味を知っているので、笑い話だが、誤解されている当事者にしたら、笑い話ではないだろう。
「大体、あれは殿下にも原因があります。あなたがいつまでも独り身だから、俺に火の粉がふりかかるんですよ。しかも、これ幸いと言わんがばかりに、それを虫除けに利用するんだからたまったもんじゃない」
ティルナード様と王弟殿下の噂も実はある。むしろ、こちらが先で、ルーカスとの噂は後発である。こちらがあまり有名でないのは内容と相手だけに、不敬にあたるからだ。つまらぬ噂で誰しも罪には問われたくない。首が飛んだら洒落にならない。
しかし、近くで見ると確かにお似合いである。むしろ、私よりも似合ってるんじゃないだろうか。
ティルナード様にはそんな私の考えが正確に伝わったのだろう。彼は苦い顔をして、こちらを見ていた。私はつん、と顔を反らした。婚約者としての義務は一応は果たすつもりだが、まだ許したわけではないのだ。
そんな私達の様子を見て、王弟殿下は爆笑した。
「笑うなんて、失礼ですわ」
「くっ…ははっ!これは失礼。安心したというか、拍子抜けしたというか。正直、良い噂は聞かなかったからな。レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢は国家転覆を企んでいるとか、男を怪しげな術で操るのに長けている、とか荒唐無稽なものばかりだった。どんな傾国の美姫が来るかと心配していた」
実物が庶民派で貧乳でチビで悪かったな。実際、私を見た他者の反応の半分くらいは落胆である。勝手に噂を大きくされた上に過大な期待を寄せられて、がっかりされて…こちらは迷惑しているのだ。風評被害も良いところで、架空の美姫レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢には精神的苦痛を与えられた慰謝料を要求したい。噂の元の出どころが頭が悪いだけに、本人の意に反して大きく翼を広げて羽ばたいた感じが何ともいたたまれない。
「一伯爵令嬢が国家転覆を企むとか、怪しげな術で男性を操るとか、普通に考えて不可能でしょう」
「まぁ、な。ここまで大きくなったのはルーカスの妹馬鹿とティルナードを始めとする馬鹿どもの一方通行な片思いもあるか」
「それこそ誤解ですわ」
大事なことなので何度も言うが、私はティルナード様と婚約するまで、お見合い全敗中である。他にも私に思いを寄せる奇特な人物がいるようには思えない。ティルナード様の一方通行な片思いというのもあり得ない話だ。
ルーカスは確かに出世株ではあるが、一応の良識は持ち合わせているはずだ。妹のために国家転覆を企てるような、大それたことはしない、と信じている。
「レイチェル嬢、そう卑屈になるな。俯いていては大事なものを見落とすぞ。まぁ、上を向いてばかりいては足元を掬われるがな。これは年長者からのアドバイスだ。長らく時間をとって悪かったな。私の立場になると、気のおけない人物は希少で、ついつい甘えたくなるんだ。お前たちのお陰で多少は憂鬱な心持ちも晴れたよ」
「肝に命じます。少しでも気が紛れたなら良かったですわ」
笑われた甲斐もあったということだ。
私達は王弟殿下の御前を辞する礼をとった。
王族も色々と大変なのだな、と思いながら、ティルナード様の腕をとり、その場を後にしたのだった。




